正統なる叛乱
玉座の塔の影が、夕陽に斜め長く伸びていた。
フロリアンは胸の底に燃える鉄塊を押し込めるように深く息を吸い、扉番に短く命じた。
「腹心だけだ。――“梟の間”へ」
帝都メルクランの東翼、古い戦史が積まれた半地下の書庫。密談に使うときだけ灯る燭台の明かりが、古革の背表紙に鈍い光を走らせる。やがて足音が三つ、間隔を揃えて近づいた。
現れたのは三人。
近衛副隊長ガレス――分厚い胸板と寡黙さで知られる槍の達人。
宮廷魔導師セイラ――銀縁の眼鏡越しの瞳が冷ややかに燃える若き才媛。
そして暗部連絡役の青年カイ――王都の裏道を庭にする、素早い目と舌の持ち主。
「殿下。」
三者三様に片膝をつき、礼を取る。その瞬間、フロリアンは母の言葉が再び脳裏に閃いた。――“あなたの本当の父親は、皇帝に殺されたのです。”
「立て。長くはかからぬ。」
フロリアンは机上の布を払った。そこには簡潔な地図と、二つの名前、一本の細い線。
「これより、わたしは三段の策を取る。第一に“真実の証左”を集める。第二に“矛”を整える。第三に“旗”を掲げる。」
セイラが指先で眼鏡を押し上げる。「証左、とは?」
「出生記録だ。」フロリアンは一枚の古い羊皮紙を示した。「宮廷医局の出納簿に、十六年前の冬至の夜、母上の病室に運び込まれた“青銀の鉱砂”の記載がある。これは母体の体調を整えるための高価な薬剤だが、使うかどうかは医師の裁量だ。そして同じ夜――“剣聖”デニス・レーガーが帝都に滞在していた記録がある。」
カイが素早く読み、首を傾げる。「でも、それだけでは……」
「足りぬ。」フロリアンは頷いた。「だから――産婆を探す。あの夜、現場にいたはずだ。帝都東区“灯台路”の古医屋に、当時の助手がまだ生きていると聞いた。」
「私が行きます。」セイラが即座に進み出る。「痕跡なく、口を開かせます。」
「よし。」フロリアンは第二の紙に指を置く。「第二は矛だ。皇帝親衛と第一皇子フランカの私兵は、今や帝都の半分を押さえている。真正面からぶつかれば、都が血に染まる。――だから矛先は『辺境』に置く。北境の第七軍団。総司令リオン・ヴァラードは、功績を横取りされた屈辱を忘れていない。彼に“正義の旗”を見せれば、動く。」
ガレスが低く問う。「殿下、“旗”は何を?」
フロリアンは第三の紙を掲げた。そこにはシンプルな紋章――白百合に細剣が交差する。
「“白百合旗”。母上の称号“金髪の貴婦人”に由来する。――これは私怨ではない。“血統の奪取”と“正義の回復”だ。……それと、もう一つ。」
フロリアンは机の下から細長い木箱を取り出した。黒漆に封蝋が三つ。母から渡された、小さな鍵を差し込む。
蓋が開くと、薄青く光る柄巻きの片手剣が眠っていた。鞘には古い古代語――〈蒼牙の誓い〉。
「デニス・レーガーの愛剣だ。母上が……“いつか、お前の手で抜けるときが来る”と言って残してくれた。」
ガレスが息を呑む。
フロリアンはゆっくりと柄を握り、鞘を押し倒す。――抵抗が、ない。
澄んだ音が“梟の間”に満ちた。蒼い刃が、まるで懐かしい主に頬擦りするかのように、手首に馴染む。
「……なるほど。」セイラが微笑の端をわずかに上げた。「血は、石より雄弁ですね。」
カイが慎重に口を開く。「殿下、皇帝の耳は広い。監察局の“黒羽根”が動けば、こちらは一夜で摘まれます。」
「だから今夜は動かぬ。」フロリアンは剣を納め、確かに言った。「三日。三日だけ時間をくれ。その間に“証左”と“矛先”を整える。――四日目の暁に、わたしは宮中で“旗”を掲げる。」
「建国祭の朝……」セイラの瞳が細く光る。「最も人目があり、最も偽れない日。」
「そうだ。」フロリアンは三人を見た。「命を賭す覚悟のない者は、今ここで退け。」
三つの影は、動かなかった。
ガレスが短く拳を胸に当てる。「殿下の槍、ここに。」
セイラが静かに頭を垂れる。「知と術、預けます。」
カイが唇を吊り上げる。「黒羽根より先に、風を取ってきます。」
「頼む。」
◇
密談が終わると、フロリアンは一人、回廊を歩いた。宮殿の石床は冷たい。――母の部屋の扉を叩くと、マリアーナは窓辺に佇んでいた。金の髪は、灯りに柔らかく揺れる。
「……怒っているでしょうね。」
「怒りは剣を鈍らせます。」フロリアンは首を振る。「今は、使う時です。」
マリアーナはほんのわずか笑い、机の引き出しから小さな布包みを差し出した。
「これを持っていきなさい。あなたの父上が私にくれたもの。“どんな絶望でも笑い飛ばせ”と。」
包みの中には、小さな木の笛。片隅に、かすれた刻印――〈D・R〉。
「母上。」
