三万対千五百
夕陽が村の屋根を黄金色に染めはじめたころ、転移魔法の光が消え、パーティーは静かな草原に立っていた。眼下には懐かしい村が広がり、遠くから子どもたちの笑い声や煙の匂いが漂ってくる。
「……え、ええええ!? い、今の何!? なんでこんな芸当ができるの!?」
真っ先に叫んだのはフェリカだった。驚きのあまり目を丸くし、他のメンバーも同じく言葉を失っていた。
ロゼリアも唇を噛みながら、「ずっと隠してたのですか?」と疑うように問いかける。
カーヴェルは肩を竦めて答えた。
「隠してたわけじゃない。一度行ったことがない場所には転移できないんだ。だから今まで使えなかっただけさ」
その一言で一同は顔を見合わせ、「なるほど……」と腑に落ちるようにうなずいた。
その時、風を切るように駆けてくる小さな影があった。栗色の髪を揺らし、瞳を潤ませながら、アンジェロッテが叫ぶ。
「パパ、おかえりなさい!」
その声に、カーヴェルの表情が一瞬で柔らかくなる。彼は膝をつき、駆け寄ってきた少女を抱きしめ、優しく頭を撫でた。
「ただいま、アンジェロッテ」
その温かな光景に、村人たちも次々と集まってくる。歓声が沸き起こり、祝祭のような空気が広がった。ダンジョンを最初から最後まで完全に攻略した者など、この地にはいなかったからだ。勝利者としての凱旋は、村全体を歓喜で包み込んだ。
セリーヌもまた人間として迎えられ、子どもたちに囲まれたり、村の女性たちから食べ物を差し出されたりして、慣れない幸福に頬を染めていた。
「……こんな温かい歓迎、夢のようですわ」
彼女がそう呟くのを聞いたカーヴェルは、ただ静かに微笑んだ。
しかし、その安らぎは長くは続かなかった。
日が傾き、村人たちが夕餉の準備を始めたその時、馬の蹄音が遠方から響き渡る。砂煙を上げて現れたのは伝令兵だった。息を荒げ、叫ぶように告げる。
「アステル帝国が攻め寄せています! 王国軍は持ち堪えられず、国王陛下直々に、勇者殿へ救援の勅命を……!」
一瞬にしてざわめきは凍りつき、村の喜びは絶望に塗り替えられる。
カーヴェルの脳裏に、「王国の道具」という言葉が過った。己が利用されるだけの存在である現実。しかし、彼はそれを心の奥に押し込み、冷静に問いかける。
「状況を詳しく話せ」
伝令がためらいがちに口を開こうとしたその時、反対の声が上がる。
「なぜあなたが命じる権利を持つ!?」
だが、つかさが涙ぐみながら必死に頼んだ。
「お願いです、カーヴェル様に……説明してください!」
伝令は観念したように報告する。
「帝国軍は三万。我が軍は……わずか千五百」
その瞬間、空気が重く沈む。圧倒的な戦力差、風前の灯火。つかさの顔は絶望に染まり、大粒の涙が零れ落ちた。
「わ、私の判断力がなかったせいで……どうすればいいのか、もう……」
その姿を見て、カーヴェルは小さく息を吐き、膝をついてアンジェロッテの前に屈んだ。
「アンジェロッテ、ごめんな。パパは大切な友達を助けに行かなきゃいけないんだ」
その言葉に、少女の瞳が揺れる。
「……また、帰ってきてくれるの?」
カーヴェルは迷わず頷き、にっこりと笑った。
「当たり前だろ。少し出かけてくるだけさ」
その言葉を聞いたつかさは、堪えきれず泣き崩れた。
「カーヴェル様……来てくださるんですか……? 一緒に戦ってくださるんですか……!」
「つかさ」
カーヴェルはその目をまっすぐに見つめた。
「当然だろう。友人が困っているのに、放っておけるわけがない」
つかさは大粒の涙を流しながら、言葉を詰まらせる。
「……ありがとうございましゅ……」
その場にいた仲間たちも次々と涙を浮かべた。ロゼリアもフェリカも、普段の強がりを忘れて目元を押さえ、アルファームでさえ黙ってうなずいた。だが同時に、カーヴェルが加わったことで「負ける」という不安は誰の胸にも消えていた。
