4.登録と選択
「さぁ、ここからは歩いていこう」
街に近づくと、ムギさんの合図で車を降りた。
魔導車は、三ヶ月ほど前に渡り人の技術で開発されたばかりの乗り物だという。
その普及スピードはすさまじく、一部の街では試験的に導入されているらしいが、ほとんどの都市ではまだ乗り入れが制限されているとのことだった。
ハニアサルンも、場所によって制限があり、こちら側の門は進入が許可されていないらしい。
ムギさんが銀色の鍵に車を仕舞った後、俺たちは門の前に伸びる列の最後尾についた。
ざっと十人ほど。
見たところ、半分は家族連れの避難民らしく、大きな荷物を背負い、土埃にまみれた服を着ていた。
(こういう人たちが、さっきの村から……)
門のすぐ傍では、槍を持った衛兵たちがひとりずつの身元を確認し、軽い荷物検査を行っている。
列の進みは遅いが、無駄話などは一切ない。
数分後、俺たちの番が回ってきた。
「そちらの方は……」
衛兵がムギさんを見てから、隣に立つ俺に目をやった。
「新しい渡り人だよ。登録、まだだと思う」
「了解。お連れの方は識別票、お持ちですか?」
「あるよ」
ムギさんが懐から金属製のペンダントのようなものを取り出すと、衛兵はすぐに頷いて通行を許可した。
「渡り人の方はこちらへ。登録手続きは入城ゲート脇のテントで行っています」
俺は言われるがまま、ムギさんの後についてテントの方へと向かう。
「この“登録”っていうのは?」
「簡単に言えば、世界に“存在”を認識させる手続き。魔力の痕跡や個人の波長を記録して、公式な住民扱いにするってわけ」
テントの中では、ローブ姿の女性が魔法陣のようなものが刻まれた机の前に座っていた。
「新規の渡り人ね?手を、こちらに」
言われるまま、机の上に手を乗せると、机の中央に淡い光が走り、何かが読み取られていく。
「ふむ……記録完了。これがあなたの識別票になります。常時携帯してください。失くした場合、再発行には相応の手数料がかかりますので」
金属製の小さなタグが手渡される。
裏には数字と、俺の名前らしき刻印がある。
「……ありがとうございます」
機械のような対応に少し戸惑いながらも、俺はタグを手に取り、ポケットにしまった。
「これでようやく、君も“世界の一部”になったわけだ」
ムギさんが、少し冗談めかした口調で言う。
門を抜けた先、広がる石畳の大通りは、すでに夕暮れ色に染まり始めていた。
人々の足音、行商人の呼び声、酒場から漏れ聞こえる笑い声――
そのどれもが、確かに“この世界で生きている人間たち”のものだった。
「じゃ、次は傭兵ギルドだね。宿に行く前に、一応登録だけ済ませとこうか」
ムギさんが軽く手を挙げて、石畳の通りを歩き出す。
俺はその背を追いかけるようにして、門の影を抜けた。
目の前に広がっていたのは、まさしく“異世界の都市”だった。
西洋風の城を中心に扇状に広がる街並みは、見上げるだけで首が痛くなるような石造りの建物が連なっていた。
高い塔の先には鐘楼があり、金色の風見鶏がくるくると回っている。
門から続く通りは、人の波で溢れかえっている。
露天商が並ぶ一角では、果物の香りと焼きたてのパンの匂いが混じり合い、道端では楽器を奏でる旅芸人や、地図を配る少年の姿もある。
「……すごい、人の数が」
「うん。ここも普段の倍以上はいると思う。避難民もそうだし、渡り人も。建物の空きがないから、広場にテント張って生活してる人もいるくらい」
道の脇では、所狭しとテントが並び、焚き火の煙が薄く上がっていた。
騎士らしき人物が馬に乗って駆けていく様子や、巨大な背嚢を背負った冒険者たちが武器を背に歩く姿――そんな非日常の光景が、日常としてそこにある。
(……これが、《VOIDLINE》の世界か)
これまでのMMORPGとは、全く違う。
システムや操作があるわけでもなく、UIはすべて意識の中にあり、NPCでさえ生きている。
だからこそ、ここでは、現実のように“振る舞う”ことこそが生きる術なのだ。
「……ムギさん」
「ん?」
「俺、体動かすのって、ちょっと苦手で……戦闘メインじゃない職業って、あったりします?」
歩きながら、小さく尋ねると、ムギさんは足を止め、振り返って微笑んだ。
「うん、あるよ。クラフターって呼ばれる職種。武器や防具、消耗品を作ったり、建築や調合を担当したりする。運動が苦手でも、生きていく方法はちゃんとあるよ」
「よかった……」
《VOIDLINE》では、現実の運動神経とゲーム内キャラのそれが、ある程度連動するという。
運動もアクションゲームも苦手な俺にとって、この情報は僥倖だった。
「でも、最初は傭兵ギルドで登録しておくのが一番早いんだ。そこからクラフター系の職人ギルドに転属する形で進められるから。たとえば職人ギルドとか、薬師ギルドとかね」
「なるほど……」
どうやらこの国では、ギルドの掛け持ちが可能らしく、まず傭兵ギルドに登録するというのが、渡り人の通例らしい。
「そう。でも、クラフト系って意外と人気なんだよ? 戦闘職より稼げるって人もいるし、何より安全だしね。……まぁ、素材を取りに行くのはちょっと危険だけど」
