番外編 エンゲージ(瑞貴視点)
海に近いアクセサリー店。ショーウインドウ越しに一瞬眺めた後、八広はガラス戸に手をかけて中を覗いた。
そしてすぐに俺を振り返って「瑞貴、ここであってる!」なんてぱあっと顔を輝かせてる。
八広はいつでも仕草がいちいち可愛い。ちゃんとショップカードに書いてあったアドレスに尋ねてきたんだから、あたりまえだろ? なんて只の男友達には冷たい言い方をして突き放してしまうけど、八広には口が裂けてもそんなことは言わない。
俺はただにこっと笑って頷いた。
「こんにちは!」
元気な挨拶をしながら店に入っていく春物の白いセーターを着た背中に続き、俺も店の中へと足を踏み入れる。
店内は明るい。窓からの春らしい柔らかな光が差し込んでいて、広々とした印象だ。白い壁に木のぬくもりを感じさせる棚が配され、サーフボードや西海岸風の写真が飾ってある。鎌倉らしい海街らしさがそこここに覗いている。
大人の先客の姿もあった。ユニセックスで海辺に似合いな洋服や雑貨の置かれた棚を眺めている。お洒落なセレクトショップといった感じだ。
「あれ、君たち。確か前、催事の時に来てくれたよね」
店の奥にた俺たちの父親よりちょっと年上らしき店主が、老眼鏡らしくお洒落な金縁の老眼鏡を外しながら声をかけてくれる。
「そうっす。これ!」
八広は屈託ない笑顔を浮かべ、自分の腕についた赤いビーズのブレスを持ち上げた後、ついでに俺の左腕も持ち上げた。
赤いブレスレットと、今二人で身に着けている服を買った日。俺は八広と念願の恋人同士になった。
お揃いのブレスレットはあの日から俺にとっての宝物。今日はもう一つの宝物を二人で探しに来たんだ。
「わざわざ来てくれてありがとう。大仏はもう見てきたかな?」
「この後行きます!」
駅の反対側を道沿いに歩けば、あの有名な鎌倉の大仏がある。だけど今日はこちらに来ることがメインだったから、観光も食べ歩きの予定も全部これからの予定だった。
「えっと、あの。今日は指輪……、見に来ました!」
何も聞かれていないのに、そんなに照れてたらペアリングを買いに来たってバレバレだよ、八広。
頑張って言えたよ? みたいな顔で俺を見上げてくるからこっちまで妙に照れてしまう。
俺の恋人は、何て愛おしい奴なんだろう。
「そうか。君たちみたいに若い子が気に入るものがあるといいけど。そっちの棚とこっちのガラスケースの中にもいくつかあるから。気になるものがあったら出すから声をかけてね」
耳まで真っ赤になった八広に、店主さんも目を細めて嬉しそうに微笑んでくれてる。八広ってなんていうか、相手の心を和ませる雰囲気を出せるんだ。それにずっと、人付き合いが苦手で顔に感情が出にくいって言われ続けてきた俺は、小さい頃から八広の人懐っこさに救われ続けてきた。一緒にいると二人そろって感じがいいと思われがちで、俺はそれで大分得をしてきた。いうなれば八広は俺にとっての守護天使みたいな感じだ。
実際明るい日差しの下にいると、背中に羽根でも生えてるんじゃないかと思うことがある。それぐらいに真っすぐで素直なところが、俺にはないものを持っていて、好きにならずにはいられなかった。
「君たちがしてるそのブレスレットは、企画は僕がして、作った作家さんはそっちの棚にあるアクセサリーを作った人だ」
「だってさ。ブレスと同じ作者の方がいいかな。みよ」
男性向けのデザインはインディアンジュエリー的なテイストのものもあれば、もっと洗練されたデザインのものもある。
綺麗なターコイズがはまっているものはやっぱり値段が高い。スリーピングビューティーという真っ青な空みたいなターコイズは希少だけど、色白な八広にその色が良く似あいそうだ。
八広の提案で三月と四月生まれの俺たちはそれぞれに指輪をプレゼントしあうっていう形でプレゼントを贈り合うと決めた。八広はブレスレットをプレゼントされたから指輪は自分が買いたいって言ってくれたが、あれは俺の独占欲が爆発した形で本当に衝動的に買ったものだから、誕生日プレゼントは別に買いたかったんだ。
※※※
ブレスレットを買った日曜の前の週。八広の通う県立高校はバレンタイン当日は入試に重なるので在校生はお休みに入る。俺にとっては八広が高校で女子からアプローチされてくることを一番恐れていたから、願ったり叶ったりの休みだ。八広も入試休みに沢山バイトを入れられたから嬉しいといっていた。
バレンタイン当日。俺はバイト帰りの八広を地元のカフェに呼び出した。八広は手作りのお菓子が入っているらしいお店のロゴはない可愛い紙袋を幾つも下げて帰ってきた。
目に入った瞬間、胸が焼けるほどに焦れてたまらなくなった。
八広、八広。その紙袋、きっとチョコだよな。バイト先で貰ったのか?
