666 その②
8割を大地に沈め、地上の支配力を失いつつある太陽。
残りの力を振り絞ると、木々の間から赤く染まった手を伸ばし、2つの重なった影を映し出す――。
来る夜の捕食者に備えて鳴りをひそめいる鳥たち。
頻回に参拝する風習の無いこの地方の神社は、風が吹かねば木々は揺れず、音を無くした。
無音。
静かすぎて、荒くなった自分の呼吸が、嫌でも耳に立つ・・・・・・。
俺が馬乗りになった少女――2つの影が、長く伸びて他の影と繋がった。
気絶してるのか、少女は無抵抗で動こうともしない。
今、クナイを振り下ろせばこの悪魔を殺せる・・・・・・でも、本当に振り下ろしていいのか? 実は『悪魔ではありませんでしたー』ってぇことにはならねぇか?
俺は迷いの中、クナイを握る手に力を込めた。
――3日前――
現地入りした朝、俺は何の苦も無く、指定された住所で両親と暮らしている【少女姿】の標的を見つけた――頭からの情報通りだ。
場所は、とある県庁所在地に近い、公共交通機関の発達したベッドタウン。
近代的な街並みで、古くからこの土地に住む、ごく少数の民家を除いて瓦葺きの屋根は見当たらない。
元々農業、林業が盛んだったこの地域は、人が住むことを前提に開発が進んでるらしく、今じゃ町の中心に片側2車線の幹線道路が通り、沿道にはオフィスビル、雑居ビル、商業施設、地下鉄の入り口が並んでる。
幹線道路を挟んで向こうに見える山に、斜面を切り開いて建造されたマンション群があるんだが、ある写真家が、【#不夜城】ってネットに上げたことで、夜中に写真撮影する輩が増えてるらしい、人気スポットってやつだ。
標的はそのマンション群の1室に住んでる。
「木を隠すなら森の中ってタイプか、人里離れた所にポツンと居てくれりゃ楽なのによ~」
俺は先ず情報収集しながら様子を見ることにした。
AM 7:30
隣の棟で見下ろしながら待ち構えてると、ランドセルを背負った女の子が勢いよく扉を開けて出て来た。『行ってきまーす』って元気な声が聞こえてきそうだ。
エレベーターで1階まで下りると、マンションの出入り口付近に屯してる集団にダッシュして突っ込んで同化した。
集団登校はどこの地域でもありふれた光景だ。
「どれ、俺も出発するか」
しかし、上手く人間社会に溶け込んでるじゃねーか・・・・・・ちょっと他の子供と距離があるとか、虐められてる、嫌われてるって方が1人になる機会も増えて、やりやすかったんだけどなぁ。
たしか子供って身長が低いから、大人とは見える物が違うって聞いたことがあるし、以外と正体に気付いてる子がいたりしてな。
でも、子供に直接聞き込みして、不審者扱いの上、気付かれるって最悪のコンボも避けてぇしなぁ~、どうやって情報収集するか・・・・・・
気は重いが、取り敢えずエレベーターで下りることにした。
俺がエレベーターに乗り込むと、『待って~』と声が聞こえ、慌てて開くを押す。
閉まり掛った扉が開くと同時に、ゴミ袋を両手に持った老婆が現れた。
「ご、めんなさいね」と、息を切らしながら乗り込んで来た老婆は、安堵してゴミ袋を下ろした。
「大変そうですね、持ちましょうか?」
「いえいえ、大したこと無いのよ」
静まりかえって微かな機械音だけが聞こえる籠内・・・・・・話が続かねぇ、そう思ってたら老婆から話しかけられた。
「今からランニングですか?」
「ランニング?」
なんで? あっ、そうそう、その設定だった!
