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好きだよ

カーヴェルの私室に、鋭い気配を放つ女性が入った。

「カーヴェル様、お初にお目にかかります。ミーシャと申します」


背筋を伸ばし、堂々とした立ち姿の彼女は、冷静でありながらも威圧的な存在感を放つ。白銀の髪が月光に照らされてきらめき、瞳には静かな覚悟が宿っていた。


砦の陰で風が鳴り、ミーシャの銀髪が薄い光を返した。灰を溶かしたようなグレーの瞳が、まっすぐこちらを見る。


失礼だとは思いつつ、気になったので 聞いてしまう「ミーシャ君は、何歳だ?」


「——なんですか、突然。三十二ですが……」


「若いわりに白髪が多いなと思ってな。相当、団長ってのは苦労するのか」


「違います。これは白髪じゃありません、銀髪です」


「……それは失礼なことを言った。許せ」


ミーシャは肩をすくめ、口角だけで笑う。

「慣れてます。生まれつきですから。祖母ゆずりの色なんです」


「なるほど。骨の色合いまで整って見える。戦場で映えるな」


「映えるより、消える方が得意ですよ」ミーシャは前髪を耳に払った。「夜戦じゃ、この髪は月光で溶ける。敵は輪郭を掴めない」


「確かに。じゃあ訂正しよう。若くして白くなったんじゃない。初めから月をまとってるだけだ」


「言い回しが上手いですね、英雄殿」


「お詫びの代わりだ。もう一つ——三十二にしては目が落ち着きすぎだ」


ミーシャは笑みを浮かべたあと、目つきを鋭くし本来の職務に精励する。


「ああ、それからログルが大会で不本意な成績だったため、私が代わりにカーヴェル様のお側で仕えることになりました」


カーヴェルは微笑みもせず、じっと彼女を観察する。

「足が痛いのか?ちょっと引きずっているように見えたが」


ミーシャは微かに身をすくめ、しかし毅然と答える。

「大丈夫です、問題はありません」


カーヴェルは無言で彼女に歩み寄り、手をかざすと瞬時に彼女の足の筋肉と靭帯を修復していく。数秒後、ミーシャは何事もなかったかのように立ち上がった。


「なるほど、この怪我で魔獣との戦いには出られなかったのか」

「はい、申し訳ありません、最初にあなたに見ていただければよかったです」


カーヴェルは無言で彼女の心を読んだ。ログルを監視役に据えるのではなく、彼女を任命した理由――それは単純に軍事的判断だろう。しかし、政治的側面も見逃せない。ミーシャは軍だけでなく、国王陛下の思惑や、騎士団内での影響力をしっかり掌握する人物だ。


