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プロローグ

 街の喧噪を(しお)()として、華やかな輝きの波が押し寄せる夜の繁華街。

 都会に住む人々は、人の渦に身を投じることで安心を得ているようである。


 しかし渦から外れれば、輝きによって創られた闇の海が広がっていることを、人々は知っているのだろうか――。



金流(きんりゅう)、ゴミ出しとけよ」

「はい! 料理長」


 ここは自社ビルを持つ飲食店【ご贔屓に】の本店である。


 金流と呼ばれた調理師見習いはノブを回してドアを押し開けると、閉まろうとするドアを自分の足で押さえ、側に置いてあるゴミ袋を両手に提げた。



 金流(きんりゅう) (ひろ)()の家庭は、両親の不仲から幼い頃に離婚。父子家庭で育った。

 身長、体重、外見共に飛び抜けたものは無く、学生時代は背の順に並ぶと、前から数えた方が早かった。

 茶髪で調子乗り、学業の成績は下の下、勉強が嫌いで農業高校に進学。

 卒業後、あまり選べない職種の中から、【ご贔屓に】に入社したのだが、料理人になりたい訳でも、将来店を持ちたいという訳でも無かった。

 入社に試験が無い、飲食店だから飢え死にすることも無い、そういう視点で選んでいた。

 彼の人生は、嫌なことを避ける人生である。

 しかし、人懐っこい性格で人と争うことが嫌いな彼の人間関係は、どこに居ても良好であった。



「かぁ~重てぇ~」 


 ゴミ袋の中にはしっかり生ゴミが詰まっており、ゴミ自体が持つ水分で見た目以上に重かった。


 目の前には地上へ繋がる階段が、身長を遙かに超えて続いている。


 尋亜はその階段を見上げて、『うっし』と一言気合いを入れ、一段、また一段と、ゴミ袋を引き上げながら登った。


 その背後では、尋亜の先輩である山崎が料理長に怒鳴られている声が耳に入る。


「お前なぁ、なんべん言うたらわかんねん! ほんま・・・・・・ハァ~、もうええわ」

「すみません」

「もうええから、カボチャとナンキン炊いとけよ」

「はいっ!」


 おいっ! カボチャとナンキンって同じやないか! 何で突っ込まへんねん!

 それに神妙な口調で『はいっ!』って答える山崎さんもオモロ過ぎるやろ!


 ま、流石に突っ込める場面とちゃうか~、あんな怒られとったらよー突っ込めんし、料理長に()()()()()わな。


 一段登る毎に『ふんっ、ふんっ』と小さく声が漏れる。


 何とか地面が目の高さまで下りて来ると、目の前には丸々と太ったゴキブリがヨタヨタ歩いていた。


 ここいらは飲食多いからゴキブリもよ~肥えとるなぁ~、食い過ぎで足()っそ。


 この界隈は飲食店の激戦区であり、近くのゴミ捨て場には当然ながら食べ物のゴミが溢れていた。


 ゴキブリはその恩恵にあずかっており、普通の家庭では見ることの出来ない、別の種類の昆虫と見間違う程よく肥えた個体が多く生息している。


 だが、ネズミにとっても快適な生活空間であり、人間を除けばほぼ天敵の存在しない、ネズミの楽園でもある。


 結果、ゴキブリは陰から狙っていたネズミが咥えて持ち去った。


 そんな場面もここでは日常茶飯事なのである。


 階段を登りきった尋亜はゴミ袋を地面に置くと、『ふぅ~』と一息ついた。


 ここからの道のりはゴミ置き場まで平地であるが、油断してはいけない。

 持ち上げたまま移動せねばならず、少しでも地面とゴミ袋が接触しようものなら、底に穴が空いてしまう。


 そうなれば当然中身が全て飛び出した上に、中に含まれている様々な水分も辺り一帯に流れ出し、道をデッキブラシで擦っての大掃除となる。


 ゴミ捨て担当にはよくある話しだが、以前その失敗で酷い目に遭っていた。


 もう一度気合いを入れ、重みで伸びた持ち手を深く握り直して歩き出す。


 近隣のゴミが集められる場所は、繁華街を一本裏筋に入り、ゴミ収集車がギリギリ通れる幅の、ビルとビルの間の突き当たりにあり、【ご贔屓に】の裏口からは歩いて直ぐの場所だ。


