第4話 権能祈請
【前回のサマリー】
リンキは売られた姉を買い戻すために、一攫千金の暗殺ミッションを引き受けたが、その内容は自爆攻撃だった。スズリが助けようとするが、最終的にリンキが腹に巻いていた爆弾はスズリの目の前で起爆してしまった。
翌日の報道が伝えるところによると、カミゴーリア仮設市場の中心付近で爆発があった。爆発点の周囲にいた数十人が聴覚の異常等を訴え救護施設へ搬送され、現在治療を受けているという。爆発音は隣のルブラスピカ市内でも観測された。爆心地付近にいた10代の少年が行方不明となっている。カミゴーリア都市参事会は爆弾によるテロ攻撃とみて捜査を進めている。
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「――――はっ」
目が覚めた。真っ白な天井。真っ白なカーテン。LEDの無機質な光。新築の建物のような無色透明の空気に混じって、ツンとのエタノール匂いが鼻を刺す。むき出しの手足が少し肌寒い。
「やあ少年、目が覚めたかね」
何が嬉しいのか、ニッコニコ顔の乙多見が、ベッドに横になったままのリンキの顔を覗き込んでくる。
「僕は……死んだんじゃあ……?」
そっと上体を起こし、爆弾を巻いていたはずの腹をさする。着ていたはずのコートもシャツも下着もない。代わりに、淡い水色の簡易的な検査着一枚だけを着せられている。
「そうだよ。実質死んだも同然だよ。スズリに感謝しな」
「スズリ……?」
数秒考えて思い出す。よく知っているはずの名前だ。あの日、暗殺の依頼主から渡された顔写真に添えられていた名前。自分がその手で爆殺した魔法少女の名前。
だが、記憶と現状で整合性がとれない。リンキは状況を掴もうと、なんとか記憶を辿る。
あの時、気付かぬ間にスズリに間合いを詰められ、胴に巻き付けた爆弾を解除された。しかしバックアップとして爆弾と遠隔起爆装置をもう1組背中側に抱えていたため、離れた位置から監視していたリンキの依頼主はそれを起爆した。起爆装置につながる携帯電話の音をリンキははっきりと聞いている。閃光と轟音、激しい衝撃に襲われたところまでは記憶があるが、そこから先は全く思い出せない。なぜ自分は生きているのか。
「眠らせて生け捕りにするつもりだったんだがね。君が勝手に気絶してくれて手間が省けたというかなんというか――」
気絶。道理で記憶がないわけだ。
それにしても、何故生き残ったのだろう。誰よりも爆弾に近い位置にいたはずなのに。
リンキは改めて腹に手をあててみる。痛みも違和感もない。麻酔というわけでもない。本当に完全に無傷なのだ。
「命があるのが不思議かい? 不思議だろうねえ。私も不思議だ」
乙多見は移動式テーブル上のマグカップを手に取る。そういえばこの部屋には窓も壁もない。四方を純白のカーテンに囲まれた空間。その中にポツンとベッドが一台と、小さなテーブル。そしてリンキの正面にはキャスター付きの大きな六角柱。その側面には2つの孔が開いていて、リンキはまるで目玉に見つめられているような気がした。まるで無機質な偶像のようだ。
「どうやって」
爆発前であればいくらでも助かる方法はある。しかし、記憶が正しければ爆弾は間違いなく爆発したのだ。
「スズリはね、禁を犯して君を助けた」
ズゾ…と、カップの底が見えるほど薄いコーヒーをひと口すする。
「きん、を……?」
「緩衝地帯での無許可魔術使用。そのせいで各方面から『叱られ』が発生したけどねぇ。まあ多少の額持って頭下げに行くだけ済むんだから安いもんだよ。私の首がとばなくてよかった」
魔法少女の社会をよく知らないリンキには十分に理解できないが、スズリはルールを破り、リンキは助かり、そして乙多見はとにかく苦労したらしい。
「魔術使用禁止エリアだからわざわざシステムコアを外していったのにねえ。まさか自前でやるとは。魔術師の血ってやつかな? 生で見ると感動するね。素手で第一種魔力変換するんだから」
リンキが訊いてもいないことを一人でしゃべり続ける乙多見。
