3話
数日前に入学式があったことは知っている。そして今日、今年度初の登校日だ。
留年生は当然入学式に出席しない。だから反田は必然的に新入生たちの顔合わせに後れを取ることになる。
今の時代は入学の前にSNSを活用し、顔合わせ以前に交友関係を広げることが必須だという。そんな話を前に聞いたことがあった。
それが事実だとすれば反田に友人ができる可能性はない。なぜなら反田はスマートフォンを持っていないからだ。パソコンやそれに代わるものもない。
そもそもSNSを使う土俵にも立っていないのだ。それ以前に性格に問題がある。事実として、学校に在籍して一年が経過しているが友人はいない。
しかし反田自身、友人がいないことに関してなんとも思っていない。
友人など自然にできるもの。できなかったのならば、自分に合った人が学校に居なかっただけ。そういう認識だ。
自分から努力して作るという選択肢は反田の中に存在しない。
それが良いか悪いかは別として時代に置いていかれていることは確かである。
校門前の桜の木が反田を歓迎するかのように花びらが降らしていた。
八時三十分。
学校の壁に取り付けられた大きな時計がそう針を指していた。
反田が通う釜平一高校には、八時十分までに登校する規則がある。だが実際に教師が教室に来るのは二十分頃だ。その十分間は自習の時間となっている。
現在、すでにその時間になっていることに反田は気づいている。経験上多少の遅刻は問題ない。そもそもこれまで遅刻を問題などと考えたことはなかったが、留年生という肩書を持った以上は認識を改めてやろうとも思っていた。
校舎の入り口に二百名以上の名前が書かれた紙が貼られていた。同じ紙が等間隔にもう三枚ある。
クラス表だ。混雑を避ける配慮だろう。
入学式から数日経過した今でも貼られているのは反田のような生徒への配慮だろうか。
すぐに自分の名前を見つけた。前と同じ四組だったからだ。
見慣れた四組の下駄箱前へ行き、反田はあることに気が付く。
上履きを忘れた。靴下も。仕方がないから下駄箱にサンダルを入れて裸足で廊下を歩く。
ヒンヤリした床と足の裏がくっつくような感覚が少しだけ気持ち悪い。
二階へ行く階段は二つある。四組に近い階段は西側だ。
階段を上がって廊下を歩く。四組に着くまでに五組、六組の教室内を反田は横目で見たが、どちらも見たことのない教師だった。新任教師のようだ。
しかし四組は違う。教室の扉の奥に見えたのは反田がよく見慣れた顔だった。
一原だ。
後ろの扉から教室の中へ入る。扉をスライドさせる音が大きい。だからクラスの生徒、それと一原の視線が一斉に反田のほうへ向いた。
視線を向けられるのは気持ちの良いことではないが、この程度で気分が悪くなることはない。すでに慣れている。
反田は自分の席を探す。空いてる席は一つだけ。今反田がいるちょうどその場所、廊下側の最も後ろの席だ。反田がイスを引く前に一原が言葉を発した。
「とっとと座れや」
反田は素直に従った。端の席なのは一原の独断だろう。端のほうが落ち着くから文句はない。
反田が着席すると視線は一原へ戻る。それと同時に話が再開された。
一原は今年二年を担当すると言っていた。
しかし去年と同じ教室で、緊張した面持ちの一年生相手になにやら説明をしている。
「一限目は学級委員を決めるだけだ。ちょっと話し合っとけや」
そうやって再開された話はすぐに終わり、一原が反田のほうへダルそうに向かってくる。
「ちょっと来い」
前回会ったときよりも顔色が悪い。頬もよりこけているように見える。
「なんだ」
「とりあえず来い」
覇気のない声だ。ここで拒否しても粘られるだけだろう。
そう思った反田は立ち上がり廊下へ出る。一原は扉を勢い任せに閉めて話し始めた。
「おい、大体言いたいことはわかってるよな?」
「なんだ」
「前の一年担当教員は二年担当してるのに俺だけ今も一年担当なんだよ。理由はなんだ」
「知らん」
「そうかそうか。知らないかい知らないかい。けど俺だけ他の教師と違う点が去年あったんだい」
「なんだ」
「お前だお前。留年生だよ! しかも嫌がらせのように今年は……」
一原は大きくなった声の後になにかをつけ足した。
そして深いため息をした後、呪いをかけるかのように反田をじっと見てくる。
「俺も一応は教員として長く働いてんだ。留年したことについてはとやかく言うつもりはない。そういう奴はこれまでも多少見てきたんだい。そういうやつらは大抵事情があんだよ。お前と違って」
留年に一般的な理由があるか定かではないが、反田はイジメられていたわけでも、クラスに疎外感を感じていたわけでもない。単純に、学校よりもその時々のやりたいことを優先していた結果、学校に行かなかっただけなのだ。
