蛮族
朝。丸テーブルの上には焼き立ての黒パン、スープ、干し肉とチーズ。けれど誰も手を伸ばさない。
カーヴェルが卓上に小さな地図を広げ、指で空をなぞると、淡金の光が浮かびあがり大陸と海路、潮流までが立体の幻影になった。
「――蛮族の件だ。女神から聞いた。やつらは“神器”を持っていて、今は食い物に困っていない。だから静かだ。だが、その神器が壊れるか、枯渇したら……最短で魔族領に向かってくる」
さらりと言っただけなのに、空気が凍る。
「数は?」レオナがごくりと唾を飲み込む。
「ざっと一千万」
匙が皿に触れて、かちん、と軽い音を立てた。アンジェロッテが思わずカーヴェルの袖をつかむ。アリエルの狼耳がぴんと立ち、ジーンは顔色をなくす。ロゼリアとフェリカも息をのんだ。
(やだ……桁が違う)ジェシカは背筋を冷たいものが流れるのを自覚した。
「今回ばかりは、俺の“策”は通らない」カーヴェルは淡々と続ける。「理屈が通じる相手じゃない。心を持たない群れには、心理戦は効かない」
「じゃ、じゃあどうするの?」アンジェロッテが震える声で問う。
「選択肢は二つ。攻めるか、守るか――だが、主戦場は海からの上陸だ。防衛に重心を置く」
カーヴェルは光地図の海岸線に赤い点を打っていく。「ヴァルディア魔族国の東岸、黒礁海岸とグランディル湾。潮流が緩み、砂州が長い。上陸に向く。ここに“砦線”を建てる」
レオナが身を乗り出した。「対策は?」
「要塞を造る。だが問題は四つ――金、労働力、資材。それと運搬だ」
カーヴェルは指を鳴らし、光の要塞模型を海岸に並べる。分厚い稜堡、魔導塔、弩砲台、石垣の前に掘り割り、逆茂木。海には連結杭と“沈み鎖”、沖には探知浮標。陸上ルートには補給用の転移標。
「最低限、“三ヶ月で暫定展開”。九十日で、土木は地形修正と基礎。木石の積層壁、魔導塔の心臓部だけ組む。半年で完全化」
ロゼリアが我に返る。「でも、お金も人も、そんなに一気に……」
「だから分散調達だ」カーヴェルは迷いがない。「資金は三国共同の“防衛債”を発行。王国が金融・造船、レーガー帝国が鉄と木材、ヴァルディアが魔石と職工。運搬は俺が“基礎”だけやる。土木は地形魔法で一気に土台を出す。細部は各国の工兵と職人に任せる。俺一人の仕事にしない。これは“同盟”の事業だ」
「ダーリン、魔王陛下には?」サリエスが身を乗り出す。
「お前に託す。ヴァルディアは直撃を受ける。最優先で動くはずだ」
「はい、任せてください」サリエスの青い瞳がぎゅっと結ばれる。
ジーンが手を挙げた。「だったらさ、カーヴェル様の“神の雷”で、どかーん、ってやっつけちゃえば早いよ!」
「ダメだ」カーヴェルは即答する。「あれは最終抑止。使えば効果は出る。だが“政治的に負ける”。『王国には世界を焼けるやつがいる』と知れた瞬間、同盟は恐怖で歪む。畏れで繋がった絆は、いつか崩れる」
ロゼリアがゆっくり頷いた。「……同盟は“好き”か“得”で結ばないと長続きしない。畏れは、いつか反発に変わる」
「そういうことだ」
言葉を選んでいたジェシカが、おずおずと口を開いた。
「では――万が一蛮族が攻めてきたら、“三国の志願兵”を募り、混成の防衛軍を編成するのはどうでしょう。共同で血を流すのではなく、“共同で守る”体験をつくれば、結束は強くなる」
カーヴェルの口角が上がる。「乗った。それだ。三国志願軍――“碧海方面混成防衛隊”。司令部は輪番制。王国・レーガー帝国・ヴァルディアの三席に俺が“戦略顧問”。権力を一手に持たない。疑心暗鬼を生まない」
レオナが次々と補足する。「前衛は重盾歩兵と大楯隊、二列目に長槍と剣士、三列目に魔導隊。海上は弩砲船と火矢船。偵察は空――アリエルさんとジーンくん、それから王国の鷲騎兵を混ぜる。早期警戒の“音と光”の合図を統一……どうでしょう?」
「満点だ、レオナ」カーヴェルが指を鳴らすと、彼女の前に光の徽章が現れた。「“野戦築城主任”を任せる」
アリエルがぴょこんと手を挙げる。「わたし、沿岸の匂い道も覚える! 敵の脂の匂い、きっとわかる」
「心強い」
「私も偵察する」ジーンが胸を張る。「空から見張り塔を巡回して、何かあったら一番に知らせる!」
セリーヌが落ち着いた声で続ける。「後方は私が。避難と食糧、清潔と医療、補給の“流れ”を作るわ。井戸と簡易診療所を砦ごとに置いて、ロゼリア様の回復に頼り切らない“凡用手段”を揃える」
「助かる、セリーヌ」
ロゼリアは「もちろん支援は全力で」と即答し、フェリカが「攻撃魔法の“混戦ルール”は私が教育します!」と続く。
「では、割り振る」カーヴェルが掌に魔力を込め、宙に“任務表”を浮かべた。
――サリエス:ヴァルディア王城へ直行。魔王への親書と“沿岸要塞計画”の説明、資材と工兵の割当交渉。