「でも……なんで僕なんか助けたんですか」
経緯がどうであれ、スズリにとってリンキは命を狙う"敵"のはずだ。リンキを無傷で助ける理由はない。
「スズリに聞きな。すぐに君もあの子のところへ送ってあげるから」
そう言いながら、天井のその向こうにあるはずの空を見つめる乙多見。
「私としては、便乗して君を利用させてもらうだけだ」
薄いコーヒーを飲み干し「というわけで――」空のマグカップをテーブルに戻した。
「君は死んだも同然だから、これから私たちに付き合ってもらう」
「……なにをすれば……」
「暗殺に失敗して、敵に捕まって――――そんな状況ですることなんて決まっているだろう?」
乙多見は振り向きつつ命じる。
「少年。魔法少女になって拷問を受けつつ、憂さ晴らしの相手をしたまえ」
「…………………………???」
7.63秒間の沈黙。笑顔の乙多見と表情の固まったリンキ。
「拷問だよ拷問。立場を弁えたまえ。私たちを殺そうとしてしくじったうえに、こうして生け捕りにされているんだ。何をされても――魔法少女にされたって文句は言いえないだろう」
「魔法少女って……?」リンキは言葉の意味を理解できない。「でも、僕オトコですよ!?」
そう言って薄い検査着の裾を捲り上げ、股間の根拠を示してみせる。
「関係ないね。さあいくぞ! MGPATRAステンバァイ!!」
*ピッ* 乙多見は手元のパネル上のスイッチを押した。
「ちょっと!?」
「私は【外】から見てるから。まあ頑張りたまえ!」
_ブ_ゥ_ン_
何かが低く唸るような音とともに、辺りが暗くなる。否、正確にはリンキの視覚が奪われたのだ。尻の下のベッドの感覚も消えてゆく。まるで催眠術にかかったように急速に五感が失われ、何もない空間に放り出された――と感じたのも束の間。
「ここは……」
世界に光が差した。瞬間的に失っていた感覚が回復する。
足の下に地面。空から降り注ぐ陽光。緩やかな風が肌を撫でる感触。
何かがおかしい。いや、全ておかしいのだ。つい今の今までリンキは窓のない部屋の中、柔らかいベッドに腰かけていたはず。それが一瞬の暗転のうちに屋外に立っている。
明らかに見覚えのある景色だった。足元には老朽化したアスファルト舗装の広い道路。道の両脇にトタン屋根や天幕を張っただけの簡易的な露店が連なる。その店先に並ぶのは、食材や香辛料、珍しい工芸品や機械部品の数々――。
「カミゴーリアの市場……!」
境界線未確定地帯カミゴーリアの仮設市場と完全に同じ風景が広がっていた。何から何まで記憶と一致する。冷たい風も、舞い散る砂塵も。道路のヒビ、壁に伝う蔦。そして高い空と流れる雲。
ただひとつ記憶と異なる奇妙な点は、人が全く見当たらないことだ。
「せいかい。よく覚えてたね」
少し幼いが芯の通った声。乙多見ではない。硬くも温かい、小さな金管楽器を思わせる声音。
「誰!?」リンキは声の主を探して振り返る。
リンキの背後、3階建ての建物の屋上。太陽の光を背に立つ人影。
身長146cmの小柄な体に魔法少女装束を纏い、その高い位置からリンキを睨みつける少女の姿。シルエットから右手に小銃、左手に大きな盾を携えているように見える。
転落防止柵の外側、塗装の剥げたコンクリートむき出しの縁の上に仁王立ち。足を踏み外してしまいそうな危うい足場から、既にブーツの先は屋上の縁からはみ出している。下から見上げるリンキが、今にも転落しそうだと思ったその時、
「おらぁっ!!」#スダッ‼#
踏み切った。
少女が驚異の跳躍力で空中へ飛び出す。
碧空を背景に放物の軌跡で落下しながら、鮮やかに180+90°前転。白い足先が風を切り、宙に美しい弧を描く。
「!??!」予想外の行動に反応が遅れるリンキ。
<<constructing the inner-structure...>>
少女は_スッ_と伸張した右脚の踵を――――
「くゥらえァッ!!」
`,⇩⇩##ドュ゛ガァアッッ!!##⇩⇩;*
直下リンキの左肩めがけ振り下ろす!!
