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2.《VOIDLINE》へようこそ

――二時間後――


 初期設定とキャラクター作成を終えた俺は、必要のない風呂に入って身を清め、『MindPort』の中に静かに横たわっている。


 配信準備も終え、あとは視聴者が来るのを待つだけだ。


固定コメント:ネタバレや誘導コメントは禁止です。マナーを守ってお楽しみください。《VOIDLINE》についての情報はコチラ→(URL)


 これは、あらかじめ用意されたテンプレートを貼り付けたもの。


 このゲーム《VOIDLINE》では、プレイヤーが“世界の住人”として生きることが求められている。

 そのため、現実世界の知識やメタ的発言を過剰に持ち込むことは、ある種の“禁忌”。


 そして、それは画面越しに見る視聴者も同様だ。

 世界観を壊すようなコメントは慎み、あくまでこの幻想の中に身を置くような姿勢が望まれているのだ。


 目元を覆うカバーが閉じられ、かすかに軋む音とともに、機械が起動する音が耳を満たしていく。


「――いよいよか」


 初めてのフルダイブ。

 俺が知っているのは、ごく限られた事前情報だけ。

 「なるべく事前に内容を知らずにプレイしてください」――応募時に記されていたその一文を、俺は律儀に守ってきた。


 確か、ストーリーは『異世界から召喚されたプレイヤーが、剣と魔法の世界で様々な困難に立ち向かう』――そんな王道ものだったはずだ。


 ……果たして、本当にそれだけなのか?

 どんな世界が広がっていて、どんな人々に出会うことができるのか――。


 不安と期待が入り混じる中、突然、両耳に低く響く機械音が流れ始める。

 それは明確に言葉を持っていた。


「《VOIDLINE》、起動開始――」


 続けざまに、耳の奥から湧き上がるように壮大なBGMが鳴り響く。

 太鼓のような重低音が心臓の鼓動と重なり、管弦の旋律が鼓膜の奥を撫でていく。

 音楽というより、“世界そのもの”が俺を迎え入れようとしているような――そんな錯覚。


 次の瞬間、視界の端がじわりと暗く染まり、まるで闇が水のように広がっていく。


 ――来る。


 思わず拳を握る。


 身体が浮き上がる感覚。

 上下の感覚が曖昧になり、皮膚の輪郭が曖昧になる。

 重力のない宇宙空間に放り込まれたような錯覚と、内臓がふわりと浮く奇妙な感覚。


(……これが、ダイブか)


