7.《讃美歌》の日常
午後の陽射しが石畳を照らす頃、再びエドさんと合流した俺は、《讃美歌》のクラブハウスへと戻ってきた。
赤い屋根の三階建て、その姿が見えると、なんだかほっとする。
「戻ったぞー!……ダイトも、ほら」
先に扉を開けて入っていくエドさんの背を追いかけて、中へ。
「た、ただいま戻りましたー!」
玄関ホールには、すでに何人かの団員たちが集まっていて、談笑している声が聞こえる。
「おかえり、エドさん。お、今日も弟子付き?」
「おう。こいつ、午前中ずっとクラフトしてたんだぜ。集中しすぎて、ほっといたら昼までやってやがった」
「まじか。やる気あるじゃん、ダイトくん」
「そ、それなりに……です」
名前を覚えてもらっていたことに、少し驚きつつ、頭をかいた。
と、そのとき。
「ぅわぁぁ〜!おかえりぃぃぃ〜!」
2階の階段から転がるように降りてきたのは――くま。
正確には、くまの着ぐるみを着た少女だった。
体型は小柄で、くりっとした瞳。
手には瓶詰めの何かを持っていて、口調も動作もやたらと可愛らしい。
「ノラさん、落ち着いてください……階段、危ないですって」
「えへへ〜ごめんごめん。でも、でもねっ!」
ノラさんは全力で手を振りながら、こっちに駆け寄ってくる。
中身はプレイヤーだって分かってるけど、正直、反応に困るほどに“可愛い”が詰まっている。
「これ、ダイトくんが作ったポーションだよね?試験皿に残ってたの、こっそりチェックしちゃったっ」
「え……ああ、はい。あれはほとんど失敗作、ですけど」
「うんうんっ!色は緑で、最低品質だったけど、ちゃんと薬草がとけてて、魔力の通りもあったよ。最初にしては、すっごく良くできてると思うなぁ〜」
ノラさんは手に持っていた試験瓶を差し出して、ぽふっと俺の胸元に押し当てた。
彼女は《讃美歌》もう一人のクラフターだ。
会うのは一昨日顔合わせをして以来だが、ポーション類の作成は基本彼女が担当しているらしい。
「この色、見てごらん?」
淡く緑がかった液体が、中で小さく波打っている。
「保存効力は三日くらい。戦闘直後に飲む分なら、実用範囲内。エドさんに教えてもらったんだよね〜?」
「はい。基礎だけですが……エドさんが丁寧に教えてくれて」
「ふーんふーん……よーし!じゃあ今度、一緒に“泡立つ薬湯”でも作ってみよっか!」
「……それって、回復薬、ですか?」
「ちがーう!くまちゃん専用の癒やしアイテムだよ!」
「……癒やし、アイテム?」
軽く眩暈がしそうになりながらも、なんとか愛想笑いで返す。
「ま、ノラの言う“癒やし”は置いとけ。とりあえず、クラフト評価は合格だとよ」
エドさんが口を挟んでくれて、ようやく話が落ち着いた。
「よし、ひと休みしてから、準備だな。森の素材採り、団長の言う通りならこの後行くんだろ?」
「はい。……がんばりましょう」
このクラブハウスにも、少しずつ馴染んできた気がする。
――――――
談話スペースでしばらく休憩した後、早速森に行く準備を始める。
今回は、ムギさん、エドさん、ノラさん、そして俺の4人がメンバーだ。
向かったのは、《讃美歌》のクラブハウス一階にある装備保管庫。
壁際のラックには武具や道具がずらりと並び、整備された状態で保管されている。
軽装から重装、作業向けの装備まで、種類も豊富だ。
「おーし、装備チェックだー。新人ダイトくんには、これとかどうかな〜」
ノラさんが両手で抱えるように差し出してきたのは、薄手の革のジャケットと簡易ポーチ、それに硬質素材の小型バックパックだった。
くまの着ぐるみの袖口から、小さな手が器用に伸びるたび、まるで人形劇を見ているような錯覚に陥る。
「サイズ、合うかなぁ……んー、合わなかったら、ノラがちくちく縫ってあげるねっ」
「ありがとうございます……たぶん、大丈夫です」
試しに羽織ってみると、驚くほどしっくりきた。
どうやら最初から調整してくれていたらしい。
