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 映画の時間まであと一時間余り。日が傾いて来た街を歩く。映画館の近くは生花のミモザが植わっていて、この時の為に特別な屋台も軒を連ねて、より一層の華やぎを見せていた。

 パンフレットを貰った瑞貴はしげしげと中身を読んでいる。瑞貴は活字中毒だから普段から気が付くと何かしら目で追って読んでいたりする。俺がすることは「なんて書いてあった?」って聞くことぐらいだ。

「ああ、ミモザの日っていうのがあって、3月8日に女性に感謝を伝えるためにイタリアでは男性から女性にミモザの花を渡すって。ミモザの花言葉は感謝とか、友情とかあと……」

 パンフレットから目を逸らさずに、舌の上で静かに転がすように、低い声で瑞貴が「秘密の恋、とか」と呟いた。

 斜めに差し込んできたオレンジ色の日差しに照らされ、瑞貴の横顔が綺麗だけどなんだか光に透けて儚く見えた。

 秘密の恋。

 秘密の恋……。

 俺も頭の中でその言葉がぐるぐると回る。すごく胸にぐっと来る言葉。瑞貴が掴んできた手、髪を直してくれた指先、見つめてくる眼差しが頭の中で映画のフィルムみたいにカタカタと流れていく。

 雑踏の向こうからわあっと声が上がって、俺は現実にひきもどされた。

「あっちで、日ごろの感謝を伝えたら、花束を貰えるイベントがやってるんだって」

「そうなんだ」

「いってみる?」

「うん」

 噴水のある広場がその会場になっているみたいだ。屋台にはミモザにちなんだアクセサリーや美味しそうなパン、俺達にはまだ早いお酒なんかが置かれている。綺麗な黄色のミモザのブーケが目に鮮やかで、手にして歩く人とすれ違ったら女性も共に歩く男性も笑顔が眩しい。

 人だかりの向こうが映画館で、あと三十分もしないうちに映画が始まる。それまでの時間つぶしもかねて、二人並んで人垣の後ろで告白を聞いていた。

「お母さん、いつもお弁当を作ってくれてありがとう」

「受験一緒に頑張ろうねええ」

「就職した後もたまに一緒に遊ぼうね」

「この間勝手にケーキ食べちゃってごめんね」

「今まで傍に居てくれてありがとう、結婚してからもずっと仲良くしようね」

 みんな臆面もなく大きな声で爽やかな告白をして、ミモザのブーケを手にして相手にプレゼントしている。幸せな顔、素直な気持ちを伝えられる人たちが、すごくすごく羨ましくなった。

 俺は隣にいた瑞貴の腕に凭れるみたいに身体をぎゅっと押し付ける。

「……日頃さあ、親しいから言い出せないことってあるよね」

「そうだな……」

 俺が瑞貴に叫ぶなら、何ていうだろう。

 今この心にいっぱいに詰まっている気持ちってなんだろう。

 感謝? 友情? 秘密の恋? 

 瑞貴の指先が俺の手の甲に触れた。びくっと反応したら、瑞貴が手を握ってきた。心臓がばくばくと鳴り始めた。

 今日はなんだかおかしい。ずっとずっとこんな風にすぐに身体が反応する。いや、違うかも。最近ずっとそうだったかも。

 瑞貴からのメッセージの返信を心待ちにしたり、通話したらもう眠る寸前まで声を聞いていたくて、相手が切ってくれないかな、俺からは切りたくないな、でも切られたら余韻が寂しくて、一緒に切ろうとか言い出したら変かなとかそんなことばっか考えてた。

 日曜にシフト入れたくなくて、会いたくて、だけどそれを周りに言い返せるパンチ力の低い関係性が嫌で。

 何で嫌なんだろどうしてなんだろ。

 周りに叫びたい。一番大事な人だから、約束も一番大事にしたいんだって。

 だけど友達だと無理なんだ。でもこの関係を変えるのが怖い。すげぇ怖い。

 生まれてこのかた、物心ついてずっと傍に居た相手なのに、これからギクシャクしちゃったら何もかもなくなっちゃったら。

 怖いよ。怖い。でもでもでも、物足りない。ずっともっと欲しい。瑞貴が俺以外と手を繋ぐなんてありえない。

 身体中をぐるぐるぐるぐると渦巻くいろんな感情。

「八広」

 名前を呼ばれて、長い指にきゅっと指がからめとられた。

「この1年、ずっと考えてた。保育園から今までずっと八広が傍にいることが当たり前すぎたから。離れたらどうなるんだろう。見当もつかない。って思ってた。いつも八広の事ばっか考えてしまうかもな。どこにいても、何をしていてもきっとね。……実際そうだった。離れていてもいつも、楽しい時も悲しい時も悔しい時も寂しい時も。いつも真っ先に八広の顔が浮かぶんだ。もっとずっと一緒に居たいって俺が一番特別になりたいって思ってた。でも本当の気持ちを伝えたら、この関係が変わってしまうのが怖かったんだ。でも……」

