1-5 試験開戦
………声が。
………声が聞こえる。
………それは、神の囁きか。
………………
…………………いや、これは。
(………なぁ、分かっているんだろう?これ以上如月結束に関わってはいけない)
「………………」
これは自分への戒め。
恐怖。
暗示。
その、具現化。
ぐちゃぐちゃになって、閉じこもっていたはずの、負の感情。
(………彼女の存在は危険だ。今までのお前の決意を著しく鈍らせている)
「………………」
(今ならお前の人生に彼女は必要ない。引き返すなら、今だ。)
「……………」
(それがお前の望みのはずだろう?あのくだらない勝負も、賭けも、無視するべきだ。今ならまだ間に合う。彼女が『大切な人』になる前に………)
「……………」
「何をぼーっとしている。真面目に聞いているのか夏越祐」
急に名前を呼ばれ、祐はハッと前を向く。
そこは、実技試験の試験場。
クラスごとに別れ、それぞれ担任の先生から試験の説明を受けるところだった。
「あ……えと、」
「授業ならともかく、試験の説明ぐらいはちゃんと聴いておけ」
「………………」
授業ならともかく………ね。
受け取りようによっては、俺が学科の授業なんて聞くまでもない、元邦霊の人間であるということを認知しているぞという、一種の慰めにも聞こえるが、さすがにそんなわけはないだろう。
最近ついてない事が多いからなのか、随分と俺もご都合解釈をするようになったもんだ。
「…………はい、すみません」
「まぁいい。説明はこれからだ、ちゃんと聞いておくように。まず、この試験会場から説明する。見ての通り今俺たちがいるここが各試験場を繋ぐ通路で、この扉の先がお前ら11組の試験会場だ」
岩垣は目の前の分厚い扉をコンコン、と叩く。
試験場と呼ばれたこの施設は、試験を行う場所というより、実験場のような内装をしていた。
床、壁、天井に大きめの白いタイルが綺麗に敷かれ、どれだけ歩いても構造の変化や装飾が見られない、殺風景な構築。
扉の向こうがどうなっているかは分からないが、少なくとも今のところは、まるで人体実験施設のような風貌を思い起こさせる異様さだ。
「といってもこの扉は非常時以外は使わない。試験本番は2階にある『転界符』の能力を持たせた『触媒石板』による転送システムで試験開始と同時に転送する」
転界符とは簡単に言えば瞬間移動ができる、離脱用として最も使われる霊符だ。
自分が知っている場所なら、座標を指定することでどこでも移動することができるため非常に重宝される霊符だが、だからといって万能でもなく、使用者が持つ最大霊力量の54%を失うという致命的な欠点があるため、相当霊力が残っている状態じゃないと使えない。
だが、触媒石板なら話は別だ。
触媒石板とは霊符の石板バージョンのことだ。
どこか霊力供給が安定する場所に固定しないと使用できない上、専用のシステムを使わないと霊力を与えることすらできない、つまり人間が直接使うことができないという実に不便な代物だが、それに引き換え霊能力と同じで解符の必要がなく、威力効率も高水準で安定するという利点がある。
戦闘というよりかは主にこの試験場のような霊術機関を用いる施設によく使われる霊術媒体だ。
しかし触媒石板を使っているとはいえ試験会場への転送のためだけに新入生全員分の転界霊術の使用に霊力を割くとは、この学校はよほど霊力を溜め込んでいるらしい。
「次に試験場内の仕組みについて説明する。この学校の試験場は様々なパターンの戦闘訓練を効率よく行えるように2種類の結界が無数に張り巡らされている。一つは『地勢複写』の結界。もう一つは少し複雑だが『光束変換』の石板2枚と『無害倒懸』の石板2枚、そしてその2種類の石板をリンクさせるための石板1枚、計5枚の複合結界だ」
岩垣は次々と術名を並べ立てていく。
幼い頃から家内で訓練を受けてきた邦霊直属の人間にとっては聞き慣れた言葉だろうが、大抵の生徒はみんなぽかんとした様子だった。
ふぅ、と一呼吸置いて岩垣は続ける。
「ま、一つずつ説明する。まず一つ目の『地勢複写』はこの世界の領域データをコピーして場内に再現させる。邦霊の本家のようなセキュリティのかかった場所や海底、溶岩地帯、宇宙など物理的に戦えない場所以外は基本的には再現できるようになっている。また、今回の試験でどんな環境が設定されるかは試合が始まるまで分からない。つまりはランダムステージだな」
