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5.裏路地の邂逅

「こ、こんにちは」


 とりあえず挨拶をしてみるが、当然返事はない。


 先頭の男が剣を抜いた。

 ただ話したいだけかもしれない――そんな淡い期待は、一瞬で打ち砕かれた。


 対峙する俺は、魔法を使えないどころか、剣すら持っていない。

 完全に丸腰だ。


 足がすくむ。呼吸が浅くなる。

 助けを呼ぼうとするが、声が出ない。

 心臓の鼓動だけが、やけに耳に響いている。


 と、そのとき。


 ――キィンッ!


 鋭く金属がこすれる音が、空気を裂いた。


 目の前の男のすぐ傍に、短剣が突き刺さる。


「動かないで」


 静かな、しかし通る声。

 路地の影から、ひとりの人物が歩み出てきた。


 黒革のジャケットに身を包み、腰には細身の剣。

 反対側のベルトポーチには、数個の球状のガラス瓶――。


 その手に持っていたのは、火打ち石と――なにか、煌めく小さな瓶だった。


「次の一手は、もっと痛いわよ?」


 そう言って、彼女はガラス瓶を地面に向けて放った。


 ――バンッ!


 閃光と共に、白煙が周囲を包む。

 咄嗟に目をつぶった俺の耳には、怒号と咳き込む音が響いていた。


「走って!」


 強く手を引かれる感覚――反射的に従って、俺は足を動かす。


 しばらく全力で走り続け、気がつけば、路地を抜けて表通りの手前まで駆けていた。

 彼女が足を止めるのに合わせて、俺も足を止める。 


 ぜえ、ぜえ、と肩で息をしながら、隣の人物に目を向けた。


 黒髪の、短めのポニーテール。

 年齢は自分と同じくらいか、それより少し上だろうか。

 無表情だが、目の奥に鋭さと冷静さを宿している。


「あ、あの……助けて、くれて……」


 息を整えながら礼を言おうとしたが、彼女はふいと視線を逸らし、


「油断してる暇はないわ。ここは危ない。覚えといて」


 それだけ言い残し、すぐに路地の影へと姿を消してしまった。


(……え? ちょっと、待っ……)


 呆然とその場に立ち尽くしていると――


「ダイトッ!!」


 怒鳴るような声が背後から響いた。


「……ムギさん?」


 振り向いた先には、息を切らせたムギさんの姿があった。


「もう、何やってんの!?ギルドでちょっと目を離した隙にいなくなるし、こんなとこに一人で来るとか……」


 彼女は怒ったような、呆れたような、でも少しだけ安心した顔で、俺の肩を掴んだ。


「……すみません」

「はあ……無事だったからいいけど……ほんとに心配したんだからね」


 そう言ってから、彼女は周囲をぐるりと見回し、低くつぶやく。


「あっちに数人逃げてきたのを見かけたけど……さっきの奴ら。もしかしたら“渡り人狩り”かもしれないね」

「渡り人、狩り……?」

「初心者プレイヤーを狙って、スマホや装備を奪う連中。最近増えてるって話だったけど……まさか、ほんとに出くわすなんて」


 ムギさんの表情が一瞬だけ険しくなる。


「次からは、どこに行くにも必ず一言声をかけて。……頼むよ、ダイトくん」

「……はい」


 小さく頷くと、ムギさんはようやく表情を緩め、俺の背を軽く叩いた。


「行こう。宿に戻って、まずは休もう。いろいろ、整理した方がいい」


 うなずきながら、俺はふと、さっきの黒髪の女性のことを思い出す。


(……あの人、誰だったんだろう)