「君の能力は優秀だ。だが、単純な監視役以上のことを考えているだろう?」カーヴェルは静かに問いかける。


ミーシャは微笑みすらせず、視線を少しだけ逸らす。

「カーヴェル様、私は忠実に命令に従います。ただし、騎士団の安定と王国の安全が最優先です」


内心、カーヴェルは考えた。彼女は表向き忠誠を誓っているが、その眼には鋭い計算が見える。軍事面だけでなく、政治的な駆け引きをも見越して行動する人物だと。


数時間前


ミーシャはジェシカのもとを訪れた。

「ジェシカ副団長、少しお話を」


ジェシカは警戒しながら応じる。

「何でしょう、団長」


ミーシャは静かに、しかし的確に問いかける。

「カーヴェル様について、君はどう思っている?」


ジェシカは顔を赤らめ、少し間を置く。

「……信頼しています。私たちを守ってくれる方です」


ミーシャは微かに眉を上げ、静かに笑う。

「それはいい。しかし、感情だけで判断してはいけない。軍事において、感情が判断を曇らせることがある。政治的圧力や国王の意向も常に考慮しなければならない」


ジェシカは少し戸惑いながらも頷く。

「……はい」


ミーシャはさらに、ジェシカの心に鋭く切り込む。

「覚えておきなさい、副団長。私の観察は、単にカーヴェル様の行動を監視するだけではない。もし、感情に流されて軍や民衆に迷惑をかけるなら、私が調整することになる」


ジェシカは少し怖気づくが、同時にミーシャの実力と冷静さに尊敬の念も抱く。

「……わかりました」


カーヴェルの存在、そしてミーシャの監視と助言――この二つがあることで、ジェシカは自分が副団長として成長するための指針を得ることになる。



ミーシャは静かに去る。部屋を出る際、その背中に鋭い気配を残し、カーヴェルの元へ戻る。カーヴェルは微かに笑みを浮かべた。

「やはり、君も政治的駆け引きを楽しむタイプのようだな」


ミーシャは振り向き、冷静に答える。

「戦場と同じく、政治も勝利には戦略が必要です。感情だけでは国は守れません」


カーヴェルは静かに頷き、自らの計算を再確認する。戦場も、政治も、そして人の心も――全てが複雑に絡み合う。だが、彼ならば、全てを掌握できる。





ジェシカは団長に呼ばれ、中に入り団長室の重い扉が閉じられると、ジェシカはその場に立ち尽くしていた。

ミーシャの言葉が頭の中で何度も反響する――


「もし彼が王国に背くようなことになったら、ジェシカお前はどちらに付くのだ」


その問いは、単純な忠誠心を超えた深い試練だった。心の奥底で、ジェシカは自分でも気づいていなかった感情の渦に巻き込まれる。


カーヴェルへの信頼、そして愛情。それは今や彼女の中で揺るぎないものとなっていた。しかし、軍人として、副団長としての責任、そして国への忠誠も同時に重くのしかかる。


「もし……」


頭の中で繰り返すその「もし」に、彼女の心臓は早鐘のように打つ。目の前に浮かぶ光景――カーヴェルが国を裏切る姿、王国が危機に陥る姿。どちらも恐ろしく、想像するだけで胸が締め付けられる。


しかし、それでも思い出すのは、魔獣たちを率いて戦い抜いたカーヴェルの姿。誰一人欠けず、国民を守り抜いたあの勇姿。あの時、彼女は確信した。彼は国を裏切る人間ではないと。


「……」


答えが出せないまま、汗が額を伝い、背中を冷たい緊張が走る。ミーシャはその様子を見抜いたのか、静かに言った。


「なるほど、よくわかった。帰っていい」


扉が閉じる音とともに、静寂が部屋を包む。ジェシカは深く息を吸い込み、拳をぎゅっと握る。


心の中は混乱していた――

愛と忠誠、感情と責任、友情と義務。全てが入り混じり、自分が本当にどの道を選ぶべきか、答えを見つけられずにいる。


だが、ひとつだけ確かなことがあった。

それは、カーヴェルを信じ、彼と共に国を守ることが、今の自分の使命であるということ。


ジェシカは深く息を整え、肩の力を抜く。顔には決意が浮かぶ。彼女はまだ若く、未熟かもしれない。しかし、副団長として、そして一人の騎士として、迷いながらも前に進む覚悟を胸に秘めたのだった。


窓の外、夜風が髪を揺らす。月明かりに照らされた彼女の瞳には、未来への強い意志が宿っていた。


「カーヴェル様……私、あなたと共に戦う……」


静かに呟くその言葉は、彼女自身の心を鎮めるためのものでもあり、未来への誓いでもあった。



ジェシカは団長室を出ると、胸の奥に残るざらついた違和感を押さえきれず、無意識に足がカーヴェルのもとへと向かっていた。

ミーシャ団長のあの問い──「もし王国に背くなら、どちらにつくのだ」──は、まるで心臓を氷の手で掴まれたかのような衝撃を残していた。答えを返せなかった自分を、彼女は許せなかった。副団長としての立場も、兵士としての矜持も、ただひとりの人間としての揺らぎも、すべてが複雑に絡み合い胸を締め付けていた。


やがてカーヴェルの執務室の前に立つ。戸を叩くと、低く「入れ」と声が響いた。扉を開けて中へ入ったジェシカの表情は険しく、怒りと焦燥と困惑が混ざり合っていた。


「カーヴェル様……先ほど、団長から……」

言葉を選びかねて口ごもるジェシカに、カーヴェルは机から視線を上げ、首を傾げる。

「……何だ?」


「団長が仰っていたのです。もしあなたが王国を裏切るようなことがあれば、私はどちらにつくのかと……」


次の瞬間、カーヴェルは腹を抱えるようにして笑い出した。

「ははははっ……! なんだそれは!」


「……っ!」

ジェシカの頬がみるみる赤くなる。こっちは必死に悩んでいるのだ。あれだけ苦しい問いをされ、答えも出せずにここまで足を運んだのに。真剣な想いを投げ出すように笑われたと感じ、怒りが込み上げた。