なるほど。
この学校は邦霊の管轄内だから地の利は結束の方にあると思っていたが少なくともその心配はないらしい。
「次に『光束変換』と『無害倒懸』。これらはダメージを無害化しつつ人体への影響だけを再現するための結界だ。仕組みとしてはまず『光束変換』で人体への物理ダメージと攻撃を受けた部位を光に変えて無害化させ、それにリンクされた『無害倒懸』によって光量化した部位に物理的なダメージの代わりにそれ相応の枷を与える。例えば腕を切られればその腕は光となって消え、本来出血する分の意識を奪い、痛覚のみを発生させる。体験してみればわかるが本当に怪我した様に錯覚する程に忠実な再現ができる。『地勢複写』のオプションで出血しているように見せているが、実際に血は出ていない。もちろん試験が終了するかリタイアしたら痛みや傷は元に戻るから安心してもらっていい」
やはり、水無月で訓練していた時と同じ仕組みだ。
いわゆる、仮想戦闘システム。
邦霊での訓練システムは全てこれで一律されていたが祐が水無月家にいた頃と何も変わっていないようだ。
「よし、これで試験場の説明は終わりだ。次に試験のルールについて説明する」
ここからが一番重要だ。
結束の話ではサバイバル形式とのことだったが、ルールの詳細は不明なままだ。
その内容によってはこちらに有利に働く可能性もある。
「試合はクラス単位でのサバイバル形式。結界の出力を計測するので試合中1回以上は結界霊術を使用するように。五芒星結界か六芒星結界かは問わない。………それじゃあ2階の転送部屋に移動する」
「………え!?はっ、ちょっ……」
颯爽に説明を終え移動しようとする岩垣に同じクラスの初空七瀬が反応する。
他の生徒も何人かは動揺を見せている。
「なんだ、初空」
「いやなんだって……ルールそれだけですか?」
「そうだ。これ以上説明することはない」
「あ、いやでも」
「測定項目はさっき教室でも説明しただろう?この学校は学校とは名ばかりの兵の養成施設だ。試験も実際の戦闘に出来るだけ類似させた状況で行う。当たり前だが戦争にルールなんてないからな」
「………それはつまり、自由に戦えと?」
「そうだ。試合中にチームを組むも、仲間を裏切るも、背後から不意打ちするも全て自由だ。この試験では単純な霊術士としての能力だけでなく、戦況把握能力、情報処理能力、心理戦の優劣といった戦闘における総合力を図るための試験だ」
「………それって、つまり」
初空は何かを言い淀み、目線を下に落とす。
他の生徒はその意図を察したようで、チラチラと祐に視線を向ける。
初空は下を向いたまま押し殺した声で言う。
「誰を狙うのも……自由ってことですか」
「…………ああ」
岩垣の返事に合わせるように生徒達は祐から目を逸らす。
祐の予想通り、やはり的にされる人間は決まっているようだ。
「…………」
ズキン、と。
この学校に来てもう何度もこの痛みに襲われている。
だがやはり、原因が分からない。
こんな罵倒、なんともない。
なんともない……はずだ。
祐は何となく周りを見渡すと、結束と目が合ってしまう。
「……………」
彼女は自分と目が合うや否や何もなかったように目を逸らす。
岩垣も生徒達を一瞥してるように見せて、多少こちらを気にする様子があるが、やはり面倒くさそうに頭を掻くだけだった。
「………もう質問はないな?じゃ、2階に移動するぞ」
岩垣は踵を返し、生徒を先導し始める。
………それについて行く生徒達の足取りは、なんとなく足並みが揃っているように感じた。
「…………」
2階への移動はエレベーターだった。
クラス全員が乗っても余裕があるほど広いエレベーターだ。
2階につき、エレベーターの扉が開くと試合場への転送部屋に直通していた。
その部屋は薄暗く、ちょうど全員分の石板結界の土台が等間隔に配置されていた。
部屋の前面には試験場の施設を管理するモニターやレーザー投影式のキーボードが備えられている。
「よし、早速試験を開始するから全員石板の結界内に入れ。準備が出来次第転送及び試験を開始する。試合中は開始から30分毎に生存者数をアナウンスするので情報戦の足しにするように」
岩垣の言葉に生徒達は順不同に石板の上に乗る。そうすると、乗った順から結界が感応し、石版に刻まれた星模様の光が灯る。
全員の石板が光ったのを確認して岩垣はキーボードを操作し、モニターに【Ready For Transfer】の文字が映し出される。
