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若い希望の皇子

皇城・小謁見室。

宰相エッケルハルトと参謀総長ヴォルクは、二人きりの会合を持った。机の上には王国・魔族領の新しい地図、そして東方の海に赤い印がひとつ。知られざる“蛮族海邦”。


「彼の者――カーヴェルは、そこまで見ているのだろうな。」宰相が独りごちる。「西で和平、北で防衛、東で交易。三本の柱で王国を肥え太らせる。帝国は内に空虚を抱えたままだ」


ヴォルクは顎をさする。「だからこそ、急ごう。第一――鉄壁線の再編。補給拠点を三つに絞り、兵は質へ。第二――外向きの“善意”。難民受け入れと市場開放で、王国商人を帝都へ誘う。第三――皇太子フロリアン殿下を前に出す」


「殿下を?」宰相が目を上げる。


「帝に代わり、民を視る顔が要る。」ヴォルクは静かに言った。「クーデターの噂は、私も聞いた。だが、流血は帝国を終わらせる。殿下の巡幸と、公開の“和議提唱”。王国・魔族に向けた書簡――『帝国は戦を欲さず、万民の糧を先とする』。…彼らが鼻で笑おうと、我らの民は救われる」


宰相は長く息を吐き、頷いた。「皇帝陛下には、私が話す。説き伏せる。――いや、お願いをすることになろうが」


二人は立ち上がる。窓の外、遠い鐘が鳴った。帝都の昼を告げる鐘。

その音は、混乱のただなかに、かすかな拍を刻んだ。



その夜。

軍務省の一室で、バルメロ侯は懐の手紙をいらだたしく丸めた。そこには“黒鷲会”の印――鷲の爪が刻まれている。

《頭を替えよ》

短い一行。

彼はしばし天井を仰ぎ、それから火皿に手紙を投げた。炎が文字を舐める。


「替える、か。替えて、何を据える」

彼は知らぬ。だが、帝国の壁は今、内と外の両方から軋み始めていた。



翌朝。

皇宮広場では、皇太子フロリアンが民衆の前に姿を見せた。若い声が響く。

「帝国は戦を望まず。国境は守る。しかし、飢えを見過ごさない。市に穀を放ち、徴税を三月緩め、南港を開く――」


人々のざわめきが、風の向きを変える。

一人の老婆が手を合わせ、若い職人が帽子を振った。パン屋の主人が店先の値札を少しだけ下げる。教会の老司祭は鐘をもうひとつ余計に鳴らした。


遠く、参謀本部の高窓からヴォルクが広場を見下ろす。

「……まだ、終わってはいない」

彼は呟いた。

王国の“使徒”がどれほどの怪物であろうとも、帝国には帝国の戦い方がある。剣でも魔でもない、“立て直す”という戦い方が。


そして、その夜――灰色街区の片隅で、黒鷲会の輪の中に、ひとり遅れて入ってきた影が膝をついた。

「皇太子殿下は、民の歓心を得ました。時期尚早に血を流すより、殿下に賭けるべし――という声が、軍の中からも上がっております」


沈黙。

やがて、老伯が頷いた。

「では、しばし剣を鞘に。帝国が“自ら変わる”望みに、今は賭けよう」


外では、雪が降り始めていた。

白いものは音もなく積もり、帝都の煤けた屋根を柔らかく覆っていく。

二つの和平が作った“新しい地図”の上で、アスラン帝国の明日もまた、静かに形を変え始めていた。

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