彼の存在は、それだけで戦局を覆す光だったのだ。
そして、夜の帳が下りていく村の中で、カーヴェルの決意は確かに形を成していった。
――新たな戦いの幕が、音を立てて開かれようとしていた。
夕陽が西の山々に沈みかける頃、村の広場にはパーティー全員が揃い、出発の準備を整えていた。空気は夕陽に染まり、赤と金色が混ざる幻想的な景色の中、村人たちは静かに見守る。
アンジェロッテは、パパであるカーヴェルにしがみつき、顔を埋めて離れようとしない。
「パパ……やっぱり行かないで……」
小さな声は震えていた。
カーヴェルは膝をつき、優しく抱きしめたまま頭を撫でる。
「大丈夫だよ、アンジェロッテ。すぐに帰ってくる。約束する」
少女は涙をこぼしながらも、うなずき、手を離した。
「でも、早く帰ってきてね……」
その言葉に、カーヴェルは微笑み、そっと額にキスを落とす。
村人たちも、勇者たちの活躍を知る者は口々に感謝と励ましの言葉をかける。
「気をつけて行けよ!」
「無事に戻ってこい!」
「我らの希望を背負ってくれ!」
その中には、涙を拭いながらも力強く手を振る老人や、子どもたちを抱きしめる親の姿もあった。つかさは目を潤ませ、心の中で自分を奮い立たせる。
「皆さんのためにも、絶対に成功させなければ……」
ロゼリアとフェリカは少し離れた場所で、カーヴェルの背中をじっと見つめ、言葉は出さずとも覚悟を共有していた。セリーヌも人間の姿でその場に立ち、初めて見る温かい村人たちの表情に心を打たれていた。
アルファームやホフラン、アルトルも、それぞれ村人に敬礼し、感謝の意を示す。村全体が勇者たちを見送り、まるで大きな家族の一員を見送るかのような静かな熱気が広がっていた。
カーヴェルは全員に目配せをすると、ゆっくりと前に進む。アンジェロッテは最後まで手を振り、声を上げて叫んだ。
「パパ――――!」
その声が風に乗り、村の隅々まで響き渡る。カーヴェルは振り返り、微笑みを浮かべながら手を振る。
「行ってくるよ、アンジェロッテ」
村人たちも一斉に手を振り、拍手と歓声を送った。日没の赤い光の中、勇者たちは、未来をかけた戦いに向かって、静かに歩き出す。
夜風に揺れる草の香りと共に、村とアンジェロッテの笑顔が遠ざかり、勇者たちの旅路は新たな局面へと進んでいった。
夕暮れの風が砦の石垣を揺らし、赤い光が城壁に反射する中、勇者たちは馬を駆り、砦を目指して突進していた。カーヴェルは片手をかざし、馬たちに身体強化の魔法をかける。瞬く間に馬たちの筋肉は膨張し、動きは俊敏さを増す。速度計などないが、誰の目にも明らかに尋常ではない速さだった。時速100kmを超える勢いで、つかさたちは強風に身を押されながらも必死に体を馬に押し付けて耐える。
「こんな……速すぎる!」フェリカが叫ぶ。ロゼリアも必死に鞍を握る。「カーヴェル様、落ち着いてください!」しかしカーヴェルは笑いながら言う。
「大丈夫、馬たちには負担をかけていない。安心してついてこい」
夜が深まると、暗闇を照らすためにカーヴェルは魔法でライトを点灯させ、まるで街灯が続くように道が明るくなる。星空の下、砂塵を巻き上げながら走る馬群は、まるで戦場を駆け抜ける竜のようだった。
六時間ほどの奔走の末、ついに王国砦の前に到着する。砦を守る女副騎士団長ジェシカ・スティールは、剣技と魔法双方に優れた天才であり、王国でも五本の指に入るほどの実力者だ。彼女は少人数の兵で必死に防衛線を維持していた。外部からの援軍到着までの時間稼ぎをしていたのだ。
つかさはジェシカと合流し、互いに敬礼を交わす。
「つかさ殿、よく来てくれた。頼もしい勇者と認めよう」
