奇跡の町
カーヴェルは朝の光を背に、ゆっくりと目を開けた。まだ薄闇の残る室内で、ロゼリアとフェリカの二人はすでに身を寄せ合い、彼の目覚めを待っていた。
「おはようございます、旦那様……」
甘えるような声で囁きながら、二人は当然のように彼の唇を求める。片方が軽く口づけをすれば、もう片方も負けじと唇を寄せ、まるでその瞬間こそが一日の始まりの儀式であるかのように。
最初は微笑みを返していたカーヴェルだったが、フェリカの瞳に熱が宿るのを見たとき、彼は小さくため息を吐いた。
「……フェリカ」
「だって、昨日の続きが……欲しいんですもの」
フェリカは耐え切れずに彼の首に腕を回し、身体を押しつけてくる。その様子にロゼリアも頬を赤らめながら視線を逸らすが、心の奥底では同じ欲を抱えていた。
そのとき、控えめなノック音が響いた。
「カーヴェル様、朝食の支度が整いました――」
ミーシャの声。
彼女は返答を待たずに戸を開け、一歩踏み入れた瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。絡み合う三人の姿、熱を帯びた吐息。
「っ……!」
顔が瞬時に真紅に染まり、ミーシャは慌てて戸を閉める。
外で待っていたカタリナが首を傾げた。
「どうしました、団長?」
「わ、私は……何も見ていない。見ていないのです……」
ミーシャは真っ赤な顔で呟き、念仏のように繰り返した。その異様な様子にカタリナは逆に心配を深めた。
――やがて、カーヴェルの一行は出立の準備を整える。
彼の魔術によって街道はまるで舗装されたかのように整地され、隊列は快調に進んでいく。荒れた山道も、彼の指先ひとつで平坦な道へと変わり、騎士団たちはただその背を見つめることしかできなかった。
昼前、彼らは目的地――プレートムーンに到着した。
しかし、そこで待ち受けていたのは歓迎ではなく、地獄そのものだった。
崩れ落ちた外壁、瓦礫に変わり果てた家々、焼け焦げた木材の残骸。石畳の隙間には黒い血が乾ききらず、重く澱んだ臭気が漂っている。至るところに転がる住民の亡骸。
女騎士の一人が膝をつき、嗚咽を漏らした。
「……ひどい……」
その声がきっかけとなったかのように、他の女騎士たちの目にも涙が浮かび始める。
ロゼリアもまた、唇を震わせながらカーヴェルの袖を掴んだ。
「こんな……これほどの惨状が……」
フェリカは言葉を失い、ただ死屍累々の光景を見渡す。
風が吹き抜け、崩れた屋根を軋ませる音が虚しく響いた。
死臭が鼻を突き、胸の奥にまで染み込んでくる。
誰もが言葉を失い、涙で視界が霞む中――ただひとり、カーヴェルだけは無表情のまま、その地獄を見下ろしていた。
ミーシャは瓦礫に膝をつく兵士の肩を叩き、騎士団長らしく毅然とした声で問いかけた。
「……生存者は? 被害はどれほど出たのです」
兵は涙を拭いながら報告する。
「……はっ……生き残った者は僅か……。亡くなった者は……八千を超えております」
言葉が終わると同時に、周囲は重苦しい沈黙に包まれた。
ミーシャは悔しげに唇を噛み、拳を固く握りしめる。その瞳は怒りと無力感で濡れていた。
そんな彼女の背後で、フェリカがカーヴェルの袖を掴み、震える声で懇願した。
「……お願いです、旦那様。どうか……どうか助けてください……! 前に村の人々も、ロゼリアも、アルファームも救ってくださったでしょう? あなたなら……」
フェリカの必死な瞳が、カーヴェルの胸を打った。しかし彼は周囲の視線を意識していた。ここで力を振るえば、彼が神に等しい存在だと明かすことになる。それは避けねばならない。
――何か策が必要だ。
カーヴェルは数秒の沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「ああ……そうか。だったら女神を呼べばいい」
「……え?」
ロゼリアとフェリカが目を丸くする。
「ロゼリア、この国の女神の名は?」
「アルフェエル……です」
「そうか。じゃあ、ちょっと来い」
カーヴェルは二人を人目のない森へと連れ出した。
「俺が女神に化ける。その間、ロゼリア……お前は俺になれ」
意味が理解できず首を傾げる二人。だが次の瞬間、カーヴェルは両腕を広げ、全身を回転させた。
神々しい光が迸り、光の中から姿を現したのは、もはや人ではなかった。
流れるような黄金の髪、透き通る玉のような白い肌。深緑の瞳は宝石のごとく輝き、全身は完璧に均整の取れた肢体。胸は豊満に、背は高く、存在そのものが「憧憬」であり「理想」だった。
女神――アルフェエルが顕現した。
フェリカとロゼリアは思わず声を失い、ただ見惚れる。
「では行こう。……ロゼリア、フェリカ。お前たちはミーシャの近くに」
「は、はい……」
ロゼリアは深呼吸し、カーヴェルの姿へと変化した。
「すごい……」
二人は互いに感嘆の声を漏らす。
――その頃。
ミーシャは兵たちの前でうなだれていた。
「本当に……ひどい有様だ……」と、カーヴェルに化けたロゼリアが呟く。