 時間帯によっては陽の光が入るが、夜間は街灯の届かない、暗くて不気味な場所である。


 尋亜は気味の悪さから、いつも早足でゴミ置き場へ向かい、手前からゴミ袋を投げ捨てているのだが、今日はいつもと様子が違っていた。


 ビルとビルの間に足を踏み入れると、歩く毎に何かが足に当たった。


 よく見えないそれは1度や2度では無く、つまづきそうにもなる。


「もぅ~なんやねん! ゴミ撒き散らしとるやんけ~」


 腹立たしさに、今当たった足元の塊を蹴飛ばす。


 それはビルの壁に当たると、『べちゃっ』と音を立てた。


「うわっ! キモッ!」


 蹴った塊は柔らかく重みもあり、先程見たネズミのような小動物の死体が壁で弾けて、内臓が飛び出した姿を連想した。


 蹴るんじゃなかったと後悔するのと同時に、不気味さを増したこの空間が、別世界への入り口のように感じられる。


 尋亜はゴミ置き場にゴミを投げ捨てると、背後に誰かが忍び寄り、武器を振りかぶった気配を感じた。


 素早く振り返った・・・・・・が、無駄な心配だった。


 こんな所で誰かが背後に立っている訳もなく、当然ながら目の前には誰も居ない。


 まず、背後に誰かが忍び寄っていて、武器を振りかぶる気配など分かる訳がないことを自分自身がよく分かっている。


 ちょっと恥ずかしい自分にホッとした――が、真後ろからフワッと空気の揺れを感じた。


 咄嗟に振り向く――誰も居ない。


 居るわけないわな~、あかんあかん、ビビリすぎや、(はよ)調理場戻ろ。


 正面を向いた・・・・・・誰かが居るっ!


 体をビクッと硬直させると同時に『うひぃっ!』と声が漏れた。


 僅かな逆光によりシルエットしか分からないが、両手に大きなゴミ袋を提げた近隣の飲食店の人である。


 ビビるわっ! ――いやいや、勝手にビビってたんは俺の方やな。


「フゥ~、お、お疲れ様です~」


 安堵からため息が漏れる――尋亜は軽く頭を下げながら歩き出す――が、その人物の手前で顔を上げると、その人物のシルエットから一部が消えていた。


 身長が低くなっている。


 あれ?


 間を置かずして吹き上がる噴水。


 シルエットは頭部を失い、スプリンクラーが水全開で放出したように血が吹き出された。


「うっ! ・・・・・・」


 悲鳴を上げようと開いた口を、暖かく柔らかい何かが覆った。


 後ろに下がろうとしたが、何かに当たって下がれない。


 柔らかい()()と、壁のような()()に挟まれている。


 目の前のそれは更に強く押しつけられた。


 柔らかい何かの向こうには硬い物が当たる。


 口の中に流れ込んでくる、よく分からない液体――でも知っている気がする。


 ――これは唾液だ。


 誰かの顔が突如として目の前に現れ、自分の口に唇を重ねている。


「う゛ぅぅぅう゛ぅぅぅ・・・・・・」


 尋亜は出せない声を精一杯出し、藻掻(もが)き続けた。


 何でこの顔取れへんねん!


「シ~、ちょっと静かにしてくれるかな? 静かにしてくれるなら自由にしてあげるよ? どうかな?」


 真後ろから耳元に、優しい口調の男の声が響く。


 目の前の人物とは別人である。


 尋亜は素早く2回頷いた。


 そして離れる目の前の顔と背中の壁。


 尋亜には、今起きた現象を知る術は無かった。


 その男は、尋亜が頭を下げた瞬間、目の前に居た人物の首を()ね、気付かぬ内に背後へと回ると、その手に持った頭部と自身の体の間に尋亜を挟み込んでいた。



 人間の身体能力の限界を遙かに凌駕した動きである。



 そうとは知らず、遮られていた視界と口、体が解放されると同時に、目の前の(うごめ)く影に注意が向いた。


 ()()()は地面に這いつくばり、一心不乱に何かを食べている。


『ビチャグチャゴリコリムチャムチャピチュムチュッズッズ~』


 え? え? 何? なん?


