悪ふざけの代償
カーヴェルの村
庭先に、見知らぬ女が腰掛けていた。
陽に透ける小麦色の肌、絹のような黒髪をひとつに束ね、冒険者風の軽装――しかし布地は必要最低限、曲線は容赦なく主張している。長椅子に頬杖をつき、当然の顔で「ただいま」と言った。
「……どちら様?」ロゼリアが眉を吊り上げる。
「誰? ここ、私たちの家なんだけど」フェリカも腕を組んで詰め寄った。
謎の女は、気怠そうに伸びをしてから、にやりと笑う。
「あーし? カーヴェルの女。あーた達はメイド? それとも予備?」
「……はあ?」二人の声がぴったり重なる。
「じゃ、カーヴェルが帰ってきたらさ、あーた達も混ざる? 男と女がすることって決まってるじゃん――子作り」
次の瞬間、椅子が吹き飛んだ。
「ふざけないで!」ロゼリアの足払い。
「旦那様の名前を軽々しく呼ぶな!」フェリカの拳が追う。
謎の女は、紙一重――いや、髪の先を一枚撫でるほどの間合いで、ひょい、ひょい、とかわして笑う。
「当たらないねぇ、キャハハ!」
家の中ではアンジェロッテが「なになにー?」と首を伸ばす。ロゼリアは慌てて玄関を閉め、庭へ押し出すように三人は飛び出した。
外に出るや、女はさらに舌を出す。挑発の極み。
「二人とも、感情の先に足が出るタイプ。構えが綺麗すぎ。最初の半歩、合図になってるよ?」
ロゼリアの刃が閃く――寸止め、ではない。本気だ。だが女は踵を半分だけ浮かせ、重心を消す。ロゼリアの剣線は空を切り、フェリカの追撃魔法は軌道を読まれて瓦礫ひとつ焦がすのみ。
「ロゼリア、視線で突きのコースがバレてる。フェリカ、魔法の前に肩が入るクセ――予備動作が大きい。二人とも近い。近すぎる。互いの逃げ道、潰してる」
ロゼリアの頬が紅潮し、フェリカの呼吸が荒くなる。怒りが熱に変わり、熱が判断を鈍らせる悪循環――
女は一歩も攻めない。ただ一歩で、ふっと消える。目の前から。
「……瞬動!?」フェリカが舌打ちする。
「違う、重心移動だけ――でも速すぎる……!」ロゼリアの背筋に冷や汗が走った。
そこへ、ぱたぱたと小さな足音。
アンジェロッテが庭木の陰から顔を出すと、首を傾げ、まっすぐその女に駆け寄って、ためらいなく抱きついた。
「パパ!」
「……え?」ロゼリアとフェリカが石像になる。
女は肩をすくめて、降参とばかりに両手を上げた。光がほどけ、輪郭線が男のそれへ。艶やかな髪は短く、豊満なラインは均整の取れたしなやかな筋肉に。
「――バレたか。嗅覚、恐るべし」
「だってパパの匂いがしたもん」アンジェロッテは当然のように言って、抱っこをせがむ。カーヴェルは苦笑して受けとめ、頭を撫でた。
ロゼリアとフェリカが同時に叫ぶ。「「だ・ん・な・さ・ま!!!」」
「待て待て、叩くな、説明する。……動きで俺だと分かるかと思ったんだけどな」
「分かるわけないでしょ! 胸が、いや、胸が!」ロゼリアが耳まで真っ赤。
「私、ほんとに刺すところだったんですから!」フェリカも涙目で拳を握る。
カーヴェルは二人の前に立ち、深く息をついてから、いつもの落ち着いた口調に戻した。
「冗談が過ぎた。悪かった。……でも、測りたかったんだ。今の二人の“怒った時の”戦闘力を。戦場では感情が必ず乱入する。そこで崩れないための“現実”が必要だった」
彼は指先で地面に線を引き、さっきの攻防を淡々と再現する。
「ロゼリア――君の剣筋は教本のように美しい。それゆえに読みやすい。最初の視線、手首の角度、踏み込みの拍。どれも正確すぎる。だから“見える”。フェイントを起点にせず、“半歩の崩し”を起点に。半歩左へ膝を割る、そこから逆へ捻る。三角形で入れ」
ロゼリアは唇を噛み、うなずいた。
