副団長として
王国の訓練場に戻ったジェシカは、早朝から剣を振るい続けていた。
風を切る音と鋼の響きが、心のざわめきを少しずつ落ち着かせる。
先日のカーヴェルとの出来事は、未だ胸の奥に熱く残っている。
あの夜の感覚――抱かれ、身体の変化に気づき、そして心が震えたこと。
思い出すたびに顔が熱くなる。
だが、日常は容赦なく彼女を現実に引き戻す。
鍛錬の途中、訓練場の入口から大股で歩いてくる男の姿があった。
ログル――第3師団長。ジェシカにとっては因縁の相手だ。
「相変わらず綺麗じゃねえか。俺のものになればいいのによ」
笑みを浮かべながら近づく彼の目には、いやらしい光が宿っていた。
「誰がお前なんか」
ジェシカは剣の柄を握り直し、眉間にしわを寄せて答える。
ログルは肩をすくめ、気取ったように言った。
「相変わらず気が強いな、お前は」
ジェシカの脳裏には、自然とカーヴェルと自分を比較する映像が浮かぶ。
カーヴェル――彼は太陽。
ログル――それはゴミ。
「ところで、何用でここに? 男の入れる場所じゃないわよ」
剣を下げながら警告するジェシカに、ログルは平然と笑った。
「まあまあ、怒るなって。これを持ってきたんだよ」
ログルはジェシカに向かって紙を差し出す。
「今日から、お前がやっているカーヴェルの監視、俺が代わりにやるってことさ」
「何……だと……!!」
ジェシカは声を荒げ、手が微かに震えた。
国王からの勅命だという。それをどうすることもできない無力感に、胸が締め付けられる。
「まさか国王陛下が……」
心の中で呟くジェシカ。
もし、村やカーヴェル様に危害が及んだら、どうなるのだろうか――。
ログルは笑いながら去っていく。
「そういうこった。じゃあな」
振り返るジェシカの胸には、不安と同時に、ほんの少しの安心感もあった。
――カーヴェル様なら、きっと何とかしてくれるだろう。
その後、新人の女性騎士見習いたちが、恥ずかしそうに近づいてきた。
「副団長、指導をお願いしたいのです!」
ジェシカは深く息を吸い込み、頷く。
「わかった。しっかり見るから覚悟しなさい」
訓練は厳しく、だが丁寧に進められた。
新人たちが真剣な目で技を繰り出すたび、ジェシカは細かく指導し、身体の使い方や心の入れ方を伝えた。
訓練が終わると、見習いたちは一斉にジェシカを見つめた。
「副団長、前より綺麗になったと感じます!」
褒め言葉に、ジェシカは少し照れくさそうに笑う。
ふと鏡に映る自分を見て、息を呑んだ。
27歳――歳を重ねているはずの自分の顔には、シワもくすみもなく、胸元も張りを取り戻していた。
剣で鍛えた筋肉はもちろん、全身に若々しい輝きが宿っている。
「あ……これ、あの時……カーヴェル様と……」
思わず頬を赤らめ、指で触れる。
かすかに残るイヤリングの煌めきが、あの夜の記憶を鮮明に呼び起こす。
鏡の前で小さく笑みを浮かべるジェシカ。
――身体も心も、あの人と交わったことで、新たな力を手に入れたのだと実感した。
剣を握りなおし、ジェシカは目を細めた。
「さあ、今日も鍛錬だ……負けない」
身体の変化と心の決意が、彼女を一層強く、そして美しくした。
その背には、誰にも負けない自信と、カーヴェルへの愛の余韻が揺れていた。
ジェシカは第15師団での任務を着実にこなす日々を送っていた。副団長として指導にあたるだけでなく、女性だけで構成された1万人規模の部隊をまとめる統率力も求められる。
最初は、部下たちに気を使いながらの指導だったが、カーヴェルとの経験を経て得た力と自信が、彼女の振る舞いを変えていた。剣の扱いだけでなく、瞬時に状況を判断し部下の動きを先読みする能力は、まるでカーヴェルと模擬戦をした日々の延長線のようだった。
「副団長! 次の演習、私たちを試してみてください!」
新人たちの声に応じ、ジェシカは微笑む。
「いいわ。今日は本気でいくから覚悟しなさい」
演習場では、ジェシカの動きは以前とは別人のように鋭く、速く、美しかった。
指示ひとつで部下たちが動き、戦術を瞬時に修正する。
他の師団長たちからも、「第15師団はジェシカ副団長がいるからこそ成り立っている」と密かに評判になっていた。
そんな折、軍内でも彼女に因縁のある第3師団長ログルの動きが報告される。
「……あの男か……」
ジェシカは胸中で小さくため息をついた。
カーヴェルとの時間を経て、自分の心と体が変化したことに気づいているからこそ、ログルの言動や接近にも以前ほど動揺しなくなっていた。
その強さと冷静さは、部下たちにとっても安心感をもたらす。
「副団長の判断なら間違いありません!」
そう信じてついてくる若い騎士たちの瞳に、ジェシカは小さく頷く。
そして、任務の合間には必ず村とカーヴェルのことが頭をよぎる。
王国での立場を確立することは、同時に村とカーヴェル、そして村人たちを守るための力を蓄えることでもあった。
「もし村に危険が及ぶことがあれば、私が盾になる」
心の中で誓い、指示書に目を通す手に力が入る。
訓練、演習、部下への指導――すべてが彼女の地位を固める土台となり、同時に、村とカーヴェルへの思いを支える日常となっていた。
ある日、軍の高官から面談の要請が来る。
「ジェシカ副団長、あなたにはさらに高い責任を任せたい」
部下たちが見守る中、彼女は静かに頷く。
「ありがとうございます。必ず期待に応えます」
その夜、ジェシカは一人、受け取ったイヤリングに触れる。
カーヴェルが自身の居場所を知る手段としてくれたもの。
触れるたびに心が安らぎ、同時に強さを奮い立たせる。
「私はこの力で、私の大切なものを守る――カーヴェル様も、村も、そして部下たちも」
鏡の前で剣を握り、軽く構えるジェシカ。
長身の白い肌、若返った体、そして戦士としての威厳。
かつての自分からは想像できないほどの強さを、今の彼女は身につけていた。
軍での地位を固め、力を蓄え、守るべきもののために動く――それが、ジェシカの新しい日常であり、彼女なりの愛の形でもあった