つかさは真剣な眼差しで応える。「ジェシカ様、皆さんを守るために来ました」
その背後から、カーヴェルが静かに現れ、軽く頭を傾ける。
「この采配、俺が振ってもいいだろうか?」
ジェシカは険しい顔で睨む。「何者だ、お前は? なぜここに?」
つかさが説明する。「こちらは私のパーティーメンバー、カーヴェル・プリズマンです。彼は並外れた魔力を持つ魔導士です」
ジェシカは眉をひそめる。「君が信頼するのは分かるが、私にはただの男にしか見えん」
カーヴェルは微笑み、肩をすくめる。「失敗すれば俺の責任、成功すればあんたの手柄でいい。俺は国の名誉など求めない、友人を失う苦痛に比べれば微々たるものだ」
ジェシカは嘲笑する。「生意気な口を利くな、だが何ができるか見せてみろ」
つかさが強く言う。「彼なら可能です。これまで共に戦ってきた実績があります」
カーヴェルは肩を揺らし、敵陣を見据える。「3万の帝国軍か……まあ、退屈せずに遊べそうだ」
ジェシカは呆れ顔を隠せないが、つかさや仲間たちは顔を強張らせる。ロゼリアが声を張る。「貴方にはカーヴェル様の凄さが分かっていない!」
フェリカも続く。「開いた口が塞がらなくなるほどの力です!」
カーヴェルは砦の外郭に降り立つと、冷気がローブの隙間を抜けた。視線の先、帝国軍の城塞が黒く横たわっている。こちらの砦までは、地図なら指一本ほど——実測で四キロ。そのあいだを、削り取った谷のような幅二百メートルの石原がまっすぐ結んでいた。まるで二つの拳の間に挟まれた回廊だ。ニヤリ勝ち誇ったような顔をする。ものすごい跳躍力で砦に戻る。
「何なの あの跳躍力は」ジェシカは唾を飲み込む
カーヴェルは手を高く掲げると、天空に巨大な魔法陣が現れた。天を貫く光の柱のように、魔法陣は巨大な拡声器となり、彼の声を全軍に届ける。
「帝国軍諸君、私は大魔道士カーヴェル・プリズマンだ! 君たちは3万の軍勢を誇るらしいが、君たちがやろうとして行動は無能であり無謀である。
我ら王国軍の精鋭1500人に比べればただのお前たち帝国三万などゴキブリの烏合の衆に過ぎぬ! 今ならまだ間に合ぞ、さっさと家に帰り。恋人たちに慰めてもらえ、なんなら母の乳でも吸って出直してこい!」
ジェシカ「なっ、これでは敵を怒らせているだけではないか!!敵は我を忘れて突撃してくるぞ」
帝国軍グローバル伯爵「おのれ〜、我が軍を愚弄しおって、望み通り消し炭にしてやるわ〜ぁ、全軍突撃だぁ~
」グローバルは我を忘れて3万の軍は砦に猛攻を仕掛けた。
カーヴェルのその挑発的な言葉に、帝国軍兵士たちも怒りに燃え、グローバルの号令と共にこの狭い回廊に大量の軍勢が突撃を開始する。
兵たちは勢いよく砦に向かうが、砦付近近づくと次々と帝国兵が消え失せる。
「何が起きた……?」ジェシカもつかさも唖然とする。カーヴェルはにやりと笑う。「ちょっと遊んでるだけだ」
数十分のうちに、帝国軍3万はまるで蒸発したかのように消え去り、砦付近にはわずか200人ほどが残るのみとなる。
転送門の残光が空気に溶け、回廊は嘘みたいに静かになった。 三万の鉄のうねりが、ひと息のあいだに——いない。
最初に破れたのは沈黙だった。 「助かった……!」誰かが膝から崩れ、甲冑の手で地面を叩く。 「やったーっ!」盾が打ち鳴らされ、槍の石突きが石畳を跳ねる。 「万歳! 万歳!」声が連なり、砦の壁が太鼓のように震えた。 泣き笑い、嗚咽、笑い、罵声まじりの歓声。抱き合う者、兜を抱いて空に掲げる者。 安堵で吐く兵もいれば、震える手で水袋を掴む兵もいる。生き延びた胸の鼓動が、千五百の身体でいっせいに鳴った。
カーヴェルは軽やかに跳躍し、城塞の門上に立つ。帝国兵が攻撃するも、まるで空気を斬るかのようにかわし、次々と格闘術で兵を無力化していく。数百メートルを駆け抜け、念話でつかさに指示を送る。「敵は制圧した、急いで敵の城塞を占拠しろ」
