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青騎士の失態  作者: 望月あん
6章
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狂宴の果てに(7)

「まにあった……」


 現れたばかりの壁にもたれて、わたしははあっと息をつく。

 こちらの廊下にもやはりドアはなく、すこし先には宰相の後ろ姿があった。

 すらりとした長身で、肩や背中は服越しでも鍛えられているとわかった。歩くさまはゆったりとして、けれどとてもはやい。そしてなぜかわたしとよく似たペールブラウンの髪……。

 わたしは彼の背中を追い、二度ほど息を飲み込んでから口をひらいた。


「テオリア! ……さま!」


 呼びかけに、宰相が不審げに振り返る。つねに不機嫌な眉、情緒のかけらもないディープブラウンの眼差し、体温を感じさせない鼻すじ、薄い頬、すこし乾いて見える唇。

 ようやく正面から宰相の顔を見上げて、わたしは確信する。


 宰相テオリアは別リアではない。

 わたしが知る、テオリアだ。


 おなじ乳で育ち、ともにフィオーレを守ろうと騎士を目指し、ともに学び舎で鍛えあい、ともに聖女の護衛につき、そうしてわたしを殺した男。

 なぜ百年後の世界にわたしの知るテオリアがいるのか、その理由はわからない。だがこの男がテオリアだという確信の前では、その謎は霞んでしまう。


 声をかけてきた女がわたしだと気づけば、いったいどんな顔をするだろう。それこそ、幽霊でも見たような顔を見せてくれるだろうか。自分が殺した女が目の前に現れたなら、さすがのテオリアだって冷静ではいられないはずだ。

 テオリアはわたしをじっと見据えたあと、ふいとわたしの背後へ視線を投げた。


「困りましたね、入ってくるかたがいるなんて」

「えっ……」

「ここは関係者以外は立入禁止なんです。わたしはさきほどオーナーから許可をいただきましたが、あなたは……人間ですよね、パルコシェニコの関係者に人間はいないはずです」

「そう、ですね」


 生き返るはずがないと思っているからだろうか、テオリアの顔にはもしやという気配のかけらもない。


「オーナーの個人的なお知り合いですか。でしたら失礼、お名前を伺っても?」

「わたしは……!」


 ルーチェだと名乗ろうとして、あとすこしのところで息を飲みこむ。

『ルーチェさん、お姫さまみたいです!』

 夕刻シロカネが言った言葉を思い出す。

 ソルの化粧は、シロカネの変化にも引けを取らない。わたしだって、鏡に映る女性が自分だとはなかなか信じられなかった。


「どうかなさいましたか?」


 急に黙り込んだわたしを、テオリアは心配そうに見つめている。その眼差しはどこまでも誠実なものに感じられた。

 やはり、テオリアはわたしのことに気づいていないのだ。


 目覚めてから十日とすこし。フィオーレやテオリアのことを思わない日はなかった。わたしが眠っている百年のあいだ、ふたりはどんな経験をして、どんな暮らしをして、どんなふうに家族や友人に看取られただろうかと想像した。フィオーレのことはもちろんテオリアだって、わたしを殺したことを憎く恨めしく思う一方、最終的には人生をまっとうしてほしいと願った。それは理屈ではなく、泉のようにわきあがる思いとしてあった。

 それがまさか会えるなんて。

 ……気づいて、もらえないなんて。


 不意打ちのような現実に、目には込み上げるものがあった。それをこぼすまいと奥歯を噛みしめる。

 名を、明かしたい。

 わたしがここにいると知ってほしい。その強い気持ちがわたしの口をひらかせようとする。


 だが、わたしはいまメテオラの任務でこの劇場にいる。目的は晩餐会がたしかに行われていると確認することだ。おそらく、すでに捕らわれている人間もいるだろう。その解放がなにより優先だ。

 テオリアに名を明かしたからといって、即座に任務の遂行が困難になるわけではないかもしれない。それでも不確定な要因は極力排除すべきだし、これ以上の軽率な行動は慎まねばならない。

 すでにひとつ、軽率にテオリアを深追いしてしまった。いまさら後にも引けない。ならばせめてこの隠し通路の先を確認したい。

 露見するまで、こちらから名は明かすべきではない。


「わたくしは、ソ、ソルジェンテと申します」


 とっさによい偽名が浮かばず、慌ててソルの名を拝借する。


「オーナーとはお知り合いで?」

「ええ、まあ……?」


 さきほどグラスをこぼしてしまった粗相を思い返しながら、曖昧にこたえる。今夜のうちなら互いに顔を見て、あの時の、と言えるくらいには顔見知りのはずだ。

 わたしの返答をどう受け取ったのかわからないが、テオリアはかすかに笑みを浮かべた。


「ソルジェンテさん、わたしになにかご用ですか?」


 あの仏頂面のテオリアが、微笑った。

 誕生日を祝うときだって、フィオーレが自転車に乗れるようになったときだって、騎士学校への入学が決まったときだって、テオリアだけはにこりとも笑わなかったのに。

 ありえない。

 わたしはパリアッチョの前で披露した芝居をここでも続けることにする。


「夫が以前話してくれましたの。テオリアさまが宰相におなりになってから、お仕事がしやすくなったと。わたくしには社会の仕組みのことはよくわかりませんけれど、ありがたいことですわ」

「そうですか、それは嬉しいお言葉です。……ただ、あの、いまはすこし先を急いでいます。お話は歩きながらでもよろしいですか」

「ええ、かまいません」

「ありがとうございます。では」


 テオリアはわたしの背中に手をまわし、素肌に触れるか触れないかの距離感で先へと促した。

 わたしが知るテオリアとは表情も立ち居振る舞いもまるで別人だ。……いや、別人である可能性のほうがずっと高いのだ。顔立ちなんて、他人の空似ということもある。論理的に考えれば、彼は別リアだ。

 それなのにわたしは彼がテオリアであることを信じて疑わない……。

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