ジェシカとサリエスの求婚
三つの旗が同じ風を受けるとき、
剣は鞘で眠り、
物語は戦果から“往来”へと主語を変える。
そして、広場の片隅。カーヴェルはひとり、空を見上げる。
——次に壊すべきは、戦の“古い常識”。
次に築くべきは、平和の“退屈な仕組み”。
それができる仲間が、もう三国ぶんそろっている。
転移の白光が収まると、魔族領事館の応接間に微かな香が漂った。
ミーシャとジェシカが書類を捌いている前に、カーヴェルがいつもの気安さで現れる。
「ただいま。……ん?」
廊下の向こうから、靴音が風のように走ってきた。勢いよく扉が開く。
「カーヴェル様っ――!」
サリエスが飛び込むなり、そのまま胸に飛びついた。細い腕がぎゅうっと回り、青い頬が彼の胸板に押しつく。
ジェシカは半歩で距離を詰め、二人の間に手を差し入れて引き剥がそうとする。
「離れなさい!」
「ひゃ、ひゃいっ……でも、でも――」
サリエスは瞳を潤ませ、息を整える間もなく言葉を弾ませた。
「カーヴェル様、私……あなたのことを愛しています。け、けけけけけ結婚してください!」
ミーシャが目を瞬かせ、手にしていた羽根ペンを落とす。「わー……直球、いや、超直球。」
ジェシカの眉間に縦皺が走る。「ふざけるな。ここは職場だ。礼節を――」
「好きなの。ずっと痛いくらい好きだったの。夜も朝も、あなたのことばかり考えて、胸が割れそうで……お願い、結婚してください!」
サリエスは二人の声など聞こえないかのように、ただ祈るような目でカーヴェルを見上げた。
その視線を正面から受け止め、彼はあっさり言った。
「いいよ。」
「え……えええええ!?」ジェシカの声が裏返る。
「ほんとうに!? 嬉しいっ!」サリエスは跳ねるように彼の手を握った。
「なぜ、こんな女を……!」ジェシカはぎゅっと唇を噛んだ。「だったら私も――私も、あなたと結婚します!」
空気が、ぴたりと止まった。三心一体の静寂。
次の刹那、火花のように言葉がぶつかり合う。
「順番を待ちなさい!」
「順番? 愛に順番なんてないわ!」
「ここは王都、私は騎士――」
「私は転移でいつでも帰れる妻になるの!」
言葉の衝突は、やがて手のひらの小競り合いへ。ミーシャが慌てて間に入り、「そこまで!」と両手を広げた。
カーヴェルは二人の肩に軽く触れ、声を低く落とす。
「ストップ。喧嘩は後だ。――条件がある。」
サリエスとジェシカが同時に息を呑む。
「ロゼリアとフェリカの許可を取ること。二人が首を縦に振るなら、俺は異論はない。」
「……条件、受ける。」ジェシカは即答した。
「わ、わかりました。やります。絶対もらいます、許可。」サリエスも拳を握る。
「じゃ、移動。」カーヴェルは二人の手首を軽く取ると、室内に転移光が立ちのぼった。
扉の向こうに取り残されたミーシャが、こめかみを押さえて呟く。「ジェシカ、勤務中……はぁ。まあ、恋は戦だしね。」
◇
村の居間は、嵐の前触れのような静けさで二人を迎えた。
ロゼリアとフェリカは並んで座り、湯気を立てる茶を前にしている。背後ではレオナが気配を殺し、アリエルとジーンは「何か面白いの始まる?」と目を輝かせ、アンジェロッテは少しだけ不安げに指をもじもじ。セリーヌは「ご主人様は本当にモテますね」と涼しい顔で他人のふりを装う。
「――というわけで、求婚された。」
カーヴェルは要点だけを落として、あとは壁際に退き、完全に傍観者の顔になった。
サリエスは椅子の前に立ち、深く頭を下げた。「ロゼリアさん、フェリカさん。失礼は承知で言います。私、カーヴェル様と結婚したい。ちゃんと、妻という形でそばにいたい。」
ジェシカも、肩に力を入れたまま続く。「私も、だ。ずっと騎士として距離を置いてきたが……もう嘘はつけない。愛している。だから、結婚を認めてほしい。」
