変化
つかさは仲間の中で最も理性的で、常に冷静であろうと努めていた。だからこそ、カーヴェルに「理由を話せ」と真正面から尋ねたのだ。しかし、カーヴェルの答えを聞いた瞬間、胸の奥で「しまった」と思った。問いかけは正しくても、その裏に潜んでいた自分の疑念は、彼に見抜かれていた。
「……やはり、この男は本物だ」
そう思うと同時に、己の短慮を恥じる。彼はただドラゴンを探すために旅立つ。裏切りなどという考えは、彼の正義にそぐわない。
カーヴェルの「人は生まれてきた以上、生きる権利を与えられる」という言葉は、鋼のように揺るぎなく、つかさの胸を撃った。その瞬間、理性で固めた彼の心の奥底に温かい火が灯り、「この男を信じたい」という衝動へと変わっていった。
豪快で人情深いアルトルは、はじめは仲間を守るために疑念を抱いた。強大な力を持つ者は、往々にして己の欲望に走る。そうした危険を見てきたからだ。しかし、カーヴェルの堂々たる言葉を聞くうちに、胸の奥に重く沈んでいた「疑い」という黒い塊がほどけていった。
「俺たちを救ってくれたのは事実だ。疑う理由なんて、最初からなかったんだ」
アルトルは心の底からそう思い、申し訳なさで拳を握る。だが同時に、不思議な安心感もあった。自分たちの前にいるのは、ただの強者ではなく、人の幸せを本気で願う英雄なのだ。そう信じられたことで、彼の心は軽くなり、胸の内には熱い敬意が芽生え始めていた。
アルファームは、感情に敏感で繊細な心を持つ少女だった。カーヴェルの力の強さに戸惑い、ほんの少しの疑念を抱いてしまった自分を、彼女は誰よりも責めていた。
「命の恩人を疑うなんて、私はなんて愚かなんだろう……」
そう自分を罵るような心が渦巻いていた。しかし、カーヴェルが語った「人の幸せを奪う権利など誰にもない」という言葉は、まるで優しい光のようにアルファームの胸に差し込んだ。
彼の言葉には偽りがなく、ただ真実と信念だけがあった。アルファームは涙がにじむのを感じながら、己の未熟さをかみしめつつも、同時に深い感謝と尊敬を覚えていた。彼女の心は「疑い」から「憧れ」へと変化していた。
ホフランは思慮深く、常に周囲のことを冷静に観察する性格だった。だからこそ、カーヴェルの強大な魔力に対して「もしかすると危険かもしれない」と考えてしまったのだ。だが今、目の前で語られる彼の信念を聞いた瞬間、自分の心がいかに小さかったかを思い知らされた。
「すまない……」
その言葉は、仲間たちへのものでもあり、同時に自分自身への懺悔でもあった。ホフランは深く息を吐きながら、カーヴェルという男の大きさを痛感する。
彼はただ強いだけではない。力に溺れず、人を守るためにその力を使える人物だ。ホフランの胸に宿ったのは、疑いを超えた「信頼」だった。自分はこの人に命を預けられる、そう確信したのだ。
ロゼリアは元々、人を信じやすい優しい心を持っていた。それでも、一度疑念を抱いてしまえば、自分の心の中でそれが膨らんでいく。命の恩人に疑いを向けてしまったことが、彼女にとっては何よりも辛かった。
しかし、カーヴェルが「人は生きる権利を持つ」と語った時、ロゼリアの頬を伝って自然と涙が流れた。
「なんて……まっすぐな人なの」
胸が震え、心が洗われていくようだった。彼の言葉は単なる理屈ではなく、命を懸けて戦ってきた者の信念そのものだった。ロゼリアの疑いは一瞬で吹き飛び、代わりに心に残ったのは「感動」と「誇り」だった。自分はこんな人物と共に戦っている――それが彼女の新たな誇りになった。
フェリカは、仲間の誰よりも人の「表の顔」と「裏の顔」に敏感だった。だからこそ、カーヴェルの優しさが本物かどうか、心の奥で試すように観察していた。しかし、彼の言葉を聞いた瞬間、全ての迷いは消え去った。
「……ああ、本物だ」
彼の優しさは偽りではなく、揺るがぬ信念に裏打ちされたもの。フェリカの胸には、安堵と同時に強い敬意が湧き上がった。
そして心の奥底で、ほんのわずかに温かい火が灯る。それは「この人をもっと知りたい」「この人の隣で歩みたい」という淡い願いだった。彼女の感情は、疑いから信頼へ、そして信頼から「特別な想い」へと変わり始めていた。
夜の帳が村を包み込み、円卓の上にはまだ湯気の立つ料理が並んでいた。香ばしい肉の香り、煮込まれた野菜の甘い匂い、焼き立てのパンから立ち上る芳ばしさが部屋中に漂う。窓の外では、草原に星々が瞬き、柔らかな月光がテーブルに差し込んでいた。
七人は自然と円卓のまわりに座り、手元の皿に料理を取り分けながら少しずつ話し始める。
