甦り
パーティーは巨大な螺旋階段を慎重に下り、地下の空間へと足を踏み入れた。階段の終わりには、暗く重厚な扉が立ちはだかっている。セリーヌは手を翳し、魔力で扉を開くと、部屋の奥から薄く青白い光が漏れ出した。
「さあ、ここからが本番です。我がご主人様」セリーヌの声が響き、どこか挑発的だがその余裕に圧倒される。
部屋に入ると、無数の魔獣が待ち構えていた。竜のような鱗を持つ大型の獣、鋭い角を突き立てる獣、黒煙をまとった影の獣……。その数は十を超え、どれも異様に巨大だ。
「気を抜くな。今回は油断できない」カーヴェルが静かに告げ、パーティー全員に最高強化の魔法を付与する。空気が一瞬光に包まれ、仲間たちはその力に驚愕した。剣や魔法の威力が桁違いに上がり、身体能力も限界を超えていた。
「よし、行くぞ!」つかさの勇者としての叫びが響き、前衛に立つアルトルとつかさ、アルファームが並ぶ。後衛にはフェリカ、ホフラン、ロゼリア、そしてカーヴェルが控える。セリーヌもまた、カーヴェルの横で敵を注視している。
最初の魔獣が突進してきた。アルトルは盾で受け止め、つかさが剣を振り抜くと、一撃で敵の鎧鱗を切り裂いた。アルファームが精密魔法を放ち、敵の動きを封じる。後衛の魔法陣から、フェリカとホフランが連携魔法を発動させ、竜のような魔獣を完全に制圧する。
次々と魔獣が襲い掛かるが、勇者つかさの剣技は冴え渡る。カーヴェルの指示のもと、全員が完璧な連携を見せ、魔獣たちはまるで豆腐を切るかのように次々と倒れていった。セリーヌも時折、敵の攻撃を闇魔法で無効化し、パーティーの盾となる。
戦いが終わると、部屋には倒れた魔獣の影と、仲間たちの息遣いだけが残った。仲間たちは興奮と達成感で顔を輝かせ、カーヴェルは静かに微笑む。
「……さて、次は財宝の探索だ」カーヴェルが言い、仲間たちは目を輝かせる。部屋の奥には古代の宝箱がいくつも積まれており、光を反射してキラキラと輝いている。
「これ……全部、私たちのものになるんですか?」ロゼリアは目を見開いた。
「もちろんだ。だが、慎重に取り扱え。罠や魔法が施されている可能性がある」カーヴェルは魔法陣を用いて安全を確保し、仲間たちは順番に宝箱を開けていった。
中には金銀財宝、古代の魔法書、魔力を秘めた装飾品がずらりと並ぶ。アルファームは魔力を帯びた装飾品を手に取り、分析を始める。ホフランは慎重に魔法書を確認し、フェリカは小さな宝石を集める。
「……まるで夢のようだ」つかさは呟いた。手にした剣と宝物を見比べ、改めてパーティーの力を実感する。
「ここまで無事に来られたのも、カーヴェルのおかげですね」アルトルが言うと、カーヴェルは軽く肩をすくめた。
「油断しなければ、まだまだ行ける。だが、次の階層はさらに危険だ。準備を怠るな」
パーティー全員は頷き、緊張感と興奮が入り混じる中、さらに深くダンジョンの奥へ進む覚悟を固めた。
つかさは大きく伸びをして、深呼吸をひとつした。
「はぁ……さすがに疲れたね。ここまで一気に走破するなんて、私も初めてだよ。今日はここで一泊しよう、みんなもそれでいい?」
仲間たちは一様にうなずき、疲労を隠せない表情で腰を下ろした。
するとカーヴェルが何事もなかったかのように、懐から小さなマジックバッグを取り出す。
「では、いつものように」
バッグの口を開くと、そこから光が溢れ――次の瞬間、石造りの広間に場違いなほど豪奢な屋敷が現れた。
その場にいた全員が呆気に取られる中、初めて目にしたセリーヌは息を呑んだ。
「な、なんですの……? 屋敷が、袋から……?」
幽鬼であった頃には経験し得なかった驚愕が、表情に刻まれていた。
