屋敷
そして旅立ちの日。
村の入口には、多くの村人たちが集まり、七人を見送ろうと声を張り上げていた。
だがその人波の中、一人だけ涙を浮かべて首を横に振る小さな影があった。アンジェロッテだ。
「いやだ……パパがどっか行っちゃうなんて……私も行く!」
人々の視線が集まる中、カーヴェルは小さな身体を抱き上げた。
「ちょっと仕事に行くだけだ。すぐに帰ってくる」
「でも……でも……!」
「アンジェロッテ。パパは約束を破ったことがないだろう? だから安心して待っていろ」
その言葉に、少女は小さく唇を噛んだ後、涙を拭って頷いた。
「……うん。早く帰ってきてね」
カーヴェルは優しく微笑み、彼女を地面に下ろすと背を向けた。アンジェロッテは最後まで、小さな手を振り続けていた。
旅路を進む七人の背中に、まだ村の喧騒が遠く聞こえる。
そんな中、ロゼリアが歩きながらぽつりと呟いた。
「カーヴェル様……アンジェロッテに、あんなにも好かれて。……実は私も、なんです」
そう言うや否や、彼女はカーヴェルの右腕に抱きついた。
「おい、ロゼリア……」
困惑するカーヴェルの横から、今度はフェリカが割って入るように左腕を取った。
「ずるいですよロゼリア! あんた、離しなさい!」
「嫌です! フェリカさんこそ!」
二人の張り合いは、やがて歩みを妨げるほどに激しくなった。
「おい、歩きづらい……」カーヴェルが困った顔をするも、二人は譲らない。
すると、アルファームがすっと間に入り、二人を引き離した。
「はいはい、だめよ二人とも。こんなことしてたら進めないでしょう?」
そう言いながら、今度は彼女がカーヴェルの手を取る。
「ちょ、ちょっとアルファーム!? 君まで!」
「ずるい!」とロゼリアとフェリカが同時に叫ぶ。
アルファームは涼しい顔で返した。
「これは“エスコート”ですから」
「なんだそれ!」と二人の声が重なる。
後方からその様子を見ていたアルトルとホフランは、顔を見合わせてため息をついた。
「やれやれ……これから先、道中の心配は別の意味で尽きそうだな」
そんな仲間たちのやり取りをよそに、カーヴェルは空を見上げ、胸の奥で静かに呟いた。
――この仲間たちとなら、どんな困難も乗り越えられるかもしれない。
初日の野営――。
本来ならば、テントを張り、焚き火を囲み、乾いた草を寝床に敷いて眠るのが冒険者の常だった。だがその夜、彼らを待っていたのは常識を覆す光景であった。
カーヴェルが肩から提げていたマジックバッグを何気なく取り出すと、彼は「ああ、そういえば」と呟いた。
「……すっかり忘れていたよ。こんな便利な物を持っていたのにな、俺としたことが」
言い終えるや否や、彼はその中から“家”を取り出したのだ。
――いや、“家”という表現すら生ぬるい。そこに現れたのは立派な屋敷だった。
瞬く間に草原の上に影を落とすほどの建物が鎮座する。石造りの外壁に木枠の窓、二階建ての大きな扉までついた堂々たる構え。冒険の旅路にはまったくそぐわない、完全に文明の香りを放つ一軒家だった。
「こ、これは……一軒家どころか、屋敷じゃないですか!」
アルファームはぽかんと口を開けたまま、ただ見上げるしかなかった。
驚愕は仲間全員に広がる。
「な、なんだこの作りは……豪勢すぎる!」
「風呂まであるぞ……っ、野営で風呂だと……?」
「まさか……ここ、本当にバッグから出したのか?」
口々に叫ぶ仲間をよそに、カーヴェルはまるで些事のように肩をすくめる。
「村にいた間は必要なかったからね。すっかり忘れていたんだ」
扉を開くと、さらに信じがたい光景が彼らを待っていた。
中は広大なロビー、磨かれた大理石の床、豪奢な階段。十を超える部屋が並び、奥には浴場やトイレまで備わっている。野営どころか、まるで久方ぶりに帰宅した自宅のような安心感に包まれるのだった。
「こ、こいつはたまげた……」
「どこの貴族の別荘だよ……」
「いや、もう野営ってなんだっけ……?」
仲間たちの驚きは、さらに夕食の時間に極まった。
調理場には、これまた見たこともない道具が揃っていた。鍋を軽く叩くと――中から香ばしい匂いとともに、湯気を立てる料理が並んでいく。
パンに、スープに、肉料理。念じた者の好みに応じて、次々と皿が出現する。
「……っ!? わ、私が頭に思い浮かべただけで、シチューが!」
「俺はステーキだぞ……! どういう仕組みだこれは!」
「まるで夢の道具じゃないか、どこで手に入れたんだ……?」
驚愕に満ちる視線を受けながら、カーヴェルは肩を揺らして笑った。
「これか? 旧友から譲られたものさ。あまりに便利すぎて、存在自体を忘れていたよ」
食卓を囲む仲間たちは、やがて笑い合いながら料理を分け合い、その豪勢さを存分に楽しんだ。湯に身を沈めれば、長旅の疲れはたちまち溶けていく。湯上がりには清潔な寝具が待ち、窓の外に夜空を眺めながら、彼らはまるで高級宿に泊まっているかのような錯覚を覚えた。
――まさか野営で、ホテル並みの暮らしをすることになろうとは。




