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王からの伝言

謁見後の回廊。人払いされた柱廊で、カーヴェルは立ち止まる。

『――やりすぎだ。』

念話。壁の影から、いつものカリスタの姿が現れる。人間の女の顔、だが瞳だけは星の色をしている。


『効果的だったでしょ?』

「効果は認める。けど、俺に“王命違反”の札をぶら下げさせるのは勘弁だ。」

『違反してませんよ。“はい”って言ってくれたじゃないですか。――ねえ、マルス様。あなたは、私に頼まれて動ける立場。私は、あなたに頼まれて動ける立場。こういうのを“持ちつ持たれつ”って言うんでしょう?』


カーヴェルは嘆息し、肩を竦めた。「……分かったよ、今回は俺の負け。だが、歴史は残す。形を変えてでも。」

『寓話にしなさい。真実は封に。王家の奥の間、百年封緘の書として残すなら、母の顔も立つ。民には“光だけ”を渡してほしい。影は、然るべき時にだけ開かれるように。』

「最初からその案を出せ、天才。」

『最初から素直なら、私は神なんてやってません。』カリスタは悪戯っぽく笑い、すっと空気に溶けた。



夕刻。執務室に戻ると、机の上には宰相の封蝋が押された一通。

――本日の非礼をお詫びする。孫どもは、君の話をまだ続けている。次は、夕餉まで――祖父のわがままを聞いてはもらえぬか。

追伸:女神の奇跡に舞い上がらぬよう、自戒している。君の“肩の落とし方”は、政治にも効くものだな。――アルビデール


カーヴェルは手紙を読み終え、微笑んだ。

机の片隅には、白紙の束。上に一本のペン。

表紙に、さらさらと文字が走る。


――『大いなる始まりの歌』

(ジルド大王の物語・児童版)

――“真実”は別冊、王家封緘にて。


窓の外、夕焼けが王都の屋根を赤く染め、鐘が一つだけ鳴った。

彼はペン先に少し魔力を乗せ、最初の行を書き始める。


「むかしむかし、この国がまだ風に震える麦畑しか持たなかったころ――」





翌朝。王都の鐘が最初の音を放つより早く、王宮の一角が沸騰した。

侍従長が謁見の支度に玉座の間へ入った瞬間、手にしていた書類束を床へばら撒く。


「……陛下?」


玉座の上には、昨夜までの蒼ざめた疲労の影はない。頬は引き締まり、眼光は澄み、背筋は弓の弦のようにまっすぐだ。髪に艶が戻り、若葉色の光沢が灯っている。四十代の壮年――そう表現する他ない若返りが、王ハインリヒに宿っていた。


ほどなく宰相アルビデールも現れ、侍従たちのざわめきが一段と高まる。「お、おのれ誰だ!」と近衛が剣の柄に手を掛けるが、若返った宰相が咳払い一つ。

「落ち着け。私だ、アルビデールだ。」

彼の頬にも張りがあり、眼鏡越しの瞳は少年のように輝いている。そこへ大主教アーサーが駆け込み――駆け“込めて”しまって自分で驚いた。息切れ一つない。白かった髭は灰色の潤みを帯び、歩みは軽い。


「女神さまの……御業みわざだ……!」


一人が膝を折ると、次々に床へ額が落ちていく。叫びと歓声が渦を巻き、伝令は駆け、鐘楼の綱は空気を切った。



王都の朝市。干し肉の屋台で値切り合戦をしていた主婦が、向かいの屋根の上の伝声手を見上げた。

「お触れだ! “王と宰相と大主教が若返った”ってよ!」

「はあ? 寝ぼけたことを――」

次の瞬間、神殿の鐘が異例の連打を始め、王宮へ向かう行列が生まれる。祈り手は涙を流し、行商は“祝福のリボン”と銘打った布切れを半値で売り出し、子供たちは庭先の噴水に花を浮かべた。酒場では古株の冒険者が頷く。「この前の“奇跡の町”に女神が降りたって話、やっぱ本物だったんだな。」