「「ィ痛ッァァアアアアアアアアァアアアアァアアアア」」
自由落下に全体重を乗せた16.0m/sの踵落とし。ライフル弾の直撃にも匹敵する6,000J超の運動エネルギーを伴う重い一撃。
全ての力を左肩僧帽筋上の一点で受け止める。衝撃は即時にリンキの体を伝播し大地へ。
#ボコ゛ッッ!!# 路面が陥没しリンキの両足が地にメリ込む。
―*ビシィッ*― 八方へ亀裂が走り、黒いアスファルト片が舞い上がる。
「ぅわッ」リンキはバランスを崩し尻餅をつく。その顔面にさらに#ズンッ!#魔法少女の尻が落ちてくる。黒のスパッツに包まれた尻と黒いアスファルトに挟まれ、サンドイッチの具にされるリンキの頭。悲鳴を上げたいが口元が尻で圧迫され声を出せない。
「痛いか自爆少年! 痛いだろう私もすごく痛い!!」
リンキの顔の上で少女が怒鳴る。
『お前は痛覚抑制すればいいだろスズリィ……』
「同害報復だよユート!」
『何か違うと思うぞスズリィ……』
「(ムゴ……)」
リンキは肩の痛みに耐えながら魔法少女の下でジタバタともがいてみるが、とても抜け出せそうにない。
『スズリ、それじゃあ何も喋れない。退いてやってくれ』
「それもそうか」
のそり、と立ち上がる魔法少女。「プハアッ」ようやく尻圧から解放されたリンキ。
安堵したのも束の間、すぐに魔法少女に胸倉を掴まれ、強引に引き起こされる。
魔法少女の身長はリンキと大差ない。年齢的にも同じくらいだろうか。魔法少女の腕力でリンキの足はアスファルトから引き抜かれ、大きな盾を装備したままの左腕で、軽々と持ち上げられる。
『改めて紹介しよう。我がカンパニーのMG、スズリだ』
乙多見に紹介されるまでもなく、リンキの脳に焼き付いた顔。忘れもしない。この少女こそリンキがカミゴーリアで爆殺したはずの、まさにその人物。アライアンス陣営のカンパニー【カエリクス工房】所属の魔法少女資格者、鉄スズリである。
笑みとも怒りともとれる表情を口元に浮かべ、スズリは言う。
「どうも、自爆少年。スズリだよ」
『我がカエリクス工房の魔法少女システム。名前は【エンジェルモデル・アルマロス】だ。』
「エンジェルモデル……」
もちろんリンキは知っている。忘れもしない1年前の出来事。夕暮れの廃校。リンキとレンカを襲った魔法少女と同じ名前のモデル。しかしスズリのアルマロスは特別機であり、その外見も仕様もリンキの知っているものとはほとんど別物である。
正式に付与された名称は【MA-01Dmx-IX エンジェルモデル・ドミニオン試験型IX号機 ”アルマロス” 】。量産普及型魔法少女システム【MA-01 エンジェルモデル】を対魔法少女戦闘に特化させた【エンジェルモデル・ドミニオン】シリーズのうち、カエリクス工房において新技術実証試験用に改装したモデルである。
白いベレー型帽に黒いスカート。通常のエンジェルモデルと異なり、その背に翼はなく、頭上の光輪もない。重心位置を腰の高さに据えたバランスの取れたシルエット。大地を踏みしめるのは黒地に白いつま先とヒールのショートブーツ。両腿のライン上に2本のスリットが入った短めのスカートの裾から、漆黒の3分丈スパッツが覗く。ベルトはA規格汎用品とほぼ同じ単調な外見だが、一部金の縁取りを施してある。黒のトップスには大きな四角形の白いセーラー襟。そしてその中央、胸の上に、紺碧を湛えて輝く水晶状の魔法少女システムコアユニットが鋼色の台座とともに埋め込まれている。コアの定格出力は170kRz。スカートの裾・襟・袖にはカンパニーのイメージカラーである空色ラインのアクセント。
髪はいつもの右側サイドテール。左側には白い帽子から大きな赤い帯状リボンを垂らしている。例の威圧的な鋭い目付き。深い紺青の眼には、白い円の両脇を赤と緑の三日月形が囲む、奇妙な星状虹彩が浮かんでいる。
