勇者とは
焚き火の火がぱち、と弾けた。
それを合図にしたかのように、場に漂っていた微妙な空気がさらに濃くなる。
「……その、大貴族って誰ですか?」
口を開いたのはフェリカだった。おずおずとしながらも、目だけは真っ直ぐにカーヴェルを射抜いている。
ロゼリアはその横で眉をひそめ、内心のざわめきを抑えきれないでいた。
――やはり、この世界の大貴族と繋がりがある? だとすれば、我々の立場は……。
アルファームは口元を覆い、何も言わずに観察を続ける。
カーヴェルの表情のわずかな揺らぎも見逃すまいとするその眼差しには、戦士らしい冷徹さがあった。
ホフランは落ち着かない様子で火を見つめ、頭の中で計算を繰り返していた。
――もし関わりがあるなら、いったいどこの家門だ? 今の権力構造に割り込めるだけの“名”を持つ存在など限られている……。
アルトルは拳を膝の上で固く握りしめた。
「答えてくれよ、カーヴェル。……もし俺たちが知らない繋がりを持っているなら、隠しておく理由はないだろ?」
声は低いが、その裏には苛立ちと不安が入り混じっていた。
つかさは皆の反応を見渡しながら、胸の奥で小さく息を飲む。
(この場の空気が……変わってしまった。もし本当にこの時代の大貴族と結びついていたら、カーヴェルはただの仲間ではなく、別の顔を持つ人間ってことになる……)
そして全員の視線が一斉にカーヴェルへと注がれる。
その重みを受けたカーヴェルは、ほんの一瞬だけ火の明かりに照らされた瞳を細め――
次の言葉を選ぶように、沈黙した。
焚き火の炎が揺れる中、6人の視線がカーヴェルに釘付けになった。
フェリカの問いかけを受け、カーヴェルはゆっくりと息を吐き、言葉を選ぶように口を開いた。
「その大貴族だが……正確には、この世界の人間じゃない。500年前の世界で世話になった人物だ。」
「……え?」
つかさの声が思わず震える。アルトルも目を丸くし、ロゼリアは唇を噛んでその意味を考える。
「500年前……? どういうことですか?」
アルファームが静かに問いかける。
カーヴェルは少し微笑んだが、その目にはどこか遠い景色を見つめるような光が宿っていた。
「その大貴族は、当時の私を助け、いろんなものを与えてくれた。だが、誰も生き残ってはいない。だから、今は疎遠になっている。そもそも俺がこの世界で持っている力のほとんども、あの時の恩によるものだ。」
仲間たちは言葉を失う。あまりにも常識を逸脱した話に、理解が追いつかない。
その沈黙を破ったのはホフランだった。
「……ちょっと待て、500年前って、そんな……人間の寿命をとっくに超えてるじゃないか」
カーヴェルは肩をすくめ、少し恥ずかしそうに笑った。
「……実はな。うっかりしてな、――エリクサーの原液を間違って飲んでしまったんだ。」
「原液を……?」
ロゼリアの声に震えが混じる。
「それでな、効果が予想以上に……不老不死になってしまったんだ。」
カーヴェルは手をひらひらさせて冗談めかすが、その瞳は真剣だった。
「気づけば、もう3000年近く生きている。」
アルトルは言葉を失った。
「……3000年?」
「……何それ……どういうこと……」
つかさは混乱と驚きで言葉が詰まる。
フェリカは目を見開き、少し後ずさりした。
「そんな、そんなことが……人間が……?」
アルファームは唇をきつく噛み、ホフランは腕を組みながら考え込む。
「なるほど……だから、あんなにも落ち着いていて、経験豊富で、先手先手を読めるのか……」
ロゼリアはカーヴェルの顔をじっと見つめ、思わず息を飲む。
(そんな、私たちが知っている“人間”の枠をはるかに超えている……)
カーヴェルは少し肩を落とし、仲間たちの反応を見渡す。
「驚くだろうが、これは事実だ。だが、私はこの時代で、そしてこの仲間たちと共に戦うことを選んだ。過去も未来も関係ない、今ここでの戦いが俺の役目だ。」
その言葉に、仲間たちは少しずつ息を整える。
理解と驚きと恐れが混ざったまま、しかし確かに彼を信じる理由も増えた瞬間だった。
夜も深まった。焚き火の光が柔らかく揺れる中、屋敷の中は静寂に包まれていた。だが、円卓を囲む7人の視線は、まだ夢中でカーヴェルに向けられていた。彼の口から紡がれる言葉は、あまりにも異世界的で、常識を超えたものばかりだった。
「他の世界ではこうだった、他の次元ではこうなる……」
カーヴェルの淡々とした語り口に、仲間たちは耳を傾け、時折顔を見合わせては驚き、時折息を呑んだ。
だが、彼が神であること、その圧倒的な力を秘めていることだけは、誰も知らないままだった。
しばらくして、カーヴェルは静かに言った。
「君が勇者になっていることが、正直言って気の毒でならない」
その言葉に、つかさだけでなく、他の仲間たちも一斉に顔を上げた。
「どういうことですか?」
アルトルが眉を寄せ、アルファームは腕を組みながら問いかける。
ロゼリアもフェリカも、そしてホフランも、全員がその意味を理解しようと集中した。
