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ジーン

王都・冒険者ギルド本館。午后の陽がステンドの硝子を透り、黒檀の床に色とりどりの斑を落としていた。ざわめきの渦の真ん中で、ミーシャ団長が顎を引いて頷く。


「——あの時の六名、再召集でよろしいのですね?」


「頼む。」カーヴェルが短く返す。


呼ばれて現れたのは、剣のマリア、軽剣のサーシャ、大剣のアン、槍のクロエ、弓剣のナーリア、そして魔剣士カリスタ。そこに勇者一行——つかさ、アルトル、アルファーム、フェリカ、ホフラン、ロゼリア——とミーシャ、さらにフェンリースのアリエルが合流し、計十五名が円陣を作った。


「じゃあ、そろそろ出発するか。」


カーヴェルが何気なく言った、その瞬間だった。


「お、お待ちくださいカーヴェル様ァ!」

「俺たちもお連れくだされ、偉大なる大魔導士殿!」

「どうかこの不肖の身に、御恩と慈悲とついでにお名前を!」

「世界を救う旅路に一輪の花を……つまり私も……!」


場の空気が一気に芝居がかった熱に染まる。受付前、手摺り、酒場カウンターの影からまで、冒険者たちが次々に飛び出しては両手を合わせ、胸に拳を当て、あるいは床に膝をつく。甲冑がぎしぎし鳴り、羽根帽子が宙を舞った。


「なんでお前たちが居るんだ。」カーヴェルは額を押さえた。


「カーヴェル様の背に——!」

「私の夢が乗っています!」

「弟子にしてください!」

「明日から本気出すので今日連れてってください!」


「……頭が痛い。」本当に頭を抱えた。ロゼリアとフェリカが「旦那様、人気者ですね」と左右から肘で小突く。ミーシャは咳払いをひとつ、しかし口元は笑っている。


しばしの騒擾ののち、カーヴェルは大きくため息をついた。

「しょうがねぇな。——連れてってやるよ。ただし、邪魔すんな。命令系統は俺とミーシャとつかさ。勝手な真似、村での狼藉、機密の口外、全部禁止。守れないならここで帰れ。」


空気が一瞬、凪いだ。次の瞬間、割れんばかりの歓声。

「うおおおおお——っ!」

カウンター上のジョッキが震え、猫族の受付嬢が耳をぴょこんと立てる。


こうして、志願者九十二名が名簿に連なった。総勢百七名。ギルド前広場は小隊編成の呼名と点呼で小さな軍営の様相を呈す。



「じゃ、行くぞ。——転移。」


石畳に幾何学の光が咲く。円と線が絡み、名もない歌のような低い振動音が空気を満たした。眩い白に世界が反転——胃がふわりと浮く感覚、風の匂いが変わる。次に皆が見たのは、懐かしい草いきれと、麦畑の波、そして低い屋根が点々と並ぶ小さな村だった。


「パパーーーっ!」


一番に動いたのは、栗色の髪をツインテールにした小さな影。アンジェロッテが一直線に走ってきて、カーヴェルに飛びつく。勢いを殺さず抱き上げると、彼は笑ってその額に軽く口づけた。


「ただいま。ごめんな、ちょっと約束破っちゃった。」

「ううん、パパはお仕事だったんでしょ。——わぁ、ひとがいっぱい!」


百人を越える人波に、村人たちのどよめきが広がる。村長が驚きで眼鏡を落としかけ、背を丸めて駆け寄った。セリーヌ(元レイスの新しい身体)は白いエプロン姿で戸口から顔を出し、あらあらと微笑む。


「ご主人様、お帰りなさいませ。……まあ、賑やかですこと。」


ミーシャは即座に現場指揮に入る。

「全員聞け! これより隊伍を三群に分ける。A群は村外の練兵場へ整列、B群は物資搬入と宿営準備、C群は村の規律と清掃を担当。指揮官はマリア、クロエ、ナーリア。つかさ隊は私の右へ。」