 深く、深く、どこまでも沈んでいくような浮遊感。

 目を閉じていたはずの視界が、次第に明るくなり始める。

 ぼやけた輪郭が形を取り、色が差し込み、音が戻ってくる。


 まるで、もう一つの現実が始まるかのように。



「おぉ、またいらっしゃいましたか。今日はなかなか忙しいですね」


 低く落ち着いた声が、どこからともなく耳に届く。


 ――誰かが話しかけている。

 だが、まだ視界は霞んでいて、頭の奥に微かな鈍痛が残っている。


 足元には、ゆっくりと光を失いつつある円形の模様。

 淡く青白く光っていたそれは、今やただの石床に還ろうとしている。

 おそらく、これは召喚の魔法陣、だろう。


 ふと、全身に血が巡るような感覚が走った。

 皮膚の感触、筋肉の緊張、足裏に伝わる冷たい床の硬さ――まるで現実そのものの“生身の感覚”が、瞬時に戻ってくる。

 フルダイブの記憶さえなければ、これがゲームの中だなんて思いもしないだろう。


 ゆっくりと目を凝らして周囲を見回す。

 重厚な木の香りと、紙の古びた匂いが鼻を掠める。

 視界に映るのは、びっしりと書棚に囲まれた静謐な一室。


 ――ここが、“チュートリアル部屋”か。


 チュートリアル部屋は、俺が知る“限られた情報”の中のひとつ。

 プレイヤーたちは、この世界に全部で十あるというチュートリアル部屋へと導かれるらしい。


「いらっしゃい、お兄さん」


 声の主が、書棚の隙間から姿を現す。

 渋いスーツ姿の男性だった。

 清潔感のある佇まいに、整えられた髭と穏やかな笑み。

 どこか、長年ホテルのカウンターに立ち続けてきた老執事のような空気を纏っている。


「お名前を、教えていただけますか。”渡り人“(わたりびと)さん」


 礼儀正しく一礼しながら、男は手元の帳面を開いた。

 “渡り人”――この世界での俺たちの呼び名だ。

 異なる世界から現れた存在。

 特別な力を持つ、どこか異質な“旅人”。


「ダイト・ヤナグレイヴといいます」


 本名の“柳大都”を少し崩し、響きだけで捻り出した名前。

 少し照れくさくもあるが、ここではこれが“俺の名”だ。


 男は帳面に数文字を記し、静かに頷く。

 その目はどこか安心したようで、俺が期待していた“この街の概略”や“基礎知識”について語ってくれるものと思った――が。


 次の瞬間、彼は満足そうに微笑むと、すぐ側のテーブルに手帳を置き、それから右手の指を軽く鳴らした。


「え……?」


 空気が、一度だけ脈打つように震えた。


 何かが“切り替わる”感覚。

 目の前の景色が、ほんの一拍の間に音もなく溶け、そして――風が吹いた。


 頬を撫でる生ぬるい風。

 草と土の匂いが鼻をかすめる。


 視界の先には、無骨な石造りの門。

 それに連なる城壁のような建物群が、街の入口を静かに形作っていた。


(……やってくれたな)


 俺は立ち尽くしたまま、息を小さく吐いた。

 ――おそらく、ワープだ。

 本来であれば、あの男が“チュートリアルおじさん”として世界の基本を教えてくれるはずだった。

 しかし、もしかすると……情報が古かったのかもしれない。


「……とりあえず、行くか」


 幸いにも、目の前には街がある。

 荒野や魔物の巣に放り出されなかっただけ、まだマシだと思うべきか。


 足元の土を踏みしめながら、俺は石門へと歩を進める。

 少し古びてはいるが、それでも重厚な門だ。

 建築様式からして、ファンタジー世界の中でもかなり古典寄りの部類だろう。


「すみません、どなたか……!」


 門の前に立ち止まり、大きな声で呼びかける。

 しかし、返事はない。

 街の中を見渡しても、人の気配は感じられない。


(……とりあえず、入ってみるか)


 石門をくぐり、真っ直ぐに延びる通りに足を踏み入れる。

 車が二台並んで通れそうな広さの通り。

 左右にはびっしりと建物が立ち並び、宿屋、武器屋、道具屋らしき店の看板が見える。


 だが――不自然なまでに、静まり返っていた。

 太陽の高さからして、時刻はおそらく昼前。

 本来ならば行き交う住民や商人たちで賑わっているはずの時間帯だ。


「……不気味だな」


 チュートリアルの後は、いくつかある街の中からランダムで転送されると聞いていた。

 だが、あの男から何の説明も受けられなかったせいで、この街の名前どころか、どの国に飛ばされたのかさえ分かっていない。


 怒りと困惑が頭の中でせめぎ合う。

 なぜ説明がなかったのか。なぜ誰もいないのか。

 ――状況を理解しようとすればするほど、思考は混乱していく。


(落ち着け。まずは情報だ。どこでもいい、誰かに話を――)


 呆然と立ちながら、そんなことを考えていると――


 ザザザッ!


 背後から、何かが急停止する音と砂を巻き上げるような音が響いた。

 反射的に肩がびくりと跳ねる。


(嫌な予感しかしない……!)


 ゲーム開始直後からトラブルに巻き込まれるのは、さすがに御免だ。

 恐る恐る振り返った俺の視界に飛び込んできたのは――


 ――車、のようなものだった。


 大きさは軽自動車より一回り小さいコンパクトサイズ。

 ただ、ボディは金属製でタイヤもしっかりとついている。

 どこか懐かしさを感じるデザインだ。

 現代の車というよりは、量産されはじめた頃の試作車のような印象。


(……車? いや、まさか)


 俺の記憶にある限り、このゲームの世界観は“剣と魔法のファンタジー”のはずだ。

 少なくとも公式トレーラーに、それらしき機械文明の存在が映っていた覚えはない。


「おいっ、兄ちゃん!どこ突っ立ってんだ!」


 怒声が飛ぶ。

 しまった、ここは道の真ん中だった。


「す、すみませ……っ!」


 慌てて脇に避ける。

 車のドアが勢いよく開き、中から出てきたのはスキンヘッドの厳つい男だった。

 見た目は完全に喧嘩慣れしている系だ。

 表情には明らかな怒りが浮かんでいる。


(うわ、マジで怒ってる……!)


