緊急事態
武道大会の熱気がようやく冷めたその夜――。
王都には束の間の静寂が訪れていたはずだった。しかし、その安寧は長くは続かなかった。
「――緊急事態です!」
王宮の門衛からの知らせが響き渡り、王宮内はたちまち慌ただしい空気に包まれた。
巨大スクリーンに映し出されたのは、東の大地を覆う影――膨大な数の魔獣たち。
その数、ざっと二千。
無秩序に駆け回り、西のプレートムーンの街はすでに破壊されつつあるという報告だった。
「このままでは……4日後、5日後には王都に到達する見込みです。」
参謀長のスティーブがメガネを押し直しながら説明した。
「帝国との戦争も控えていますので、全軍を投入するわけにはいきません。撃退には精鋭部隊を選抜し、集中的に攻撃をかける必要があります。」
王宮内は一瞬の沈黙。
各団長、副団長、王都に居合わせた何名かと、そして勇者つかさが席についていた。王都に残されたまともな戦力は、15師団――ジェシカ率いる女性騎士部隊しかいなかったのだ。この時ミーシャは大会で負傷し欠席していた。
「なぜ、他の部隊はここにいないのですか?」
ジェシカは落ち着いた口調で尋ねる。
「帝国進行を阻止するため、7師団以上を回廊に配置しています。」
スティーブがスクリーンを指差しながら説明した。
「加えて西の魔族国ヴァルディアの動きを警戒する必要があり、そこにも大戦力が駐屯しています。そのため、王都に残された戦力はわずかに15師団のみという状況です。」
少数精鋭――。しかし、その緊張感は王都の全員の肩にずっしりと重くのしかかる。
「……カーヴェル様を頼りましょう。」
ジェシカは静かに、しかし確固たる意志を込めて言った。
「彼ならば、この国を救い抜いてくれるはずです。」
騎士団の中には疑念も浮かぶ。
「いや、勇者や騎士たちだけでは到底防ぎきれないのでは?」
「この国の誇る防壁や罠を使ったとしても、あの数では……」
だがジェシカの瞳には迷いがなかった。
「私たちは精鋭の部隊です。訓練された私たちなら、少数でも戦力を集中させ、犠牲を最小限にしつつ戦えます。それに――カーヴェル様が加われば、状況は一変します。」
部屋の空気が少しずつ変わる。
王都の危機に直面し、議論は熱を帯びていく。
各団長たちは戦略や配置案を挙げ、スティーブは魔獣の行動パターンを分析し、王は沈黙のまま地図を睨む。
「結局、我々15師団と勇者つかさ、そして――カーヴェルの協力を前提に作戦を立てるしかないな。」
王の重々しい声が会議室に響いた。
その瞬間、全員の目に共通の決意が灯る。
魔獣の進軍を阻むため、王都を守るため――そして何より、この国を救うために――。
ジェシカは拳を軽く握りしめ、心の中で誓った。
「カーヴェル様、必ず……あなたと共に戦います。」
議論は深夜まで続いた。
戦力の配置、魔獣の撃退方法、民間人の避難ルート――。
すべてを緻密に計算しつつも、誰もが胸の奥で一つの希望を信じていた。
「――カーヴェルなら、この国を救える。」
王宮での緊急作戦会議は終わり、ジェシカは深く息を吐いた。
魔獣の侵攻は間近――王都の存亡は刻一刻と迫っている。
しかし、最も頼りにすべき存在――カーヴェルがここにいない。
ジェシカは決意を固め、ホテルに向かう。
静かな夜の街を駆け抜け、ついにカーヴェルが滞在している部屋の前に立った。
胸の奥に不安が渦巻く。
――魔獣の数、約二千。東の街はすでに壊滅寸前。王都まであと四日。
ドアをノックすると、カーヴェルは転移魔法で現れ、まるで予告でもしていたかのようにジェシカを迎えた。
「カーヴェル様、魔獣の侵攻です――」
ジェシカは息を切らしながら状況を説明した。
しかし、返ってきた言葉にジェシカは耳を疑った。
「勇者パーティーと第15師団が揃っているなら、余裕で片付けられると思うんだけどね。」
カーヴェルの声はいつも通り穏やかだが、どこかやる気のない響きがあった。
ジェシカは目を見開く。
「え……? あの数ですよ? 東の街は壊滅寸前、王都も危険が迫っている――!」
必死の声も、カーヴェルの表情は変わらない。
「君たちだけで十分戦えるとは思うけど……」
カーヴェルは少し目を伏せ、沈黙を挟んだ。
ジェシカはその様子に違和感を覚える。
「……罪悪感? まだ、あの件で……」
――三日三晩食事も取らずに働いたあの時のこと。
あの夜、ジェシカと過ごした罪悪感が、まだカーヴェルを縛っているのだ。そして 昨晩も
ジェシカは深呼吸して、意を決した。
「カーヴェル様……お願いです! あなたの力が必要です。勇者パーティーだけでは、どうしても不安です。王都の民も、仲間も、あなたの力を信じています!」
カーヴェルは静かにジェシカの瞳を見つめた。
そこには迷いのない、強い意志があった。
その熱意が、カーヴェルの胸に届く。
「……わかった」
カーヴェルは静かに頷き、拳を握る。
「君がそこまで言うなら、出陣しよう。魔獣の掃討、始めるか。」
ジェシカはほっと息をつくと、胸の奥で熱いものが込み上げた。
「ありがとうございます、カーヴェル様……!」
その夜、二人は作戦の細部を詰め、役割を確認した。
ジェシカは冷静に戦術を整理しつつも、心の奥底ではただ一つの希望を信じていた。
――カーヴェルと共に、この国を守る。
朝が来る前、王都の灯りが夜の闇に揺れる中、二人の決意は固まった。
そして明日、魔獣たちとの戦いが始まるのだ。