思い出して慌てる俺。
大きなマンションの住人は顔見知りじゃないことの方が多い。
ならば、ここの住人のフリをして、本物の住人から情報を得ようと考えていた。
どのタイミングで出会っても良いように、ジャージ、タオル、ランニングシューズの三種の神器で、『サイロク・ザ・ランナー』を演じてたんだった。
作、演出、主演は俺。
「そ、そうなんっすよ~、うちの工場は夜勤が多いし、日中は暑くて運動なんてする気になれネくて、んんっ、なれなくて、気が付けばお腹周りが弛んで弛んで」
「あらそうなの? 十分シャキッとしてらっしゃるけど? ふふふ」
演技しているのがバレることを想像して俺は慌てた、それは認める。
だがまだ修正可能だ、落ち着けば大丈夫、自信を持て、だって本当の俺はシックスパックなんだから。
「いやいや、見せられないのが残念と言うか、良かったと言うか、お恥ずかしい姿なんですよねぇ~、妻にはデブデブと言われて、肉をつままれる始末でして、ハハハ」
「あら~、いいじゃないの仲が良くて、お子さんはいらっしゃるの?」
お子さんって・・・・・・あ、来た! それを聞き出すためのこの会話よ、あ~よかった、流石俺! 主演男優賞!
エレベーターが1階に到着すると、俺は半ば強引に老婆のゴミ袋を奪った。
「持ちますよ」
「ああ、自分で持ちますよ」
「いいんです、これもトレーニングになるんですから」
俺は両方のゴミ袋をダンベルのように上下させて見せると、一瞬表情を曇らせた老婆だったが、直ぐに表情が和らいで『ありがとうね』と言われた。
冗談が通じる人で良かった。
「あ~、だけどゴミ出しはいつも妻がしていまして、ゴミ捨て場が分からないので案内だけしてもらっても良いですか?」
「はいはい、お安い御用ですよ、今度からは奥さんのお手伝いもしてあげてね」
「ハハハ、そうですね~」
妻が出来たらゴミ捨て毎日します! 付き合ったことも無いけど。
「さっきのお話なんですが、まだ子供は居ないんですよね、そろそろ欲しいなって思っているんですけど」
「あら~良いわね~、この辺りは子育て世代が多いから、きっと周りも助けてくれるんじゃないかしら」
「そうだと助かります、治安も良さそうですしね」
「・・・・・・そうねぇ・・・・・・でも気を付けてね、知ってるかもしれないけど、30年前は子供が行方不明になる事件もあったから」
それを聞いた瞬間、どこかで歯車が回り出したのを感じた。
「え!? そうなんですか? 僕達越してきて間がないので――」
「ふふふ、そうみたいね。でもごめんなさいね、ちょっと不安がらせちゃったかしら、でもそれ以降はそんな事件も無いのよ?」
「そうなんですか・・・・・・あの~、どんな事件だったんですか? 良かったら教えていただけませんか?」
「そうねぇ・・・・・・あれは――」
少し考えた後、老婆は事件についてこう語った。
30年前、土地開発が進み、人口が今の半分程度だった頃。小学生が次々に行方不明になる事件があり、【神隠し】として噂された。
事件の共通点は、夕暮れ時に塾へ通っていたということだそうだ。
そして、目も当てられない事態が起きてしまった。
協力者と共に山中を捜索していた両親達が、自分の子供の遺体を発見したのである。
しかも体中に歯形が残され、欠損部分のある遺体だった。
事態を重く見た警察は警備体制を強化したが、目撃情報すらない状態で行方不明事件は毎日続いた。
しかし2週間後、事件は急展開を迎えた――犯行がパタリと途絶えてしまったのだ。
その後も犯人に繋がるような証言、目撃情報は皆無で、未解決のまま迷宮へと足を踏み入れたのである。
30年経った今も未解決ではあるが、その後、同じ様な事件があったとは聞かれない。
現在は夕暮れ時に1人で塾に通う子供の姿が見られるようになったのだそうだ。
「そんなことがあったんですか――しかも犯人は捕まっていない――」
この事件に悪魔が無関係と思う方が不自然だ。
「実はね、この事件の数日前に、前触れって言われてる小さな事件があったのよ、山の中の猪や鹿がね、何かに食べられたみたいな姿だったって――」
「では、その猪を食べた何かが子供も食べたってことですか?」
「あくまで噂だけどね――」
「そんなことがあったんですね~、色々教えていただきありがとうございました」
「いいえぇ、どういたしまして、運動頑張ってね」
「はい」
そこまで聞くと老婆に分かれを告げ、標的を追いかけることにした。
悪魔の仕業だとすれば、何で今は食べないのか?