何より目を引くのは、左腕に装着した大きな盾。長辺は907mmにも達する、先端の尖った初期中世ノルマン風大型可動式バリスティックシールドである。スカートと同じ黒に塗られた大型盾の中央には、所属カンパニー【カエリクス工房】のシンボルとして祈りの天使が刻まれている。今は左手の自由を確保するため180°回転させ、下端を肩側に向けている。
右手に握るのは、品のある墨色が美しい汎用戦闘魔法杖【NFR BW-7】。分類上は魔法杖ではあるが外見は小銃と同様であり、魔力キャパシタを兼ねる箱形弾倉がトリガー前に挿入されている。口径5.56mm。銃本体とひと続きのクラシカルなグリップとストック。その様は、銃床端から銃口へ向けてうねりながら伸びる葡萄の幹を想起させる。銃口直下には、刃渡り200mmにも及ぶ大型の銃剣が据え付けてある。銃剣を含めた全長は1,004mmであり、これはスズリの身長のおよそ7割に相当する。
「自爆少年。所属と名前は?」
胸倉を掴んだままスズリが尋問する。
「リンキです…………久々原リンキ。所属はないです……」
「リンキ。これから私は君に拷ォ問を加える。死にたくなければ素直に答えること」
「ヒィッ!?」
そう言うが早いかスズリは、
「でぇいッ!!」*ブオォッンッ!>>
背負い投げの要領でリンキ体を全力でブン投げた。
##ドズン゛ッ!!##
「ゴエッ」9.5m/sのスピードで背面からコンクリートの壁に激突するリンキ。衝撃に壁面全体が振動し灰色の粉塵が降る。
咄嗟に手足を大の字に広げて衝撃を分散させたが体勢が悪い。天地逆さの無様な状態で頭から地面に落下する。
リンキは即座に起き上がろうとするが、スズリは一瞬の隙も与えない。投擲姿勢から流れるように戦闘魔法杖の銃口を突きつけ、捕囚の動きを封じる。
「第1問ッ! 依頼人は誰!?」
銃剣の切先がリンキの鼻先から25mmの距離で鋭く光る。
「ま、待って」リンキは慌てて手をかざすが、
「待たない。私は腹が立っている。慈悲の心で助けたのに、お気に入りの服は焦げるし無期謹慎になるしORDERコードは剥奪されるし。なにもかもリンキのせいだから」
『慈悲? 顔がユマ似だからじゃなかったか?』乙多見が外野から口を挟むが、
「それは黙っててユート!」
スズリは口先で小さく呟く。
「[sht.]」
それは術式の索引略称。コア外殻に設置された5の術譜スロットの内から、スズリの望む攻撃魔術の術式データをピックアップしロード。スロットに格納された術式データは、コアユニット内の人造神格に読込済みであり、無遅延で魔法杖のチャンバーに装填される。同時に弾倉魔力キャパシタが解放され薬室内の仮想弾殻に魔力が充填される。
起動条件は機械トリガー。即ちスズリが魔法杖の引き金を引けば、直ちに魔術が発動する状態である。
「ねえユート。加減しなくていいんだよね」
『構わんぞ。全力で頼む』
ギリ……とグリップを握る手に力がこもる。突き付けた銃口は揺るがない。
「リンキ、もう一度訊く! 私を殺せと依頼したのは誰!?」
「そ、それは……」
「ヴァンガードか!? レイディアント・ヴァンガードの奴ラなんだろう!!?? なあ!!??」
『拷問ド素人かスズリィ!?』
「そうですぅ! ヴァンガードの人ですぅ!!」
「やっぱりなァッ!! 死ネ!!!!」
「ヒゥッ」
リンキが本能的に顔の前で両腕を交差。咄嗟に頭部を庇う。
_ゥ゛オン......<<contouring the barrier-coating>>
乙多見の非難などには耳を貸さず、スズリは感情に任せてトリガーを引いた。
標的まで122mm。ほぼ零距離射撃。
魔術発動。銃口から光が走る。
>>*コ゜ォァオオァンッッ!!!!*<<
【攻撃魔術[ShootingStar]:充填された魔力の限りにおいて、着弾時に衝撃を生じせしめる非実態弾を射出する。】
炸裂。