「フェリカ――魔法は速い。でも“肩”。詠唱の前に肩が合図してる。魔法も剣も“最初のゼロ”が大事だ。無音の溜めを作れ。あと、ロゼリアと縦に重なる癖がある。横のずらしを、耳じゃなく足裏で感じる練習をするぞ」
フェリカは目を丸くしてから、悔しそうに笑った。「……ぜんぶ、図星」
「それと二人とも――感情の沸点が低い。怒ったら動きが直線化する。だから今日みたいな挑発で、わざと怒らせてみた。ほんと、ごめん」
「……謝るなら最初からやらないでください」
「でも、ありがとう。私たちの穴がよく分かったわ」
ロゼリアとフェリカは顔を見合わせ、ふっと笑う。怒りは、いつの間にか悔しさとやる気に置き換わっていた。
「アンジェロッテ」
「なあに?」
「セリーヌとジーンのとこ行って、クッキー分けてもらっておいで。パパ、二人に大事な話がある」
「はーい!」アンジェロッテは元気よく手を振り、セリーヌに手を引かれて小道の先に消えていく。(セリーヌは最初から塀陰で苦笑していたらしい。「ご主人様、やり過ぎですよ」)
三人だけになった庭に、風の音が戻る。
カーヴェルは改めて二人の手を取り、指の節をそっとさする。
「本当に悪かった。……埋め合わせは、ちゃんとする。訓練メニューは俺が組む。明日から毎朝、十分の型、二十分の足運び、十分の無拍。昼は連携、夜は自由稽古。弱点は必ず消える」
「“埋め合わせ”は訓練だけじゃ納得しません」ロゼリアが意地悪く目を細める。
「そうです、“埋め合わせ”は別途たっぷりと」フェリカも頬を染める。
カーヴェルは、ほんの少しだけ困ったように笑う。
「……分かった。今夜は、訓練の後で。長い夜になるぞ」
「望むところですわ、旦那様」
「覚悟しててください、旦那様」
夕餉の灯がともり、笑い声が家の奥からやわらかく漏れる。
星の出るころ、三人は並んで灯りを落とした。
しかし、ロゼリアが煮え切らない、そして何か思い描く「よし、家庭内裁判を実施する。」
「家庭内裁判って何だ?」カーヴェルは後退りする。
家庭内裁判:概要
カーヴェルが女装変化して妻たちを試した“悪ふざけ事件”は、即座に家庭内裁判へ発展しました。以下はその詳細です。
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裁判の構成
被告人:カーヴェル
裁判官/検事:ロゼリア&フェリカ
証人:ジーン、アンジェロッテ、アリエル、セリーヌ
罪状
1. 女装して家族を欺き、挑発的発言を連発した。
2. ロゼリアとフェリカに本気の戦闘行動を取らせた。
3. 娘アンジェロッテを巻き込み混乱を助長した。
証言の主な内容
アンジェロッテ:「最初からパパだってわかった。匂いでわかるもん!」
ジーン:戦闘中の動きは明らかにカーヴェルで、女装しても気配は隠しきれていなかったと証言。
アリエル:家族を試す意図は理解できるが、方法が過激すぎると苦言。
セリーヌ:変身術は見事だが、妻たちを怒らせた責任は免れないと指摘。
弁護
カーヴェル本人が弁護。
目的は「怒りによる戦闘力と冷静さの確認」。
近い将来に本物の戦場で感情が乱れたときの対応を見たかった。
被害はなし、むしろ訓練として有益だった。
判決
有罪。
ただし、動機は防衛上の訓練目的と認め、刑罰は軽減。
刑罰内容:
ロゼリアとフェリカの髪と頭を、風呂で“丁寧に洗い上げる”こと。
さらに、謝罪の言葉を添えて一人ずつマッサージ付き。
ロゼリア:判決後も「もう一回やったら今度こそ斬る」と釘を刺す。
フェリカ:髪を洗われながら「手つきは合格。でも次はない」と赤面。
結果的に家族は笑顔で収まり、カーヴェルは“罰”を通して妻たちの信頼を再確認。
事件は「庭先女装事件」として、後に家族の間で長く語り草となりました。




