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推測

丘を下りる小径は白い石畳で、両側に青い瓦の家々。軒先には貝殻の風鈴が下がり、遠くで竜歌の練習をする子らの声がする。市場は人と人竜が混ざって賑やかで、塩漬け魚や海草紙、薄い金属板に彫られた航路図が並ぶ。レオナは一つ一つに由来を添えた。


「これは“浮き畑”。薄土を編んだ筏に作物を植え、潮と太陽を借りて育てます。人の知恵と風の読みが混ざり合った仕組みです。」

「こっちは“風読み塔”。彼らは帆の布で風を可視化する。竜の翼が読んでいた情報を、形にして残すために。」

「この通りは『約束通り(パルト)』。最初の年の冬、港の木道が嵐で壊れて……人も人竜も、約束の通り翌朝集まって、黙って手を動かした。その名が生きてます。」


歩くほどに、混ざり合う歳月が肌に宿る。ロゼリアは目を輝かせ、フェリカは感嘆を漏らす。セリーヌは路地の影を一つ一つ見回し、アリエルは串焼きの香りに鼻をひくつかせた。ジーンは港の水面を覗き込み、アンジェロッテは木製の船の玩具に心を奪われている。


昼時、レオナが指さした食堂に入る。壁には古い帆布、天井には舵輪。運ばれてくるのは海葡萄のサラダと白身魚のハーブ焼き、貝の濃いスープ。アリエルが「うまっ」と瞬きもしない速度で貝を攻略し、ジーンが真似をして咳き込む。皆が笑った。


食後、レオナは緊張を隠せない声音で切り出す。「……あの船、見せていただけますか。あの、王国から来た船。今まで見たどの船とも違って……。」


カーヴェルは頷く。「もちろん。案内役は――アンジェロッテ、頼めるか?」

「うん!」少女は胸を張った。



艦橋。磨かれた計器に、潮と風を捉える針。アンジェロッテが背伸びしながら指さす。「ここが操舵輪。こっちは起動制御装置。『スタート』を押すと、決めたコースを自動で行くの。港に着くと自動で止まるんだよ。」

「自動……」レオナが呟く。瞳に、策略家の父の面影が宿る。「では、風が変わったら?」

「風読み計が知らせるよ。『補助機動装置』っていうのが風をつかまえるの。パパが言ってた。」アンジェロッテは自慢げだ。


ラウンジでは、ロゼリアが腕を組み、満足げに言う。「ね、教えた甲斐があったでしょ。」

フェリカが苦笑する。「アンジェロッテ、説明が上手ね。私たち、最初は『ボタン沢山で眠い』って言ってたのに。」


医務室ではセリーヌが陳列棚に目を細める。「清潔な器具。これは……傷の感染を防ぐ工夫。暗い場所でも作業できる照明。合理的です。」

デッキに出ると、アリエルが両手に皿を抱えて現れた。「お食事タイムでーす! 追加のハーブ魚と海藻パン、あと甘い果物!」

「アリエル、どこから……」「キッチン!」


レオナは笑い、それからふいに真剣になる。「私、王国に行ってみたい。目で見て、学びたい。父が遺した戦記の余白に、たくさんの『なぜ』があるの。きっと、向こうに答えがある気がして。」


カーヴェルはレオナの横顔を見た。琥珀の瞳の奥に、地図と風の線が交差している。「ラビアの娘、か。」

「ええ。」レオナは小さく息を吸う。「父はいつも言っていました。『勝つことより、短く終わらせる術を考えよ』と。……あなたと話して、腑に落ちたのです。終わらせるための知恵は、戦場の外にもある、と。」


「良い言葉だ。」カーヴェルは頷く。「行きたいのなら、道を用意しよう。まずはパオと王の許しを得る。滞在は短くてもいい、王都の空気を吸い、図書庫を見て、戻ってくればいい。君が見たものは、この島にも還る。」