「………ふぅ」
祐は冷や汗をかいた手をぎゅっと握りしめた。
………始まる。
結束との賭けが。
勝った時の彼女への願い事は……もう、決めている。
「勝って…………結束との縁を断つ」
祐は周りに聞こえない声で小さく決意を呟いた。
そしてその瞬間。
「試験開始っ!」
岩垣の合図とともに祐を含め生徒全員がホログラムのようにポリゴン化して転送された。
◆
祐が転送されたのは、暗く深い樹海の中だった。
天気は晴れに設定されているようで、揺れる葉の隙間からチラチラと光が差しこんでいる。
だが、転送場所など関係ない。
祐が最初にやるべきことは3つだ。
「さて、やるか」
優先順位からしてまず小陣符の結界生成。
つまりは防御の準備だ。
なにせフィールドの広さも、他の生徒のスタート位置も分かっていないのだ。
そして試験前。
初空七瀬は岩垣が試験の説明をしている途中、全員の狙いが俺に向くように指嗾していた。
なら、今ここで大人数から襲撃されるという可能性も捨てきれない。
祐は五芒星結界を起動するほどの技術を持ち得ないため、六芒星結界で小陣符の結界を生成する。
全ての霊符の解符を終え、いつでも起動させられる体勢を整える。
基本、解符をしたまま霊術を起動させないというのはその間霊力を失い続けるのであまり得策とは言えないが、今回の試験の『サバイバル』なんて言葉はルールがないというだけの詭弁だ。
つまり長期戦よりも不意打ちなどに対応できる瞬発性を重視して動く必要がある。
「……………」
周りを注視しつつ結界の準備を完了させるが、どうやら今のところ敵の気配はないようだった。
なら、2つ目の作業だ。
結界の準備はあくまでも試合開始直後の緊急用。
敵がまだいないと分かれば、時間をかけて更なる戦闘用意を始める。
祐は制服の懐から3枚の霊符を取り出し、起動させる。
それぞれ術者の身体能力を強化させるための付与系霊符だ。
表皮に霊力を浸透させ、全体的な膂力と物理、霊力、寒暖等に対する耐性を上げる『金剛符』
中枢・末梢、各神経系の伝達を加速させ、思考速度、反射速度を高める『能静符』
外部から身体へかかる負荷や抵抗を最小限まで中和することで、俊敏性を向上させる『円光符』
これらは同時起動することで相乗効果を発揮するため基本的にはセットで使われることが多く、3枚まとめて『三法印』などと呼ばれている。
ひとまずこれをかけることである程度の奇襲には対応できるだろう。
基本的な準備はこれで完了だ。
そして次に、3つ目の作業。
「…………よし、あとは」
◆
「どこだ………どこだっ、夏越祐!」
風が靡いて草木が揺れる草原。
綿のように綺麗な雲が浮かぶ空。
その優雅な風景とは相反してその男は霊符を片手に呻いていた。
祐と同じクラスの少年だ。
持っている霊符は『六神符』。
自分の周囲一定範囲内の霊力反応を感知できる霊符。
試合開始直後から常時祐の霊力を探っていたが祐はおろか、他の生徒も誰一人探知に引っかかっていない。
自分だけみんなとは離れた場所に転送されたと言うのは考えにくいだろう。
試験という名目上、不平等性が発生しないようにある程度等間隔に配置されているはずだ。
おそらく今回はステージがよほど広く設定されているか、もしくは……
「あー、くそっ!全員『探知避け』かけてやがる!」
本来、霊力の感知というのは能力がなくともできるが「周りに何か霊力の気配を感じる」程度のものなので霊術より探知範囲が狭いのはもちろんのこと、正確な距離や位置を特定したり霊力反応が誰のものなのかまで特定するのは難しい。
そこで霊術を使うことで、周囲の霊力反応を能力に媒介させて座標演算し、霊脈を正確に読み取ることで情報を得る。
この仕組みは六神符も含め探知系能力ほぼ全て同様だ。
つまりどれか一つに慣れてしまえばどの探知能力も扱えるようになるが、それ故に対策も簡単にできてしまう。
その一つが『貌淋符』だ。
探知能力の演算式を狂わせる霊力透過被膜を、体の外側を覆うように形成することで、霊力探知を遮断する。
仕組みは複雑だが、つまりは単純な『探知避け』だ。
霊力を遮断する膜を自身の周りに張るわけなので探知避け以外の霊術を使ってしまうと霊力が放出され、霊力透過被膜が破れて効果を失ってしまうという弱点があるが、それを加味しても敵地での隠密行動や戦線離脱、冷戦状態での様子見など使い所は多い。