 俺は胸に沸き起こった感情の赴くまま、瑞貴の手をぎゅっと握り返した。そしてぐっと瑞貴の腕を引っ張った。人にぶつかりそうになりながら駆け出す。駆け出して、手を繋いだままさっき見かけた花屋さんに飛び込んだ。

「この、ブーケ。一つください」

 風に揺れているふわふわと光の粒子みたいに愛らしくて輝かしい花。ミモザのブーケが俺の胸にも勇気の灯りをともす。

 言いたいのに言葉にならないんだ。いいの、本当に俺たちの関係を変えてしまってもいいの?

 真っすぐに差しだしたブーケ。瑞貴はそれを静かに受け取って、胸に抱いてから、気持ちを落ち着けるように大きく吸って、息を吐いた。その姿に俺は胸がいっぱいで、何も言えないんだ。

「八広、何も言わなくていいよ。わかるから。俺と同じってことでいい?」

 目配せだけで俺が行きたいところ、見たいもの、欲しいものを読み取ってくれる瑞貴。今まで一度も疑ったことはなかったから、俺は賭けに出た。こくっと頷いた。

「俺も、同じ気持ちで、あってると思う」

「やったあ!」

 雑踏の中でも周りが驚いてこちらを見るほど、瑞貴がこんな風に大きな声を上げたのって、いつぶりだろう。ああ、中三の時にクラス替えで同じクラスになった時以来かな。

『修学旅行ぜったい八広と同じクラスになりたかったんだ。嬉しい、嬉しい』

 そんな風に噛み締めてくれた。あの時の笑顔とおんなじか、それ以上の笑顔だ。俺が掴んでいた手を逆にぐっと引かれた。

 それで俺は、バランスを崩して瑞貴の胸に体当たりしたら、長い片腕に巻き込まれるように抱きしめられた。

「八広……、八広」

 ちょっと屈んだ瑞貴の声が耳の近くで聞こえる。感極まった声色。祭の影響で狭い広場は人でごった返していたのに、一瞬周りの雑音が気にならなくなった。

 時間にしたらどのくらいだったんだろう。瑞貴は掴んでいた俺の手を離すと、両手で腕の中に俺を抱え直す。宝物を包み込むような感じ。俺はお前の大事なものなんだなって、すげぇ伝わってくる仕草。

 ああ、瑞貴のコートは肌触りも優しい。流石高級品。なんて照れ隠しに必死で別の事を考えないと、どうにかなってしまいそうだ。そしたらぱちぱちぱち、って前から聞こえる。

 はっとして音のする方を探したら、花屋さんのお姉さんたちがこちらを見ながら、満面の笑みを浮かべて手を叩いていた。

「み、みずき、人が見てる」

「いこう!」

 瑞貴がもう一度俺の腕を掴んで駆け出した。どこに行くというのだろう。背後の建物の中に飛び込んだ。そのまま階段を駆け上がる。あまり人の往来がないそこは、映画館とは別棟の建物の階段だ。今は夕暮れ時で、踊り場に嵌っているステンドグラスみたいな丸い赤い硝子とアールを描いた鉄の飾りの模様がすごく綺麗なんだ。

 小さい頃から俺はここと、建物の間を結ぶブリッジとアーチ形の回廊が好きって思ってた。ごちゃついた雑多な街で、子供の頃から何度も遊んでる街で、ロマンチックの欠片もないけど、ここだけすごく綺麗で、さっき瑞貴からもらった赤いブレスレットを見てここを思い出した。

 俺がここの赤いの、綺麗だねって小さい時に言ったこと、瑞貴はちゃんと覚えていたんだ。胸が苦しい。涙も出そうになる、なんだろうこの感覚、身体から溢れそうになるこの気持ち思い、愛おしい、感情。

 何度も来たことがある地元の映画館で、相手は幼馴染の男で、なのにぎゅうって抱きしめられて顔が近づいてきたらもう、映画のドキドキなんて目じゃないほどの興奮が身体中を駆け巡る。瑞貴の真剣な顔を、俺も息を飲んでただ見つめ返す。