瞬く間に、500人ほどの兵が帝国城塞を占拠した。
ジェシカは目を見開き、言葉を失う。「信じられん……一人で……3万を?」
しかし、現実は目の前の光景が全てを物語っていた。城塞はすでに王国の手にあり、帝国軍は恐怖と混乱の中に消えたのである。
つかさも仲間たちも、圧倒的な現実にただ唖然とするばかりだった。勇者たちの目の前に、戦局を一変させる圧倒的な力が存在することを、まざまざと見せつけられた瞬間だった。
砦の広間に静寂が戻った。焦土と戦の匂いが残る中、ジェシカ・スティールは立ち尽くし、頭を抱えていた。目の前の光景は、常識では考えられないものだった。わずか数十分で、3万もの帝国軍が忽然と消え去ったのだ。どう考えても、これは人間業ではない――。
「一体……どうして……?」ジェシカは震える声で問いかけた。その目には驚きと困惑、そして恐怖が混じっていた。
カーヴェルは肩に手を置き、にやりと笑う。「あれか、あれは回廊の幅に合わせて“転送ゲート”を作っただけさ。しかもかなり大規模なやつだ。帝国軍の突撃隊を、この回廊を通じて一方通行で送り込んだ。つまり、突撃した瞬間に自分たちの家に“おかえり”になるってことだ。」
ジェシカは目を見開き、理解が追いつかないまま言葉を吐く。「……だから、奴らを怒らせ、煽ったのか?」
「そういうことだな」とカーヴェルは軽く肩をすくめる。「俺はただ、仲間を守りたかっただけだ。あとは敵が勝手に自滅してくれた」
その言葉には冷徹さと同時に、揺るぎない確信が宿っていた。ジェシカは無意識のうちに息を飲む。圧倒的な魔力、常識を超える知力、そして戦場で示された非凡な判断力――全てが彼を特別な存在にしていた。
「ちょっと待ってくれ……」ジェシカはカーヴェルの腕を掴み、思わず引き止めた。目の前の男――いや、魔導士の存在に、自分の心が少しずつ揺らいでいることを感じていた。
カーヴェルは微笑み、ゆっくりと彼女に視線を向ける。「今回の件は君の手柄ということでいいな。俺は関わらなかった。仲間を救った、それだけだ」
ジェシカの頬に淡い熱が走る。戦場での冷静な指揮、無駄のない魔法の使い方、そして戦後の言葉――全てが彼女の心を打った。戦う女騎士として、頭では理解できる。しかし、心の奥底で芽生えた感情は――理屈では抑えられないものだった。
「……わ、分かったわ。今回のことは……あなたの力も含めて、しっかりと記憶に刻む」ジェシカはぎこちなく頭を下げた。だがその声には、尊敬だけでなく、確かな好意の色が含まれていた。
カーヴェルは軽く肩をすくめ、微笑む。「さて、俺はもう帰るとしよう。仲間が待っている。戦場に立ち続けるのは俺の役目じゃない」
ジェシカはその背中を見つめ、言葉が出なかった。圧倒的な力に魅了され、理性を超えて心が動く――そんな瞬間を、自分自身でも認めざるを得なかった。
砦の空に沈む夕陽が、二人の影を長く伸ばす。戦いの後の静けさの中で、ジェシカは胸の奥で小さくつぶやいた。「……カーヴェル・プリズマン……」
戦場に立つ者として、そして女性として――その瞬間、彼女の心には確かな敬意と淡い恋心が芽生えていた。圧倒的な力の前に、理性は揺らぎ、心は素直に応えるしかなかったのだ。
カーヴェルの歩みが砦を離れる。彼の背中は夕陽に染まり、無造作でありながらもどこか威厳に満ちていた。ジェシカはその姿を見つめ、胸に深い決意を刻む。
「……私も、あの力に見合う者にならなければ――」
砦に残る王国兵たちも、戦いの余韻と共に、ただただ圧倒されたまま息を整える。戦場での勝利と、それを支えた一人の魔導士――その存在は、後の歴史に刻まれることになるだろう。




