つかさ第十五騎士団団長代理
――
そのころ、魔族・王国領事館。
黒曜石の外壁と群青のステンドが夜空みたいに重なり合う建物に、王国の使節団が到着した。応接の間は黒と金を基調にして、甘い香草の煙が細く漂っている。
案内に現れたのは、サリエス。青い肌に青い瞳、礼装の裾を軽やかに揺らして微笑む。「ようこそ、ヴァルディア王都領事館へ。――あら、カーヴェル様はいらっしゃらないのですか?」
ジェシカは一歩進み、短く答える。「カーヴェル様は来ません」
「まあ、残念。あなたの代わりに、カーヴェルさんにお越しいただきたかったのですけれど」
きっぱりとした言い回しに、サリエスの指先が悪戯っぽく揺れた。「だって、彼にお風呂でお背中を流して差し上げたかったのに。夜は――ご奉仕も、ね。これは文化交流ですもの」
椅子の肘掛けが、ぎし、と鳴った。
ジェシカのこめかみがぴくりと引きつり、声は低い。「あんたなんか、カーヴェル様が相手するわけないでしょ」
「まぁ。あなた、カーヴェル様が大好きなのですね。そうでなければ、そんなに目くじらを立てたりしませんもの」
「す、好きとか、そういうのじゃ――」と否定しつつ、頬は赤い。視線が泳ぐたび、サリエスの笑みはさらに甘くなる。
空気が少し熱を帯びたところで、ミーシャが手を打った。「そこまで。サリエス殿、我が国でカーヴェル様が“嫌い”な女は珍しい――いえ、いない。あなたの気持ちも分かる。けれど今日は、交易路と人の往来、領事特権の取り決めが主題だ。まずはお茶をいただこう」
「ふふ。了解しました、団長殿」
サリエスは肩をすくめ、すぐに切り替える。妖艶さは残したまま、手際よく盆を運ばせた。黒い陶器の杯に注がれたのは、魔族領の月草茶。ほのかな甘みと薬草の香りが喉を通り、緊張がゆるむ。
「本題に入りましょう。互いの常駐員の規模、緊急時の連絡線、越境商人への課税、そして民間交流の枠組み。――それから、彼の安全に関する覚書も」
最後の言葉に、ジェシカの背筋がわずかに伸びた。サリエスの視線は、挑発ではなく、どこか真剣だ。
「カーヴェル様は、あなた方にとっても、私たちにとっても特別です。だからこそ、公式の“護り”を。彼がここにいなくても、できることは多い」
ミーシャは頷き、紙束を卓上に置いた。「では条項案を詰めよう。――ジェシカ、副団長、補足を」
「はい」
ペン先が走る。熱はまだある。けれどそれは議論の熱で、嫉妬の火種ではない。
窓の外、遠い鐘がひとつ鳴った。
和平の季節は、少しずつ形になっていく。カーヴェルの不在に、それぞれの胸がざわめきながらも――彼の築いた“道”の上で、彼女たちは前へ進んだ。
王都・第十五騎士団本部。
薄曇りの朝、石畳に隊靴の音が整然と響く。臨時の詰所として転用された講堂の壇上で、つかさは任命書に目を落とし、息を整えた。
「――以上の条件で、団長代理および副団長代理を本日付で置きます」
視線を上げる。列の最前列、赤茶のショートボブに琥珀の瞳をした女騎士が一歩進み出た。革の胸甲は手入れが行き届き、無駄のない姿勢に迷いはない。
「レオーネ・アルヴァ。臨時ではあるけど、副団長代理をお願いしたい」
「拝命いたします」
声音は低く、よく通る。礼を取る所作に艶はないが、ほこり一つ認めない清潔さがあった。
その横で、つかさは自分の胸章を握り直す。団長代理――自分自身への任命も同時に告げたのだ。
(深く考えすぎない。冒険者の延長線上だ。困ったら三つの軸――剣技、統率、士気、判断、事務――のどれか三つを満たす人を置けばいい)
カーヴェルの声が、肩の力をやさしく抜いていく。
「レオーネさん、これからよろしくね。実は……あなたはカーヴェル様の推薦だったの」
一瞬、琥珀の瞳が丸くなる。次いで、頬に火が灯った。
「……覚えていてくださったんですね。あの方が。本当に、嬉しい」
「どこかでお会いしてた気がするの。私も、どっかで見たことあるなって」
レオーネは、困ったように笑って髪を耳にかけた。「ギルド前で因縁をつけられていた商隊の件、です。三人を瞬殺で終わらせたあと、あなたが子どもを背に庇って、私に“助かった、ありがとう”って」
「あっ……あの時の!」
記憶の断片が、ぱちんと繋がる。雨の日、軒下で、濡れたマント。大剣を軽く回して男たちの膝を払った影――。
「思い出した。やっぱり、お願いしてよかった」
つかさが笑うと、列の女騎士たちの空気がふっとやわらいだ。
――
任命式ののち、執務室。
積み上がった報告書の山に、レオーネは椅子を引くより先に近づいた。表紙をめくる、手が速い。目だけで段落をさらい、要点を抜く。
「人事異動、出撃記録、備品・糧秣……三系統が一綴りになっているので混乱しています。書式を分け、簿冊を三冊に。保管はこの棚の左。承認印は――代理権限、つかさ殿の横に私の物理印を置きますね」
「え、印まで……?」
「今作りました。蝋を溶かせばすぐに」
小刀の腹で自分の印章を晒し、封蝋の見本を三つ、さらさらと作ってみせる。
(事務処理能力、クリア)つかさは内心で指を折った。
そこへ、ノック。
「団長代理、整列完了!」
マリアが顔をのぞかせる。稽古場の砂地は朝露に白く、薄い霞が足元に漂っている。