「そういえば、君に見せるのは初めてだったな」
カーヴェルは穏やかに笑った。
「これが俺の隠れ家さ。マジックバッグに収めた屋敷――言うなれば、時代と場所を超えて存在できる拠点だ」
セリーヌはその荘厳な佇まいにしばし見惚れたあと、ふっと視線を落とした。
「……やはり、あなたはただの人間ではありませんわね」
そんな彼女に、カーヴェルはゆっくりと問いかけた。
「セリーヌ。君は――人に戻りたいか?」
その一言に空気が凍った。
炎に照らされる仲間たちがざわめき、セリーヌ自身も一瞬言葉を失った。
「わたくしが……人間に?」
かつて人としての生を奪われ、霊体として彷徨い続けた己。思いがけぬ提案に、セリーヌは目を伏せ、考え込む。長い沈黙ののち――。
「……望んでもよろしいのなら、受け入れたい。ですが、その器となる肉体は?」
視線が仲間たちをなぞった瞬間、全員が慌てて一歩下がる。
「わ、私ムリです!」
「オレも絶対イヤだぞ!」
「悪いけどゴメンだ」
悲鳴混じりの拒否の声が飛び交い、場は混乱しかけた。
だがカーヴェルは首を横に振り、静かに言った。
「いやいや、君たちじゃない。……この子だ」
そう言ってマジックバッグから取り出したのは、透き通るようなカプセル。その中に眠るのは、白いドレスに包まれた少女だった。時が止まったように穏やかな顔で、静かに眠り続けている。
「この人は……一体誰ですの?」
ロゼリアが恐る恐る問いかける。
カーヴェルはしばし少女を見下ろし、遠い記憶を辿るように語り始めた。
「……君たちに話したことがあるな。五百年前、大貴族に世話になったと。その時、俺が請け負った任務の一つがこの子を救うことだったんだ」
静寂が落ちる。
「大貴族の娘だった彼女は、同じ貴族に拉致されていた。俺はエージェントとして動き、命がけで彼女を奪還した。あのときは笑顔を取り戻したが……数年後、彼女の魂は消え、肉体だけが生き残ってしまった。恩人は未来に託すことを決め、この冷凍カプセルに眠らせた」
仲間たちは言葉を失った。信じ難い物語。しかし目の前に横たわる少女の存在が、それを真実と告げている。
「彼女の魂は、もう戻らない。だが肉体はまだ生きている。……だから、セリーヌ。君の魂をここに託すのが最善だと考えた」
その言葉に、セリーヌの瞳が震える。
やがて彼女は、すっと背筋を伸ばした。
「……なるほど。そういうことでしたら、ご主人様。喜んで――この体を受け入れましょう」
次の瞬間、彼女の霊体は柔らかな光となって少女へと吸い込まれていった。美しい栗毛の色の髪が魂が入る事によってセリーヌの髪の黒に染められて行く
やがて、長い眠りから目覚めるように少女のまぶたが震え、ゆっくりと開かれる。
「……あ……」
吐息と共に声が漏れた。
白い手が持ち上がり、ぎこちなく空を掴む。脚がわずかに震えながらも床を踏みしめる。確かめるように、何度も。
「温かい……温かいぬくもりを、感じます……」
その瞬間、彼女の目から涙が零れ落ちた。
「まさか……まさか、こんな日が来るなんて……」
仲間たちはただ立ち尽くす。誰もが言葉をなくし、その奇跡を信じきれずにいた。
だが、やがてつかさが震える声で言った。
「……本当に、人間に……戻ったんだね」
フェリカは口元を押さえ、ぽつりと漏らす。
「怖いと思ってたけど……今は、なんか……すごく綺麗」
ロゼリアは胸に手を当て、複雑な感情を噛みしめるように呟いた。
「これが……カーヴェル様の選んだ道。やはり、常識では計り知れませんわ」
ホフランは腕を組み、低くうなる。
「……人智を超えた存在。それがカーヴェル殿なのだな」
アルファームは目を細め、ただ一言。