………だが、この場はその限りではない。
「なんでみんな、こんな見晴らしのいい場所で探知避けなんか使ってんだ?」
周りを見渡すと地平線のように草原が広がっている。
霊力探知なんかせずとも視界で敵を捉えられるはずだ。
それでも探知に引っかからないなら、やはり今回はステージが広く設定されているのかもしれない。
だが、そう思ったところで急に答えが訪れた。
少し歩くと、草原の緑よりも濃い色が視界の奥に見えたのだ。
先が見えないほどの木々。
近づくとその樹海は眼界を覆い尽くす程の広さだった。
ここなら見通しも悪いので探知避けをかけた他の生徒もいるだろう。
…………もしかしたら、夏越祐も。
男は手汗と共に拳を握りしめる。
「あいつは絶対に俺が殺る!あんな……あんな権力だけの惰弱者が!」
その男は豹悟と同じ、『愛華家』の人間だった。
生まれた時から長月家の役に立つようにと言われて育ち、言われるがまま訓練と本家への献身を続けてきた。
忠誠を誓っている長月家に対して不満のようなものは何も持ち合わせておらず、むしろ長月の当主を始めその一人息子でもあり次期当主である長月侑など、自分の努力を軽くあしらってしまう程の実力者が愛華を導いてくれていることが何よりの誇りだった。
だからこそ、水無月と言う存在は愛華にとって、いや、どの家から見ても目の上のたんこぶなのだ。
結局邦霊という枠の中でも家の実力によって序列が発生する。
邦霊内の不可侵条約によって直接的な戦争には至らなくとも序列の高い家は事あるごとに他の家に圧をかけ、常に決定権を有する。
大した軍事力もないのに当主が強いというだけの理由で、まるで核の傘に入ってるかの如く好き勝手暴れられる。
それも、水無月で権力を盾にしていたのは当主ではなく、その影でバレないようにこそこそやっていた部下達だった。
水無月の血筋の者は全員気づいていないらしいが、いつしか長月の当主は「目つきが悪い」などという理由で地に手をつけさせられ、そのまま気が済むまで殴る蹴るの暴行を受けたという。
実力もない人間が努力を重ねてきた人達を足蹴にする。
そんなこと、許されるわけがない。
そしてその憤りを夏越祐にぶつけた豹悟が侑に目をつけられ、醜態を晒すことになったのも、元を辿れば水無月の……夏越祐のせいだ。
水無月への遺恨が人一倍強い彼は、試験内容を聞いた時から夏越祐を狙うと決めていた。
今回の試験は結果が学校中に公表される。
夏越祐の実力の無さを、言い訳のしようもない『試験結果』として白日の元に晒すのだ。
「弱いくせに、廃れた後でも愛華の邪魔しやがって……」
男は樹海に足を踏み入れる。
それと同時に自分も貌淋符を解符していつでも六神符と切替起動できるようにし、音を立てないように葉や足元の砂利などに注意して歩き始める。
しばらく歩いて、男は手に持っている霊符にチラッと目をやる。
「………くそっ、やっぱり反応しねぇっ」
念のために樹海の中でもずっと六神符を起動させていたが、やはり探知避けをかけられているのだろうか。
もしくは、どこか局所でまとまった戦闘が始まっているかもしれない。
そうだとしたら既に祐は脱落している可能性もある。
「……………」
望まない可能性を浮かべて男は顔を落とすが、再度拳を握りしめた。
「だめだ。あいつは俺が殺るんだ。他の誰にもやらせない。俺が………」
と、そこで六神符が反応し、霊力を感知する。
「っ!誰だ!?」
霊符を確認すると、光る梵字から探知範囲の縮小円が描かれ、その円の端に何者かがこちらに近づいてくる反応を示していた。
しかも、その人物は、
「………ははっ、まじかよ……夏越祐!」
自分が求めていた人間。
恨みの矛先との邂逅。
その奇跡とも言える出会いに男は歓喜の声を上げる。
「バカが!探知避けもかけずに樹海をうろうろしやがって。やはり水無月の傘下は能無しだな!」
距離は約700メートル。
くねくね曲がりながらこちらに近づくような反応を見るに、木を避けながら歩いているのだろう。
つまり上からの奇襲はない。
歩く方向さえ分かればもう探知の必要もない。
男は六神符を解呪させて貌淋符を起動させる。
夏越祐が既に六神符を起動させている可能性もあるが、奴の威力効率が自分より上とは思えない。
六神符は威力効率が高いほど索敵範囲が広がる。
祐をギリギリ円の端に捉えて貌淋符に切り替えたのでこっちには気づいていないはずだ。