カーヴェルはゆっくりと口を開く。
「他の世界から勇者を転移させて連れてくるということは、つまり――その女神は自分ではこの世界をどうすることもできないということだ。能力が欠如している。神本来の力で、裁きを下すことも、直接干渉することもできない。」
仲間たちは言葉を失った。つかさの眉がわずかに下がり、口元には不安が浮かぶ。
「じゃあ……勇者って……私たちは……?」
つかさの問いかけに、カーヴェルは冷静に答える。
「俺は、勇者がどんな末路を辿るのかを知っている。ある者は、王国の王よりも英雄として人気が出すぎたため、国王の側近に暗殺される。ある者は、勇者パーティーの仲間を人質にされ、自ら命を絶たされる。ある女性勇者は、恋人を惨殺された復讐心から王国を滅ぼすという道を歩んだ」
その言葉は、まるで歴史の記録を淡々と読み上げるようでありながら、仲間たちの心に重く突き刺さる。
「要するに、国王は光りであって勇者は影でなくてはいけない――それが現実だ」
カーヴェルの目が一瞬、遠くを見つめる。
「もし勇者が歯向かえば、家族が人質に取られる可能性もある。敵よりもタチが悪い場合もあるのだ」
アルファームは唇を噛み、目を伏せた。
「そんな……どうすれば、そんな状況を避けられるんです?」
つかさの声には、わずかな震えが混じる。
カーヴェルは肩をすくめる。
「王国を自分のものにするか、あるいは他国へ逃亡するか――その二択しかないだろう。それが俺の知っている勇者の末路だ」
フェリカは黙ったまま手を握りしめ、アルトルは椅子の背もたれに体を預けて考え込む。
ロゼリアも、静かに息をつきながら、その現実を受け止めるしかなかった。
「だからこそ、初めて勇者を組んだ君たちは、どこに進むべきか、あらかじめ決めておく必要がある」
カーヴェルの声は冷たくもあり、慈悲深くもあった。
「結局のところ、勇者とは――王国の道具でしかないのだ」
その言葉に、一同はしばし沈黙した。夜の屋敷に、静かに火の揺らめきだけが響く。
誰もが、この現実を受け止めつつ、しかし同時に、カーヴェルという存在の意味を、改めて胸に刻み込むのだった。
カーヴェルの言葉が残響のように円卓の空気に漂う。火の揺れる光に映る仲間たちの表情は、どこか緊張と決意に満ちていた。
つかさは、自分の手を見つめた。手のひらに残る微かな傷跡や力の感覚が、これまでの冒険を思い起こさせる。しかし、今夜聞いた話は、これまでの戦いの記憶以上に重く、心の奥底に圧し掛かるものがあった。
「……私たちは、ただの道具なのかもしれない。でも、私は、この仲間と一緒に戦うことを選ぶ」
つかさの声は、静かだが確かな意志を帯びていた。その言葉は周囲に届き、アルトルの視線をつかさに向けさせる。
アルトルは拳を握った。剣士として数々の戦場を潜り抜けてきた自分でも、王国や歴史の影に翻弄される勇者という立場の現実には、言葉を失っていた。しかし、仲間たちの顔を見て、冷たい恐怖だけで行動するわけにはいかないと自覚する。
「俺たちには俺たちのやり方がある。王国の都合や歴史の縛りに縛られるだけじゃ、俺は終わりたくない」
アルトルの決意が言葉として零れた瞬間、周囲の空気が少しだけ柔らかくなる。
アルファームもゆっくりと口を開く。
「私は……誰かの道具でいるつもりはない。力を持つ者として、私たち自身が選ぶべき道があるはず」
彼女の眼差しは、かつての恐怖や不安を乗り越え、仲間たちと共に歩む未来を見据えていた。
ホフランは肩をすくめ、微かに笑みを浮かべる。
「……俺たちがどう思うか、どう行動するかで、少なくともこの目の前の現実は変えられる。逃げることも、屈することも、俺は選ばない」
その言葉に、フェリカは目を潤ませながら頷いた。
「私も……私たちの手で未来を切り開きたい。たとえ勇者が王国の道具だとしても、私たち自身の意志は、誰にも奪えないはず」
フェリカの言葉は、仲間たちの心に柔らかな灯をともした。
ロゼリアも黙ってうなずき、目に浮かぶ光は覚悟そのものだった。
「これまでずっと、誰かに守られるだけの私だった。でも、もう違う。私は仲間と共に戦う勇者として、立ち向かう」
つかさはその輪の中心に立ち、深く息を吸った。
「私たちがどうなるか、未来はわからない。でも……だからこそ、今ここで決める。どんな困難が来ても、私たちは仲間を信じ、共に戦う」
火の揺らめきが、7人の顔を浮かび上がらせる。その目には不安と恐怖もあるが、それ以上に仲間と共に立ち向かう強い意志が宿っていた。
カーヴェルは少し離れたところからその様子を見守る。口元に微かな笑みを浮かべながら、仲間たちの結束が、確実に未来を変える力になることを、心の奥で感じていた。
その夜、仲間たちは深い話の余韻に包まれながら、互いの手を重ね、共に歩む決意を静かに確かめ合った。言葉にせずとも、心の奥底で交わされた約束。それは、どんな運命に立ち向かう勇者としても、決して消えることのない絆となった。