「な、何を笑っているんですか! 私は真剣に……真剣に心配しているんです!」

机に両手を突き出すようにして、ジェシカは身を乗り出した。


カーヴェルは笑いを収めると、穏やかな瞳で彼女を見返す。その余裕は、不思議と威圧感よりも安心感を与えるものだった。

「ジェシカ、お前は正直すぎるんだよ。言葉の表面だけを受け取るから、余計に混乱する。だから、そんな問いに惑わされてしまうんだ。」


「……正直すぎる、ですって?」

唇を噛むジェシカの瞳は、なおも怒りと羞恥で潤んでいた。


カーヴェルは立ち上がり、窓際へと歩む。外に広がる地図を思い浮かべるかのように、遠くの地平を見つめながら語る。

「もし本当に俺を危険視しているなら、王国はとっくに暗殺者を送り込んでいるさ。俺はそれくらいの立ち位置にいる。それをしてこない時点で、少なくとも今の王国は俺を必要としているということだ。」


「……」

ジェシカは息を詰めて聞き入る。


「それに考えてみろ。地図を広げればすぐにわかる。王国の東には魔族領、北には帝国が控えている。この状況で内戦なんて起こせばどうなる? 国力は一気に割れ、外敵に侵食されるのは目に見えているだろう。王国がそんな愚策を選ぶわけがない。」


カーヴェルの声は冷静で揺るぎなく、まるで戦場の布陣を読むように淡々としていた。だがそこにある確信は、単なる理屈を超えた自信と風格を帯びていた。


ジェシカはその姿を見つめながら、自分がいかに小さな枠に囚われていたのかを思い知らされる。

(やっぱり……この人はただの武人じゃない。戦況も国の未来も、その先まで見通している。私は……ついていけるのだろうか……)


彼女の胸には新たな動揺と、そして奇妙な安心感が同時に芽生えていた。


ジェシカ「私は小さい女です」


カーヴェル「ジェシカは そういった経験が不足しているだけで、能力がないわけじゃない、俺はそういう君が好きだよ」

 



――好きだよ。


それは恋愛の意味での「好き」なのか、それとも信頼や仲間への「好き」なのか。どちらであっても、彼の余裕に満ちた声音と、真っ直ぐに自分を見据える瞳は、心の奥深くにまで響いてくる。


ジェシカの心臓は大きく跳ねた。これまで数えきれない修羅場をくぐってきたのに、剣を振るう時でさえ感じなかった緊張が、今は胸を締め付けるように押し寄せる。頬に熱がこもり、視線を合わせ続けるのが難しい。


「……そんな、簡単に言わないでください。」


声が震えていた。自分がどれだけ必死で生きてきたか、どれだけ人に認められたいと努力してきたか。カーヴェルの言葉は、そのすべてを一瞬で肯定してしまう力を持っている。それが嬉しくもあり、怖くもあった。


彼女は思った。――私は本当に小さい女なのかもしれない。団長に問い詰められただけで答えを出せず、迷いに囚われる。それに比べて、カーヴェルは何事にも動じない。笑い飛ばし、全体を見渡し、余裕を保っている。その姿は、自分が決して届かない場所に立っているように思えた。


だが、そのカーヴェルが「そんな自分を好きだ」と言ってくれる。


ジェシカの胸に、言葉にできない温かさが広がっていく。自分の弱さを晒したことが、彼の前では恥ではなく、むしろ価値として受け止められる――そんな安堵感。


(……この人の傍にいたい。)


ふと、そんな思いが脳裏をよぎった瞬間、ジェシカは自分で驚き、慌てて打ち消す。副団長としての自分が、個人的な感情で揺れてはいけない。けれど、理性とは裏腹に、胸の鼓動はますます速さを増していた。


一方のカーヴェルは、微笑を浮かべたまま腕を組み、まるで彼女の内心をすべて見透かしているかのような落ち着いた表情を崩さない。その余裕は、ジェシカにとって羨望であり、また強く惹かれる要素でもあった。


カーヴェルにとってジェシカは、まだ経験不足な若き副団長。しかし、その真っ直ぐな誠実さこそが、彼にとって最も信頼できる宝だった。


――だからこそ彼は言ったのだ。「好きだよ」と。


その言葉は、ジェシカにとって今後の指針となり、心の奥底にずっと残り続けるだろう。

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