つかさはまず、カーヴェルの前に皿を置いた。「カーヴェルさん、この肉、美味しいですね。こういう素朴な料理、私は大好きです」
カーヴェルは軽く笑い、フォークで肉を口に運びながら、「そうか、気に入ったならよかった」と返す。その声は穏やかで、どこか安心感を伴っていた。
アルトルは大きなパンを手に取り、フェリカに差し出す。「ほら、こっちの方が香ばしいぞ。フェリカも食べてみろ」
フェリカは微笑んでパンを受け取り、口元に運ぶ。「ありがとう、アルトル。ふわふわで美味しいわね」
ロゼリアはカーヴェルの横に座り、小さな皿にスープを注ぐ。「カーヴェル様、これは少し私が味見したものです。よろしければどうぞ」
カーヴェルは軽く頭を下げて「ありがたい」と答える。彼のその一言だけで、ロゼリアの頬は微かに赤く染まった。普段は見せない彼の柔らかい表情が、心を和ませるのだ。
アルファームはホフランに手作りのチーズを差し出しながら、「ホフラン、このチーズ、結構濃厚よ。味見してみて」と笑う。
ホフランは少し照れくさそうにしながらも受け取り、「うん、これは美味い。アルファームの舌は侮れないな」と返す。二人の間に、いつの間にか小さな笑い声が交わされていた。
料理を分け合うたびに、自然と視線が交わり、言葉が生まれる。冗談や小さな笑い声も飛び交い、今までの緊張や疑念が少しずつ解けていく。
つかさはふと、全員の表情を見渡した。カーヴェルの柔らかい笑み、アルトルの不器用な優しさ、フェリカの控えめな微笑、ホフランの穏やかな気遣い、アルファームの元気な笑い、ロゼリアの少し照れた顔。
「……みんな、こうやって笑える時間も大事だね」つかさはそう言うと、微かに安心したように深呼吸した。
カーヴェルは静かに頷き、目を細める。「そうだな。こういう夜も、力を合わせる仲間がいればこそだ」
夜は深まり、外の星空はより輝きを増す。料理の皿は次第に空になり、七人の心の距離は、少しずつ、しかし確実に近づいていた。
その晩、円卓を囲む七人の間には、言葉にせずとも通じ合う信頼と、互いを思いやる温かさが生まれたのだった。
夜明けの冷たい空気の中、村の広場にはまだ朝霧が漂っていた。
その静けさを破るように、アンジェロッテの笑い声が響いていた。
「それっ、パパー! こっちこっち!」
小さな手から投げられた布のボールを、カーヴェルは軽々と受け止め、笑顔で投げ返す。その表情は、昨夜仲間たちの前で見せた険しい戦士の顔ではなく、どこにでもいる優しい父親の顔だった。
早起きして外に出たつかさは、二人の様子を目にして思わず足を止めた。朝霧の中で跳ね回る少女と、それを穏やかに見守るカーヴェルの姿。
「……本当、仲の良い親子みたい」
思わず口からこぼれた言葉は、彼女の心そのものだった。
やがて遊び疲れたアンジェロッテは、カーヴェルの膝にころんと転がり込み、そのまま安心しきった顔で眠りに落ちた。
「寝ちゃったの?」とつかさが微笑む。
「朝から遊ぶ約束をしてな。昨夜、興奮してほとんど眠れなかったらしい」
カーヴェルはそう言って、そっとアンジェロッテの頭を撫でた。大きな手に宿る仕草は、どこまでも優しく、守ろうとする決意が滲んでいた。
「そういえば、なぜアンジェロッテちゃんはあなたのことを“パパ”って?」
つかさの問いに、カーヴェルは少しだけ目を伏せて答えた。
「……両親は病で亡くなったらしい。ずっと寂しい思いをしていたんだ。俺の顔立ちが母親に似ているらしくてな。男だから、自然と“パパ”と呼ぶようになったんだ」
「なるほど……」つかさは胸の奥で納得すると同時に、心がじんわりと温まるのを感じた。
その後の朝食を終えると、仲間たち全員が広場に集まった。
カーヴェルの指導のもと、実戦形式の訓練が始まる。
中央に立つアルトル、左に構えるつかさ、右に駆け出すアルファーム。その後方をフェリカとホフランが守り、最後尾からロゼリアとカーヴェルが全体を見守る。
巨大な岩を仮想敵とし、ホフランが泥沼を生み出すと同時に、カーヴェルが全員に強化魔法をかける。アルトルの剛力の一撃で岩がひび割れ、つかさとアルファームの剣筋がそれを豆腐のように切り裂いていく。前衛を守るロゼリアの防壁は堅牢で、最後にホフランの風の魔術が残骸を粉砕した。
「見事だ」
カーヴェルの短い言葉に、仲間たちは胸を張った。
日ごとに連携は洗練され、一週間が経つ頃には、全員が互いを信じて動けるほどに成長していた。剣の冴え、魔術の精度、判断の速さ――どれも確かな成果が刻まれていた。