手紙が入っていなかったか?
バレンタイン、俺以外と会う約束をした?
呼び出されて告白とか、されてないよな?
詰問したい気持ちを抑えて「バイトお疲れ」と微笑んで労う。八広は「あんがと」ってあっけらかんと笑って一緒にカフェに入った。
意気地のない俺は八広にちゃんとしたチョコレートを渡す勇気はなくて、ただカフェで飲み物を奢るよって声をかけた。
そしたら八広は「今日は俺が奢る」っていったから、俺は自ら進んで、バレンタイン限定のラズベリーソースのかかったショコラのドリンクを選んだ。
八広は「瑞貴甘いの苦手なのに、平気なのか?」なんて言って笑ってたし、実際俺は甘いものは得意ではない。
だけどどうしても今日は八広からチョコレートを貰いたかった。それがショコラのドリンクでも。だからそんな姑息な作戦を決行してしまったんだ。
「じゃあ、俺はこっちにする」
八広はホワイトチョコが溶けた温かい飲み物を選んでた。上にはクリームまでどっさりのって、さらにパラパラと削ったピンク色のチョコが散らしてある。甘い、きっと甘すぎる。八広は嬉しそうに飲むから、見ていてこちらも楽しくなるけど。
席に移動して、甘い香りが漂うカップに八広が口を付けた。白いクリームが唇につく。八広の唇はちょっと薄めで、良く笑う口はちょっぴりだけ大きめだ。
傍に居たら触れたくて仕方なくなるから、無意識に手が動く。俺は八広の唇の端についたクリームを指でなぞろうとした。いつもしていることだけど、八広は恥ずかしそうに頭を後ろに引いて、自分の手の甲でグイって口を拭う。ここのカフェは地元だから、働いている中に同級生がいるんだ。それが少し、忌々しく感じた。
「……八広、それ一口飲んでもいい? こっちも飲む?」
「いいよ。瑞貴が甘いの欲しがるなんて珍しいな。疲れてる? テスト勉強忙しい?」
そんな風に目を細めて笑う。確かにテストまで二週間になっていたけど、そんなことより八広に誰か告白してきたりしないか、そんなことが気になって前の晩中々寝付けなかったなんてとても言えない。
「はい」
差し出されたカップ、わざわざ聞き手に持ち替えて口をつける。こっくりと甘い。ホワイトチョコレート。八広も遠慮なくストローに口をつけて俺の分のショコラドリンクを飲んでいる。
「あー。こっちのが好みだった。失敗した」
「じゃあ、そっち八広が飲んでいいよ」
「え、いいの?」
にぱっと素直に笑う。目を細めると狐っぽくて可愛い。一口しか飲んでいなかったけど、俺が選んだものを八広が飲んでくれるならチョコレートを交換した気分まで味わえてちょっと嬉しい。
なんてことを俺が考えているなんて、この鈍感幼馴染は一切思わないんだろうな。
あくまで、優しくて気の合う、一番の親友で幼馴染み。このポジションを動かさないようにしなければいけない。学校が離れてしまった今、お互いに接点を務めて持たなければ、俺たちは本当に離れ離れになってしまう。
八広の方から避けられてしまったら、取り戻すまで時間がかかることは必定だ。
「ねえ、八広。その紙袋って……」
探りを入れる声を感情を薄めに入れる。怖がらせては駄目だ。今どれだけ胸の中にドロドロした感情が溢れているか、この素直な幼馴染に悟られてはいけない。いつだって八広を独り占めにしてどこにも行かずに腕の中に閉じ込めておきたいなって、そんなことばかり考えているなんて、知られちゃいけないんだ。
「ああ、バ先の先輩たちからもらった。女子はみんな手作りチョコとかお菓子の交換会してたんだって。俺はあまりをもらったようなもんだから。帰りに渡されて、まだ中見てないけど。瑞貴こそ、たくさんもらっただろ? 中学の時、最後すごかったもんな」
「男子校なんだから。貰うわけないだろ」
「それもそっか」
ちょっとほっとしたような顔をしてくれた気がしたけど、そんなはずはないよな。
八広の笑顔はあくまで屈託ない。
今回だって先輩からただお菓子を貰っただけ、なのかもしれないけど。ホワイトデーにはお返しとか考えるよなあ。
女子と接点を持って、近づいて欲しくない。
胸の中でもやもやとした黒い雲が立ち込めていく。ホワイトデー。一か月後。むしろ俺の誕生日が近い。出来ればそれを口実に八広の気を引けるようにしたい。でも……。出来ればそれまでに八広と一歩関係を進めてしまいたい。俺の事を意識してくれるように。意識してくれるような……。何かできないだろうか。
「明後日の日曜日。会えるよね?」
「会えるよ。朝からちゃんと一日開けてるって」
八広が座席からずり落ちそうになっていた紙袋を、テーブルの上に並べなおした。可愛らしいラッピングのセロファンが覗いている。女子ならこんな風に何げなく渡せるんだろうな。正直羨ましい。俺は色んな理由を考えたけど、チョコを渡す勇気が出なかった。