「じゃ、あの大魔導士と女神さまは……」

「王家の守り神だ。――今日からはそう呼ぶさ。」


噂は火のついた綿のように王都を駆け巡り、午前のうちに城下のほぼ全域へ行き渡った。



第十五騎士団本部。訓練場に立つ女騎士たちは、整列のままざわつく。

「陛下が若返り……?」「宰相も?」「大主教まで?」

臨時団長のつかさは刀の鞘口を親指で軽く押し、静かに息を吐いた。「取り乱さない。事実確認は後。――でも、いい知らせだね。」

副団長代理レオーネが頷く。「王国の士気は、間違いなく上がります。」

端で聞いていたベテラン騎士が肩をすくめた。「弛むなよ。士気は刃、磨かねば鈍る。」


王宮からの使いが駆け込んだのはその時だ。「本物だ! 三名の若返り、医官も確認済み! 女神の祝福と布告された!」

空気が跳ねた。歓声、そして自然発生的な拍手。つかさは笑って片手を上げる。「――午前訓練、予定どおり!」


歓喜を力に変換する速度。それが“最前線”の強さだった。



同刻、王宮・小広間。

重臣たちが半信半疑と興奮の中、円卓を囲む。

「神恩だ! 我らに長寿の治世が――」

「いや、待て。妖術の可能性は? 敵国の幻惑であれば――」

「陛下自らお歩きになったろうが。あの足取り、幻術では再現できまい。」


宰相アルビデールが掌を軽く上げ、議論を制した。若返った声は、しかし落ち着き払っている。

「陛下の御身に起きたことは事実。女神の祝福と布告する。だが我らの務めは“浮かれること”ではない。“意味を与えること”だ。」

「意味……?」

「この奇跡は、延命の免罪符ではない。“使命の更新”だ。――王家は王家らしく、より強く国を背負う責務を新たにした。ゆえに、政策は三つ。第一、王国とヴァルディア魔族国の連携を制度化する。領事館の設置と、常設協議会の拡充だ。第二、アスラン帝国への備え。正面戦力は増やさず、機動予備を厚く。第三、民生。神殿と連携し、孤児・戦災者の救済を強化する。」


“若さ”は政治の言葉になると“勢い”ではなく“密度”になる。重臣たちは頷き、反対派も反論の矢を番え直した。



大聖堂では、アーサー大主教が集まった民の前で説教台に立っていた。

「姉妹兄弟よ。今日の御業は、王家だけのものではない。――働く手を軽くし、悲しむ者の肩を抱くために、我ら一人ひとりへも“若さ”を配れ、という合図だ。」

膝をつく者、嗚咽する者。彼は若返った声でなお穏やかに続ける。

「ゆえに、祭りをしよう。だが宴は一夜、慈しみは毎日だ。教会は明日から施療院に食料庫を併設する。聖堂の釜は、空腹の子に先に開く。」


教会の中庭では、司祭見習いたちが慌ただしく湯を沸かし、炊き出しの準備を始めていた。



宰相局・応接間。

カーヴェルは窓辺に寄り、遠くで歓声がたなびく王都の屋根を見下ろした。「……想定どおり、だな。」

扉が開き、アーサーが入る。若返った足取りは軽快だが、目の奥の老練は変わらない。

「“想定外”は、心が軽くなったことだ。――ありがとう、若造。」

「若造はやめてくれよ、アーサー。」苦笑しつつ、カーヴェルは手短に段取りを伝える。「過熱を防ぐ。宮内と神殿、同時発表で“王位継承に変更なし・税制に即時変更なし・徴兵動員なし”の三談話を流してくれ。祭礼日は一週間後。名目は“感謝と誓い”で、消費も回る。」

「了解した。……民は、祝福の余韻に、現実の手触りを求める。」

「だから“仕事”を用意する。神は奇跡、俺たちは段取りだ。」


入れ替わりに、宰相が入る。

「王からの伝言だ。“カーヴェル、恩に着る。だが恩を返させてくれ”とな。」

「では課題を渡そう。魔族領との常設連絡班の人選、明日までに草案を。――ミーシャには現地で裁量を大きめに。それと……」

「それと?」

「女神の件。神殿広報は“謙抑”で頼む。奇跡は多過ぎれば価値を落とす。」


アルビデールは目を細め、笑った。「心得た。」

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