「はいっ!」


カーヴェルはひと呼吸置き、掌をひらりと振った。村の広場に、どこからともなく影が落ち、次の瞬間——巨大な屋敷が“現れた”。以前の屋敷よりさらに大きく、三層吹き抜けのロビーに、長卓が幾列も並べられていく。水場は清潔なタイル張り、湯はとうとうと溢れ、客室は三十以上。屋根からは透明な結界の薄膜が村全体に広がり、暑さと悪意をそぐ。


「きゃあ……!」

女騎士たちの感嘆が重なり、冒険者たちは口々に「城だ」「どこの王侯の館だ」と囁き合う。


「設備説明は後だ。——まず三つの約束。」カーヴェルが声を張った。

「一つ、村の機密を守れ。ここで見聞きしたことは口外無用。二つ、村の者には絶対に手を出すな。揉め事は指揮官へ。三つ、命令系統に従え。勝手な英雄行為は“害”だ。……守れる者だけ、上がれ。」


全員が拳を胸に当てた。ざわめきの中に、次第に規律の線が通っていくのがわかる。


ロゼリアが小声で肩を寄せる。「旦那様、すごい……あっという間に軍隊みたい。」

フェリカは鼻を鳴らして腕を組む。「当然よ。私の旦那様だもの。」

(その“私の”は余計だ、とロゼリアが肘でつつき、二人は目で小競り合いをする。)


「つかさ。」カーヴェルが振り返った。

「はい、カーヴェル様。」

「お前の隊はA群だ。午后は俺とミーシャの二段指導で“連携”を仕上げる。アルトルは盾隊の教官、アルファームは槍、ホフランは魔法。ロゼリアは衛生班編成と回復導線の整備。フェリカは——」


「調理班と予備戦力、ですね。」フェリカが微笑って先回りする。

「頭が回るな、助かる。」


ミーシャが横でメモを取りながら、感嘆の吐息を漏らした。

(この人——一瞬で百人を“働く形”にする。器が違う。)


アンジェロッテはと言えば、カーヴェルの足元で意気揚々と両手を挙げる。

「パパ、アンジェはCぐん手伝う! お掃除なら任せて!」

「頼もしい副官だ。」カーヴェルが頭を撫でると、周りの冒険者が思わず頬を緩ませた。



しばらくして、屋敷のロビーに全員集合。カーヴェルは壁に貼った地図の前へ。

「今日の予定を言う。午前は移動と設営で疲れてる。だから“壊さない”練度確認。午後、A群は対魔獣連携の基礎、B群は物資補給の動線確認と熱源管理、C群は村内外の見回り。夜は全体ブリーフィング。——以上。」


「了解!」


「それと。」カーヴェルが指を鳴らすと、天井の淡い光が落ちてきて、参加者一人ひとりの身体に薄い膜のように染み込んだ。

「簡易の支援魔法だ。脚が軽くなる。驕るな、だが使え。」


「あっ、身体が……」

「なんだこれ、視界が冴える……!」

初めての感覚に冒険者達の瞳が輝く。ミーシャは横目でそれを見つつ、(この“ありがたさ”を知れば、誰も我を張らない。人心掌握まで計算……参る)と苦笑した。


外では、村長が酒とパンと果物を山のように運び出している。セリーヌはエプロン姿のまま、負傷者用の臨時ベッドを並べ、アリエルは尾をふりふり、荷の運搬を手伝いながら鼻をひくひくさせては「うまい匂い!」と大騒ぎだ。


やがて、整然と列が動き出す。A群は村外の草地へ、B群は蔵と屋敷を結ぶ動線へ、C群は外周と路地へ。整地されたように滑らかな足取り——それは、ここが単なる“野次馬の群れ”ではないことを、村の誰の目にも明らかにした。


カーヴェルは最後尾で振り返り、村全体を包む結界の揺らぎを一つ調整する。

(百人規模の出入り。噂の広がり方も変わる。だが——見せるべきものは、あえて見せる。)