「八広の土曜も日曜も全部の時間、俺が好きな時に予約できる権利が欲しい。俺を八広の彼氏にしてください」

「はい」

 ああ、もうこんなん。頷くしかないじゃん。ぽろっと涙が零れてしまった。情けない俺を瑞貴は背中に手を回して抱き寄せてくれた。

「はい、とかいっちゃったよ」

 照れ隠しでそんな風に言って、涙を見られたくなくて瑞貴の襟の間から覗くセーターにごしごしと顔を押し付けて拭いたら、瑞貴は後ろに回していた手をほどいて、俺の両頬に手を当てぐいっと顔を上向かせた。

「今更、嫌とか言わせないよ」

 屈んだ瑞貴の端正な顔に影が落ちる。なんだか魔王様みたいな妖し気な風情だなって俺がほへぇってボケ顔で見上げていたら、あれよあれよという間に瑞貴の顔が近づいてきて、唇にふにゃ、と柔らかいものが当たった。

「みずっ」

 慌てて口を開いたところにもう一度角度を変えて唇が押し当てられる。あったかい唇、柔らかい。吐息が熱い。何より俺の顔は耳の先まですんごく熱い。何度も押し当てられるような口づけ、当然俺は初めてだ。当然っていうのは情けないけども。

 瑞貴も初めてなんだろうか。顔が離れる寸前にちらっと盗み見た顔は、頬を真っ赤に染めた可愛い顔だった。可愛いけども、強引な力は男らしくてすごく悔しい。

 俺は無性にからかってやりたくなって「おい、お前顔真っ赤だぞ」なんて胸を張ったら、瑞貴は綺麗な眉を片方上げた。

「そっちこそ耳まで真っ赤だよ」

 じゅわあああって、水が掛かったらいうんじゃないかぐらいに余計に頬が熱くなった。

「くそう、瑞貴のくせに生意気だぞ」

 涙目で見上げたら瑞貴はそれはそれは色っぽい顔をしてきた。

「そんな顔しないでよ。映画じゃなくて二人っきりになれるとこ今すぐ探したくなるから」

「ふ、ふたりっきりとは……」

 瑞貴はくすっと笑う。いつもみたいにふんわり甘くて柔らかいかき氷みたいに儚い笑顔じゃない。なんだろう、こう。今まで隠していた熱い塊みたいなやつを覗かせるような情熱的な顔。端正だからこそ余計に凄みがある。言うなれば綺麗な天使の背中から悪魔の羽が生え直したみたいな感じ。なんかそうだな、こいつからは逃げられないって感じ。だって俺もう身体が操られるみたいに、瑞貴にしがみ付いちゃってるし、情けないけどちょっと身体がぶるって震えてしまった。

 怖いんじゃないぞ、こういうの。武者震いっていうんだろ?

「まあ、いいか。映画館も暗くなったら周りなんてみんなみないだろうし」

「ええええ、なにすんの。怖いんだけど」

「なんでしょうか。そろそろいこうか」

 そう言って憎たらしいぐらいにいつも通りの涼しい顔でにこって笑ってから、瑞貴は先に階段をすたすた上る。なんか鼻歌でも歌いそうな足取りの瑞貴に、俺は手を引かれてその後をついていく。

 映画館の方に渡るアーチのブリッジから下を見下ろすと、さっき告白イベントをしていた広場はいつも通りの噴水ショーが始まって、光と水の飛沫が上がったり下がったりしているところだった。

 こんなのじっと見つめてるの、暇なカップルぐらいだろうって良く揶揄してたわけだけど、今まさに二人して噴水を見下ろしている。夕焼けに近づいた空の下、瑞貴の顔が急に俺に急接近してきた。そうは何度もやられてたまるか。

 今度はこっちからやってやる。俺は瑞貴のシャツを首元を掴むと、自分から背伸びして唇をくっつけてやった。

 焦った顔で目の下あたりの頬をさっと赤らめて、瑞貴が驚いて一歩引いた勢いで小さなミモザの花のブーケが瑞貴の指先を離れて宙を舞う。

「「あっ!」」

 慌てて手を伸ばしたけど橋から下に向かって落ちていった。

 軽いブーケはふわふわと下に落ちて行き、覗き込んだら小さな女の子が拾っていた。上を見上げたから俺たちは逃げるように後ろに引っ込んで、悪ふざけで倒れ込んでお互いに抱き着いて笑いあう。

「あーこれ、あれだな。ブーケトスみたいだ」

 そんな小洒落た台詞を言えるのは、俺の幼馴染じゃなくて、できたてで湯気が立ちそうな俺の恋人。坪井さん、俺もうシフト変わってあげらんないかも。 

 好きな奴が幸せそうに俺の手を握って笑ってる。ああ何ていい日だろうなあって俺は薄オレンジとピンクに色づいた雲を見上げたんだ。



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