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666 その④

 俺は助かった。

 こちらとしては、正直会いたくなかったのだが、向こうは会いたかったらしい。

 言わば俺のご先祖様、ひいひいひい・・・・・・おばあちゃんだ――なんて言ったら俺がヒィヒィ言わされそうなのでここだけの話にしとこう。


 明鏡衆がココウと出会った意味は大きい。


 特に【月鋼(げっこう)クナイ】、月鋼で加工されたクナイに【気】を込めると、そのクナイで傷を負った悪魔の血は石の様に固まる。

 隕石に付着した金属、【月鋼】の加工方法や悪魔の血を固める効力があるってことは、明らかにココウが(もたら)した知識だし、明鏡術式ってのもココウから知り得た技なんだろう。

 悪魔の特徴や弱点なんかも世間一般には知られていない情報だし・・・・・・情報・・・・・・情報って言えば――


「君は魔族のことをあまり知らないんだな、教えてもらわなかったのか? 魔族は寿命が長い。特に魔力総量が多ければ多いほど寿命が延びる傾向にある」

「ええっと・・・・・・聞いたこと・・・・・・あったような気がするっす」

「魔族と人族の大きな違いは、外見は言わずもがな、寿命と魔力だ、良い悪いは別としてね」

「寿命が長くて魔力があるって良いことしかねぇんじゃねぇの?」

「そうとも限らん、サイロクにはまず人体と魔体について説明しよう」


 ココウは、人間と悪魔の共通点と弱点を2点挙げて説明した。


 共通点その1,心臓の拍動によって血が流れている。

 魔力を帯びた血液は黒い色に近付く。魔力を帯びれば寿命は伸びるが、月鋼が弱点として増える。


 共通点その2,男と女が存在し、性交によって新しい生命が誕生する。

 自然界の摂理により、死ににくい種は、新たな生命を育みにくい。

 故に、魔族は増えにくい。


「なるほどな。でもよぅ、それを知っても悪魔の方が人間より有利な気がするんだけど――」

「人間には成長力がある」


 そう言ったココウはドヤ顔だ。


「それ、さっきも言ってたな、魔族は成長しねぇってことか?」

「そうは言わないが、人族のそれに比べると微々たるものだ。人族にとっての1年は、魔族にとってはほんの一瞬の出来事だからな。もし戦っている相手が一瞬で強くなったら驚くだろ?」

「でも時間がいっぱいあるのが魔族なんだろ? 時間を掛けて強くなれば結局人間なんて屁でもねぇんじゃねぇの?」

「結果はそうかもしれん。だが、今日戦った人族と魔族が、同等の力ならどうなる? 明日には魔族が倒される結果となるだろう。それ程に成長力に差がある。」


 ココウがそこまで推す人間の成長力って、そんなに凄いのか?


「一瞬とは、人族の寿命と魔族の寿命を、比率にした時の表現だが、実際は人族が過ごす1年と魔族が過ごす1年という時間は平等に過ぎる。 同じ31,536,000秒が経過する。だが、時間に対する価値観の違いから、人族は短い分直向(ひたむ)きになれる。逆に魔族は時間が長すぎて持て余す。余程の|気概があれば別だがな」


 要するに、人間は今から始めないと結果を出す前に人生が終わってしまうと考えて、必死に取り組むが、時間のある悪魔は、今やらなくても大丈夫だと思って、直ぐには努力しないってことらしい。


「寿命を走ることに例えて言うと、人族が短距離走、魔族が長距離走だ。スピードが違う」

「あ、それならよく分かる、うん」

「ならば、人族が短距離走のスピードを維持しつつ距離を伸ばせば、もしかしたら魔族を越えるのではないか? と、考えた」

「スタミナの概念が無けりゃ当然だけど・・・・・・」

「それを私は実現しようとしている」


 言ってることが無茶苦茶だ。

 出来るわけが無い。

 それこそ進化させるってことになるわけだし、どれだけ時間が掛ると思ってんだ?