 気持ち悪さを感じる異様な情景だが、近付いて確かめる気にはなれない。


 尋亜は目を逸らすように後ろへと振り向いた。


 さっきの声の主と思われる人物が、真っ暗な突き当たりに立っているのが辛うじてわかる。



 ――月を覆っていた雲が逃げてゆく――。



 僅かに差し込む月明かり。


 ビルの壁が上の方から少しずつ、(すす)に汚れたような、ぼやけた色を現わす。


 その色付きは、斜めの境界線を設けたまま下がって行き、突き当たりのゴミ置き場を袈裟(けさ)()りにする。


 その男は闇側に居た。


 とはいえ、天を見上げて大きく開かれた口。


 その人物がグビッグビッと音を立て、上から滴り落ちる何かを美味そうに飲み干している姿が分かる。


 特にその目――闇の中に鈍く、赤く光るそれは、人の心に強く恐怖心を抱かせ、暗闇においては、希望の光ではなく、絶望そのものを彷彿とさせた。


 頭上に掲げた片手には、光を浴びて姿を現わした生首。


 首の断面から血が滴り落ち、それを口で受けている。



 理解した――さっきの地面に這いつくばっていた()()()は、この首の下、体を食べていたのだと。



 尋亜は戦慄したが、動くことすら出来ず立ち尽くす。



 満足したその男は気持ちよさそうに息を吐き出すとこちらを向き、軽い口調で言った。


「僕はヴァン・パイアなんだ。ヴァン・パイアって血を吸うと吸われた者はゴーラになるって言うだろ? それって本当なんだよね~」


 こ、この人なに言うてんねん? 自分でヴァンパイアって・・・・・・ヴァンパイアってなんやねん――血を吸うと――って、ドラキュラってやつか? 


 尋亜は男の放つ言葉を理解しようと脳内をフル回転させたが、答えには辿り着けずにいた――だが、自分をヴァン・パイアだと言った男は話し続ける。


「でもそいつらみたいに理性の欠片も無いような下等なゴーラが街中に増えると困るだろ? 存在が明るみにでもなったら大騒ぎさ」


 せやからヴァン・パイア? ゴーラ? ってなんやねん! 


「僕は偉大なヴァン・パイアだ! 知性の欠片も無いゴーラや、人間のような下等生物とも違う、高等な存在さ! どちらも僕が陰で管理して、必要以上増えないよう調整してあげるのが使命なのさ」


 なんやねんこいつ! 頭おかしいんちゃうか? 言うてること訳分からんし、そんなん居る訳ないやろ――って思うけど――説明できんし・・・・・・


「管理ってどうするのかって? 答えは簡単だよ、存在を消してしまうんだ。食べてしまえば証拠も残らないし数も増えないんだよね」


 ホンマ訳わからへん、血を吸われるとゴーラ、増やしすぎないために食べる? 人間は食糧? しょ・・・・・・食糧?



「だ~いじょうぶ、君も綺麗に食べてあげるから♫」



 俺も――食糧、なんか? ――え? はぁ? 死ぬ? 俺死ぬんか? いや、嘘やろ? あかん、いやや、逃げな、逃げ切れるか? ややや、無理や無理、えっ? えっ? どーしよ! ――そ、そや、取り敢えず、助け呼ばな、叫ばな!


「たっ! ・・・・・・」


 しかし、尋亜は声を上げることが出来なかった。


 瞬く間に距離を縮めた目の前のヴァン・パイアが、その手に持った生首の唇を、尋亜の口に押し当てたせいである。


「う゛―! う゛―!!!」


 尋亜の後頭部は、ヴァン・パイアが爪を立てて掴み、正面からは生首を押し当てている。


 だが一瞬見えた・・・・・・男の顔が――しかし顔と呼べるのか? と疑問を持つ。


 に、人間ちゃう!



