死にたがりにピリオドの雨(3)
ふたりを送り出したソルジェンテさんは寂しげな背中のまましばらくドアを、ドアの向こうに消えていった男を見つめていた。
「ほんっと、むかつく」
そう呟いてソファまで戻ってくると、わたしへ向かって頭をさげた。
「さっきは掴みかかったりしてごめんなさい。わたし普段はアルトロにいるんだけど、布の仕入れのためにこっちへ来たらメテオラが無断欠勤してて姿も見えないって聞いて。何度もここへ来たけど留守で……。さっき食堂の猫ちゃんからメテオラが戻ってきたって聞いたから急いで来たら、あなたがメテオラの服着ててなんかもう混乱しちゃって」
「わたしのほうこそ驚かせて申し訳なかった。……いいのか? 心配していたとメテオラに伝えなくて」
「いい。あいつどうせ聞こえなくなるまで聞き耳立ててますから。ほんと最低、変態」
それからしばらくソルジェンテさんは絶え間なくメテオラの悪口を言い募ったが、やがて風船がしぼむように黙り込んでしまう。彼女の声はもしかしたらメテオラに届いているのかもしれない。だが返事のひとつもないなか続けるのはあまりに虚しいことだろう。
そのさまがあまりに健気で、わたしまでメテオラに腹が立ってきた。なぜ彼女とふたりで話そうとしない。いくら彼女が言ったこととはいえ、なぜ素直にシロカネと買い出しに行ってしまうのか。
「やつを連れ戻してくる」
そう言ってわたしが部屋を出て行こうとすると、ソルジェンテさんは必死にわたしの背中にしがみついた。
「いいの、いいから。いつもこんな感じだから」
メテオラに聞こえないようにだろうか、彼女は声をひそめている。
「しかしソルジェンテさん」
「ソルでいい」
わたしも彼女にあわせて声をしぼる。
「ソル、きみたちふたりは恋人同士なのだろう?」
「え?」
「事の重大さも知らず契約を結んでしまったわたしにも非はあるから、わたしがあなたに何か言える立場でないこともわかっている。だがこのままはよくない。ソルとメテオラのふたりでちゃんと話を――」
「ちょっと待って待って。妄想のまま話を進めないで」
「妄想?」
「そうよ」
ソルはわたしの腕をひいて、揃ってソファへ座った。
「わたしとメテオラが恋人だなんて、世界がひっくり返ってもありえないから」
いまのところ世界がひっくり返る予定はないと考えると、ずいぶん強く言い切られてしまったことになる。
「そう、なのか……?」
「メテオラとは恋人同士じゃない、……そうじゃないんだけど古い馴染みだし、悔しいけどあいつのおかげでわたしは前を向くことができたから、無茶をしてほしくなくて。あと、メテオラにもしものことがあったときにおばさま……メテオラのお母さまを悲しませたくない、ただそれだけ」
無茶と聞いてわたしは、自分を投げ出すようなメテオラの献身を思い浮かべていた。やつの自分のいのちに対する執着のなさは、たしかに目に余る。
「無茶、か」
「してた? 無茶」
「ああ。昨日から思っていたんだ、あいつは……メテオラはどうも自分自身を軽視しているきらいがある。それはいまに始まったことではないということか」
ソルはわたしの目を見て、はっきりとうなずいた。
「まだ十代のころ、自分で死のうとしたことがあった」
「なんだって」
「呪いの話は聞いてる?」
「ああ。実際に目にした」
「そっか」
ソルは言葉をさがすように短く沈黙し、か細い手を強く握りしめた。
「おじさまが事故で亡くなったあとに、あいつ自分で自分の首を……、あの紋様、封印の術式を断ち切ろうとしたの。自分がハイブリッドだからおじさまに不幸を呼んでしまったと思って。関係ないのに、おじさまはただ、川で溺れてた子を助けようとしただけで、メテオラの呪いのこととは……」
すっかり冷めきったお茶を口に含んで、ソルは続ける。
「おばさまに用事があったからわたしもちょうどその場にいて、……こわかった。いつもと別人みたいなメテオラが、いくら再生するとはいっても止まらない血が、どうしておれを産んだのかっておばさまに殴りかかるメテオラが、こわくて……、わたしは部屋の隅で泣いてるしかできなくて……、おばさまがメテオラを昏倒させるまでなにもできなかった……」
そのときの光景をいまも忘れることができないのだろう、ソルはひどく青褪めた顔をした。
「ソルに怪我がなくてよかった」
わたしの言葉にソルはふるりと首を振る。
「次におなじことがあったとき、きっとわたしはメテオラを置いて逃げる。とてもわたしには手に負えない。手のかかる弟みたいには思うけど、ね」
親愛はあっても、恋情にはならない。ソルのなかから、そのときの恐怖が消えることはないのだろう。それが、世界がひっくり返っても、という言葉の意味か。
「さっきも爪がなかったでしょ。あれ、ルーチェにはどう見えた?」
「どう、というのは……」
「装飾が欠けるだけなら日常でもよくあることだけど、あんなふうに自爪が全部見えるのは、一度爪そのものが剥がれて、それを再生したってことよ」
メテオラの爪が剥がれたのなら、エレジオ相手に呪いを解放したときか、それとも先ほどコルダ殿と組み合ったときか。もしかしたら断崖絶壁でわたしを助けようとしたときかもしれない。
たった一日のことなのに心当たりが多すぎて、わたしは思わず黙り込んでしまった。