 頭良さそうな感じだけど、本当はバカなんじゃねぇか?


「どうやって?」

「なら聞くが、老齢でありながら全盛期の若者にも近い体力を持った人物に、心当たりは無いかな?」


 俺はハッとした。

 俺の脳裏に、つい最近会った男の顔が浮かんだからだ。


「居る・・・・・・いくら俺が鍛えても追いつけねぇジジイが・・・・・・それだけじゃねぇ、外番のジジイ、ババアもだ」


 ココウは北叟(ほくそ)笑んだ。


「そうかそうか、私の計画は上手くいっているようだな」

「でもどうやってそんなことが出来たんだ?」

「【堕居州(だいす)】だよ。あれは私の能力の一部だ、未来に起きうることを予測する力がある。あれを手放したがために、魔界を逃げ回るのに苦労したよ」


 こんなタイミングで堕居州由来の謎が解けた。

 しかも、堕居州が示す数字、消えるマジックについても、ココウの能力だと思えば納得がいく。


「私は弱体化したが、それ以上に、明鏡衆(みょうきょうしゅう)を育てることは重要だった。明鏡衆を育て、将来私と合流するよう指示していたんだ」


 未来を予測し、布石を置いて回収する能力――軍師かよ。

 しかも実際の戦いにおいて、未来を予測しての超機動力。

 戦う相手にしてみれば、冗談では済まない事態に陥ることだろうよ。

 自分の行動先に相手が居るもんだから、時を操り、運命を知っているとさえ錯覚する。

 これが【運命のココウ】と呼ばれる所以(ゆえん)か。


「俺がここに導かれたのも運命ってことか」

「そうなるかな」

「いや、ちょっと待ってくれ」

「ん?」

「それと寿命が延びることは関係ないだろ?」


 ココウの表情が強ばり、周囲に視線を向けた。


「どうしたんだ?」

「サイロク、精霊門が開いた、付いて来い」


 セイレイモン? って何だ?


 俺の疑問をよそに、山奥へと向かって走り出したココウに付き従った。


 手付かずの山林藪沢(さんりんそうたく)は、我先にと太陽を求め、上へ上へと伸びて密度を増し、獣道すら皆無だ。


 しかも日の落ちた薄闇にもかかわらず、ココウは、それらを難無く躱しながら移動している。

 今は俺に合わせてくれているが、多分ココウ1人なら、相当な速度で移動出来るに違いない。

 山中での移動に自信のあった俺だが、力量の差を思い知らされた。


 登ること数分、到着した場所は平坦になっていた。

 木々や植物が密集している中であるにも関わらず、直径5m程度地肌が覗いているその光景は、何とも不思議だった。


 俺はしゃがんで砂をつまみ上げ、指先を擦りながら落としてみると、サラサラと風に乗った。

 だが、この辺りの砂は乾いていない。

 砂と言うよりは、水気を含んだ粘土に近い。

 更にもう一つ、日が落ち、気温の下がった山中の物とは思えない程の、【熱】を帯びていた。


 まるで砂漠地帯の砂だ。


「何でこんな所にこんな砂が?」


 しゃがんだまま振り返ると、ココウの目線は、俺の頭上を通り越した先にあった。


「砂漠の砂だ、魔界のな」

「魔界? 砂漠? こんな山の中にか?」

「そうだ――」


 ココウは俺に視線を落とした。


「見えないのか?」

「何が?」


 ココウの目が、クワッと見開いた。


「目の前の――精霊門が・・・・・・」

「ん? さっきも言ってたよな、何だ? セイレイモンって」


 俺は目の前に有ると言われている【セイレイモン】に向かって目を凝らしたが、いくら目を細めようが、首を前に出そうが見えないものは見えない。


「精霊の門と書いて精霊門だ。精霊門も知らず、しかも見えていないとは・・・・・・サイロク、君は修行を怠っていたのか?」


 敢えて言おう、座学は苦手であると!