 その男の頭部は、骨――頭蓋骨――であった。


 だが、その疑問を解決する余裕は今は無い。



 まるで万力に挟まれているような力が加えられ、後頭部の爪はグイグイと皮膚を切り裂き、骨にすら到達しているような感覚。


 体内にメメメ・・・・・・と同時にキーンと音として認識出来ない何かが響いた。


 圧死――頭が潰れる感覚。


 尋亜はバタバタと暴れたが足は空を切った、持ち上げられた。


【死】は間近まで迫っている――だが、死を覚悟した尋亜の頭の中は冷静だった。


 死ぬんか~まぁええけどな、やりたいことも無いし、しょーもない人生やったなぁ・・・・・・ハァ~・・・・・・あ、そうや、この後バイトの子等が飯食いに行こ~って言うてたなぁ3:3で――もしかしたら【カナちぃ】か【エリエリ】とヤレたかもなぁ~――って、あっ、くるみっちにLINE返すの忘れとった、彼氏と別れた今がチャンスやのに・・・・・・ちょっと待て、あかん! とんでもないこと忘れとった! 今日待ちに待ったアレが届くんやった! 濡れネズミスタジオの最新作【穴とヌキの女王2】が! あ~あれ観たかったぁ~、一作目のあのえげつない内容を更に凌ぐ内容で、2つの精子工場がフル稼働って触込みやったなぁ~あぁ~・・・・・・や、待て待て待て、それより、俺死んだら『これが息子さんの遺品です』って親父に渡されるんか? しかも親父が手に取って、『SM、凌辱、触手――こいつこんなん好きやったんか・・・・・・ハハハ、そんなことも知らず父親として失格ですね』ってメッチャ冷めた目で(つぶや)かれるっ! 知らんやろっ! 普通! って~あかん、それだけはアカン! どないしよ、どないしたらそれを阻止出来るんや? ・・・・・・フッ、つ~か、今更嘆いてもしゃぁないわな、どないもこないもしようが無いわ・・・・・・あ~勉強でもしとったら変わってたんやろか? 俺の人生・・・・・・これが走馬灯っちゅーやつなんやろな~――けど走馬灯って昔の記憶が流れるん違ったか~? ま、ええけど。


 尋亜の意識が遠のく・・・・・・。


 宙に持ち上げられた尋亜の体はピクリとも動かなくなった――が、ヴァン・パイアは、突然その手を離した。


 ドドザッと音を立てて地面に落ちる生首と尋亜。


 ・・・・・・ん、・・・・・・あ、あ・・・・・・れ?


 尋亜は朦朧としながら、なんとか頭を(もた)げた。


 ぼんやりとした視界には数人の人影が映り、その数をなぜか数えていた。


 1,2,3、4・・・・・・んん・・・・・・この人等()()()()()格好して・・・・・・ぼやけて数えられへんわ・・・・・・。


 尋亜の意識はそこで途切れた。



 何者かが戦っていた――が、直ぐに決着はつき、ゴーラは動かぬ塊となった。


 突き当たりを背にしても動かないヴァン・パイア。


 月明かりの元に歩み出た人影は全部で8人。


 黒装束を身に纏い、それぞれに刀とクナイを手に持っていた。


 その刃の部分は月の光に共鳴して鈍く透き通った輝きを放っている。


 もし、闇の中でこの光を見た者が居るならば、【希望の光】だと印象を受けるだろう。


 先程まで饒舌だったヴァン・パイアは急に押し黙り、チッと舌打ちした。


 

 お互い無言のまま距離を詰めず睨み合っている。



 均衡が破られたのは一瞬だった。


 

 ゴミ捨て場へ続く道の入り口で物音がした。

 ゴミを捨てに来た人物が、異様な雰囲気に足を止めた音である。


 ヴァン・パイアはその隙を逃さず、一度のジャンプで文字通り【ひとっ飛び】にビルの向こうへと飛び去り、黒装束の集団もそれを追って、ビルとビルの壁を交互に蹴りながら上へと登って消え去った。



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