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6.クラフター見習いの第一歩

 《VOIDLINE》を始めて五日目。

 少しずつだけど、この世界の空気にも慣れてきた……つもりだ。


 この世界と日本の間には、ちょうど6時間の時差がある。

 多くの渡り人は、日本のゴールデンタイムに合わせて、夜にログインする。

 視聴者が最も多い時間帯だからだ。


 でも、俺はどうしても無理だった。

 会社勤めの頃に染みついた生活リズムは、そう簡単に変わらない。

 深夜に起きていることができなくて、結局いつも、日本時間で午後3時――この世界の朝9時にログインしている。


 当然ながら、視聴者は少ない。

 けど、昨日はひとりがコメントで「頑張って」と残してくれた。

 それだけでも、俺には十分すぎるくらいだった。


「エドさん、おはようございます!」


 扉を開けて声をかけると、玄関ホールの奥からごつい体格の男が振り返った。


「おう、ダイト。今日も早いな」


 ここ3日、俺が通っているのは、ハニアサルンの中心街に近い赤い屋根の三階建て――傭兵団《讃美歌》のクラブハウスだ。

 いかつい外観とは裏腹に、中は整頓されていて、談話スペースから作業場や備品倉庫、連絡掲示板なんてものまで、ひと通り揃っている。


 そして、俺は今、ここで《クラフター見習い》として活動しているのだ。


 目の前にいる強面の男――エドさんは、《讃美歌》の物資調達担当。

 クラフトの基礎を教えてくれている、いわば俺の師匠だ。


 荒っぽい口調だが世話焼きな性格で、道具の扱いから素材の管理、クラフトの基本まで、たった二日でびっしりと叩き込まれた。


「今日の予定、午後から森へ採集に行くって、ムギさんが言ってたんですけど……」


 そう口にすると、エドさんの眉がぴくりと動いた。


「……俺は聞いてねぇな。あの人、また勝手に話進めやがったか」


 ぼやきながらも、エドさんは道具棚から作業用の革手袋を取り出して俺に放った。


「まあいい。素材取りなんざ、いずれは避けられねぇ。が、気を抜くなよ。特にお前みたいな“ひよっこ”はな」

「はいっ、気をつけます!」


 ムギさん――俺をこの団に紹介してくれたあの人は、実は《讃美歌》の団長らしい。

 ……とはいえ、団長っぽい風格はあまり感じない。

 自由人というか、気まぐれというか。

 その日気が向いた団員と連れ立って出ていくこともしばしばらしく、今回の素材採集もきっと、そんな“ノリ”なんだと思う。


 ちなみに、《讃美歌》の傭兵団は定員12名。

 今は埋まっていて、俺はあくまで見習いでしかない。


 見習いの期間は一週間。

 その後どうするのかは、まだ決まっていない。


 だが、不思議と焦りはない。

 ここで過ごすことで、自分自身の成長を感じられているし、無駄なことは何一つないと思っているからだ。


「ムギさんの話では午後の採集はエドさんも一緒だそうですよ」

「あぁ、俺も?まったく団長も困ったもんだな……」


 エドさんは一度固まって、困った表情を浮かべる。


「てことは……、急いで準備を終わらせねぇとな。すまんダイト、俺は市場に行ってくるから留守番しといてくれ」

「は、はい。行ってらっしゃいです」


 エドさんは、点検作業中の武器を床に置いて、大慌てでクラブハウスを飛び出していく。


(……俺が留守番で大丈夫なのか?)


 留守番と言われても、初心者の俺に出来ることなんて、ほとんどない。

 俺は扉に鍵をかけてから、作業場へと移動する。


 ここは団員以外の立ち入りが制限された空間で、クラフターの作業台や調合器具が一通り揃っている。

 けれど、今の俺にはまだ、そんな大層な設備は使いこなせない。


 俺がアイテムボックスから取り出したのは、初心者用のクラフトキット。

 エドさんから「せめて自分の分くらいは作れるようになれ」と渡された、木箱入りの簡易セットだ。


 箱の中には、小型の鍋、耐熱皿、薬草ナイフ、計量スプーン、それに少量の素材。

 今回は、【回復草】を使って、体力回復薬を作ってみることにした。


「……よし、やってみよう」


 まずは、水の煮沸。


 備え付けの小鍋に水を注ぎ、魔法で下に火を灯す。


「……《エンバー》」


 練習を重ねてようやく発動できるようになった、初級の火属性魔法。

 手のひらから小さな赤い火玉が生まれ、それを鍋の下にそっと触れさせると、ふっと火が灯った。


 ――ぱちぱち、と静かに燃える音。

 俺の魔力が宿った炎はまだ不安定で、熱量も心許ないが、それでも鍋の中の水は、徐々に気泡を立てはじめた。


(……ここまでは、うまくいってる)


 沸騰したタイミングを見計らって、刻んだ回復草を投入する。

 火を少し弱め、木べらで静かに混ぜながら、魔力を注ぐように意識を集中する。


(混ぜながら……魔力を、込める……)


 目を閉じて、深く息を吸う。

 心の底から、自分の内にある“何か”を流し込むイメージ――


 ――と、その瞬間。


「……っ!」


 鍋の底から、ぷつんと弾けるような音がした。

 慌てて目を開けると、混ぜていた草が一部焦げ付き、鍋肌に黒ずんだ染みを残している。


(や、やっちゃった……!?)