 俺は心の中で胸を張ったが、実際にそれをやると見捨てられるだろうから、やらないでおこっと。


 なんせ、見えてる人には見えてるのね?

 親父や明鏡衆の俺以外の人には見えてるってことなんだろうね。


 俺だけ見えないのは嫌だ! 俺も見たいっ!


 教えて! ココウ先生!


「いやぁ~、まだ新米でして・・・・・・穫れたてなんですぅ~」


 ココウは()()黙ると、冷ややかな目を俺に向けた。

 やっと分かった、ココウのこの【間】は、呆れてるんだ。


「――しかし、精霊門が見えていない状態でこの場に居るのは危険か・・・・・・仕方無い、これを渡そう」


 ココウは自分の右拳を、目の前でノックする様に1度倒すと、俺に小さな何かを投げて寄越した。

 俺は受け取ったそれを目の前で開くと、手の平に小さなピラミッド型の、【4面ダイス】があった。


「これって堕居州――なのか?」

「ああ、これで目の前の精霊門が見える筈だ」


 顔を上げると、目の前に歪んだ空間がボンヤリと、支えも無く浮かんでいる。


「へ~これが精霊門」


 その周囲をぐるりと一回りしてみる。


 丁度人間が1人通れる程度の高さのある、境目がぼやけた、厚みの無い楕円だった。

 しかもこの暗がりの中でありながら、光を放つでもないのに見えている。


「何か不思議な空間だな~」

「今、この場と魔界の砂漠が繋がっている」

「もしかして、これに当たれば魔界に飛ばされるってことなのか?」

「この大きさに入れるのであれば行き来出来る」


 俺の中で1つの解が示された。

 数十年前に起きた、子供が居なくなる事件にはこの現象が関わっている。


「これってこの時間にしか表れないのか?」

「ああ、いつもこの時間帯になると、この山のどこかに1つだけ現れるんだ」

「山の麓に現れることもあるってことか?」

「そうだ」

「ココウにはそれが分かるんだな?」

「ああ、局地的に気圧が変わるからな」


 そんなことも分かるのね。


「――で、これって日本中にあったりするのか?」

「多くはないがな」

「いつも決まった時間帯になると開くのか――」


 急にココウは黙ると、冷めた目で俺を見つめた。

 流れる沈黙。

 出た! 『呆れの間!』

 いい加減俺に慣れてくんねぇかなぁ~


「ハァ~、君の祖先は勉強熱心だったのに――まぁ、精霊門を知らない時点でそうなんだろうが・・・・・・」


 凄く落胆された・・・・・・けど、悪魔って思ってたより人間っぽいのね。

 これなら人間社会に紛れていても分からないだろうな。


 俺の思っていた悪魔像は、もっと本能的で、非情なイメージだった。

 でも、ココウは俺に呆れはするが、非常に面倒見が良い。

 さっきの移動中も俺の速度に合わせてくれてたし、分からないことも聞けば答えてくれる。

 きっと今も素直にお願いすれば教えてくれるに違いない!



 ・・・・・・悪魔と人間、何が違うんだろうか?