紙袋の中にメッセージカードとかあるんじゃないのか。気になる、どう確認しようか……。
「どんなのもらったか。見せて? 誰からもらったの?」
不自然だっただろうか。八広は目をぱちくりっとして驚いてから「いいよ」と中身をごそごそしてきた。
「あー。マフィンとか、こっちはクッキーかな。これはチョコ。こっちもクッキーだ。俺にまで作ってくれて気を使ってもらっちゃったなあ。手作りだ」
ちらっと見えたカードには「いつもありがと」的な一言とか、ヤヒロ君と名前だけ書かれた花柄のテープが張られていただけだったから、俺はほっと胸を撫ぜおろす。
「こういうの、俺も作って返さないと駄目かな? 小さい頃は姉ちゃんと一緒に作って返してたけど」
「それ、俺とやろう」
「え? 瑞貴と?」
食い気味に言ってしまった。変に思われなかっただろうか。とはいえ感情が顔には出にくいので、静かに応える。
「お菓子作りに母さんが凝っていて、近所に配りまくっている」
「おばさん料理上手だもんね」
「それが母さんのストレス解消手段らしいから。俺もガトーショコラに添える生クリームを作る係をしている。傍で見てたから作れると思う。八広が久しぶりにうちに来てくれたら、母さんも喜ぶ。とにかく母さんは誰それにあげたいからとかお礼とか口実を作ってお菓子作りがしたいんだ」
「ほんと? じゃあ俺も大窪家に教わって作ってみるか。面白そうだし。材料ちゃんとかってくから、教えてくれよ」
「わかった」
こうしてホワイトデー付近の八広の言動も見張ることができたわけだが、それだけでは足りなかった。日曜日に会って、どうにか八広に俺の事を四六時中意識してもらえる何かができないか。
八広が急にアルバイトのシフトが変わったというから、俺は朝から先に本屋を巡ったり文房具を見に行ったりして時間を潰していた。八広に一緒に服を選んでもらおうと思っていて、服屋も下見をした時。近くに出ていた催事のアクセサリー店の棚の上に赤いものが見えてすごく気を惹かれた。
赤は八広が好きな色。好きな人が好きな色だから俺も意識している色。
「それ、ホワイトハートっていってね」
「トレードビーズだったものですね」
「おお、若いのに博識だな」
初老の店主さんが色々と語ってくれた。俺はものの背後にあるストーリーを聞くのが好きだからすっかり話し込んだ。その中でいいアイディアがふと頭に閃いた。
この目を惹く赤いビーズのブレスレットを、八広にどうにか毎日身につけさせられないだろうか。急に八広が付け始めた目立つ色のアクセサリー、誰が見ても牽制にならないだろうか。あくまでさりげなく渡して、さりげなくつけて貰って……。
あまりにもブレスレットをじっと眺めていたから、店主さんからも後押しされた。
「元々は一つの束から作ったシリーズだったけど、これもう二つで終わりだ。本当はセール外のつもりだったけど、熱心に見てたからなあ。好きな子にでも渡すのかい? 割引してあげるよ」
俺はこくっと頷いて、ブレスレットを手に入れた。
もともと一つだったものが離れたのか。その物語性にも心惹かれた。二人で身に着けたい。これが二人を結びつける、運命の赤い糸みたいになってくれたら……。
「おい、瑞貴。考え事かよ」
「あ……」
指輪を選んでいる最中だった。八広がちょっと唇を尖らせながら文句を言ってきた。可愛い。俺の手を取ると、ガラスのショーケースの上に載せさせる。
「これとかどうかな?」
指輪を何の躊躇もなしに、左手の薬指に嵌めさせてきた。なんだか胸がいっぱいになる。俺が周りを牽制しつつ、いかに八広の気を惹こうかと考えている間に、八広はいつでも真っすぐに俺の胸をぐっと掴むリアクションをして喜ばせてくれる。
「なあ。これシンプルだけど、シンプル過ぎん? え……、瑞貴? 調子悪いの?」
ちょっと泣きそうになってしまって、右手で目元を覆ってしまった。
「いや。大丈夫。八広も手を出して」
「ああ。うん」
俺も元々こっそり測って知っていた、八広のサイズのところから同じデザインの指輪を選んで、嵌めてあげた。
あの日のミモザのブーケに続いて、これはまるでエンゲージリングみたいだな。
そんな風に思いながらいつでも俺の気持ちを明るく照らしくれる人の頬に、俺は人目を憚らずにキスをした。
「おい! 瑞貴、急になにすんだよお」
ぷんぷんっていう擬音でもつきそうな表情。八広の膨れたまろい頬が赤いから、ああもう、本当にすごく可愛い。
あーあ。俺の語彙は八広を前にすると蕩け落ちてしまって、可愛いって単語以外浮かばなくなってしまうんだ。
終