「これで……彼女にも、未来が与えられたわけだ」
新たに肉体を得たセリーヌは、涙を拭いながらカーヴェルに頭を下げる。
「ご主人様……この恩は、生涯忘れません」
こうして、かつてレイスであったセリーヌは人として蘇り、仲間として新たな一歩を踏み出した。
夜の帳が下り、焚き火の残り香が漂う中、食後のひととき。
人の姿へと戻ったセリーヌが、控えめながらも甘やかすような声音で口を開いた。
「ご主人様……食事も終わりましたし、今夜はお風呂にご一緒しませんか? 私が背中を洗って差し上げます」
柔らかな微笑みと共に差し出されたその提案に、場の空気が一瞬止まる。
しかし次の瞬間、雷鳴のように響いたのは二人の怒声だった。
「「ふざけないで!!」」
声が重なる。息の合い方は完璧だが、その激情は互いに向けられていた。
ロゼリアが立ち上がり、宝石のような瞳を怒りに揺らす。
「旦那様と入るのは私。背中を流すのも、隣で湯に浸かるのも、私の役目……それは私の台詞なの!」
すぐさまフェリカが食い下がる。金の髪を振り乱し、唇を噛みしめながら叫んだ。
「あんたじゃない! 私だよ! 私こそ旦那様に相応しいのに……その至高の役を奪うなんて許せない!」
互いに一歩も譲らぬ視線がぶつかり合い、まるで剣戟の火花のように空気が張り詰める。カーヴェルは旦那様?いつ結婚したのかと真剣に思考を巡らす
セリーヌは苦笑しながら小さく肩をすくめた。
「まぁまぁ……そんなに睨まないで。私はただ、恩返しのつもりで――」
「黙りなさい!」ロゼリアとフェリカが声を揃えて遮る。
怒りの矛先は完全にセリーヌへと集中していた。
仲間たちは――アルファームは頭を抱え、アルトルは額に手を当て、つかさは深々とため息をついた。
「また始まったか……」
「毎晩恒例になりそうだな……」
呆れと諦めの混じる空気。だが、争う二人の心情にはそれぞれの切実さが宿っていた。
ロゼリアは拳を胸に当て、震える声を漏らす。
「私は……カーヴェル様にずっと寄り添っていたいの。だから誰にも譲れない。背中を流すことひとつだって……私にとっては大切な証なの」
フェリカもまた、瞳を潤ませて言い返す。
「私だって同じ……いいえ、それ以上。カーヴェル様を支えたい、喜ばせたいって気持ちは誰にも負けないのよ。だから……絶対に渡さない!」
二人の激情は止まらない。火照った頬、震える声、そして心の奥に隠した独占欲。
それを目の当たりにした仲間たちは、ますます呆れ顔になるしかなかった。
「……お風呂一つで、ここまで修羅場になるか?」
「俺たち、明日の戦闘より神経すり減るぞ……」
だが、この修羅場を前にしても、ご主人様――カーヴェルは眉一つ動かさなかった。
「……ふむ」
ただその一声で、場が静まる。ロゼリアもフェリカも、思わず動きを止め、彼の言葉を待つ。
「気持ちは理解した。お前たちの思いは、よく伝わってくる」
その声音は穏やかでありながらも、絶対的な威厳を帯びていた。
「だが、争いで決めることではない。互いを貶めるのではなく、互いを高め合うようにしろ。……そうすれば、誰が隣に立つべきかは自然と決まる」
その言葉は不思議と胸に染み入り、先ほどまで火を吹いていた二人の瞳に、わずかな揺らぎを与えた。
「カーヴェル様……」
「……っ、でも……」
それでも言い返したい気持ちはある。だが、不思議と声が続かない。彼の言葉は矛盾なく、正しさだけでなく深い慈愛に満ちていた。
仲間たちは心の中で「さすがだ」と思わず感嘆する。神々しさすら漂うその采配に、呆れ顔をしていたアルファームも、思わず真顔に戻った。
――事態の収拾、それはまさに神がかっていた。