肩に小さな重み。アンジェロッテがいつのまにか背中に飛び乗っていた。

「パパ、がんばってね。」

「ああ。すぐ、終わらせる。」


風が麦を撫でた。新しい一日が、規律と笑い声とともに回り始める。次に続く戦いの準備として——そして、この村を、確かに“守る”ために。


広場の片隅、地面に木炭で描いた簡易コートの前に、カーヴェルは石ころをコマのように並べた。丸は味方、三角は敵、×は危険域だ。


「いいか。強いやつが“各自で”強いまま突っ込むと——」


カーヴェルは丸の一つ(つかさ)を指で弾き、前に滑らせた。次いで、別のアルファームを斜めに送り出す。二つの丸は狭い路地で重なり、×の印に触れて止まった。


「こうなる。視界が重なり、刃筋がぶつかる。味方に当たるのは“運が悪い”じゃない。“連携が悪い”。動きがちぐはぐだと、個人の切れ味まで鈍る。」


「そうです、そうです!」アンジェロッテがこくこくと頷き、周囲が和やかな笑いで緩む。


「逆に——」カーヴェルは丸を縦に三枚、半歩ずつ“ずらす”。「盾が半歩遅れで当たり、二番手が半歩早く抜け、三番手が半歩外へ流れる。たった“半歩”。でもそれで道が生まれる。」


アルトルが大盾の縁をこん、と叩いた。「半歩、了解だ。」


ミーシャが短く復唱する。「半歩、三拍子——“受け・抜け・流し”。」


町に溢れた魔獣の討伐


三隊は散開した。つかさ隊は南の商通りへ。路面に散った木箱の破片、扉がこじ開けられた店、鼻を刺す獣臭。路地の奥で、灰斑のスピアウルフが唸った。


「アルトル、受け!」

「了解、受けェ!」


大盾が路地を塞ぎ、牙が鉄に弾ける。つかさは半歩遅れて斜めに抜け、刀が白光で狼の手首を断つ。アルファームの槍が壁際の二体目を封じ、マリアとサーシャが低い姿勢で脇腹を削る。ロゼリアの半透明の壁が、跳ねた破片を吸い取った。


「次!」つかさの号令に、アンの大剣が構えを崩した三体目の鼻先を叩き割る。ナーリアの矢は背後で跳ねた影の喉を正確に縫い止めた。


——三十呼吸で路地は静寂に戻る。店主が戸の隙間から顔を出し、震える指で胸に手を当てた。


「助かった……」


「避難路はこっち!」クロエが指差し、住民を壁沿いに誘導する。フェリカは火花を立て、倒れた梁の下でうめく男の足に絡んだ鎖魔法を焼き切った。


西側ではミーシャ隊が迷路のような細路地を掃き出していた。ホフランが囁く。「二十、三十……北から風に血の匂い。まだいる。」重ねるように泥の帯が延び、暴れる猪鬼の足がひた、と沈む。


「今——!」ミーシャが踏み込み、喉元一寸手前で刃を止める。「住人、後ろ!」ロゼリアの壁が倒れかけた石壁を支え、住人の老人が転ばずに通り抜けた。


北ではカーヴェル隊が“蓋”を務める。広場に迫った大型のトロールを前に、冒険者の一団が身をすくめた。カーヴェルは肩の上のアンジェロッテを抱え直し、ふっと笑う。


「半歩の積み重ねで、象は蟻になる。」


彼は片手で地を叩いた。トロールの足元が“さらし粉”のように崩れ、重心が一瞬遅れる。そこへ志願冒険者の若者が、恐る恐る——だが定石通りに槍を突き入れた。核に触れたか、鈍い音が響き、巨体はぼとりと崩れ落ちる。


「……やれた。」若者の喉が震える。背中を仲間が叩いた。


「うむ、やれたな。」カーヴェルはアンジェロッテの額に軽く口づけを落とす。「半歩、な?」


「はいっ、半歩!」アンジェロッテは満面の笑みで親指を立てた。


ダンジョン潜入——“親子”で


町が一息ついた頃、陽は斜めに傾き、石畳の影が長く伸びた。ダンジョンの口は、崩れた拱の奥、黒い穴のように口を開けている。冷気が頬を撫で、灯りの揺らぎが岩肌に波紋を描く。