疑問は残るが考えても仕方が無い、先ずは標的に追いつき情報収集する。
追いついた俺は、ランナーを装い側を通り抜けてみたが、遠くから見ようが近くから見ようが、どこからどう見ても小学生の少女にしか見えなかった。
俺のことなど警戒もせず、子供同士の会話に夢中だ。
内容はゲームかテレビ番組と言ったところだろう。
そうこうしている内に学校の正門まで来てしまったが、流石に校内に潜伏するのは難しい。
この時が来ることを予測していた俺は、町に来て直ぐに目を付けていた雑居ビルへと向かった。
セキュリティーに力を入れていない、家賃の安そうな雑居ビルだ。
俺は直ぐさま屋上へ侵入すると俯せになり、単眼鏡を構えて、耐熱シートを被った。
小学校は6階建てと、小学校にしては高く聳え、教室の数も多くあった。
しかも、その教室の殆どが子供で埋まってる。
マンモス校ってやつだ。
俺の小学校は子供が少なかったから全員友達だったけど、やっぱこれだけ人数が多かったら、クラス替えの時に『あれって誰だ?』ってこともあるんだろうな――俺もそんな人数の多い小学校に行ってみたかったなぁ~なんて、柄にもないことを考えていた。
単眼鏡を4階の端からゆっくりスライドしてみる。
「さぁ~てどれどれ・・・・・・かのっじょの、席は、どこだっろな♫ いけねぇ、親父の節が感染っちまってるっと~、居た! ビンゴ!」
体の大きさ、学年が上がる毎に階層が上がるシステムの予測通り、4階に姿を見つけ、監視を開始。
数時間が経過した。
監視を始めて分かったが、彼女は真面目だった。
真剣に先生の話を聞きながらノートをとり、手を上げて発表もした。
動きの自然さから、人間社会に溶け込んでからの年月が窺える。
国語、図工、体育――どこを切り取っても、普通の小学生のそれであり、俺のとは真逆に見える学生生活がそこにあった。
本当に悪魔なのか? 人間に乗り移るタイプの悪魔なんだろうか? もし後者なら、殺せば人殺しになるんだろうか? と疑問だけが残る結果だった。
悪魔を殺して殺人罪で捕まるなんてことにでもなったら笑えない。
そう言えば子供の頃、秋叔父が言ってたことを思い出した。
「耐え忍べ、相手を分析しろ、見えてるもんが全てとは限らんぞ」
魔狩勅の基本だって言ってたっけ。
◆采六の子供の頃の記憶(客観視点)
現役2番だった頃の冬風 秋二郎が、黒装束姿で池の辺に立ち、水面から顔を出している、子供の頃の采六と話している。
「耐え忍ぶことは魔狩勅としての基本であり、時間を掛けて相手の性格や性質を観察し、戦い方の系統やパターンを考察、弱点を見つけるといった、情報収集、生きて戻るための行動である」
「え~、俺耐えるとかって好きじゃねぇんだよな~」
「あほぅ!」
秋叔父は手に持った刀の鞘先で、采六の頭をコチンと小突いた。
「痛ぇ~!」
冬風 秋二郎は、気配を消す、隠れる、耐え忍ぶことを得意としており、その日は水中での耐え忍びを指導していた。
「我慢して耐え、相手を分析して勝機を窺え、見えてるものが全てとは限らんし、勝機が見出せんのなら、撤退も選択肢に入れねばならん」
「へっ! 俺は撤退なんかしねぇ~よ」
「あほぅ!」
采六はさっきと同じ所をコチンと小突かれてしまった。
「痛ぇ~痛ぇよっ! 秋叔父!」
