強化訓練
翌朝。
町の人々が「奇跡の町」と浮き立つ中、騎士団の宿営地にも柔らかな朝日が差し込んでいた。
ミーシャは――異様なほどご機嫌だった。
昨日の出来事、女神の祝福のキス。夢であったらと思いもしたが、何度思い返しても頬が熱くなる。
(……まるで人生に春が訪れたようだ。いや、これは夢ではない。女神様が、私を……!)
と、ひとりで頬を緩ませている。
そんな彼女に、背後から声がかかる。
「おはよう」
振り返ればカーヴェル。
しかしミーシャは――どこか現実感を失った表情のまま、まるで違う次元に心が飛んでいた。
(……もし、あの女神様が実は「俺なんです」なんて言ったら……? いやいや、そんなはず…………絶対に言えないな!)
「おい」
カーヴェルはわずかに眉をひそめる。
「ミーシャ、しっかりしろ。お前、団長だろう」
その言葉に、まるで眠りから覚めたかのようにミーシャははっとした。
「あっ……も、申し訳ありません!」
「しっかりしろ 32歳」カーヴェルは微笑する
「32歳はやめて!!」ミーシャは耳 まで赤くなる
カーヴェルは小さくため息をつき、指揮の話に移した。
「捜索範囲をどう決めるか、選定してくれ。ここから先は道がない。遭遇戦は必ず至近距離で行われる可能性が高い」
その真剣な声に、ミーシャもついに女神の残像を忘れ、団長としての顔を取り戻す。
「……そうですね。まずは左から順に進めましょう。1日目は左、2日目は中央、3日目は右――そんな布陣でいかがでしょうか」
「よし、それでいい」
カーヴェルは次にホフランへと目を向けた。
「ホフラン、手を出してくれ」
「えっ……? は、はい」
ホフランは戸惑いながら手を差し出す。
その手に、カーヴェルがそっと銀色の腕輪を載せた。
「これは索敵用だ。範囲を十倍に広げることができる」
ホフランは目を見開いた。
「な、なんと……! こんな貴重なものを、私に……?」
「お前にしか扱えない。魔力の消費もほとんどない優れものだ。やるよ」
「カーヴェル殿……ありがとうございます! 必ず大切に使わせていただきます!」
ホフランの胸は熱く震えていた。
その場の空気が少し引き締まったところで、カーヴェルは再びミーシャに視線を戻す。
「ミーシャ、一つ提案がある。全員の訓練をしてもいいか?」
「訓練……? もちろん構いませんが……」
カーヴェルは静かに告げる。
「これから戦うのは魔物だ。パーティーメンバーは精鋭でなければならない。人数は限られている、だからこそ一人のミスが全体を崩壊させる。いくら強くても、連携が取れていなければ烏合の衆になる。だからこそ――今のうちに騎士団と合同で訓練をしておきたい」
その理路整然とした言葉に、ミーシャは目を伏せ、そして深々と頭を下げた。
「……なるほど。さすがカーヴェル様。私が気づくべきことでした。申し訳ありません」
「いや」
カーヴェルはにやりと笑い、わざと声を大きくした。
「誰かさんが祝福のキスを受けて有頂天になって、作戦そのものを忘れてしまったんじゃないかと心配してたんだよ」
「――っ!」
その瞬間、周囲の仲間たちは堪えきれず爆笑した。
「はははっ!」
「団長ったら……!」
「こりゃ図星かもな!」
ミーシャの顔は見る見る真っ赤になり、しどろもどろに両手を振った。
「そ、そ、そんなこと……ありませんっ……!」
――だが彼女自身の胸の内では、確かに自覚していた。
(……間違いなく。あのとき、私はすべてのことを忘れていた……女神様のこと以外は……)
恥ずかしさにうつむくミーシャの横で、カーヴェルは小さく笑いながら、着実に次の戦いへの備えを整えていた。
昼前
ミーシャは心の奥で、どうしても拭い切れない思いを抱えていた。
――私は騎士団長。本来なら私が隊を率い、皆を導かなければならないのに。
