星落つる夜
「マルス被告を辺境へ流刑とする。」
厳かに響いたその宣告は、神々の宮廷に冷たい波紋を広げた。
弁護もなく、証拠も提示されない裁判。あまりに露骨で、誰の目にも不自然だった。
それでも神であるマルスには、反論することさえ赦されなかった。神が神に逆らえば、それは秩序の破壊とみなされる――それがこの世界の理。
マルスは悔しさを胸に押し込み、ただ静かに天を仰いだ。
黄金の玉座に並ぶ神々は、彼の沈黙を嘲笑うかのように杯を掲げ、優越の微笑みを浮かべる。
「人間に肩入れした報いだな」と誰かが囁く。
神のくせに人を愛した、神のくせに涙を流した、神のくせに人と共に戦った――それが彼らの口にする“罪状”だった。
マルスは神として人間を導き、光と知恵を与え、戦禍の時代に何度も人々を救ってきた。
しかし、神界において“愛”は美徳ではない。支配と敬畏こそが神の在り方とされ、下界への慈しみは秩序を乱す異端とされた。
ゆえに、マルスの存在は次第に疎まれ、恐れられ、そして排除の標的とされたのだ。
今回の“作戦失敗”――それは表向きの罪状にすぎない。
神界の中枢で何者かが意図的に情報を歪め、証拠を消し、マルスを陥れるよう仕組まれた計略。
誰が仕掛けたのか、その名はまだ闇の中だが、全てがあまりに整いすぎていた。
彼を追放するための舞台は、初めから出来上がっていたのだ。
「……神であっても、正義を語ることは許されぬのか。」
鎖に繋がれた両手を見下ろし、マルスは静かに呟く。
彼の声は誰にも届かず、ただ空虚に消える。
だが、その瞳にはまだ光が残っていた。
その光を唯一理解していたのが――女神ヴィーナスだった。
彼女だけは、最後までマルスの無実を信じ、神々の前でも一歩も引かなかった。
「この裁きは誤りです。彼は罪を犯していない。」
その言葉に一瞬、会議の空気が揺らぐ。だが、議長神の一喝が全てを封じた。
「ヴィーナス、これ以上の弁は不要だ。」
それでも彼女は、マルスに一瞥を送り、静かに微笑んだ。
“私は信じています。どうか、生きてください。”――その瞳がそう語っていた。
やがて鉄鎖が引かれ、マルスは白の回廊を歩き出す。
遠く、神界の天蓋の向こうで風が鳴った。
流刑――それは終わりではない。
マルスにとって、それは始まりだった。
誰が真に神であり、誰が偽りの正義を掲げる者なのか――その答えを掴むために。
星落つる夜
草原を渡る夜風はひんやりと頬を撫で、夜空には無数の星々が散りばめられていた。
勇者・神道つかさは仰向けに寝転がり、黒髪を草の上に広げて夜空を見つめていた。彼女の横顔には、失った仲間たちへの痛みが影を落としつつも、どこか遠い星に想いを馳せる儚さが漂っていた。
その時、星のひとつがひときわ大きく瞬いた。否、それは輝きを増しながら急速に地表へと近づいてくる。
「……あれは?」
つかさが息を呑む。炎を纏った光の塊が、轟音を伴い草原の先に墜ちた。地面を揺るがす衝撃に、眠っていた仲間たちも跳ね起きる。
「まさか……隕石?」
フェリカが眉を寄せ、ホフランは風を操り周囲の気流を探る。アルトルは既に盾を握りしめ、臨戦態勢に入っていた。
「調べに行くべきだろう」
「ええ、ただの隕石ならいいけれど」
4人は互いに頷き合い、火の手を上げる墜落地点へと駆け出した。
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そこには、巨大な岩塊ではなく奇妙な金属の残骸が横たわっていた。焦げ付いた外殻は赤熱し、異様な匂いを放っている。
そして、その影からひとりの男が姿を現した。
長身にローブを纏い、手には異質な武器――高熱を放つブラスターを下げているがその武器がどんな武器なのかはこの時代の人間にはわからない、漆黒の瞳に宿る光は、ただの旅人とは思えぬ威圧を放っていた。
つかさが警戒しつつも声をかける。
「あなたは……どなたですか?」
男は一瞬だけ思案するように目を細め、やがて口元に笑みを浮かべた。
「……いや、驚かせてしまったかな。俺はただの旅人さ。名は――カーヴェル・プリズマン」
その声音はどこか芝居がかっており、しかし確信めいた自信を漂わせていた。
つかさは小さく頷き名乗り返す。
「私は神道つかさ。こちらはアルトル、フェリカ、ホフランです」
「ふむ……君たちはこの辺りの冒険者かな?」
「そうです。あなたは一人旅のようですが……よければ私たちと同行しませんか?」
提案に、カーヴェルはあえて肩を竦めてみせる。