##バガォ ォ ァ ァ ァ ア ア ア ア ッ ッ##'、・
衝動。リンキの体が背後のコンクリート壁を砕いて屋内へ吹き飛ぶ。
「ぅわぉあああああああああああああああああ」
同時に、魔弾の生み出す圧力波を至近距離で受け、スズリ自身も逆方向へ飛ばされる。
「おおおおおおおおおおああああああああああ」
さらに瞬間的に生じた真空領域が潰れ*ッンパァンッッ!!*けたたましい音が響き渡り、辺り一帯の窓ガラスを粉砕。
本来は遠距離目標物を弾き、穿ち、砕くための魔術である。弾丸が標的に接した瞬間に仮想弾殻内に充填されていた魔力が運動エネルギーと化し、弾殻先端を中心として半径50mmの範囲に爆発的な衝撃が発生する。ごく狭い作用領域であっても充填する魔力量次第で非常に凶悪な破壊兵器となる。物質を介して伝播する衝撃は、その狭い領域に留まらないからだ。
『ヤりすぎだ馬鹿かスズリィ!??』
「ユートが全力でって言ったじゃん!!! クソッッ!!」
尻餅をついた姿勢のまま悪態をつくスズリ。
『加減ってもんがあるだろ!!』
壁にポッカリと空いた直径2m余の穴の奥、リンキが呻き声をあげる。
「うぐゥ……イタァ…………」
*パキッパキ*と天井の梁が軋む音がする。砕けたコンクリートの壁材が散らばる部屋の中。瓦礫の上に倒れ込んだまま、リンキはあまりの衝撃に動けずにいた。
情け容赦など微塵もない魔術攻撃の直撃である。生身の人間なら体の大部分が弾け飛ぶ程のエネルギー量。
だがしかし、
「……………………………くない。痛くない!?」
強烈な衝撃を全身に受けたにも関わらず、リンキの体には傷ひとつない。それどころか僅かな痛みすら残っていない。あの左肩の激痛ですら、いつのまにか消えている。
「どうして……??」
思い返せばスズリの踵落としを受けた時点から、リンキの肉体は物理的ダメージを全く負っていないのだ。
リンキは恐る恐る己の右手を見る。
「はぇ!?」――――知らない右手だ。
皮革のような黒の手袋に包まれた両手。投げ出した両足に目をやると、黒いレギンスの先に紅色とパールホワイトのスタイリッシュなショートブーツ。自分自身の手足であるのは間違いない。しかしどれも全く身に覚えのない装束である。
『お、効いてる! バリアコーティングも痛覚抑制も効いてるぞ!』
乙多見が何やら喜声を上げている。
「ユート! 恩寵値は!?」スズリが跳ね起きて尋ねる。
『1.27ァ!! いけるぞ少年!!』
「っしゃあ権能祈請だリンキぃぃいいいい!!」
『復唱セヨ!! "DONA MIHI TUAM AUCTORITATEM" !!』
リンキは2人の勢いに気圧され、意味も分からぬまま【その言葉】を口にした。
「ど、、どーなぁ……あぅくとーり、たぁてむ――――?」
――――願わくは我が身に
其の御力を与え給わんことを。
――フ_ィ_ォ_ォ_オ_オ_オ_オ_オ_オ_オ_!!!――
リンキの胸の上、魔法少女システムのコアが唸りを上げる。
抑制されていた力が依り代を得て覚醒する。
アライアンスのシンボルを象ったコアユニットに萌黄色の光が灯る。
<<authorize>>
電子音声が人造神格による承認を告げる。
「……これ……!?」
-+ギンッ!!+-
リンキの眼に星状虹彩が発現する。
深緑の双眸の表面、浮かび上がるのは煌めく純白の八芒星。
網膜投影により視界の中央、その意味するところが顕示される。
SWORD MODEL
SHORT-SWORD
「魔法少女システム…………!!!」
リンキは壁の鏡に映る自身の姿に気付く。ひび割れた鏡面の向こう側にいたのは、魔法少女の衣装を纏った紛れもないリンキ自身だった。
「そんな……」