「パパ、暗いね。」アンジェロッテが囁く。

「大丈夫。今日は……特別席。」カーヴェルは指を弾き、アンジェロッテの足元に柔らかな光球を生む。ふわりと少女の体が浮き、薄い膜が花弁のように包む。結界が小さく呼吸し、空中で彼女が“泳ぐ”。


「わあ……!」

「結界搬送、良い判断。」ミーシャが頷く。

「転倒、落石、毒霧——全部弾く。」カーヴェルは淡々と説明する。「俺の頭上を三歩分だけ先行、速度は俺に追従。」


「はーい!」アンジェロッテの球体が、彼の肩先をころころと転がる。


石段を下り、最初のホールに足を踏み入れると、天井からぶらさがる水滴が、ぽたり、ぽたりと落ちてくる。床の苔が銀に光り、遠くで蝙蝠の羽音がかすかに響く。壁際に散らばる骨、焦げ跡。先行組の痕跡だ。


「気配——三、いや、四。」ホフランが指を折る。

「来る。」つかさが刀を半分だけ抜く。


地下風が逆巻き、影から滑り出たのは、鎌を持った蜥蜴人と、鱗に泥のこびりついた大蛇の亜種。指示は短い。


「半包囲。」カーヴェル。


アルトルの盾が道を塞ぎ、アルファームがやや左へ張り、ミーシャが右へ流す。フェリカの火線が鱗の目地を走り、ナーリアの矢が舌を縫う。サーシャとマリアの刃が低く潜り、アンの大剣が高い弧を描く。ホールの空気が一瞬だけ熱を帯び——やがて、静かになった。


「つぎの層。」カーヴェルが顔を上げる。滴る音の向こうに、空気の歪み。

「上空、二十丈——来る。」ホフランが瞳を細めた。


影が裂け、翅のうなりが洞を満たす。ワイバーン。だがその軌道は乱れ、片翼に黒い杭のようなものが刺さっていた。天井で弾ける血が石に黒い星を描く。


「おい、避けろ!」冒険者の誰かが叫ぶ。

「——下がるな。」カーヴェルの声は逆に落ち着いていた。


翼が折れて墜ち、岩柱に激突。洞が低く唸る。ワイバーンは呻き、爪が石を掻く。冒険者たちの視線が剣に走る。だがカーヴェルは歩み寄り、杭に触れた。


「誰がやった……呪毒の釘、だな。」指先で魔力をほどき、釘は灰になって崩れた。次いで掌を広げ、温い光を、ちぎれた筋に流し込む。鱗の下で繊維がつながり、裂けた膜が薄く張り治されていく。


「だ、旦那様……助けるんですか?」ロゼリアが目を丸くした。

「当たり前だろ。」カーヴェルは苦笑する。「こいつは“悪意の手”に撃たれただけだ。」


ワイバーンの瞳が、わずかに柔らいだ。次の瞬間、光が“人の形”に縮んだ。煤けた外套を羽織る、痩せた少年。年の頃は十歳前後。垂れた前髪の下、琥珀色の瞳が揺れる。


「名前は?」

少年は一瞬戸惑い、首を振る。

「じゃあ——今日から“ジーン”だ。」

「……ジーン。」少年は小さく反芻し、ぱっと顔を上げた。「……ジーン。ありがとう。」


冒険者たちは言葉を失い、数人は口をぱくぱくさせた。「ワイバーンが……少年に……」「味方、に?」


フェリカは頬に手を当て、うっとりとため息をこぼす。「旦那様らしい……」

ロゼリアはうんうんと頷きながら、胸を張った。「情け深い、最強、そしてイケメン。はい、完全体。」

「褒め方が雑だ。」カーヴェルが苦笑し、アンジェロッテの結界球をぽんと撫でる。「ジーン、腹は減ってるか?」

「……すごく。」少年の腹が、ぐう、と正直に鳴った。

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