「孤独な旅にはもう飽きていたところだ。そちらの仲間たちが許すなら、ぜひ」
20分の協議の末、冒険者たちは彼の同行を受け入れた。
焚き火の元に戻ると、つかさは改めて彼の横顔を盗み見た。その佇まいには何かを秘める気配――ただの人間ではない何かが漂っている。
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もちろん彼の正体は軍神マルス。かつて悪魔を討つ戦いにおいて冤罪で神々に断罪され、この辺境の惑星へと幽閉された存在である。
だが、己の素性を明かすつもりはなかった。
――俺が神だと言ったところで、誰が信じる。むしろ狂人扱いされるだけだ。
ローブの下で、不敵な笑みが浮かぶ。
いずれ真実を知られる時は来るだろう。だが今はまだ、人間のふりをしておくのが最も合理的。
こうして、冒険者の一行と一柱の軍神――奇妙な旅の同伴が始まった。
夜空に散る星々は静かに瞬き、この邂逅を祝福するかのように淡く輝いていた。
翌朝の邂逅
夜明けの光が草原に差し込み、薄い霧を透かして黄金色の光が一行を包んだ。
焚き火の残り火がかすかに赤く光を宿し、その周囲で五人は目を覚ます。
ふと、皆が無意識に視線を交わす。新しい仲間――カーヴェル・プリズマンの存在を確かめたかったのだ。
そして見た。
朝靄の中に立つその顔は、男女の区別すら超えたかのような美貌。中性的でありながら凛とした線を持ち、目を合わせれば胸の奥がざわつくほどの神秘を湛えていた。
つかさはその一瞬、息を止めるほどの衝撃を受けた。
(……なに、このイケメン。やばい、心臓が変になる)
心の中で叫んだ彼女は慌てて視線を逸らす。勇者としての威厳を保ちたかったが、頬の赤みは隠せなかった。
フェリカもまた同じだった。彼の横顔を見ただけで、頬どころか耳の先まで熱を帯び、息を呑んだ。亡き仲間への想いをまだ引きずっているはずなのに――それでも心がときめくのを止められなかった。
カーヴェルはそんな彼女たちの動揺を意に介さず、淡々と口を開く。
「……さて、君たちはこれからどこへ向かう?」
つかさが代表して答える。
「ダンジョンに向かいます。自分たちの力と向き合い、もっと強くなるために」
「なるほど」
カーヴェルは小さく笑みを浮かべた。その眼差しはまるで子どもの成長を見守る親のように柔らかい。
「ならば、まだまだ君たちは伸びる余地がある。だが、道のりは長いぞ」
「本当に? 私たち、もっと強くなれるんですか?」
仲間たちが目を輝かせて問いかける。
「……ああ、だが慢心するな。命を失えば、そこで終わりだ」
淡々と告げるその声音に、妙な説得力があった。
つかさが興味を抑えきれずに尋ねる。
「カーヴェルさんは……今まで何をしてきたんですか?」
わずかに沈黙。彼は過去を思い出すように目を閉じた。
「――ボディガードのようなものだ。雇われて、命を張って守る。それが俺の仕事だった」
脳裏に蘇るのは、かつて人間に姿を変え、エージェントとして生きた日々。依頼をこなし、時に血を浴び、時に嘲笑を受け――それでも淡々と、ただ職務を果たしてきた。
その思い出を押し殺すように、彼は話を切り替える。
「そういえば……そのダンジョンにドラゴンはいるか?」
「えっ? いないと思いますけど……」
フェリカが首をかしげる。
「そうか、残念だ。捕まえて配下にしようと思ったんだがな」
冗談とも本気ともつかない言葉に、一行は言葉を失った。ドラゴンを倒すだけでも至難の業。それを「配下にする」など、人間の理では考えられない。
だがカーヴェルの表情は真剣で――誰も笑えなかった。
通常のファンタジーでは、戦い、勝ち、強くなっていく。
力で相手をねじ伏せ、仲間の犠牲を糧に成長する――そんな物語が王道です。
けれど、この物語では、あえてその“逆”を描きたいと思いました。
誰も死なせない。
敵であっても、命を奪わない。
それは甘さではなく、強さの証明にしたい。
マルスが神でありながら人を愛したように、
“救う”という行為そのものを最大の戦いとして描きたいのです。
戦場において剣を振るわずに勝つこと、
絶望の中でも憎しみではなく理解を選ぶこと――
それは何よりも困難で、何よりも勇敢なことだと思うからです。
この物語は、力や復讐ではなく、慈愛と理知で世界を変える物語です。
味方を守り、敵を赦し、そして最後にはすべての命を繋ぐ――
そんな“静かに強い物語”を目指して書いていきたいと思います。