ムギさんの笑みに、ほんの少しだけ現実の厳しさがにじむ。
「さ、もうすぐだよ。あの建物」
ムギさんが指差した先には、やや重厚な石造りの建物がそびえていた。
入り口には斜めに掲げられた金属製のエンブレム――剣と盾が交差した意匠。
冒険者や傭兵らしき人物がひっきりなしに出入りしており、時折、受付の前で声を荒げる者や、壁に貼られた依頼掲示をじっと睨んでいる者の姿が見える。
傭兵ギルド《銀翼団》。
この世界での、俺の最初の所属先となる場所だった。
ギルドの扉をくぐると、どこか鉄と煙草と革のにおいが鼻をついた。
中は思ったよりも広く、天井は高く取られており、壁には無数の剣や盾、そして見慣れない巨大な魔導具が装飾のように飾られている。
中央の掲示板には、依頼書と見られる紙がびっしりと貼られていた。
討伐、護衛、輸送、探索――ひとくちに傭兵といっても、その活動内容は多岐にわたるらしい。
「こっち、こっち」
ムギさんに促されてカウンターの方へ向かうと、そこには受付らしき女性が数人並んでいた。
ちょうど空いたカウンターのひとつに通される。
「新規の登録ですね?」
対応に出たのは、落ち着いた雰囲気の茶髪の女性だった。
胸元のバッジには「副書記官」と書かれている。
「はい。渡り人で、今日この街に来たばかりです」
「ではこちらにお名前と属性傾向を。……あ、スマホはお持ちですか?」
「あ、はい。えっと、これです」
俺がスマホを取り出すと、彼女は卓上の小さな台座の上に置くよう指示した。
次の瞬間、スマホが淡く光り、同時にギルド側の端末にも何かが転送される。
「問題ありません。魔力量と身体能力の初期値は自動で登録されました。これが識別プレートです」
そう言って、金属製の小さなバッジが手渡される。
剣と盾の意匠に《銀翼団》の刻印がある。
「今後、このバッジを提示することで、各地のギルド施設を利用できるようになります。他にも就きたい職業があれば、近隣の他ギルドへの紹介も可能ですよ。……ダイトさんは、傭兵以外に興味のある職業はありますか?」
やわらかな口調のまま、受付嬢が問いかけてくる。
「い、一応……クラフター志望なんですが――」
思わず語尾が上ずる。
自分でも心もとない答え方だったと感じたが、彼女はすぐに表情を和らげて、うなずいてくれた。
「なるほど。クラフター志望なら、まずはこのギルドで依頼を受けて“実績”を積んでいくところからですね。クラフターであっても、基本的なフィールド知識や探索経験は必要になりますから」
つまり、「甘くはない」ということだ。
けれど、その言い方には、挑戦する余地があるという含みも感じられた。
真っ向から否定されなかったことに、俺はほっと胸をなで下ろす。
「……分かりました。頑張ってみます」
言葉にした瞬間、胸の奥に、ほんのわずかだが確かな“芯”が通った気がした。
この世界で生きていくということを、少しだけ自分の言葉で肯定できたような――そんな気がしたのだ。
「じゃあ、ちょっと私は中で報告してくるから、少しだけ自由に見てきてもいいよ。ギルド周辺は治安もいいし、変なとこに行かなきゃ大丈夫だから」
「分かりました」
登録を終え、ギルドのロビー前でムギさんと別れた俺は、少しだけ辺りを歩いてみることにした。
陽はすでにだいぶ傾いてきている。
人通りの多い通りには、まだ露天が賑わっており、子供たちが追いかけっこをしながら駆け抜けていく。
(……すごい。どれも本当に“生きてる”)
ゲームというより、本当に都市の生活がそこにある。
騎士団らしき一団が列を成して通り過ぎ、街角では喧嘩を始めた男たちが衛兵に叱られたりする様子も見られた。
ふと、俺は通りを一本、裏手に折れる。
(ちょっとだけ、静かなところを歩いてみよう)
観光気分というより、今の空気を一人で噛み締めたくなったのだ。
最初は古書店や小さな工房が立ち並ぶ、静かな路地だった。
だが、気づけば石畳の舗装は崩れ、露天の並びもなくなっていた。
どこからか香辛料の強い匂いや、獣臭のような異臭が混じって漂ってくる。
周囲の建物もどこか荒れていて、扉や窓に板が打ち付けられたものもある。
(……なんか、雰囲気が変わってきた……?)
ふと、路地の奥から、かすかに声が聞こえる。
「……もう入ったのか?」
「いや、こっちにはまだ出てない」
誰かの会話。
だが、それが俺に向けられたものかは分からない。
視線を感じて振り返ると、道の隅に立っていた一人の男と目が合った。
ぼさぼさの髪に、襤褸のような布をまとい、右腕には奇妙な刺青が走っている。
(……まずい)
とっさにそう感じた俺は、踵を返して通ってきた道を戻ろうとする。
――が、そこにもいつの間にか数人の影が現れていた。
道の両側に、ゆっくりと人の気配が集まってくる。
誰もが無言で、しかし確実に、こちらへと歩を進めてくる。
(うそだろ……!)
思わず後退りしながら、背中が冷たくなるのを感じた。
これが普通のゲームなら、今すぐログアウトしたくなるような、そんな空気。
《VOIDLINE》での最初の自由行動は――どうやら、穏やかには終わらないらしい。