「采六、現状で勝てる相手と、策を講じねば勝てん相手が居る、それが判断出来るかが、戦いにおいて重要になる、『彼を知り己を知れば百戦殆からず 』と言って、自分と相手の優劣、長短を見極めることが出来れば戦いに負けることは無い、今戦わぬことは、戦いに負けることでは無いということだ」
「そんなの相手も同じこと考えてたら意味ねーじゃん」
「あほぅ!」
采六はまた同じ所をコチンと小突かれた。
「痛ぇっつってんだろ! じじい!」
「采六っ! まだわからんのかっ! 常に相手を見極めろと言ってるだろうが」
秋二郎の言わんとする真意が分からない采六は、怒りの表情のままに「はぁ?」と声に発した。
「そもそも相手がそう考えているのが分かってるんなら、それを逆手に取らんかっ! 相手が自分を見ている間は他人を演じ、得意なことを苦手なように、右利きを左利きのように見せることで、相手に勘違いさせて自分を有利にすれば良かろう! このっあほぅ!」
秋叔父は刀の鞘先を振り下ろすが、その軌道上には采六の掌が待ち構えており、片手で受け止めた。
「へへへ、こう言うことか? 秋叔父」
秋二郎はニヤリとして『よし』とだけ言った。
そして采六に水から上がるよう促すと、秋二郎は刀を自分の脇に置き、その場に胡坐をかいて座った。
采六は水から上がると、濡れた黒装束が体に貼り付いたまま岩場に腰掛け、秋二郎と向かい合った。
「悪魔も生き物だ。人間と同じようにクセがあるし、生活習慣もある」
秋二郎は唐突にそう話し始めた。
「考え方なんかは意外と人間に似ている奴も多い、もしかしたら悪魔が人間に合せているだけかも知れんが――人間社会に紛れ込むと発見が難しい場合もある」
「じゃあ友達だと思ってた奴が実は悪魔だったとかってのもあり得るのか?」
「そう言うことだ」
采六は眉間に皺を寄せ、難しい顔をした。
「もし、采六の友達が悪魔だと疑いを掛けられたらどうする?」
「そいつが悪魔じゃないってことを証明する」
「そのためには?」
采六は少し考えたが、直ぐに「情報収集する」と答えた。
「ならば情報収集を活かすためには何が必要になる?」
そう尋ねる秋二郎の表情は柔らかい。
「耐え忍ぶ――こと――」
「よし、今日はここまでにしておくか」
秋二郎は立ち上がると、側に置いてある、竹製の背負い籠からタオルを取り出して采六に渡した。
子供の頃の記憶終わり◆
もう少し粘ってみることにした俺だったが、何事もなく放課後を迎え、数人のグループで下校する標的を家に帰るまで追跡した。
結果、1日通して1人になる時間や、人間らしからぬ行動は無かった。
結局普通の小学生の1日だった。本当に悪魔なのかと益々疑惑が深まる。
日の沈みかけた18:30、標的が家から出て来た。
俺は追跡を開始した。
標的はマンション群の敷地から出ると、敷地に隣接する裏山の神社に向かう階段を登って行った。
違和感は無い。
標的が階段を登りきる頃、俺は相手から目視出来る程度には近付いていた。
だが、標的が神社の鳥居をくぐり抜けた途端に見失った。
それも急に目の前から消え失せたように見えた。
直ぐに神社周辺の痕跡を調べてみたが、見つけることは出来なかった。
しかし、20:00には家の中に居ることを確認した。
家の入り口を見張っていたのに――だ。
その次の日も標的は1日通して全く同じ行動をとり、神社では同じく見つけることが出来なかった。
怪しい。
明日は行動に出ることにした。
そして迎えた3日目の18:30。
俺は、神社の鳥居をくぐり抜ける寸前で、標的である少女の肩に手を掛けた――筈、だった