畏敬
霧の森
草原を抜け、森に入ったときだった。濃い霧が漂い、視界を奪う。
やがて、霧の奥からガチャリと乾いた音が響いた。白い骨が月光を反射し、無数のスケルトンの軍団が姿を現した。
「来るぞ!」
アルトルが盾を構え、つかさが剣を抜く。フェリカは詠唱を始め、ホフランは風を集めて陣を敷く。
だが、その中でただ一人、カーヴェルだけは一歩、また一歩と前へ進み出た。
「カーヴェルさん! 危ない!」
「下がってください!」
「……いや、大丈夫だ」
彼が近づくと、スケルトンの群れは動きを止めた。まるで時間が凍ったかのように。
「何が起きているの……?」
一行は困惑し、ただ息を呑むしかなかった。
カーヴェルは静かに呟いた。
「お前たち……その剣を振るうな。彼らには良心がある」
「良心? スケルトンに?」
皆の理解を超えていた。
だがカーヴェルは彼らの声を聴いていた。残滓となった魂の慟哭を。
「彼らはかつて人間だった。村を野盗に襲われ、無残に殺された者たちだ。女たちは辱めを受け、子どもたちは斬り捨てられ……その怨念が、村を守るために骨となって立ち上がった」
その言葉に、仲間たちは剣を下ろした。
「そんな……」
「じゃあ、彼らは敵じゃないの?」
「敵ではない。むしろ、守護者だ」
カーヴェルはスケルトンたちを見つめ、深く息を吸った。そして両手を広げると、眩い光が全身から迸った。
光は暖かく、優しく、一体一体の骨に染み渡る。
砕けた骨が肉を纏い、白骨が血潮を取り戻し、やがて人の姿へと変わっていく。
数百のスケルトンが――一斉に人間へと還ったのだ。
「うそ……」
「信じられない……」
「これって……神の奇跡……?」
呆然と呟く冒険者たち。
蘇った村人たちは歓声を上げ、互いに抱き合い、涙を流した。長き苦しみから解放され、生を取り戻した歓喜に震えながら。
「……死んだ時より、少し若返らせてやった。人生をやり直すといい」
カーヴェルは淡々と告げる。
そして彼は、荒れ果てた村そのものに手をかざした。大地が震え、朽ち果てた建物が蘇り、井戸に清水が満ち、食料までもが出現する。
村は一瞬にして生き返った。
村人たちは跪き、涙ながらに感謝を叫ぶ。
「神よ……! ああ、神よ!」
仲間たちは息を呑んだ。
――この男はいったい何者なのか。
答えはただひとつ。
カーヴェル・プリズマン。その正体は、かつて神々に断罪された軍神マルスに他ならない。
彼の前では、死すらも意味を持たなかった。
仲間たちの心理
――奇跡。
その言葉でさえ、この場で起きた光景を表すには足りなかった。
数百の骸骨が一斉に人へと還り、滅びた村が瞬く間に再生する。
それは伝承の神々ですらそうそう行わぬ、絶対的な「創造」の力だった。
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神道つかさ
勇者として幾多の試練をくぐり抜けてきたつかさでさえ、目の前の光景に声を失っていた。
(なに……これ……。私が今まで「奇跡」と信じていた女神の加護ですら、こんなことは……)
胸の奥が震える。恐怖と憧れと、そして心のどこかで芽生える「ときめき」。
彼がこちらを振り返るたびに、心臓が跳ねるのを抑えられない。
(この人は……神なの? それとも……もっと違う何か?)
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アルトル
盾戦士アルトルは、現実主義者だ。敵の数、地形、味方の体力――戦況を常に冷徹に測る性格をしている。
だが、今だけは計算が成り立たなかった。
(数百人を一瞬で蘇らせる? 村を丸ごと再生? 馬鹿げている……だが、目の前で起きた事実は否定できない)
握った盾の重さを確かめる。己の強靭な腕力が、いかにちっぽけかを思い知らされた。
(俺の剣も盾も、彼に比べればただの玩具だ……)
羨望と、劣等感。だが同時に――強者に従う安心感。
アルトルは知らず知らずのうちに、カーヴェルを「絶対的な後ろ盾」として心に据えていた。
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フェリカ
ハイエルフの魔術師フェリカは、誰よりも魔力の理を理解している。
だからこそ、この現象が理解できなかった。
(……再生の魔術? いや違う。蘇生術でもない。根本的に「次元」が違う。これは世界の法則を塗り替える力……)
魔導書に記された最古の呪文ですら、死者を一人呼び戻すのが限界。
だが彼は笑うように、数百を同時に、村ごと再生させてしまった。
エルフとして長命を生き、数百年分の叡智を誇る自分が……この男の前では無知な子どもに等しい。
その事実に、震えるほどの屈辱と同時に――抑えがたい魅了を覚えていた。
(もし彼が神だというのなら……私は信じる。女神ではなく、彼を)
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ホフラン
風の魔導士ホフランは、現実的に考えるよりも直感で動く男だった。
彼は誰よりも早く「恐怖」を感じ取っていた。
(やばい……やばいやばい……これは俺たちが関わっていい存在じゃない)
カーヴェルの力は圧倒的だ。だが、そのあまりの力は同時に恐ろしくもあった。
もし気まぐれで自分たちを消し去ったら? もし彼が敵に回ったら?
風を読む直感が、危険信号を告げ続けていた。
だが一方で、彼の優しさにも気づいていた。
骸骨たちの哀しみを聞き取り、涙を流したあの姿は……決して怪物ではない。
ホフランは心の中で葛藤していた。
(俺は……彼を信じていいのか? それとも距離を取るべきなのか……)




