表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/81

領事館


城下。酒場“金色の盃”。

「陛下が若返ったからって、俺らの仕事が増えるわけじゃねえだろ?」

「馬鹿、増えるに決まってんだろ。領事館だの貿易だので、荷運びが出るさ。」

「よっしゃ、じゃあ俺は神殿の炊き出し警備に行く。女神様の前でスリなんかやらかしたら、マジで雷落ちる。」

笑いと賭け札が飛び交い、店主は“祝杯セット”の札を出した。隅の席で、十五騎士団の若い兵が杯を掲げる。「陛下に、女神に、そして――カーヴェル殿に!」

合唱が起き、盃が鳴った。



黄昏。王の私室。

若返った手で、王は祖先の肖像画の埃をそっと払った。ジルド大王の厳しい視線が、どこか柔らかく見える。

「――女神よ。余は、恥じぬ王であろう。」

窓の外に、黒い影がよぎった。気配に気づいて振り返れば、もう誰もいない。だが王は分かる。あの“段取り魔導士”がどこかで頷いた気がしたのだ。


階下の中庭では、つかさが女騎士たちへ翌日の訓練項目を読み上げ


魔族国領事館ではミーシャは新設される連絡班の覚書を書き、ジェシカは領事館の警護日誌を整えている。


王都は浮き立ち、しかし根は地に伸びていた。


明るすぎる奇跡の翌日。

人々は騒ぎ、そして動き出した。

祝福は、刹那で終わらない。働きと誓いに変わって、王国の鼓動を少しだけ早めた。



魔族国


王国領事館の応接間は、磨かれた黒木の机と薄い葡萄色の絨毯、壁に掛かった地図と王国―魔族の往来表で整然としていた。窓の向こう、魔族風の尖塔が白昼の薄靄に溶けて見える。


「――ったく、女神さまは容赦ないよ。」

カーヴェルは椅子の背に体を預け、片手で額を揉んだ。「ジルド大王の伝記、面白く仕上がる自信あったのにな。王宮で“公衆の面前”の一手まで打ってくるとはね。」


ミーシャが身を乗り出す。「王宮に降臨、というのは本当なのですね!? ああ……わたし、その場にいたかった……!」

ジェシカは横目でため息を吐く。「領事館と王宮は大分離れてますから。転移でも使えない限り、無理ですよ、団長。」


カーヴェルは苦笑し、王と宰相と大主教が若返った経緯を、簡潔に、しかし情景まで添えて語った。重臣たちのざわめき、アーサーの涙、そして王の決意の眼差し。

ミーシャは両手を胸の前で組み、うっとりと天井を仰ぐ。「はあ……女神様。もう一度、お会いできたら……」

「団長、現実に戻らないと。」ジェシカは鋭く言い、すぐに微笑んだ。「――カーヴェル様、少々お時間いただけますか。別室で。」


廊下を抜け、小さな執務室。扉が閉まった瞬間、ジェシカの視線が真っ直ぐ射抜いてくる。

「……率直に伺います。女神様って、あなたでは?」

「違う。今回は“本物”だ。」

「“今回は”、ね。」ジェシカの眉がわずかに揺れる。

カーヴェルは肩を竦めた。「王宮での一手は見事だったよ。重臣を証人に“約束”を取って、王に背水を引かせた。伝記は当分お蔵入りだ。」

ジェシカは目を細め、頷いた。「重臣に見せることで、王の“撤回不能”を作る――。つまり、女神様は政治の段取りまで読んでいる、と。」

「気づきが早くなったね。」カーヴェルの口元に小さな笑み。「読み、深くなった。現場だけでなく、盤面全体が見えている。」

ジェシカの頬がわずかに紅潮する。「褒めてくださるなら……ご褒美を、頂けますか?」

「――真面目にやってるご褒美なら、当然だ。」

短い沈黙。カーヴェルはそっと彼女の額に口づけ、続けて腕を引き寄せ抱き締めた。ジェシカは一瞬だけ目を閉じ、肩で息をし、それから小さく笑う。

「生きている体温……あの調印式の時の恐怖が、ようやく薄れます。」


部屋を出る前、ジェシカは現実に気持ちを戻すように背筋を伸ばした。「領事館の運営、団長代理の支援、魔族側との儀礼――全部やります。わたしは、あなたの負担を減らしたい。」

「頼もしい相棒だ。」カーヴェルは頷き、廊下に戻る。


玄関ホールに戻ると、ミーシャが駆け寄ってきた。「女神様にお会いになったら、また必ずご報告を!」

カーヴェルは片目をつむる。「報告もいいが――お前さんのすぐ近くに、女神はいるさ。」

「え?」

「そのうち、分かる。」

ミーシャが「え、えぇぇ?」と目を白黒させている間に、カーヴェルの姿は転移の光に溶けた。


数呼吸の後。

扉がノックもなく開き、サリエスがすべり込む。「今の転移の気配……カーヴェル様はどこへ?」

ジェシカは淡々と紙束を整えた。「先ほどお帰りになりました。公務がお忙しい方ですから。」

サリエスの肩が露骨に落ちる。「そんな……お風呂でお背中を――じゃなかった、ご歓談を、と思っていたのに。」

心の中でジェシカは(ざまあみろ)と冷笑しつつ、表では微笑の角度を保つ。

「用向きがあるなら、次は正式に書状を。ここは“領事館”。王国式の手順でお願いします。」

「……はいはい、分かったわよ。」サリエスは頬を膨らませ、しかし去り際にくるりと振り返り、にやりと笑った。「それにしても、あなた。彼のこと、ずいぶん分かりやすい顔をするのね。」

「仕事中です。お引き取りを。」

二人の視線が空中で火花を散らす。足音が遠ざかると同時に、ミーシャが両手を頬に当てて爆発した。

「“近くに女神がいる”って、どういう意味!? え、え、え、誰? どこ? この建物? この部屋? この――」

「団長。」ジェシカは咳払い一つ。「議題を戻しましょう。魔族側の来客応対、午后の予定、そして――領事館の警備計画です。」



書類と印章の山を片づけ終える頃には、窓の外が薄金色に傾いていた。ジェシカはふと、机の端に置かれた小箱に目を留める。開けると、小さなイヤリングが柔らかく光った。

(――“いつでも行ける。君のところへ。”)

胸の奥が温かく痛む。彼の言葉は、鎧よりも厚い盾になる。だが同時に、彼の背中に何度でも向かって行きたくなる毒でもある。


「……負けない。」

ジェシカは小さく、しかし確かに呟いた。ミーシャにも、サリエスにも、誰にも。政治にも陰謀にも。――そして、カーヴェルの隣に立てる自分自身にも。


廊下の向こうで、ミーシャのはしゃいだ声が上がる。「女神様~! 出てきてください! ちょっとでいいから~!」

侍女たちが顔を見合わせて笑い、カリスタ――否、女神アルファエルは角の影で苦笑した。(やれやれ、団長殿。いや今は大使か、わたし、今は“勤務中”なんだけど?)


領事館に夜の灯りがともる。

和平の季節は、静かに、しかし確実に街路を染めていく。

そして誰も知らないところで、女神と軍神と人間たちの細い糸が、また一筋、強く結び直された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