――レオナ:築城基本設計/標準砦の図面化。王国工兵団・魔族工匠・帝国大工との規格統一。
――ジェシカ:三国志願兵の募集・選抜基準案の作成。王都・帝都・魔都の広報窓口との連携。
――ロゼリア:医療・回復プロトコルの標準化。“過労死ゼロ”運用。
――フェリカ:砦ごとの魔導隊編成と“重ね掛け禁止”などの安全規定。
――セリーヌ:避難計画(村・町ごと)と補給路の護衛手配。
――アリエル&ジーン:沿岸警戒の空路設定、火急時の信号体系の訓練。
――アンジェロッテ:魔法基礎訓練(光・火・風・水)の続行。いざという時の“伝令魔法”担当。
――カーヴェル:初期土木(基礎地業・地形修正)と“連絡網”構築、三国合同会議の段取り。
「スケジュールは?」レオナ。
「第一段:七日以内に第一次会談。二十日以内に資材と人員の割付。三十日以内に“最初の三砦”を着工。九十日で暫定稼働。――ここまでが“必ず”やることだ」
全員が一斉に頷いた。恐怖は消えていない。それでも“やること”が並んだ瞬間、目に光が戻る。
「最後に――」カーヴェルは視線を一人一人に合わせた。「“神の雷”は封印だ。俺たちは、恐怖ではなく、信頼で世界を守る。覚えていてくれ」
「はい」ジェシカが胸に手を置いた。「三国の志願者を募ります。カーヴェル様、必ず、強い隊を」
「作ろう」
サリエスが立ち上がる。「わたし、行ってくる。魔王陛下に、ダーリンの言葉を、そのまま届ける」
ロゼリアが笑ってうなずき、フェリカが親指を立てる。アリエルは尾をぶんぶん振り、ジーンは拳を握った。アンジェロッテは小さな手をまっすぐ挙げる。
「パパ、わたしも伝令、がんばる!」
「よし」カーヴェルが手を打つ。「――作戦開始だ」
◆
その日のうちに、サリエスは蒼い光柱となって消えた。転移の残光が揺れ、風が戸口の布を鳴らす。
「行ったか」カーヴェルは窓外の空をひと瞥し、すぐに机へ戻る。魔力で紙を束ね、三国向けの通達書に手早く署名する。
“碧海方面混成防衛隊”――三国の紋章を等間に置き、中央には握手の印。
恐怖の朝は、次の瞬間、動き出すための朝に変わっていた。
王都・謁見の間。
玉座の上の王が、薄い金箔の如き静けさで問うた。
「何っ、蛮族の戦力は一千万だと」
「はい。少なく見積もって、です」カーヴェルは一歩進み、掌の上に小さな光の球を浮かべて地図を立体化した。「今は“神器”により食料に不自由していない。だが魔力が枯渇すれば、奴らは現地調達――つまり“人を食う”。直撃は魔族領、次は我々です」
列席する重臣たちの顔から血の気が引く。
宰相アルビデールがすぐに口を開いた。「陛下、帝国にも至急通達を。三国で備えねば到底……」
「うむ。すぐにレーガー帝国領事館へ。――カーヴェル、これは真か」
「女神様の言。誤りはありません。竜人族ですら、かつて蛮族から逃れ、この地へと流れついた。理で動かぬ相手に策は通じない。だからこそ、結束を」
王は重く頷くと、やがて決した。「よかろう。志願兵を“軍系統内で”募る。ただし緘口令を敷く。民に混乱は出せぬ。軍と政府以外は他言無用――忘れるな」
その日のうちに王宮内に「対蛮族非常対策本部」が設置され、三国直通の伝令線が開かれた。カーヴェルは出立の許可を得ると、即座に転移陣を開く。
「陛下、現地で魔王陛下と合流し、要塞の“土台”を魔術で起こしてきます」
「頼む。世界の命運を、そなたに」
◆
――ヴァルディア魔族国・黒礁海岸、仄暗い玄武岩の岬。
大広間の円卓に、魔王、宰相、マファリー、サリエス、将軍たちが並ぶ。重い沈黙。最初に口を開いたのは、サリエスだった。
「ダーリン――じゃなかった、カーヴェル殿の案は“沿岸要塞線”の速成。資金・人手・資材は三国で分担。ヴァルディアは魔石と工匠、それに海沿いの地役権を」
魔王は深く嘆息してから、頷いた。「やるしかあるまい。……カザン」
場が一瞬緊張する。かつて交渉の場で暴走した剣士――カザンが片膝をついた。
「はっ。罪は既に陛下より科せられ、汚名は我が身一つで雪ぐ所存。沿岸防備の前衛を拝命したく」
マファリーが淡々と続ける。「魔王陛下の名で、港湾税の免除、資材搬入の専用航路、軍工房の全開放を」
「決まりだ」魔王の声が低く響く。「ヴァルディアは三国同盟の盾となる」
◆
――レーガー帝国・皇城。
新帝フロリアンは報を聞くと即時に会議を招集した。母マリアーナ、カイ、クロップ、ガレス、セイラが並ぶ。
「一千万……」マリアーナが白い指を組む。
「守り切るには、カーヴェル殿の段取りが命綱です」クロップが進言する。「工兵三千を動員、鋼の梁と鎖を大量供給、造船所を夜通し回す」
フロリアンは蒼き剣の柄に手を置いた。「レーガー帝国は参戦する。王国には鉄と工兵、ヴァルディアには船渠と鎖。――三国は“対等”だ。俺の名で誓う」