次の瞬間、天空から光が差し込んだ。
目も開けられぬほどのまばゆい光柱が降り注ぎ、その中心に現れたのは――女神アルフェエル。
「……っ! あ、あれは……!」
「まさか、女神様……」
信心深いミーシャは、膝を折って地に額をつけ、涙を流した。
「女神様が……降臨なさった……!」
アルフェエルは静かに、しかし響き渡る声で告げた。
「我が愛しき民よ。わらわはアルフェエル。災厄に倒れた者たちよ――わらわの愛と祝福を授けよう」
その声と同時に、光は一層強くなった。
倒壊していた建物が逆再生するように元に戻り、瓦礫が積み上がり家屋は形を取り戻す。
地に伏していた死体たちが呼吸を取り戻し、血の跡さえも消え去っていく。
「おお……」
「女神様……女神様……!」
人々は次々と立ち上がり、女神に感謝を叫んだ。
その奇跡に兵士も騎士も住民も泣き崩れる。
アルフェエルはゆっくりと歩み寄り、ミーシャの前に立つ。
「かの者と協力し、共にこの王国を支えなさい」
指先が示したのは、カーヴェルの姿を取るロゼリアだった。
ミーシャは全身を震わせ、号泣しながら答える。
「……仰せのままに……! 女神様のお導きに従います……!」
アルフェエルは柔らかに微笑み、ミーシャの額に口づけを落とした。
「……祝福を」
その瞬間、ミーシャの胸に熱が宿り、力が流れ込んでくるのを感じた。
感激のあまり、彼女はその場に気を失って倒れ込む。
人々が息を呑む中、女神は光に包まれ、ゆっくりと消えていった。
その場に残された者たちは皆、呆然としながらも膝をつき、女神の奇跡に祈りを捧げ続けるのだった。
プレートムーンの町は、数日のうちに「奇跡の町」と呼ばれるようになった。
壊れた家屋はすべて元に戻り、死者たちは蘇り、町全体が歓喜に包まれたからだ。
――その一方で。
森の奥。人目の届かぬ静かな場所にて、カーヴェルとロゼリアはゆっくりと元の姿に戻っていた。
「……どうやら、うまくいったようだな」
カーヴェルが肩を回しながら言う。
「本当に素敵でした……。私まで、本当に女神様が降臨したのかと錯覚してしまいましたよ。……なんちゃって」
ロゼリアは小さく笑いながらも、その瞳は尊敬と憧れに染まっていた。
フェリカも身を寄せ、ため息交じりに言った。
「まったく……あの演技力、大したものです。声まで完璧に女性……。旦那様、恐ろしいほど凄すぎます」
ロゼリアはふと首を傾げる。
「でも……なぜ、ミーシャに祝福のキスをしたんですか?」
「そうですよ、それ。私も気になっていました」
フェリカが追随する。
カーヴェルは軽く鼻を鳴らした。
「別にお前たちにするような“愛のキス”ではないだろう。ただの演出だ」
「……っ」
「……う……」
二人の頬は一斉に紅潮した。愛のキスという言葉を、まるで暗示のように心に刻み込まれてしまったからだ。
――その頃。
町ではミーシャが目を覚ましていた。
女神から額に受けた祝福のキスを思い出し、全身を赤らめながらベッドの上で転げ回る。
「わ、わたしに……わたしに……! 祝福をくださった……。女神様が……! 人生最高の……最高の幸せ……!」
感極まったミーシャは即座に執筆用具を取り出し、急ぎ王への報告書を書き上げた。
「この奇跡を……必ず王にお伝えしなければ!」
手紙を兵に託し、すぐに王城へと届けさせた。
一方カーヴェルは、ロゼリアとフェリカに厳しい口調で念を押す。
「このことは……内緒だぞ」
「はい、もちろん」
「旦那様のお言葉、決して忘れません」
二人は恭しく頷いた。
---
それぞれの仲間たちの反応は多様だった。
つかさ:「……やっぱりカーヴェルさんですよね。でも……声まで女性とは。やっぱりチート過ぎます」
アルトル:完全に信じ込み、「本物の女神が降臨なさった……!」と瞳を潤ませていた。
アルファーム:地に膝をつき、「ありがたや……ありがたや……」と涙を流す。
ホフラン:「本当に……いるのか、女神ってやつは……?」と疑問を抱きつつも、現実を目の当たりにして言葉を失っていた。
ロゼリア(心の声):「旦那様の演技……本物の女神みたいでした……」
フェリカ(心の声):「旦那様……すごく綺麗でした。女としても惚れ惚れしちゃう……」
ミーシャ:「女神様が……私に祝福を……! 生きてきた中で最高の人生の日だ!」
マリア:「ああ……私は神を信じます。今日から絶対に!」
サーシャ:「本当に……いたんだ……神様って……!」
アン:涙を浮かべ、「生きててよかった……女神様に会えるなんて……」
クロエ:「信じられない……けど……本当にいたんだ……」
ナーリア:涙を流しながら、「神よ……私も祝福してほしかった……」と震える。
カリスタ:複雑な表情を浮かべる。
「女神が本当に現れたのは嬉しい……でも、自分の姿を借りられるのは……なんだか変な気分」
こうして「奇跡の町・プレートムーン」は、王国全土に語り継がれる聖地となり、女神アルフェエルの名はより一層崇められることになるのだった。