 なんとか穏便に済ませたい。

 とにかく謝るしかない。

 俺が悪いのは事実だし、話せばわかってくれるかもしれない。


 そう思って一歩前に出た瞬間――


「な、何だよ……てめぇ」


 男の足がぴたりと止まる。

 そして、やや焦ったような顔を見せた。


「いやいや、すまないね。私の連れなんだが、まだこの街に慣れていないようでね」


 よく通る、澄んだ女性の声。

 同時に、俺の右肩に小さくて温かい手がそっと置かれた。


 振り返ると、そこには――


 ひときわ目を引く女性が立っていた。

 長く赤い髪を後ろで束ね、宝石のような瞳をしている。

 少し勝ち気そうな表情と鋭めの目つき。

 顔立ちは整っていて、美人という言葉がぴったりだ。

 身長は165センチくらいだろうか。

 体格に合った銀の鎧で全身を包み、背中には赤みがかった刀身の大剣を背負っている。


 ……どう見ても只者ではない。


「何言ってやが……ちっ、傭兵か。なら文句は言えねぇな。ちゃんと言い聞かせておけよ」


 男は舌打ちを一つして、そそくさと車へ戻っていく。

 突然の態度の変化に呆気を取られつつも、俺は安堵の息を漏らした。


「助けてくれて……ありがとうございます。えっと、はじめまして?」

「うん、間に合ってよかったよ。君、渡り人でしょ?私も同じだからさ、つい放っておけなくてね」

「え、そうなんですか?でも、何で俺が渡り人って……?」


 そう尋ねると、彼女は一瞬きょとんとした顔になり、次の瞬間――


「えっ、何でって……全部だよ!初心者感まる出しの装備、不安げな顔、それにその髪色」


 そう言って、声を上げて笑った。


「黒髪って、地元民には滅多にいないんだよ。君みたいな見た目は、どう見たって渡り人」


 言われてみれば、確かに俺の見た目は現実の自分をベースにした黒髪のアバターだ。


「……そうか。確かに、俺のことが分かるわけですね」

「それより……あのじいさんから、ちゃんと説明受けなかったでしょ?」

「あのじいさん……チュートリアルおじさんのことですよね?会いはしたんですけど、結局何も教えてもらえずに……」

「うん、あるある。私のときも似たようなもんだったよ。こっちに来て一年以上経つけど、最近あのじいさん、サボリ癖ついてるからさー」


 さらっと「一年以上経つ」と言った。

 彼女は、俺よりもずっと前にこの世界に来た“先輩”の渡り人らしい。


「まぁ、とにかくここに立ってても仕方ないし、街の外に出たらいきなり魔物とか出てくる可能性もある。ちょっと移動しよっか」


 そう言って、彼女はポケットから銀色の鍵のようなものを取り出し、地面に向けて突き出す。

 すると、空気が淡く震え、地面の一部がゆらりと揺らめいた。


(……まさか)


 次の瞬間、そこに現れたのは――車だった。

 先ほどの車よりも一回り大きく、形状はより洗練されている。

 現代の高級車のような艶やかなボディに、どこか魔法的な輝きが宿っている。


「召喚車、ってやつ。正確には“エーテル式魔導車”。便利でしょ?」

「……ほんとに、ゲームの世界かこれ……」


 俺は彼女に聞こえないくらいの声で呟いた。

 目の前の光景に、ただただ呆然とする。


「さ、乗って! あ、助手席ね」


 呆けて動かない俺の背中を、彼女がポンと軽く押す。

 流されるままに車の助手席へと乗り込むと、ふわりとした無重力感に包まれた。


 まるで夢を見ているかのような感覚。


 でも、これは――夢なんかじゃない。

 今まさに、俺は《VOIDLINE》という現実を生き始めたのだ。



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