紅色と真珠色のショートブーツ。分厚い黒いレギンス。裾を白く縁取った緋色の膝丈ハーフパンツ。銅色のベルトのバックルと腰の左右には魔力キャパシタ。純白のトップスには深紅の三角セーラーカラー。そして胸の中央には、企業連合アライアンスの標章である【∀】を象った魔法少女システムのコアユニットが鎮座している。両耳から頬にかけて頭部を覆うヘッドギア。スカーレットのベレー帽には、ヘルメス神を思わせる一対の小さな白い翼。
魔法少女モデル【A-MGSG1 ショートソード】は、アライアンス圏において運用される、ビギナー向け量産型汎用モデルである。定格出力100kRz。控えめな性能を補って余りある幅広い拡張性と安定した挙動、そして搭載した人造神格がほとんど資格者を限定せず受け容れるという特性により、エンジェルモデルと並んでアライアンス魔法戦力における数の上での主力としての地位を占める。
『受け取れ少年、君の得物だ』
乙多見の声とともに、リンキの目線の先、何もない天井から唐突に鋭角三角形のモノが現れ、*ガシャン*リンキの膝の上に落ちてくる。
「銃!?」
『君のバトルワンドだ』
戦闘魔法杖【TALCO Sforzato】。小銃型式。口径5.56mm。軽く頑丈な樹脂製フレーム。三角定規のようなシルエット。機関部をグリップより手前に配したブルパップスタイルの採用により、銃身長に比してコンパクトに収まっている。実包装弾数は40+1発。最大魔力キャパシタ容量320kRzh。ソード規格接触式ユニバーサルコネクタを備えた小さめのグリップはリンキの手にもよく馴染む。
『魔術も撃てるし実弾も撃てる。ショートソードのシステムとリンクしてすぐに使える』
リンキが戦闘魔法杖のグリップをグッと握ると、視界右下方に[40]の数字が表れる。残弾数だ。
「魔術……魔法……僕が…………魔法少女!?」
『そうだ少年! 君が魔法少女だ!!』
魔法少女システムの起動が完了し、様々な情報が強制的にリンキの脳内へと流れ込む。――コア出力。キャパシタ容量。バリアコーティング稼働率。各部魔力消費量。エナジーバランス。術式データスロットインターフェース――――。
――自分の行動が裏目のさらに裏目に出ている。逆だ。すべてが逆だ。リンキは思う。魔法少女を倒すため、捨て身の自爆攻撃を仕掛けたのに、結局自分は助かって、そして何故か自分自身が魔法少女になっている。そもそも男である自分は魔法少女になりえないはず。どこで間違えたのか、一体どうしてこうなってしまったのか。
こんな時どうする。分からない。ああ教えてほしい。ねえさんならどうする?
落ち着け。パニックになるのは最悪手。冷静になれ自分。こんなとき、自分の気持ちなどどうでもいいのだ。ただ冷徹に、事実のみを受け入れるんだ。
「さあ立てリンキィ!」スズリが外で怒鳴っている。「これで互角だろ!!」
――互角??
そうか……そうだ! 今の僕には魔法少女の力がある。与えられたこの力を使わず、このまま殺されるわけにはいかない。あの時とは違う。力を持つ側に立っていることを自覚しろ。
目の前の魔法少女――鉄スズリを倒して、そして生き残るんだ。
ねえさんを取り戻すために!!
「……この力、使わせてもらいます」
リンキはゆっくりと瓦礫の中から体を起こし、粉塵にまみれた両足で大地に立つ。
リンキの決意に呼応するように、星状虹彩が輝きを増す。
_ゥ゛オン___先程の直撃弾で損耗したバリアコーティングが自動再展開。
*バヂィッ*天井から降る破片がバリア層と干渉し控えめに爆ぜる。
『その真価を見せてみろ少年。銃は扱えるな』
「もちろん……ッ!!」
乙多見の言葉に応えるように_ジャコン!_戦闘魔法杖のチャージングハンドルを引き、弾丸を薬室へ送り込む。
「そうだリンキィ! 私を殺スつもりで向かってこい!!」
スズリが鬼気迫る表情で戦闘魔法杖を構えなおす。
「殺される前に……殺す!!」
「イイ度胸だッ!!」
スズリの怒号に立ち向かうように、リンキは反撃の第一歩を踏み出した。