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青騎士の失態  作者: 望月あん
2章
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甘辛ハイブリッド(2)

 木々のあいだから落ちる日射しが、じんわりと赤みを帯びる。


 メテオラと交わしていた下らない会話もいつしかなくなり、わたしたちは無言で森を進んでいた。

 日暮れまでに森を抜けるのはおそらく難しい。そうなると、取るべき行動は変わってくる。


 優先すべきは二点。ひとつは、安全な場所を見つけること。あと一点は水辺の確保だ。目覚めてからこちら、わたしはもちろんメテオラも、水分を一滴も口にしていない。しかしそのどちらについても、いままでのところ遂行するのは困難だ。これまでの選択に間違いはなかったはずだが……。


 やはりあのまま飛んでもらえばよかったのか、と思って、わたしはすぐに首を振った。ない。飛ぶのはない。


 ただ、ひとつ抜かった点があるとすれば、メテオラに抱えられ空を飛んだおり、森の規模や街のある方角など地上の様子をきちんと視認しなかったことだ。目を開けていればよかったと悔やむ一方、たとえもう一度機会があっても目を開けていられる自信はなかった。


 すぐ後ろを歩いていたメテオラの足音がふと消える。振り返ると、彼はすこし後方で立ち止まっていた。木々の向こうを探るように目を眇めている。


 どうした、と声をかけようとすると、メテオラは唇の前に人差し指を立てた。わたしはそっとメテオラの隣に並んだ。


 メテオラは視線をそちらへ向けたまま、奴らだ、と囁く。

 わたしもメテオラの視線の先を追う。耳も澄ます。だが鬱蒼と茂る木々の向こうに何かがいるとは思えなかった。


「とくになにも見えないが……」

「複数いる。四、いや五人」

「なぜそんなことがわかる」

「おれね、耳がすごくいいんだよ。一族のなかでもとびきりに」


 メテオラは両耳を引っ張って、舌をぺろりと出した。耳がいいのは確かかもしれないが、とびきりかどうかは疑わしい。


「ルーチェはほぼ丸腰に近いし、気づかれると切り抜けるのは難しいかもね」

「丸腰はおまえもだろう。しかしそうだな、いまのこの距離を確保したまま先を……」


 その時かすかに、わたしの耳にも声が聞こえた。悲鳴、泣き声か、……いや、抗いの、生きようとする声だ。そうであってほしくないが、まだ幼い子どものように思う。


 肩から背中にかけて、総毛立つようだった。


 その瞬間、わたしは声がしたほうへ反射的に走り出していた。ルーチェ、とメテオラに呼び止められたように思うが、わたしは振り返ることもしなかった。腹の底から湧き上がってくるさまざまな感情、衝動、……拭いきれない恐怖に突き動かされてわたしは駆けた。


 かつて戦場で目にしたおぞましい光景が、濡れた服のようにべったりとわたしの脳裏に張り付いている。


 悪魔は、人を食う。


 そう聞いてはいても、その光景を実際に目にするまではどこか神話や物語のなかの話だと思っていた。だがそうではない。それは現実に起こることなのだ。


 やつらは頭からばりばりと人を食う。飼っていた羊も、鶏も、牛も食う。ときには、隣でおなじように人間を食っていた悪魔のことだって言い争いの果てに食ってしまう。


 力及ばず、何人もの仲間をそうやって失った。


 わたしは森に入ってから続いていた苛立ちの本当の答えに気づく。

 獣道のわきにあった()()()……、人や動物たちの無残に食い散らかされた遺体をきちんと弔うことができない無力な自分に腹が立っていたのだ。


 先を急ぐ? 本懐を遂げたあとで? そんなものはただの言い訳じゃないか!


 ましてや苛立ちをメテオラのせいにして、自分の弱さをごまかしていたなんて。失格だ。こんなことだから、百年ものあいだ守られてしまったのだ。


 沈み込みがちになる顔をぐっとあげる。

 今度は絶対に助けたい。

 茂みと大木の先から、下品な笑い声が響いてくる。


「貴様ら……!」


 勢い込んで飛び出そうとする。だがあと一歩のところで後ろからメテオラに押さえ込まれ、そのまま茂みのなかへと倒れ込んだ。木陰で休んでいたのか、鳥が数羽飛んでいく。


 なにをする! と怒鳴りつけようとすると、彼の大きな手がわたしの口をきつく塞いだ。


「なんだ、なにか音がしなかったか」


 茂みを掻き分けて、狼頭の男が顔を突っ込んできた。それはわたしたちが折り重なるようにして倒れている場所の上方で、すぐ下にいるわたしたちに気づく様子はない。死角なのだろうか。メテオラもそれを知っているのか、わたしの上に覆いかぶさったまま茂みのなかにじりじりと体を押し込んだ。


 口を塞がれているせいか、それとも体にメテオラの体重がのしかかるせいか、心臓が激しく鼓動していた。彼の香水か、それとも彼自身の体臭か、砂糖菓子のような甘い香りが濃く漂い、頭がくらくらとした。すぐに息があがってしまう。


 わたしの異変に気づいて、メテオラが唇だけでこらえてと懇願する。そんなことを言われても、息苦しくて仕方がない。


 視界が涙で歪む。目の端からこぼれていくわたしの涙をメテオラはすぐさま指ですくって、拳のなかに握り込んだ。


「どうせ鳥かなんかじゃないのか」

「うーん。なぁんか、人間のにおいがするんだがなあ」

「こんなところに人間だあ? おまえ人間食いたいからって鼻がおかしくなったんじゃね」


 悪魔たちはぎゃははと笑い、それにつられるように狼男も茂みに突っ込んだ顔を引き抜いて去っていった。


 メテオラがはあっと息を吐いて、わたしの肩に顔を埋めた。


「あぶなかった……」


 わたしの口を塞いでいた手をゆるめて、メテオラは抑えた声で続ける。


「ルーチェ、きみが悪魔のことをどのくらい知ってるのかおれにはわからないけど、あいつらの嗅覚はストーカーなみだってことくらい、常識として知っておくべきだよ」

「どういうことだ」

「あいつらは生き物の呼気や体液のにおいを嗅ぎ分けられる。その特徴のために戦争時代はまだ小柄な子どもたちが斥候として働いてたとも聞いたことがある。狼野郎は飛べないけども、きみたちも飛べないから問題なかったみたい」


 そうか、それですぐに伏兵が背後から急襲されたのか。

 わたしは百年越しで合点がいった。


 つまりメテオラにきつく口を塞がれたのも、涙を拭われたのも、すべてわたしの匂いをごまかすためだったということか。たしかに彼の甘い香りに包まれてしまえば、わたしのことなどすっかりぼやけてしまうだろう。


「すまなかった。無知な自分が恥ずかしい」

「いいよ、もう知ったんだから。それにちょっと役得だったしね?」


 へらへらと笑いながら、メテオラはわたしの上に乗ったまま枯れ草に頬杖をつき、わたしの瞼にそっと指先で触れた。


「瞳の色、マロンブラウンだと思ってたけど、よく見るとアンバーだ。睫毛が影になってるんだね」

「それより、あそこで拘束されているのは悪魔だがまだ子どもだろう」


 わたしは葉と葉の隙間から見える茂みの向こうの景色を指差した。

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