レオナは顔を上げる。揺れる髪の隙間に、細かな鱗が朝光を弾いた。「……ありがとうございます。」



夕暮れ。港にオレンジが落ちてゆく。パオは桟橋で、海に向かい両掌を合わせた。後ろにヴェルナーとイザリオ、さらに町の代表たち。カーヴェルたちも並ぶ。

「これは『翼と盾の誓い』の場。ジルド殿と交わした古いことばを、今の息で編み直す。」


パオが低く、風に乗せて唱え始める。

「――翼は空を見、盾は地を守る。互いの目を交換し、互いの手を預ける。剣は納めるために抜き、言葉は結ぶために解く。飢えた子に半分を、熱に伏す者に冷たい水を。空と地のあいだに、二つの影ではなく、一つの歩みを。」


人の声、竜の声、混ざり合うハーモニー。ロゼリアは肩を寄せ、フェリカは掌を胸に置き、セリーヌは瞼を閉じた。アリエルは不器用に音程を探し、ジーンは小さな翼でリズムを刻む。アンジェロッテは口の形を真似て、懸命に詞を追った。

カーヴェルは静かに誓う。――過去に敬意を、未来に約束を。


儀式の後、パオがカーヴェルの手を取る。「レオナを少しの間、預けよう。彼女は学び、戻り、この地をさらに強くする。」

ヴェルナーが書簡を差し出す。「王国への紹介状と、研究のお願いの目録です。図書庫と工房と、航路の記録に触れたい。」

イザリオは照れくさそうに笑った。「それと……王都の甘い菓子、評判だと聞いた。あれも学びに必要だ。」


「大事な学びだな。」カーヴェルが応じると、周囲で笑いが弾けた。


夜、浜に篝火がともり、海の幸が山のように並ぶ。アリエルとジーンの“早食い対決”は再戦となり、アンジェロッテの判定で引き分け。ロゼリアは歌い、フェリカは踊り、セリーヌは子らに簡単な読み書きを教え、レオナはカーヴェルと即興の戦術盤を囲む――貝殻が歩兵、石片が騎兵、羽根が空からの偵察。

「ここで風が変わる。補助機動で帆をずらし、敵の補給線を“風”ごと奪う。」

「なら、地上は熱を冷ます雨を待つ。――いや、待たない。盾を斜めに組み、矢を滑らせる壁に。」

言葉が駆け、手が駒を置く。ラビアの娘は迷いなく、しかし必ず相手の“傷まない道”を選んだ。カーヴェルは満足げに頷く。


星が満ち、潮が満ちる。

混ざり合う歌と笑いの輪の縁で、レオナがそっと空を見上げた。

「父さん。――私は行くよ。勝つ方法じゃなくて、終わらせる方法を学びに。」


その横顔を、潮風がやさしく撫でていった。


朝の光が白い石壁をやわらかく照らし、長屋敷の食堂には潮と焼き立てのパンの香りが満ちていた。

長卓には、海葡萄の酢漬け、香草で蒸した白身魚、貝の濃い出汁を張ったスープ、竜穀りゅうこくの薄焼きパン、蜂蜜を落とした山羊乳のヨーグルト――人と人竜の知恵が重なった皿が並ぶ。


「でね、うちの旦那様――じゃなくて、カーヴェル様はね!」

フェリカが両手をばしんと卓に置いた。目がきらきらして止まらない。

「帝国の三万、転移ゲートで“まるっと”送り返しちゃったの。敵味方、死者ゼロ! 王都を襲った大型魔獣二千も、兵一万をまるで自分の手足みたいに動かして全滅、味方の被害は……ゼロ!」