だが、現実にはカーヴェル殿が中心となり、全てを采配している。魔力の桁違いさだけではない。彼の人間性、交渉力、決断の速さ、何をとっても私の及ぶところではなかった。
「私は……本当に陛下の期待に応えられるのだろうか。」
そんな自問自答を胸に抱いたまま、彼女は始まる演習に臨んだ。
カーヴェルが一歩前に進み出る。地面に手をかざすと、轟音と共に大地が隆起し、目の前に高さ十メートルはある巨岩が出現した。
「これを敵だと思え。全力でぶつかってみろ」
低い声に皆の背筋が伸びる。
編成は即座に整った。
最前列――アルトルが盾を構えて踏み出す。重厚な鎧の足取りは地を揺らし、鉄壁の壁そのものだった。
その一歩後ろ、つかさとミーシャ、アルファーム、フェリカが左右に展開。彼らが攻撃の要となる。
さらに背後にマリア、サーシャ、アン、クロエ。続いてナーリア、カリスタ、そして後衛にホフランとロゼリア。
最後方にカーヴェルが立つ。その姿は戦場における絶対的な支柱だった。
「――強化開始」
静かな声と同時に、光の奔流が仲間たちの身体を包み込む。筋力、速度、反射神経……全てが十倍に引き上げられる。息を呑む女騎士たち。己の体がこれほど軽く、力強いと感じたことはなかった。
「ホフラン、牽制を」
「了解です!」
地面がぬめり、巨岩の足元に泥沼が広がった。見えない敵の動きを封じる布石。
「行くぞ、俺が道を開く!」
アルトルが雄叫びを上げ、岩へと激突する。盾と岩が衝突し、火花が散った。巨岩がぐらつく。
「今だ、二列目!」
ミーシャたちが同時に剣を振るい、アルファームの槍が突き刺さり、フェリカが魔力を爆ぜさせた。衝撃で岩が裂ける。
「二列目下がれ! 三列目、前へ!」
流れるような指示。サーシャとマリアが斬りかかり、アンの大剣が大きな破壊音を立てる。クロエの槍が連携して突き込む。
その間に前列は素早く後退し、体勢を整える。
「迂回組、今だ!」
ナーリアの矢が岩の亀裂に突き刺さり、カリスタの魔法が爆ぜて破壊を加速させる。
後方からホフランの雷撃が轟き、岩全体を揺さぶった。
ロゼリアはすかさず治癒魔法を展開し、体力を削った者を癒す。
そして最後にカーヴェルが一歩踏み出す。
「――仕上げだ」
手を掲げると、空から巨大な光槍が降り注ぎ、岩は轟音と共に粉砕された。
地に散らばる破片を見つめ、皆が息を呑んだ。
何度も繰り返された演習の中で、動きは磨かれ、連携は研ぎ澄まされていった。
前衛が敵の動きを止め、中衛が確実に削り、後衛が攻撃と支援を担う。流れるような波状攻撃。
「……す、すごい……」
ミーシャは剣を握る手が震えていた。
彼女が知る限り、これほど完成された連携を行える隊など存在しない。王国の精鋭部隊でさえ、ここまでの調和はあり得ない。
「これが……カーヴェル殿の考える戦い方……」
唖然としながらも、胸の奥に熱が芽生える。羨望、憧れ、そして少しの焦り。
――私も、この人の隣に立ちたい。この人に見劣りしない団長でありたい。
訓練を終えた女騎士たちは皆、汗に濡れた顔を紅潮させていた。
「すごい……」「こんな戦い方、初めてです」「これならどんな魔物にも……!」
声が次々と上がり、士気はかつてないほどに高まっていた。
そしてミーシャは静かに拳を握る。
――私は女神の祝福を受けた者。ならば、この隊を率いるに相応しい存在にならねばならない。
その決意が、彼女の胸に深く刻まれていった。
(午後の練習)
昼食を終え、午後の陽が差し込む演習場に13人が整列していた。
大盾を構えるアルトルを先頭に、剣を構える者、槍を握る者、魔法陣を描く者、それぞれの顔に緊張と期待が浮かんでいる。
カーヴェルは腕を組み、静かに彼らを見渡した。