「あ、いや、い、今、今凄く興味を持ちました! うん、教えて欲しいなぁ~、今なら乾ききったスポンジみたいに吸収出来るのになぁ~って思います、ハイ!」

「・・・・・・まぁいいだろう」


 ココウは精霊門と精霊について説明を始めた。


 精霊門とは、その名の通り精霊が開くことが出来る門で、人界、魔界、天界の間を繋げることが出来る唯一の方法である。

 精霊自体、未知の存在であり、どのタイミングでどの場所に門を開くのかは、そこに住み着いている精霊の性質による。

 基本的には世界のあちこちに存在するが、精霊は天族以外の前に姿を現わすことは滅多に無い。

 だが、運が良ければ出会い、交渉次第で契約を結ぶことも出来る。

 契約を結ぶと、取り決められた代償と引き換えに、精霊の力を行使することが出来る。といった内容だった。


「これが基本だ」

「そうだったんすねぇ~、あざ~っす」


 俺が頭を下げると同時に、後頭部スレスレを突風が通過した。

 それと同時に、ドッ! っと質量のある音が鳴り、連続して『メキ』『ドキャ』『ボギィッ』と、色んな音が続いた。


 嫌な予感しかしねぇ。


 恐る恐る顔を上げるとココウの姿は消え、目の前の一直線上に、先程は無かった筈の【道】が開通し、その道の先々には、幹の途中からボッキリと折られた木が、不規則に並んでいる。


 俺はその光景に戦慄を覚えた。


 間違い無い、この場は危険だ。


 本能からそう感じ取った俺は飛び退き、木の陰に隠れた。


「何が起きた・・・・・・ココウは?」


 静寂の山中。


 ココウの気配を探るが、動き、息づかいは全く感じられない。


 ココウなら大丈夫だと思いたいが、恐らくこの【4面堕居州】もココウの能力の一部だ。

 更に弱体化したと見て間違い無いだろう。

 それが原因で『万が一』があれば俺のせいだ。

 そうなると後味が悪い。


 〔サイロク・・・・・・セイレイモン・・・・・・〕


 頭の中に声が響いた。

 耳からではなく、頭の中に響いたのが分かる。


「え? あんたココウか?」

 〔・・・・・・モノハ・・・・・・サイロク・・・・・・クル〕

「クル? ってなんのことだ?」


 《チリッ――チチチチチ》


 耳を澄ますと、電気がショートし、火花を散らしているような嫌な感じの音が、精霊門の方からしている。


 間髪を入れず精霊門に目をやる。


 さっきまでボンヤリとしていた筈の、精霊門と空間の境界線が白く輝きを放っていた。


 その輝きが更に強くなると、平面の精霊門から、何かが立体として出現を始めた。

 二次元から三次元へ――絵が立体化するように。

 その際にチチチと音が鳴っていた。


 俺が見守る中、姿を現わしたものは、イヌ科のような口吻(こうふん)、ピンと立ち上がった耳を持ち、闇の中でも目立つ、白い毛を身に纏っていた。


 二本足で立つ白い狼、そんな印象だ。


 違いは、大きく凹んだ目だが、特徴的なのは、巨大な尻尾だ。

 身長は人間と大差ないが、尻尾は2mを越えていて、先に行くほど太い。


 俺は、白い狼の悪魔を【白狼(はくろう)】と呼ぶことにした。


 白狼は腹が減っているのか、ダラダラと涎を垂らし、辺りの匂いを嗅ぎ始めた。


 砂漠地帯、食べ物の少ない地域から来たんだ、これだけ生命力に溢れた場所に出て来て、食欲を我慢する道理は無い。

 手当たり次第何でも食べるだろう・・・・・・こんな奴が街中に現れたらと思うと、ゾッとする。


 何とかここで仕留めるしかない。


 俺は袖からクナイを滑らせ、両手に構えた。


 心拍は加速していく。

 ――でも焦っちゃダメだ、相手を知らずに戦いを挑むほど無謀なことはないって、秋爺が言ってたっけ、『君子危うきに近寄らず』だったか? ま、いいや。


 俺は白狼の左斜め後方に潜みながら追跡を開始した。


 白狼は胸辺りまで伸びた背の高い草をかき分けもせず、導かれるように山を下り始めた。


 狼のような容姿から、四足歩行で走って移動しそうなものだが、二足歩行でゆっくりと歩いている。

 前足はどうしているのか、離れていてよく見えない。


 白狼は数歩歩いた所でピタリと立ち止まると、顔を左に向けた。


 感づかれたか?