「ついでに魔族の千人は、わたしたち十五人で――」

「はいはい、そこは私たちも頑張ったけど、倒したのは“旦那様だけ”じゃありませんからね?」

ロゼリアが肘で小突く。からかう声なのに、どこか誇らしげだ。


箸を止めていたパオ、ヴェルナー、イザリオ、そしてレオナは言葉を失っていた。

「……転移で、三万を……敵味方の死傷なしで?」ヴェルナーが反射的に復唱する。

イザリオは貝椀を持つ手がわずかに震えている。「そんな……記録にも伝承にもない……」


「カーヴェル殿、あなたは一体……何者なのです?」

重なる問いに、カーヴェルは肩をすくめて笑った。

「女神の使徒――そう伝えられている者だよ。」


次の瞬間、四人の椅子が同時に鳴った。パオもヴェルナーもイザリオも、そしてレオナでさえ膝をつき、頭を垂れる。

「これまでの無礼、数々の非礼、どうか――」

「顔を上げてくれ。」カーヴェルは穏やかに手を上げた。「今日は“友”として来た。肩書きにひれ伏されては、話が堅くなる。」


空気がほぐれたところで、彼は視線をレオナへ移す。

「それで――レオナが王国に来たいと言っている。許してもらえるだろうか。」


パオは一拍だけ目を閉じ、すぐにうなずいた。

「レオナはもう大人だ。自らの道を自ら拓け。私たちは背を押すだけだ。」

「ありがとうございます!」レオナがはじけるように立ち上がる。隣でアンジェロッテが「やったー!」と両手を挙げ、アリエルとジーンが尻尾(と小さな翼)をぱたぱたさせた。


――父上に似ている。

胸の内で、レオナはそっと呟いた。

(“勝つ方法”ではなく、“終わらせる方法”を先に考える。その問いかけが、同じだ。目の前の人は、戦場の外まで見ている……)


パンをちぎって蜂蜜を垂らしたところで、カーヴェルがふいに表情を改める。

「ところで――ジルド大王は、どこにおられる?」


卓がきしむほど、四人が前のめりになった。

「な、なぜ陛下が“おわす”と……? 大王は、とっくの昔に……」

「女神の御子だ。人の寿命の尺では測れない。健在のはずだ。」


パオは息を飲み、ゆっくりと頷いた。

「……さすがは使徒様。陛下はご健在。ただ、今は“旅”に出ておられる。いつ戻られるか、誰にも分からぬ。」

「旅?」

「この世の“どこが痛み、どこが癒えているか”を、御自らの足で確かめに――と。そう告げられたきりです。」


ロゼリアが思い出したように身を乗り出す。

「それと極めつけが、王国と魔族の和平条約よね~。」

ヴェルナーとイザリオは同時に椅子を鳴らした。

「和平……王国とヴァルディアが?」

「七百年の戦が、終わった……?」

レオナの琥珀の瞳にも驚愕が走る。


カーヴェルは静かに続けた。

「和平が成立したからこそ、東の脅威――アスラン帝国に戦力を割ける。流通と情報も通る。血を流さず、距離を詰める手だ。」


そして話題は、遠い海の向こうへ移った。

「蛮族のことだが――これは推測だ。」カーヴェルは卓上の塩壺を指先で転がす。

「どこかの神が、彼らを不憫に思い“器”を与えたのだろう。思い描いた物が現れる神器。食べたいもの、欲しいもの。そして、その神器そのものを“欲しい”と描けば、神器が増える。」

レオナが眉をひそめる。「……無尽蔵に?」

「限りはあるはずだが、飢えは凌げる。あれがなければ、共食いで絶えたかもしれない。言葉を持たぬ彼らに、神は念話で意思疎通の術も授けた――だから“言葉が要らない”のだ。」


パオが問う。「それは……どの神の御業か。」

「分からない。」カーヴェルは首を振る。「少なくとも、我らの女神の祝福ではない気配だ。別の系譜の神だろう。」


一同は長く黙し、それから、潮の匂いと湯気の向こうで小さく頷き合った。

「……受け止めよう。事実は海図だ。そこに描けば、次の航路が引ける。」パオの言だ。

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