「――では午後は連携を重点に鍛える。お前たちは個々では悪くない。だが、連携は脆い。仲間を活かしきれない限り、強者と戦った時に一瞬で崩れるぞ」
その声には威圧感はないのに、場を支配する圧があった。
ミーシャは思わず背筋を伸ばす。彼の一言が心臓を掴むように響いたからだ。
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第一段階 ― 連携強化訓練
「まずは基本だ。アルトル、盾を構え前衛に出ろ。剣士たちは彼の周囲で回り込み、槍兵は中衛を固めろ。魔法組は後衛だ。ただ守るだけではなく、呼吸を合わせろ」
掛け声と共に始まった模擬戦。
アルトルが大盾を構え敵役の木人形を受け止め、つかさとマリアが左右から切り込む。
だが動きはまだぎこちなく、つかさの踏み込みとマリアの攻撃が被り、逆に隙を生んでしまう。
「遅い! 声を出せ! 相手の動きを見る前に仲間の動きを感じろ!」
カーヴェルの叱咤に二人が慌てて掛け声を合わせる。
「左から行く!」
「なら右は任せろ!」
ようやく息が合い、木人形の動きが封じられていく。
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第二段階 ― 中型魔物討伐訓練
次に現れたのは実際に捕獲されていた中型魔物。鋭い牙を持ち、唸り声を上げながら砂を蹴る。
サーシャが息を呑み、ナーリアが弓を引き絞った。
「射手、先制しろ。槍兵は牽制だ。剣士は突進を待ってから左右に分かれろ」
カーヴェルの指示は的確だった。
ナーリアの矢が魔物の脚を貫き、アルファームとクロエの槍が進路を阻む。
そこにフェリカが詠唱し、火球を放つ。爆炎が魔物を包み、つかさとミーシャが刃を振るった。
「よし、仕留めろ!」
最後はアンの大剣が振り下ろされ、魔物は地に伏した。
汗をぬぐいながらも、全員の顔には達成感が浮かんでいた。
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第三段階 ― 陣形強化訓練
「次は陣形だ。崩すのは簡単だが、立て直すのは難しい。――それを意識しろ」
カーヴェルの号令で、盾兵と槍兵を中心に三角形の布陣が組まれる。
だが魔法組が後衛に下がると、盾との距離が広がりすぎてしまう。
「ロゼリア、前に出ろ! 防御壁は後ろからでも展開できるが、回復は届かんだろう。仲間を守りたいなら一歩前に踏み出せ!」
叱咤にロゼリアの頬が赤らむ。だが勇気を振り絞り前に出た。
その瞬間、アルトルの盾と重なり、布陣がぐっと締まる。
「……いい。これなら長く持つ」
カーヴェルの短い評価に、皆の胸が熱くなる。
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第四段階 ― 包囲殲滅戦
最後は全員による実戦形式。訓練用の魔法獣が数体、幻影魔術で召喚される。
最初は半包囲。前衛が押さえ、側面から剣士が切り込み、弓と魔法が援護する。
「まだ足りん。包囲を狭めろ。獲物を逃がすな!」
カーヴェルの言葉と同時に、全員が互いの隙を埋め合うように動き、徐々に円を描く。
やがて魔獣たちは逃げ場を失い、一斉に斃れた。
訓練場に静寂が訪れる。
荒い息を整える仲間たちを見回し、カーヴェルは小さく頷いた。
「……悪くない。だが、まだ道半ばだ。今日学んだのは基礎にすぎん。強者と戦う時、基礎がどれほど大切か――いずれ思い知るだろう」
その声音には冷たさと同時に、確かな導きがあった。
ミーシャはその横顔を見つめ、心の底で思う。
――この人には、誰も抗えない。神か魔王か、それとも……。
そう感じさせる圧倒的な存在感だけが、午後の陽射しよりも強く胸に残っていた。