ロゼリアは茶を一口。瞳だけで二人の呼吸と姿勢を測り、やがてカップを置いた。
フェリカは指を組み、まっすぐに見つめ返す。
「覚悟、ある?」ロゼリアが口火を切る。「私たち、毎日が嫉妬と妥協と、でも最後は笑顔で寝るまでの“家族の戦い”をやってるの。」
「あなたたちのターンで彼を独占できない夜もある。それを“仕方ない”で飲み込める?」フェリカの声は柔らかいが、芯は硬い。
サリエスは一拍置き、真正面から頷いた。「嫉妬する。でも、約束は守る。どうしても辛い夜は――転移で仕事に戻って汗を流して、また帰ってくる。逃げじゃなく、整えるために。」
ジェシカは拳を膝で握る。「私は、嫉妬を剣で誤魔化してきた。……でも、向き合う。約束は、守る。」
ロゼリアが、わずかに口角を上げる。「いいわ。じゃあ――四者会談、開廷。」
低いテーブルに、羊皮紙とペンが並ぶ。ロゼリアが「家則」と大書し、フェリカが項目を読み上げる。
一、各夫人の序列と役割を定める。
一、日程と持ち回りは週次で公開。緊急呼び出しは“命の危険”と“国家案件”のみ優先。
一、互いの侮辱・陰口は禁止。嫉妬は正直に申告し、三人目の立会いで調整する。
一、子どもたちの前での争いは禁止。
一、家の金庫は共同管理。贈り物は相談のうえ。
一、戦場では“妻”より“戦力”を優先――指揮官はカーヴェル。異議は作戦後に。
「――異論?」ロゼリアが視線を巡らせる。
「ない。」ジェシカ。
「私も。」サリエス。
フェリカが、最後にいたずらっぽく付け足す。「それと、旦那様に関する“うそ”は一日三回まで。四回目からは罰ゲーム。」
「そんな条項、あったか?」カーヴェルが壁から抗議する。
「今できたの。」ロゼリアが涼しく言い、羊皮紙に署名する。フェリカ、ジェシカ、サリエスが続いた。
沈黙のあと、ロゼリアが姿勢を正す。「では、序列を告げるわ。第一夫人――私、ロゼリア。家政と対外折衝、儀礼を担う。」
「第二夫人――フェリカ。作戦参謀、財の管理、教育を担う。」
「第三夫人――ジェシカ。軍事顧問、王都窓口、防衛時の現場統括。」
「第四夫人――サリエス。魔族窓口、転移支援、国際連絡の要。」
レオナが息を飲む。「……見事な分担。」
セリーヌは小さく拍手した。「賢き采配にございます。」
サリエスがそっと手を挙げる。「あの、私、職場は領事館で……」
「転移で毎晩帰ってきなさい。」ロゼリアは即答した。「それが“家族”の証拠よ。」
「は、はいっ。帰ります。毎晩。」サリエスの頬がぱっと赤くなる。
ジェシカは唇をきゅっと結び、深く頭を下げた。「……ありがとう。」
その瞬間、空気がふっと緩んだ。アリエルが「結婚式いつ? 肉は? ケーキは?」と早口になり、ジーンが「ケーキ二段!」と叫ぶ。
アンジェロッテが恐る恐るカーヴェルの袖を引いた。「ねえ、パパ。みんな、もうケンカしない?」
「しない。」彼は娘の頭に手を置き、やさしく撫でる。「もう“話す”ことを覚えたからな。」
フェリカが立ち上がる。「では――締めましょう。」
四人は椅子から立ち、互いに向き合って一礼した。次の瞬間、ロゼリアが先に一歩踏み出してジェシカの手を取り、フェリカがサリエスの手を取る。四本の手が真ん中で重なる。
「家族へ、ようこそ。」ロゼリア。
「これから、よろしく。」フェリカ。
「……迷惑、かけるかもしれない。」ジェシカ。
「上等。」ロゼリアが微笑む。
「全力で支えます!」サリエスが力いっぱい答えた。
カーヴェルは壁から離れ、四人の輪に近づいた。いつもの少し困ったような、しかし誇らしげな笑みを浮かべる。
「――じゃ、婚約の印は俺が用意する。順番に渡すから、今日はそれで勘弁してくれ。」
「指輪?」
「指輪。」
「宝石は?」
「質より想い。」フェリカが肩をすくめ、皆が笑った。
夜、更ける。台所にはセリーヌとレオナが立ち、祝いの簡単な膳を整える。アリエルは鼻歌交じりに皿を並べ、ジーンはアンジェロッテに“ケーキ二段案”を力説している。