 名前も、渡り人かどうかも、何もわからない。

 でも、確かに助けてくれた。

 あの冷静な眼差しと、淡い香りだけが、まだ胸に残っている。



――――――



「このへんじゃ一番まともな宿だと思う。高くはないけど、それなりに清潔だし」


 ムギさんに連れられて入ったのは、石造りの二階建ての宿だった。

 外観は質素だが、ロビーには香草の匂いが漂い、旅人たちの話し声が穏やかに響いている。


「とりあえず、数日分は私が払っとくよ。ダイトくん、まだ無一文でしょ?」

「え、でも……」

「気にしないで。こっちだって、紹介した責任あるからさ。……次は自分で払えるように頑張ること。いい?」

「……はい。ありがとうございます」


 チェックインの手続きを終えると、部屋の鍵と、粗末だがしっかりした木製のプレートが渡された。


「連絡は、スマホで取れるから。チャットでも通話でも、好きに送って」


 そう言って、ムギさんは自分のスマホを取り出す。

 画面を向け合って、コンタクトを同期させた。


 通信が確立された瞬間、ムギさんの名前が「Mugi」として登録される。


「……あ、アイコン可愛いですね」

「でしょー?ちょっと前に絵師さんに描いてもらってさ。……あ、今日のコメント欄は見ないほうがいいよ。さっきも言ったと思うけど」


 少し冗談めかしながらも、目だけは本気でそう告げられた。

 俺は静かにうなずいた。


「……分かりました。気をつけます」

「よろしい。それじゃ、私はそろそろ行くよ。また何かあったら連絡ちょうだい。ほんと、無茶だけはしないように」

「はい、ありがとうございます……ムギさん」


 笑顔を残して、彼女はロビーの出口へと歩いていった。



――――――



 宿の二階。

 案内された部屋は、木の床と簡素なベッド、机、洗面台だけの造りだったが、どこか安心感があった。


(……ようやく、一人になった)


 ドアに鍵をかけ、ベッドに腰を下ろす。

 ゆっくりと息を吐いてから、スマホを取り出した。


 一番左上のアイコンをタップすると、《VOIDLINE》の管理アプリが起動し、配信情報が表示される。


《現在視聴者数:3人》


(……見てる人がいる!)


 それだけで、ほんの少し胸が熱くなった。

 誰かが――日本のどこかで、自分を見ている。

 それは恐ろしいようで、でも確かに“繋がっている”感覚でもあった。


(……コメントは、やめとこう)


 ムギさんの言葉がよぎり、画面をそっと閉じる。


 次に開いたのは、アイテムボックス。

 心の中で唱えると、ウィンドウが表示される。


(……ん?)


 車で確認したときは空だったアイテムボックスに、ひとつ、見覚えのないものがある。


《閃光瓶(クラフト品):使用済み/分析中》


(あれ……さっきの人が使ったやつ、か?)


 自分の目の前に投げられた瓶。

 その破片の一部が、アイテムとして登録されていたのだろう。


 項目には「出所不明」「クラフタータグ検出」とだけ表示されている。


(……やっぱり、クラフターだったんだ)


 謎の黒髪の女性。

 名前も、顔も、何も分からない。

 でも、このアイテムだけが――彼女と自分を繋ぐ“証拠”だった。



――――――



《ログアウトを確認しました。お疲れさまでした》


 視界がゆっくりと白くなり、身体がふっと軽くなる。

 次の瞬間、感覚が現実へと引き戻された。


 ――カチリ。


 『MindPort』の蓋が自動で開き、ほんのり冷えた空気が肌をなでる。

 カプセルから上体を起こすと、天井の間接照明がぼんやりと目に入った。


(……戻ってきた、か)


 そっと吐いた息が、やけに現実的に感じられた。


 軽くストレッチしながら、横の卓上端末に目をやる。

 時間は、23時すぎ。

 ダイブ開始から、およそ5時間が経過していた。


(初日は、こんなもんか)


 目を閉じて、今日のことを思い返す。


 ――ハニアサルンへの到着。

 ――ギルド登録。

 ――裏路地での事件と、謎の助け。

 ――そして、宿でのひととき。


 感覚としては、まる一日が経ったような疲労感がある。


(足りないか。……まぁ、初日だからな)


 平均して、1日あたり約7時間の配信ノルマ。

 5時間で疲れているようでは、先が思いやられる。


(……慣れなきゃな)


 俺は椅子に深く腰をかけ、頭を軽く振った。


 ふと、ディスプレイの通知ランプが点滅していることに気づき、タッチパネルを開く。

 《Magical Tube》の配信管理ツールが、自動でログをまとめていた。


 【配信アーカイブ:第1回】

 視聴者数:最大7人/平均視聴時間:22分

 コメント総数:11


(……見ない方がいいって言われたし)


 一瞬、コメントタブにカーソルを合わせかけて――手を止めた。


(……今日は、やめとこう)


 代わりに、コメントウィンドウだけ一瞬だけチラ見する。


 ──〈ようこそ!がんばれー〉

 ──〈初回って緊張するよね、わかる〉

 ──〈ムギさんの紹介?いい人来たね!〉

 ──〈……助けられてばっかじゃんw草〉


 一番下のコメントに、一瞬だけ目が止まる。


 だけど、すぐにウィンドウを閉じた。

 少し胸がチクリとしたが――それ以上は考えないようにした。


(別に……いい)


 全部に応えなきゃいけないわけじゃない。

 まだまだ、物語は始まったばっかりだ。



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