澪標エゴイスト(8)
「そういえばおまえはなぜパルコシェニコにいた」
「フィオーレを探していた。本命はこの向こうだが確証があるわけではないからな。ほかのあらゆる可能性を潰していた」
「それならなぜそうと話してくれなかった」
もとから鋭いテオリアの瞳が凶悪な光を帯びる。どうやら地雷を踏んだようだ。
「よくまあそんな能天気なことが言えたものだなあ。ああ? ソルジェンテさん」
「あっ!」
なぜ、などと詰問できる立場ではなかった。
「パルコシェニコの階段はおそらくこのドアの先と一時的に繋がっていたんだろう。あくまでおれの推測でしかないが、あそこは地龍の背でもある。政庁やフィオーレ自身と親和性は高い。その証拠におまえはあの場に踏み入った。……まったくもって腹立たしい話だ。もっと早くにおまえだとわかっていれば、おれだって事情を説明していたさ。ルーチェおまえ、なぜ偽名など使った」
「うっ……」
メテオラの任務を邪魔したくなかったからだが、それについてはわたしにも言い分がある。
「気づかないほうが悪い」
「は? 正気か。まったくの別人だったぞ」
「ほかのみんなは誉めてくれた」
「知らん。それはおまえが化粧をしているとわかってのことだろうが」
テオリアは大きく息を吸ってさらになにか言い募ろうとしたが、やがて額をおさえて深いため息を吐き出した。
「無駄口はいいから早く開けろ」
わたしはドアの把手に手をかけた。冷たくかたい手触り。どこにでもある、鉄製のドア。だがわたしはそのときたしかにフィオーレの声を聞いた。
ルーチェねえさま、と。
把手を捻り、ぐっと力をこめる。ドアは見た目どおりの重さがあったが、軋みながら押しひらいた。
先には暗い廊下が続いていた。
テオリアは火をいれたランプを片手に、廊下へと進み出す。わたしはドアを開けたまま、部屋を振り返った。
「どうしたルーチェ」
「メテオラを置いては行けない」
「なぜ」
テオリアの声はあまりに冷え冷えとして、わたしは言葉に詰まってしまう。
構わずテオリアが口をひらく。
「あのハイブリッドにもう用はないはずだ」
「それはおまえとメテオラのあいだの話だろう? そうじゃない、これはわたしとメテオラのあいだのことだ」
もしわたしとテオリアがともに部屋から消えていたら、メテオラはひどくわたしを心配するだろう。そんな思いはさせたくない。
「あれはしばらく起きん」
「どういうことだ」
「人の部屋でいつまでもメルクーリオ……、龍王とじゃれていたから強めの薬を打っておいた」
「テオリアおまえ、なんてことを!」
「ソファと一緒に処分されなかっただけ、ありがたいと思え」
「処分だと」
「おまえだって呪いのことはわかっているだろう。いま地上にいる悪魔たちはみな特効薬を受け入れた者ばかりだ。あのハイブリッドを除いてな。その意味がわかるか。たとえ半分とはいえ、あれは百年前におれたちが戦った悪魔そのものということだぞ」
テオリアはわたしのそばまで戻ってきて、把手を掴んだままのわたしの手に手を重ねた。
「おれは久しぶりに、悪魔らしい悪魔を見たと思った。呪いに抗い、呪いをのろう悪魔をな。いつ、その理性が吹き飛ぶかもわからないのに。……後悔した。フィオーレの言葉を鵜呑みにして、あいつひとりにおまえを任せたことを」
強引に腕を引かれて、ブランケットが肩から落ちる。わたしは転げそうになりながら、廊下へと連れ出された。
背後でドアが閉まっていく気配がする。廊下は下り階段に繋がっていて、振り返ったときにはもうドアは見えなくなっていた。
テオリアが持つランプの明かりは小さく、またテオリア自身が壁になって、わたしのもとまで光は届かない。暗闇で手を引かれながら、メテオラのすこし冷たい手が思い出されて仕方なかった。
暗闇は次第に薄闇となり、やがて道先には夜明けのような明るさが滲んだ。
階段を下りきると、そこは陽光に満ちた、花が咲き乱れる丘のうえだった。
「ここは……」
わたしは周囲を見渡し、驚嘆の息をもらした。山裾まで広がる麦畑、点在する民家のあざやかな屋根の色、丘から伸びた道は森へと続き、あたりには花や土の香り混じりの風が吹いた。
隣に並んだテオリアも、さすがに言葉を失っているようだった。
「テオリア、覚えているか。叔父さんの家で過ごした夏を」
「忘れるはずがない。あの夏がなければ、フィオーレは聖女になんてならずに済んだかもしれないんだ」
「そうだな」
わたしたちは示し合うこともなく、どちらからともなく丘を駆け下り、森にあるはずの風穴へと向かった。
遠いあの日、風穴からあらわれた悪魔はフィオーレに襲いかかろうとして、しかし直前に毒気を抜かれたようにあの子の前に跪いた。そして崇めるように感謝を述べて泣きはじめたのだった。
すぐそばにいたわたしとテオリアにも、そして当人のフィオーレにも、なにが起こったのかわからなかった。ただ、ともに散策をしていた父方の叔父が聖女だと言い出し、その日の出来事は夜までにすっかり広まってしまった。
フィオーレのもとには、あちらの風穴にも行ってほしい、ここにある矢に力をこめてほしいなど、おとなたちが殺到した。
はじめは皆の役に立つのならと引き受けていたフィオーレだったが、力を行使するたび体調を崩すことが多くなった。医者は原因不明と言い、神父は奇跡の力がいのちを削っているのだと言った。回数を重ねるにつれて奇跡は薄れ、似非聖女と罵られることもあった。
やがてフィオーレは部屋にこもりきりになり、わたしとテオリアは部屋の門番となった。父と母だって容易に近づけさせはしなかった。それからしばらくすると、フィオーレを聖女としてまつりあげる人々はすっかり姿を消し、わたしたちには日常が戻った。あとから聞いた話によると、どうかそっとしておいてほしいと父が頭をさげてまわったらしかった。娘のいのちより大切なものはないから、と。
フィオーレはふたたび明るく活発な少女に戻り、わたしとテオリアはそんなフィオーレを守るため騎士になるべく励んだ。大切な妹が普通の少女として安全に暮らせる世界を作るため。もう二度と、フィオーレのいのちを食いものにさせないため。
皇帝陛下がフィオーレを聖女として軍に召集するまでは。