ふと、カーヴェルは軒先に出て夜空を見上げた。群青の天幕に星が散り、村の灯が点々と暖かい。
――なんとなく、だがこうなる気はしていた。
彼は小さく笑い、家の中に戻る。新しい“段取り”が始まる音が、もうどこかで鳴っている気がした。
朝の執務をひと区切りつけた頃、カーヴェルは魔族領事館の応接室でサリエスとジェシカに合流した。窓越しの光が磨かれたテーブルに走り、彼は掌を返して小箱を二つ、静かに置く。
「約束の“印”だ。――開けてみてくれ」
ふたりは同時に息を呑み、同時に蓋を上げた。
サリエスの箱には深い森のしずくのようなエメラルド。ジェシカの箱には澄み切った青空の欠片を嵌めたようなサファイア。いずれも細い銀の台座に古語の加護文字が刻まれている。
「き、綺麗……!」サリエスの青い頬がぱっと綻ぶ。「ダーリン、こんな……!」
「だ、だーりん……?」ジェシカは横目で突っついたが、すぐ視線が宝石に吸い寄せられる。「……すごい。手が震える。こんな指輪、見たことがない……!」
カーヴェルは微笑み、淡々と説明した。
「ただの飾りじゃない。三つの加護をかけた。ひとつ、心への楔――魅了や洗脳を弾く。
ひとつ、帰還の灯――危機の際は俺の位置へ即時転移できる。
最後に、命の糸――致命傷から一度だけ引き戻す再生の保険だ」
「……一度だけ、なのですね」ジェシカは宝石から目を離さず問う。
「ああ。だから“無茶をしていい”という免罪符じゃない。皆、覚悟は同じだ」
頷いたふたりに、彼はそれぞれの薬指のサイズを確かめながら、そっと指輪を滑らせる。指の関節を越え、ぴたりと吸い付くように収まった瞬間、小さな鈴のような澄音が部屋に満ち、刻印が淡く光った。
「――っ!」サリエスは嬉しさを堪え切れず、椅子から立ち上がって彼の首に腕を回しかけ、慌てて仕事中だと気づき、わたわたと座り直す。
ジェシカは気丈に背筋を伸ばしていたが、耳まで真っ赤だ。「……ありがとう。大切に、する」
そこへ、軽いノックもそこそこにミーシャが顔を出した。「失礼――って、なにその素敵な空気。……え、指輪? 指輪だよね? ねえ私の分は?」
「却下です」サリエスとジェシカが完璧なハーモニーで即答する。
「じゃあ、私もカーヴェル様と結婚する! そうすれば私も女神様といつでも会える~、きゃは」
「そういった“不純な動機”での結婚はやめてください」サリエスがぴしゃり。
「全く同意見だ。ミーシャ様は女神様と結婚すればよろしい」ジェシカが追い打ちをかける。
ミーシャは顎に手を当て、「女神様と結婚……それ、いいかも。同姓だけど、祝福してくれるかしら」と本気顔で唸る。
カーヴェルが苦笑して肩を竦める。「ミーシャって、こんなキャラだったっけ?」
「女神様に会ってから、ちょっと弾けたらしい」ジェシカが小声で囁く。
「いや、元々だと思うぞ。騎士団の重圧で蓋をしてただけでな」
「さすが、ダーリン」
「だ、だーりん?」
「私の呼び方です。譲りません」
「……じゃ、じゃあ私は……“あ、な、た”……きゃー自分で言って自分で照れてきた……!」
「一応ふたりとも勤務中な」とミーシャが咳払いで締め、場に笑いが走った。
カーヴェルはふたりに視線を戻す。「――今夜、家で“重要な話”をする。今日は早めに切り上げてくれ。ミーシャ、君は帰っちゃダメ」
「ですよねー……はい、勤務します」
「了解。……あなた」ジェシカは小さく言って、また自爆して俯いた。サリエスは隣で得意げにニヤついている。
サリエスは胸の内でそっと呟く。――私は魔族。青い肌を嫌がる人もいた。けれど、この人は一度だって色眼鏡で見なかった。分け隔てなく、まっすぐに私を“妻”として受け入れてくれる。理想なんて、絵本の中の話だと思ってた。違った。私は、死ぬまで離れない。