 俺は身を伏せたままクナイを握り直した。


 次の瞬間、口の中から長い紐が伸びて木の幹を叩いて戻った。

 そして、くちゃくちゃと音を立て、何かを咀嚼した。


 舌だ。


 白狼は長い舌を伸ばして何かを取って食べた――カメレオンかカエルの様に。


 長い舌に長い尾。

 恐らくその2つが武器で、リーチのある攻撃が来るってことだ。

 踏み込みがあると考えて、半径2.5~3m程度の範囲が得意だろう。


 俺の武器はクナイ。

 近距離なら月鋼、10m以内なら気は込められないが、投擲が出来る。


 もし近接戦闘となると、白狼の噛みつきがあるかもな。

 あと、前足か手が不確定要素か。


 どう攻めたものか。


 相手の攻撃範囲外から仕留めることが出来れば御の字だが、弱点でも突かない限り、クナイの投擲では致命傷にならないだろう。

 となると、やはり最後は近接戦闘か――不安要素が多い。


 だがここで仕留めないと被害が広がる――か。


 腹を括った俺はチャンス到来を待った。


 その後も白狼の歩みは遅く、立ち止まっては木にとまっている虫を捕まえて食べた。


 そしてチャンスは到来する。


 白狼は地面に何かを見つけると、おもちゃに集中する猫の様に、必死に追いかけ始めた。


 俺の中に閃きが走った。

 イメージのパズルが完成した感覚だ。


 俺は音など気にせず一気に距離を詰める。

 その音に気が付いて振り返る白狼。

 だが振り向いた時に俺は居ない。

 俺は飛び上がり、太い木の幹を蹴って、白狼の真上に居るからだ。

 俺はそのまま落下しながらクナイを投擲し、首に命中。

 着地と同時に、月鋼クナイで喉を突いて終わり――って完成図だ。


 俺は音など気にせず一気に距離を詰める。

 その音に気付かず振り返らない白狼――だがいいや。


 俺は飛び上がり、太い幹を蹴って、白狼の真上から落下。

 そしてクナイを投擲。


 《ザンッ!》


 音を立ててクナイは地面に突き刺さる。


 あれ?


 白狼は何かを追いかけるのに必死で、意図せずクナイを躱した。

 俺は着地すると、地面のクナイを拾い、2本持ちで白狼に突進。

 近距離戦に突入する――筈が、左脇に強烈な一撃を受け、地面を無様に転がった。


 《ぶぼぉぅ》


 俺は、内臓が口から出るかという勢いで血を吐いた。


 息が、呼吸がままならない。


 苦しい。


 俺は何とか呼吸を整えようと、必死に空気を体内に取り込もうとするが、左胸が吸い込めという命令を聞かず、少量しか吸い込めない。


 恐らく左肺を損傷した。


 俺は左胸を、右手で(えぐ)るくらい握りしめたかったが、そこには大きな凹みがあった。


 俺の左肺は、完全に潰れていた。


 死?


 いや、肺は2つある。人間は1つの肺でも生きられる筈。


 撤退だ。


 こんな重傷のまま、無傷の悪魔とは戦えない。

 逃げて命を繋がないと。


 俺は白狼に背を向け、木に体を預けて立ち上がると、ゆっくり一歩踏み出した。

 呼吸は苦しいが何とか出来る。

 足はガクガクで頼りないが、何とか体を支えることが出来た。



 このままゆっくり進もう、一歩ずつ、確実に。

 一歩を繋ぎ続ければ、いつかは助かる場所までたどり着けるだろう。


 だが、二歩目を踏み出すことは出来なかった。


 両足に衝撃を受け、(くさむら)に顔から突っ伏した。


 足に力が入らない。


 両足があるかどうか、痛みさえ分からない。


 でもここから離れないと。


 俺は両手で地面を掴むと、体を引き上げる。

 ズルズルと僅かだが、体は草の上を滑り移動した。


 希望はある。


 少しずつでも進むんだ。


 頼む、見逃してくれ。


「ハハゥ・・・・・・ヒホハ、へ・・・・・・」


 声に出そうとしたが、力が入らず上手く言葉に出来ない。


 お願いだ、頼む、見逃してくれ、頼む、命だけは、頼む、頼む、頼む。


 俺は希望に少しでも近付こうと手を伸ばし、草ごと地面を掴んだ。


 その右手の上に、何かが落ちた。


 反動で浮き上がる俺の体。


 落ちてきたソレには、かなりの質量があった。


 ソレがゆっくり持ち上がると、一撃で5本の指はそれぞれ、あらぬ方向へ向いた。


 やめろー! やめてくれー!