「ふむ……悪くない。だが軽装だな。こいつ本当に森で大丈夫なのか?」
横から口を挟んできたのはエドさん。
自分の装備はというと、肩当てに胸甲、膝には鉄板。
完全な重装備だった。
「エドさん、森で戦争でもするんですか?」
「馬鹿言え。森には何がいるか分からんだろうが。言っておくが、俺も最初は戦闘担当だったんだぞ」
「えー?ビビってすぐに止めたくせにー」
ノラさんが笑いながら指を差すと、エドさんが少し赤くなる。
「ちっ……ま、護衛兼運搬係だと思えばいいさ。お前ら、ちゃちゃっと準備済ませろ」
「ノラの分も、これ持ってってくれると嬉しいなぁ〜」
ノラさんは小さなポーチを差し出しながら、ぱたぱたと袖を揺らしてエドさんの背中にぴたりとくっつく。
くまの耳がちょこちょこ揺れるのを見て、後方にいた団員のひとりが「癒やされるな……」とぽつりと呟いた。
ひと通り装備の準備を終えた頃、クラブハウスの奥から軽快な足音が聞こえてきた。
「お待たせ〜。みんな準備できた?」
ムギさんがいつもの笑顔を浮かべて現れる。
今日は動きやすそうな軽装の上に、鮮やかなスカーフを巻いているのが特徴的だ。
「団長、あんたまたそれ着てんのかよ。派手だって言ってるだろ」
「えー?いいじゃん。今日は採集だけなんだし目立ってナンボでしょ?」
ウインク混じりに言うムギさんに、エドさんが呆れたように肩をすくめる。
一方ノラさんはというと、スカーフの端を指でつまんで――
「ふふっ、ムギのスカーフって、ちょっとおしゃれなんだよね〜。ノラもほしいなぁ〜」
「いいね、それ。今度お揃いにしよっか!」
わちゃわちゃと女子(と着ぐるみ)の会話が続くなか、エドさんが「行くぞ」と小さく声をかけて、俺たちはクラブハウスの裏手に停めてある魔導車へと向かう。
今回乗るのは、大きめの馬車ほどのサイズで、屋根と扉付きのワゴン型。
4人乗り仕様で、外見はどこかクラシカルな雰囲気だった。
「はいはーい、乗って乗って〜!ムギ運転しまーす」
運転席にひょいと乗り込んだムギさんが、ハンドルの横に設置された操作盤に手をかける。
俺は助手席に、後部にはノラさんとエドさんが並んで乗り込んだ。
「しかし、また増えたな。新規の渡り人」
エドさんが後部座席から呟くように言う。
「うん、この数日だけでも十人以上。傭兵団もいくつか欠員が出てるし、今ちょうど動きがあるタイミングだね」
ムギさんが前を見たまま、さらりと返す。
「やっぱり、クラフター志望の渡り人も……」
「何人かは居るだろうね。店を持ちたいって人も居るだろうけど――」
そこでムギさんは少しだけ声を落とし、続ける。
「素材の確保もだけど、やっぱり“見栄え”って大事なんだ。クラフターはどうしても同じことの繰り返しになっちゃうからね。だから傭兵団に入って、定期的に依頼に出たり、戦闘サポートしたりしてる」
「ノラも〜、ずっとこもってばっかだと眠くなっちゃうから〜、外に出るのはだいじ〜」
「お前はどっちにしろ眠そうだろ……」
そんなエドさんの突っ込みにも、ノラさんは「ふわ〜」と小さくあくびをしながら、くま耳をぴょこぴょこと揺らす。
ムギさんは言葉を濁したが、“見栄え”とは、おそらく配信上の見栄えのことだ。
確かに戦闘が少なめで、クラフトシーンが続くとなると、視聴者的には物足りないものになりかねない。
「でも、ダイトくんには合ってると思うよ?今はどの傭兵団もクラフターに理解あるし、選択肢も多いから」
バックミラー越しに、ムギさんが俺の方をちらりと見る。
「焦らず、ちゃんと自分に合った形を見つけていこうね」
その言葉に、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
俺は、小さく頷いた。
そうこうしているうちに、視界の先に緑の濃い木々が広がり始める。
目指すは、《森の境界地帯》。
初級素材である【回復草】の群生地だ。