 魔力の注ぎ方が強すぎたか、あるいは集中が偏ったのか。

 ともかく、火を止めて急いで中身を確認する。

 すると――


(……あれ?)


 焦げ臭さは少しあるが、草の大半は無事だった。

 溶け残りも、ほとんどない。


(もしかして……鍋、焦げただけか)


 思わず安堵の息を漏らしながら、慎重に残りをかき混ぜ、確認用の試験皿にスプーンで一滴だけすくって落とす。


 皿の表面が淡く光り、じわりと緑へと変化する――


「……最低品質、か」


 青なら高品質、白が中等。そして緑は、最低ランク。

 効果は薄く、保存期間も数日程度――それでも使えないわけではないらしい。


 とはいえ――


(……これ、《讃美歌》の素材なんだよな)


 自分のために使っていいとは言われている。

 それでも、失敗したことを考えると、少し気が引ける。


 だが、やってみなければ何も始まらないのも確かだ。


(……使えるものができた。それで、今は十分だ)


 次のクラフトの準備のために鍋を洗いながら、どこか満たされたような気分になる。

 クラフトは才能の他に、熟練度によるところも多いと聞く。


 自分の手で、何かを“作る”。

 それだけのことが、今の自分にとっては大きい。



――――――



「おーい、ダイト。傭兵ギルドに渡り人の新人が居たぞ〜今時間あるなら行ってこいー」

「は、はーい!」


 しばらくクラフトを続けていると、玄関の方からエドさんの大きな声が聞こえた。

 ちょうど魔力が少なくなりかけていたタイミングであったため、返事を返してから、すぐに作業を切り上げて片付けを始める。


「ま、まだやってたのかよ」


 作業場を覗きにきたエドさんが、驚いたような、呆れたような口調でそう言った。

 スマホで時間を確認すると、もうすぐ正午。

 いつの間にか、3時間近く作業に没頭していたらしい。


「よくそんなに集中力が持つなぁ……」

「はい。単純作業は元々嫌いじゃないですから」

「いや、そういうことじゃねぇんだが……」


 エドさんが言うにはクラフトには集中力が必要であり、大抵の人は1時間おきに休憩を挟みつつ作業を行うらしい。

 エドさんは直接的な表現を避けているが、どうやら隠しステータスのようなものがあり、それぞれ異なる得意分野や苦手分野があるようだ。


 エドさんに言ったように、俺は昔から単純作業を苦にしたことがなく、一つのことに熱中すると周りが見えなくなるタイプだった。

 働いていた会社も、ややブラック寄りだったが、これがなければ今も続けていただろう。

 とにかく、粘り強さだけは昔から自信がある、ということだ。


「さ、行くか」

「一緒に行ってくれるんですか?」

「まぁ……案内だけはしてやるよ」


 片付け終えた俺を見て、エドさんが声をかけてくる。

 ハニアサルンの街にはまだ慣れていないし、この前のこともあるから、エドさんの申し出は正直とてもありがたい。

 見た目こそ厳ついが、面倒見のいいエドさんは、今の俺にとって、心強い“兄貴分”だ。



――――――



 傭兵ギルド《銀翼団》のロビーは、昼を過ぎてもそこそこ混雑していた。

 掲示板の前で依頼書を読み込む者、カウンターで職員と交渉をする者、そして新規の登録を待つ“渡り人”の姿もちらほら見える。


「……おい、あそこ。ひとりで座ってるの、新入りだな」


 隣を歩いていたエドさんが、小声で顎をしゃくる。

 目を向けると、ソファの隅に腰かけている人物がいた。

 やや華奢な体格に、黒を基調としたシンプルな装備。

 顔立ちは中性的で、肩まで伸びた銀髪が印象的だ。


 その人物は、周囲のざわめきには一切反応せず、じっと手元のスマホを眺めていた。


「あ、あの……こんにちは。もしかして、新しく来た渡り人の方ですか?」


 思い切って声をかけると、ゆっくりとこちらに視線が向く。

 目が合うと、少しだけ驚いたように瞬きをして、口元を緩めた。


「……うん、そう。君も?」

「はい。俺はダイト・ヤナグレイヴって言います。まだ来たばっかりで、クラフト見習いやってて……」

「ルオ。ルオ・ファルガ。俺も、来たばかり」


 短いやり取り。

 だが、それだけで十分だった。

 この世界に来てから、こうして“同期”と呼べる存在に出会ったのは初めてだったからだ。


「……よかったら、スマホで連絡先、交換しませんか?」

「……うん。いいよ」


 ルオはポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきでIDを表示する。

 どこか現実感の薄いその仕草に、一瞬だけ不思議な感覚を覚えながらも、俺も自分の端末を操作して連絡先を登録した。


「いずれ……誰かと組む日が来るなら。こういうのも、悪くないかも」

「……もしよければ、数日後にでも、一緒に素材集めに行きませんか?」

「……うん、いいよ。そのときまでに、近くの地図くらいは覚えておく」


 静かな笑み。

 その言葉に、不思議と安心感を覚える。


 名前も、表情も、少しだけだが心に残った。

 この世界で初めて、“自分から知り合いになった”相手――それが、ルオだった。



――――――



 ギルドを出たあと、エドさんは用事を済ませると言って別れた。

 俺は一人、石畳を歩きながら、ふと小さく呟く。


「……この世界にも、知り合いができたんだな」


 空を見上げると、昼過ぎの陽射しが、街の高い塔の先にかすかに滲んでいた。



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