猜疑心と敬意
帰還
奴隷たちを解放し、七人は村へと戻った。
夕暮れ時、村人たちは涙を流しながら再び彼らを迎えた。
歓喜の声が広がり、子供たちが抱きつき、女たちは泣きながら礼を述べる。
だが七人の胸の奥には、それぞれ異なる感情が渦巻いていた。
誇り、安堵、驚愕、そして……カーヴェルへの恐れと、揺るぎない信頼。
冒険の幕は、まだ開いたばかりだった。
村に帰り、つかさ、アルトル、フェリカ、ホフラン、アルファーム、ロゼリアが円卓を囲み、緊張感をもって話し合っている。
つかさ「どうしても、カーヴェルの真意が読めない……。味方なのか、それとも別の目的があるのか」
アルトル「あの男、情報は豊富だが自分の核心を一切語らない。まるで我々を試しているようだ」
フェリカ「でも、行動そのものは私たちを助けてる。裏切り者には見えないわ」
ホフラン「それが逆に怪しいんだ。恩を売りつけて、後で一気に立場を奪うつもりかもしれん」
アルファーム「……だが彼がいなければ、いくつかの局面は乗り切れなかった。功績は確かだ」
ロゼリア「信じたい気持ちと、疑うべき理性が交錯している。彼は…本当は何を望んでいるの?」
場に沈黙が落ちる。
皆、カーヴェルの“裏の顔”を探ろうとしているが答えが出ない
ふと、会議の外から楽しげな声が響いてくる。
覗いてみれば――カーヴェルが子供たちと一緒に遊び、転んだ子を優しく抱き起こし、笑顔で頭を撫でていた。
その姿はまるで慈愛に満ちた保父のよう。
アルトル(小声で)「……あれが演技だと言うのか?」
フェリカ「……あんな自然な笑顔、私には嘘に見えない」
ホフラン「だが、それすら計算のうちかもしれんぞ」
ロゼリア(心中)「彼を知ろうとすればするほど、霧は濃くなる……」
会議は結論を出せぬまま終わるが、全員の心には「カーヴェルを信じたい気持ち」と「疑わねばならぬ警戒心」が残り続ける。
一方で、子供をあやすカーヴェルはその視線に気づくこともなく、ただ穏やかに笑っていた。
円卓の出来事
会議が終わろうとする頃、扉が開き、カーヴェルがひょっこりと姿を現した。
その瞬間、6人は思わず彼を凝視する。――つい先ほど、盗賊団の首領を容赦なく葬り去ったときの、あの冷酷な眼差しを思い出していたからだ。
しかし今目の前にいるのは、別人のような柔らかい顔つきの男。
険しさも怒りもなく、ただ静かに微笑んでいた。
そこへ小さな影が駆け込んでくる。
「パパ!」
6人の目が一斉に見開かれた。
「パ、パパだと……!?」
声を揃えて驚愕する仲間たちをよそに、カーヴェルは屈みこんで幼い少女を抱き上げた。
その子の名はアンジェロッテ。まだ六歳ほどの小さな少女だ。
「アンジェロッテはまだパパと遊びたいの。今度はボール投げしよう!」
「今日はもう遅い。明日にしよう」
「えー……」唇を尖らせる娘の頭を、カーヴェルは大きな手で優しく撫でた。
「明日は逃げないさ。また遊ぼう。約束だ」
「うん!パパ大好き!」
その言葉は計算のない、子どものまっすぐな愛情だった。
――その瞬間、ロゼリアの胸にチクリとした痛みが走った。
「なに、この感情……?」
理解できない。だが、確かに心がざわついている。
アンジェロッテが去り、場に残ったのはカーヴェルと6人。
カーヴェルは円卓の椅子に腰を下ろすと、静かに仲間たちの視線を受け止めた。
「……もしかして。俺の顔を見て、あのときと違うと思ったのか?」
図星を突かれ、6人は言葉を失った。
カーヴェルは深く息を吐き、低く語りだす。
「あの盗賊どもが俺の怒りを買った。ただそれだけだ。武器も持たぬ女や子供を殺し、それでのうのうと暮らしていた。許せるはずがない」
誰も反論はできなかった。
ただ、その怒りがあまりに純粋で、そして強烈すぎたのだ。
彼らは無意識に“恐怖”と“疑念”を抱いてしまった――それが顔に出てしまったのだろう。
カーヴェルは静かに続ける。
「……ダンジョンの攻略が終わったら、俺は抜ける。あとは自分たちで行動するといい」
「えっ……!」つかさが目を見開く。
「どうしてですか!?せっかく仲間になったのに!」
「そうだ!」アルファームも机に拳を叩きつける。「お前は俺たちの大きな力だ!」
「……あなたがいなかったら、私、また死んじゃうかもしれない」ロゼリアは震える声で呟いた。「どこにも行かないで……」
6人はそのときようやく気づいた。
自分たちの疑念が、いかに浅はかで、場違いだったのか。