 その心の声も虚しく、ソレは何度も叩きつけられた。

 叩きつけられる度に地面が揺れ、俺の体は僅かに浮いた。


【ドッ! ドッ! ドッ! ドッ! ドッ・・・・・・・・・・・・】


 抵抗すら出来ず、されるがままの時間。

 それは数十秒だったのか数分だったのか・・・・・・。


 最後に血まみれになったソレが持ち上げられると、陥没した地面に流れ込む赤い液体。その中に粉砕された骨が所々に見えた。


 右腕は諦めるしかない。


 恐らく伸ばせば、左も同じ運命を辿るだろう。


 それでも左手を伸ばす以外何も思いつかない。


 俺は、残った左手を伸ばした。


 だが、体を引き上げることは出来なかった。


 左腕が潰された訳では無く、引き上げることが出来なかった。

 何かが俺の背中を()()()押さえ、進むことを邪魔している。


 白狼は遊んでいた。


 藻掻き、死にゆく俺を見て楽しんでやがる。


 クッソ野郎ぉぉぉぉ~! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!


 俺は地面に埋まっている拳大の石を、爪を立てて地面から(えぐ)り取ると、後ろに放り投げた。

 それと同時に、背中を押さえていた力がスゥっと抜けて解放された。


 今の内に少しでも進もう。


 左手を伸ばして地面に爪を立て、体を引き上げるが


 《ドッ!》


 背中に激痛が生じた。


 間違い無い、俺の右手に落とされたアレだ。


 その衝撃は何度も続いた。

 背骨が砕ける音が下から上へと登って来ている。


 その度に口と鼻から血が噴き出す。


 《ドッ! ドッ! ドッ! ド・・・・・・》

 《ブヂュシュ、ブヂュシュ、ブヂュシュ、ブヂュシュ・・・・・・》


「ごぼぁ、うぼがぁ、ごばぁぁ・・・・・・」


 吐き出す一方で、ほとんど息が吸えない。


 俺の後頭部も容赦なく叩きつけられた。


 《ドゴズン! ドゴズン!》


 顔面が地面へ押しつけられ、鼻の骨が折れ、前歯が折れ、目元の骨が折れ、右目が潰れた。

 顔が地面に埋まり、息が出来ない。

 何とか顔を左に向けることが出来た俺は、僅かな力で酸素を吸い込んだ。


 苦・・・・・・し、死ぬ・・・・・・もう・・・・・・いい・・・・・・もういい。

 もう・・・・・・勘弁・・・・・・してくれ・・・・・・して、ください。

 た・・・・・・頼む・・・・・・殺してくれ・・・・・・俺を、殺してくれ・・・・・・お願・・・・・・しま・・・・・・す。


 俺の心は完全に折れていた――だが、その瞬間は訪れなかった。

 ほとんど動かなくなった、【つまらない玩具(おもちゃ)】に飽きた白狼は、血にまみれた長い尻尾を引きずりながら、叢の向こうへと消えた。


 全身がどうなっているかなんて、痛みの感覚すら無い俺には分からない。


 だが気付いたことがある、山の中は寒い。


 どんどん寒くなる。


 砂漠は暖かいんだろうか?


 そうだ、さっきの場所に、魔界の砂漠に行けば寒くない。

 よし、精霊門だ、精霊門を目指そう。


 寒い寒い、ここは寒い。


 俺は左手を伸ばそうとして、肘から先が無くなっていることに気が付いた。



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