最近のブームは川の観察だ。暖かくなり生物が水中を動く姿を見るのは楽しい。もう少しすれば本格的にたんぽぽが咲くから、それを好物とするペットのリクガメの散歩も楽しみにしている。他は、ランニングや公園でできるような軽い運動、その他にも多くある。言い出したらきりがない。
反田は学校が嫌なんじゃない。気分屋なのだ。それも究極の。
学校なんかに行ってたまるか、という変な意地は一切ない。
だからたまには学校に行ってもいい気分になることもある。そんなときは学校に顔を出していた。
そんな気まぐれで登校していれば留年も当然だ。
「言っておくが、今年も留年なんてのは俺は御免だと思ってんだい。お前はどうだ?」
反田だって留年を望んでいるわけじゃない。高校は卒業するつもりでいる。
「進級するつもりだ」
「良かった良かった。その気があるだけ安心した」
間をおかずに一原は喋る。
「それでだ。俺とお前で目標を立てようや」
「目標だと」
去年までの一原からは絶対に出てこない単語が聞こえてきた。取り残されて一年生担当になったことに相当焦りを感じているのだろう。
「そうだ。お前だって留年して良いことなんて一つもないはずだろうよ。俺だってお前の担任をやり続けたところで良いことは一つもない。良いところの話をする段階にも至ってない。俺の顔見ればわかるだろうや? あれこれ考えてたらここ数日まともに寝れてないんだよ」
話が逸れたことを自覚したのか、一原は痰が絡んだような咳払いをして区切り直した。
「まあ、それはそれとして確認しておくが二年生になる、進級するための最低条件をお前は知ってんのか?」
「知らん」
即答だ。
「そうかそうか。知らんのなら良い機会だい。教えてやろうよ」
一原は進級の条件を語りだした。
「テストの点数と平常点、ああ、平常点ってのは出席数、課題の提出率、授業態度で決まんだい。そんでテストと平常点の合計である成績が、赤点である四十点より大きければ良いんだい。単純に足す訳じゃないからちょっとややこしいがな」
スッと入ってこないが、なんとなくは理解できる。
「これもちなみにだがよ、去年のお前の数学は平常点四点が圧縮されて一点、テストの三点が圧縮されて二点、成績は三点だ。どれだけお前が絶望的かわかったか?」
「ああ」
説明されるとかなり酷いことを実感できる。
「まあ平常点なんて実際は教員が好き勝手決めれんだい。どの教員も留年生なんて出したくないわけで、授業中寝たり、課題を出さない程度の奴らにも大体は七十点以上付けてやってんだ」
「なのにお前は」と続けたそうな顔で反田を見る一原だったが、飲み込んだようで続きを話す。
「次にテストだ。さっきも言った通りこれが成績の七割を占めんだい。だから皆必死でテスト勉強ってのをすんだよい」
聞いているのか聞いていないのかわからない真顔で反田は聞いている。
「これを踏まえて、俺は目標を立てた。目標は全科目テストで五十点、週四登校、課題提出率八割だ」
言われてもあまりしっくりこない。それを予見していたのか一原は説明をつけ足した。
「一応言っておくが、去年のお前のテスト全科目平均が十三点、週二~三登校、課題提出率一割だ」
無理だ。反田自身も、反田を知っている人に聞いてもそう言うだろう。
「言っとくがよぅ、これでもかなりギリチョンを狙った目標なんだい。これが無理なら進級不可能だ」
「お前は俺にそれができると思っているのか?」
「思ってないけどよぉ、できなきゃ進級できないんだからやるしかないんだい。とりあえず五月の中間テストでこの目標達成頼むぞ」
達成するイメージが一切湧かない。
「とりあえずは学校来て課題出すところからだ。じゃあもう学校は始まってっから、そういうことだ。頑張っとけや」
話は終わったようだ。一限目は学級委員決めと言っていた。反田には関係ないことだ。留年生が学級委員をすることはまずない。ならば帰ってもいいだろう。暇は体に悪い。やるべきこともある。
反田が階段へ歩き出すと後ろから両肩を掴まれた。
「反田。トイレか?」
「帰る」
「俺の話……聞いてたか?」
「ああ。朝早くから学校へ来たせいでパゴスの世話をしていなかった。だから帰る」
パゴスとは反田の飼っているカメのことだ。一原もそれを把握している。
「そうだな。ペットの世話も大事だな。けどもっと大事なことがあるって話をさっきしたな。昼休み一時的に抜けることを許可するからそのときに頼むな。とりあえず学校にいてくれよ……」
それはほとんど嘆きだった。
「わかった」
その返事で肩から手が離れる。仕方がないから昼休みまでは学校にいることにした。
教室に戻ると意外にもにぎわっていた。入学してから数日しか経っていないが、今は直接会わなくとも気軽に連絡を取れるらしい。
便利なのか面倒なのかわからないが、反田には不向きなことは確かだ。