この男は――子供たちの未来のために、自分の命すら惜しまず戦っているのだと。
羞恥と後悔が胸を突き刺す。
アルトルが沈黙を破った。
「……カーヴェル。抜けたあと、お前はどうするつもりなんだ?」
「俺はドラゴンを探すつもりだ」
その声には一切の迷いがなかった。
「見つけ出し、この村の守護神にする。そうすれば、村人たちは救われる」
言い切ると、カーヴェルは立ち上がり、部屋を後にした。
「今日は疲れた。早めに休む」
扉が閉じ、足音が遠ざかる。
残された6人は互いの顔を見合わせた。
フェリカが口を開いた。
「……どうする?本当に彼は抜けてしまうの?」
「いや、それより……本当に俺たちの仲間なのか、改めて考える必要がある」ホフランが唸る。
「でも……」ロゼリアは唇を噛んだ。「あの人は誰よりも優しい。アンジェロッテの姿を見ればわかるでしょう?」
「優しさと恐ろしさが同居している」アルトルが低く言う。「まるで、人じゃないみたいだ」
「だけど私たちが救われたのも事実だ」アルファームが言い切る。「どんな理由があろうと、あの強さは必要だ」
つかさは黙って考えていた。
胸に浮かぶのは、アンジェロッテに向けられたカーヴェルの穏やかな笑顔。
そして盗賊を葬ったときの、氷のような眼差し。
「……一体、彼の本当の顔はどっちなんだ?」
その問いに、誰も答えることはできなかった。
ただ一つだけ確かなのは――カーヴェルという存在は、彼らの常識の枠を超えたところにいる、ということだった。
夕食時円卓の上には、香ばしく焼かれた肉の塊や、黄金色に輝くスープ、香草をたっぷり散らした焼き立てのパンが所狭しと並べられていた。湯気が立ち昇り、香りが鼻をくすぐるたびに、七人の胃袋が鳴りそうになる。
それでも、今この場を覆っているのは、食欲をねじ伏せてしまうほどの緊張と疑念だった。
つかさは深く息を吸い、迷いを振り切るように真っ直ぐに視線を向けた。
「カーヴェル。あなたは……このパーティーを抜ける理由を聞かせてもらいたいのですが」
その言葉は刃のように鋭く、そして正面からだった。
円卓に座していた仲間たちが一斉にカーヴェルへと目を向ける。炉の火がぱちぱちと爆ぜる音だけが、しばしの沈黙を埋めていた。
やがて、カーヴェルはゆっくりと椅子に背を預けると、静かに口を開いた。
「……さっきも話した通りだ。ドラゴンを探しに行く。ただそれだけのことだ」
淡々とした声。その中に揺らぎはない。だが、それがかえって彼の底知れぬ深さを感じさせ、場の空気を重くした。
「もし、俺を疑っているのだとすれば……その時点で答えは出ているだろうな。俺が裏切ると思うか? 俺自身の手で二人を生き返らせておいて――その命を踏みにじるような真似をすると思うのか?」
その言葉には確信があった。誰もが返す言葉を失う。彼がすべてを見透かしていることは、全員が薄々感じていた。
カーヴェルは苦笑を浮かべ、続ける。
「単に魔力が強いから、異端に映ったのだろう。……それは仕方のないことだ」
俯いていたアルファームが、はっとしたように顔を上げた。瞳には悔恨が滲んでいた。
「……ごめんなさい。わたしの命の恩人に向かって……こんなことを考えてしまった自分が情けなく思います」
アルトルも腕を組み直し、苦々しい顔でうなずいた。
「ああ……確かにその通りだな。俺たちはあんたに救われたんだ。命の恩人だったんだ……それを忘れて疑ってたなんて、恥ずかしい話だ」
ホフランも、深く頭を垂れる。
「……すまない」
ロゼリアは胸元で両手をぎゅっと握りしめた。
「本当です……。命の恩人なのに、変な疑いをかけてしまって……ごめんなさい」
フェリカも、静かに言葉を添えた。
「……アンジェロッテに向けた優しさは……本物だったんですね」
その瞬間、カーヴェルの瞳がかすかに揺れた。だが、それはすぐに澄んだ光へと変わる。
「――人は生まれてきた以上、生きる権利を与えられる。あんな悪魔のようなやつに殺されていいはずがない。人の幸せを奪う権利なんて……誰にもないのだ」
その言葉は、剣よりも鋭く、炎よりも熱く、仲間たちの胸に突き刺さった。
円卓を囲む空気が変わる。疑念は消え、胸に広がったのは、ただ真っ直ぐな敬意と感動。
つかさは、知らず知らずのうちに微笑んでいた。
――やはり、この男はただの旅人でも、ただの魔術師でもない。
揺るぎない信念を抱く者。だからこそ、彼を疑うこと自体が間違いだったのだ、と。