「フロリアン。」彼女は彼の頬に手を添えた。「剣は誰かを倒すためでなく、誰かを守るために抜くのだと……あの人はそう言ったわ。あなたが、その剣を間違わぬように。」
「はい。」
◇
その夜。
セイラは東区“灯台路”の古医屋にいた。軋む扉。薬草の匂い。奥の寝所で、背を丸めた老女が震える手で茶を飲んでいる。
「十六年前の冬至の夜――公爵令嬢の出産に立ち会ったわ。」老女は、細い声で言った。「あの夜、わたしは……若かった。皇帝の命なら逆らえない。……でも、書いたの。こっそり。」
セイラが受け取ったのは、茶色い小冊子。帳面の隙間に、乾いた花弁と一緒に挟まれていた紙片。そこには、こうあった。
――〈剣士デニス・レーガー、陛下の命により城外に拘束。翌朝、死刑執行。〉
――〈母子ともに健康。皇帝、不在。〉
セイラは老女の手を包み、短く礼を言った。「あなたは、ずっと一人で背負ってきた。今夜で終わりにしましょう。」
一方、ガレスは北の軍営にいた。リオン司令の前で、古い軍帽に敬礼する。
「第七軍団は、誰の私兵にもならぬ。」リオンの声は低く、石のようだ。「……だが、“帝国”のためなら槍を取る。証を持って来い。――俺は、四日目の暁に槍を上げる。」
カイは闇の屋根の上を走る。監察局の連絡線に偽情報を差し込み、黒羽根の目を“南港の火災”へと向けさせる。雨どいを滑り降り、路地裏の少年に銀貨を握らせ、また駆ける。
「三日。三日だけ、風はこっちの味方だ。」
◇
そして三日目の夜更け。
フロリアンは母の部屋に立ち寄り、静かに頭を下げた。
「必ず、戻ります。」
マリアーナは頷き、息子の背を見送った。扉が閉まると、彼女は一人、窓外の夜空に囁いた。
「――デニス。あの子は、あなたの息子よ。あなたが遺した“まっすぐ”を、ちゃんと持っている。」
◇
四日目の暁――建国祭。
帝都の大通りに民衆が溢れ、楽隊の太鼓が鳴り、第一皇子フランカの高笑いが石壁に反響する。
そのとき。
蒼い刃が朝日を掴み、白百合の旗が風を射た。
「アスラン帝国第三皇子、フロリアン・レーガー――ここに“白百合旗”を掲げる!」
凜とした声が、広場を貫いた。
「これは私闘ではない。帝国を帝国たらしめる“正義の回復”だ!」
民衆のざわめきに、黒羽根の騎士たちが動きかける。が――北門の向こうで槍の林が揺れた。第七軍団。リオンの声が響く。
「動くな! ここから先、一歩でも踏み出せば――帝国への敵対とみなす!」
玉座の塔の高みで、皇帝の顔色が変わった。
母の部屋で、マリアーナは祈るように両手を組む。
“梟の間”の仲間たちは、配置についた。証はある。矛もある。旗も、いま掲がった。
フロリアンは蒼い剣を掲げ、はっきりと宣言した。
「父の名誉、母の尊厳、そして帝国の未来のために――我が剣、抜く!」
――物語は、ここから帝国篇へ。
玉座を落としてから、まだ四日も経っていなかった。
白百合旗を掲げたその朝の勢いのまま、フロリアンは三人の腹心――近衛副隊長ガレス、宮廷魔導師セイラ、暗部連絡役カイ――と共に、帝都の中枢を刈り取るように制圧していった。衛兵詰所はガレスの槍が音もなく沈め、政庁記録庫はセイラの封呪で鍵穴ごと眠らされ、連絡路ではカイが“黒羽根”の連絡線に煙幕の偽情報を流し続けた。
第一皇子フランカは自室の黄金の甲冑をまとい終える前に拘束された。第二皇子ラドラスは裏階段から逃れようとして、角の突き当たりでガレスの鉄靴に行く手を塞がれ、膝から崩れた。最後に皇帝。玉座の間、絹の天蓋の下、男はまだ己が帝国だと信じていた。だが蒼い剣レーヴァテインが鞘走ると、空気が変わった。フロリアンは宣言した。
「帝国法第七条、国家崩乱の重罪――無辜の臣民の殺戮、剣聖デニス・レーガーの謀殺、血統詐称。これをもって、帝国の名において裁く。」
反論の言葉は、なかった。判は速やかに下された。皇帝の死刑執行――血飛沫は上げさせない。セイラが静かに幻幕を張り、儀礼の鐘だけが三つ鳴った。宮廷は、長い悪夢からようやく目を覚ましたかのように静まり返った。
だが、沈黙は嵐の前だった。帝都の外周、領地を持つ大貴族らが、怒りと利権の算盤を胸に「貴族連合」を編成する。旗は各地で上がり、三万、四万、やがて六万に届く兵が雪崩のように帝都へ向き始めた。
「殿下、連合軍の先鋒は三日で帝都東方に到達します。」
地図に石を置きながらカイが告げる。ガレスは眉間に皺を寄せた。「正面からは持たん。数が違いすぎる。」
セイラがフロリアンを見た。「援軍の目処は?」
フロリアンは首を振った。「第七軍団は北境を離れにくい。……時間がいる。」
「――王国に、智を借りる。」
フロリアンは決断した。
カイが一礼する。「わたくしが使者に。」転移し、魔力陣を薄っすらと残し消える