後はある程度近づいて再探知し、それと同時に攻撃を仕掛けるだけ。
男はジリジリと距離を測りながら歩きつつ、剛弾符の五芒星結界をじっくりと時間をかけて生成する。
今は結界を準備する時間は十分にある。
六芒星結界で無駄な霊力を使う必要はない。
それに不意打ちが失敗して戦闘になることも考えて、霊力は残しておいた方がいいだろう。
数百メートルほど歩いて、男は足を止める。
「この辺りだな……」
まだ祐は視界に入らない。
おそらくギリギリ気付かれないところまで来たはずだ。
男は再度六神符を解符する。
「………よし、やるぞ。ここで……あいつを……」
六神符も剛弾符の結界も準備は整った。
後は貌淋符を解呪すると同時に六神符を起動し、敵の位置と方角が分かった瞬間、夏越祐が探知反応を確認している間に結界を撃ち出す。
……だがもし、敵との距離を見誤っていたら。
「………結界一発分の霊力を無駄にして、戦闘になる」
できれば、それは避けたい。
夏越祐は腐っても元邦霊の帰属家だ。
こっちが一方的に嬲り殺せるほどの圧倒的な実力差があるわけではない。
そして結界一発に使う霊力は思いのほか大きい。
侑様や結束様はポンポン結界を使うがあれは例外中の例外だ。
もし霊力を失って戦闘になれば不利とまでは行かなくも、奴の実力によっては苦戦を強いられるかもしれない。
「………………」
だが、負けることは許されない。
もし仮に夏越の人間に敗れたなどということが学校や愛華に広がれば、家の名と共に霊術士としての声明に大きな傷がつく。
「………くそっ」
直前になって、冷や汗が流れてくる。
様々な不安が襲いかかる。
………一瞬、引いてしまおうかとまで考えてしまう。
………だが。
「そんな理由で引けるかよ!」
勢いに任せ、男は六神符を起動させた。
祐との距離は30メートル弱。
ほぼ、狙い通りの数値だ。
「ははっ!バカがぁ!」
男は勝ちを確信するとともに結界を起動させた。
放出された光線は瞬く間に暗かった樹海を照らし、木々を貫通して祐の探知座標まで一閃する。
穴の空いた木が自重で次々と倒れ、砂埃が舞う。
そして、それらの後に訪れる静寂。
「どうだ!?」
結界が打ち終わると同時にまた辺りは暗くなる。
砂埃も相まって敵の状態が視認できない。
だが、六神符の反応を見る限り祐の霊力反応は消えていた。
「は……ははっ!やったぞ!俺が……俺が夏越祐を仕留めた!」
周りに声が響くことを承知で男は喜びを口にした。
「夏越の人間に負けるかもしれない」という重圧から解放され、ここで脱落しても良いと思えるほどの心地よさだった。
「やっぱり水無月の人間なんて雑魚じゃねえか!こっちの策略にも気づかず探知避けすらままならないなんて、本当に元邦霊かよ!?」
弛緩しているからか、誰に言っているわけでもない言葉をペラペラと口に出してしまう。
「実力もないくせにこんな霊術の先進高に来るなんて身の程弁えろよな。雑魚は雑魚らしく目障りにならねぇところで縮こまってりゃいんだよ!」
と、一通り鬱憤を出し終えて、冷静になった男は貌淋符を取り出す。
ここからはただの試験だ。
少しでも家に誇れる結果を残せるように、無駄なリスクを取らず動く必要がある。
「まずは探知と探知避けを繰り返しつつ、様子を………」
それは、刹那。
男の腹部を剛弾符が音もなく貫いた。
「なっ!………がっ」
男は一瞬何が起きたか分からず、反射的に両手で腹を押さえる。
何者かの奇襲だ。
貌淋符を解除している間に探知されたか、あるいはさっきの奇声で目立ちすぎたか。
「く……そが」
幸い、致命傷には至らない。
時間が経てば出血多量で脱落だが不意打ちしてきた敵をある程度相手することはできる。
試験が終わるまでは出来る限り足掻くべきだ。
弾は背後から撃たれ、背中から腹部にかけて斜めに弾道が通っている。
なら、敵は木の上だ。
男は、痛みを押し殺して、振り返る。
「……………えっ」
敵を捉えたその時。
言葉を、失った。
「そ…………んな、なん、で」
仕留めたはずの、男。
恨みを晴らそうとこの手を下し、脱落させたはずの……
「……………よお」
つまらなそうな顔をして、夏越祐がそこに立っていた。
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次回から週一更新(水曜日 17:10)となります。




