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それは、いつかの霊術世界  作者: 河野古希
第一章 日天子の厄災 編
34/35

1-32 辞柄-兆候-


俺が『媒体霊術取扱基本技術』を取得し、初めて霊符に触れたのは4歳の時だった。


『付加・その他応用霊符及び結界運用認定』を取得し、初めて結界の生成に成功したのが6歳。


六芒星結界(ヘクサガンル)以下の霊力消費量で五芒星結界(ペンタグラム)を使えるようになったのが7歳。


即席結界(ヘイストレギオン)会得者として、邦霊の公式記録に名前が載ったのが13歳。




「お前は優秀だ」


「お前は天才だ」


「お前には才能がある」


「お前は、次期初空家を(にな)う希望だ」



父上はいつも、俺にそう言う。

毎日毎日、口癖のように。

時にはぽんぽんと優しく頭を叩いて、撫でてくれたりもする。

その時の父上は、決まって笑顔だ。

元々父上は顔が丸っこくて目尻が低い、温容な顔立ちなのでそれも相まって一層朗らかに見える。


その笑顔を見て、俺は嬉しくなった。

俺は、他の人よりも優秀なんだ。

父上の期待に応えられているんだ。

もっともっと勉強して、訓練して、もっと強くなろう。


父上に褒められる度、そう思えた。

きっとその頃の俺は、希望に満ち溢れていたと思う。


確立された地位。

卓越した才能。

その才能を開花させる為の、優れた環境。


そんな生まれも育ちも恵まれた俺がこの世界を好きになるのは、思えば当然のことだった。



…………だが、悩みが全くなかったと言われれば嘘になる。

一つだけあった。恵まれた自分が持っていないものが、一つだけ。


友達だ。


共に励み、切磋琢磨し、笑い合い、喜びを分かち合う仲間。

それが、俺にはいなかった。


確かに俺は優秀で、恵まれていた。

これは自慢などではなく、自他共に認める事実だ。

そんな日々に幸せを感じてもいたが、その幸せを誰とも分かち合えないというのは、なんというか、喜びをさらけ出せず、胸の内に抑え込んでいるようで………とても、窮屈に思えた。


だが俺が友達を作れなかったのは、優秀であるが故だとも思う。

俺の周りには、共に霊術を学ぶ同世代の子供が沢山いた。

だがその中の誰とも、実技訓練で手合せをしたことはない。

他のみんなは同世代同士で訓練試合をしているのに、俺はそれに参加させてもらえない。

俺がいつも戦うのは、初空家の大人達や軍から派遣された臨時教官ばかり。


つまりはそういうことなのだ。

優秀であるが故に、同世代の人間と肩を並べて歩くことができない。

強くなろうとすればするほど。

父上の期待に応えようとすればするほど、自分の方から友達になれるであろう人達と離れていってしまう。


強くなれば、友達ができない。

友達を作ろうと歩幅を合わせたら、強くなれない。

だから俺は強さを選んだ。


家の為だとか、将来の地位の為だとか、そんな難しいことではない。

当時の俺は、そんなことを考える事はできなかった。


ただ友達ができないことよりも、強くなれない方が怖かったから。

父上の期待を裏切るのが怖かったから。

いや………父上だけではない。

祖父(じい)様、帝王学の指導を任されている初空家の重臣(じゅうしん)、初空蓮寺(れんじ)、その他担当教育係の大人達、俺に敬神と畏怖の目を向け、憧れを抱き、霊術を研鑽する子ども達。

初空家の人間全てが、俺が初空家の当主として睦月家傘下の頂点へ導いていく姿を渇望していた。

だがその期待は、当時5歳の俺にとってはあまりにも重くのしかかった責任だった。

友達が欲しいという理由で裏切れるものでは到底ない。

友達が欲しいなんて願いは悩みなんかではなく、ほんの小さな、ただの願望。

叶わないことなんて、考えていた時から分かっていた。


だから、その時の俺はどうやって友達を作るかより、どうやったらこの願望を忘れてしまえるのかという考えにシフトしていた。


………だが、そんなある日。


初空家に民間霊術組織の視察任務が下った。

邦霊の管轄に入らない民間の霊術企業・組織が、邦霊が定めている法規を犯していないか現地に行って検閲(けんえつ)するという、簡単な任務。

普段外に出ることを禁止され、家の敷地内で訓練ばかりしていた俺は、その任務で初めて家の外に出た。

任務といっても、研修だ。

第一線を張って仕事を務める訳ではなく、いずれ自分も行うであろう定期職務を目で見て覚えるというただの任務同行。

直接任務に参加しないどころか、むしろ初空家のご子息様として無駄に護衛をつけられる始末。

たかが視察任務ですら護衛をつけられると、馬鹿にしているのかと言いたくなるが、父上にとって自分はそれほど失ってはいけない人材なのだろうと思うと自然と溜飲が下がった。

それとも、初めて見る外の景色にあてられて、怒りが緩和されたのだろうか。


何はともあれ、任務は数日でなんの問題もなく完遂し、あっという間に目が腐るほど見た実家の屋敷に戻ってきてしまった。

その後、成果報告の為父上を探していたが、夜も遅いというのに父上は主寝室にはいなかった。

次に父上がいそうな場所として書斎を訪れたのだが、やはり父上はいない。

だが代わりに、そこであるものを見つけた。


父上が背伸びをしても届かないような本棚。

その本棚に囲まれた、ずっしりと重厚感がある赤銅(しゃくどう)色の高級机。

その机の隣に置かれた、机と同色に近い芥箱(ごみばこ)


その芥箱の中に、くしゃくしゃにされた冊子のようなものが入っていた。

ただの、気まぐれだ。

その冊子が重苦しい書斎の雰囲気と相反して、黄緑やら水色やら、やけに陽気な色合いだったので思わず近づき、手にとって見てしまった。



………思えば、ここで抱いた妙な好奇心も、今の俺を形作っている物の一つなのだろう。





   ◆





愛知県 初空家本拠地

第一(だいいち)本家(ほんけ)連関(れんかん)許棟(きょとう) 第一特務室にて


「父上!私、学校というところに行ってみたいです!」

「…………七瀬」


一瞬。

ほんの一瞬だけ、父上が怪訝そうな顔をしたのが分かる。

でも、すぐにいつもの笑顔。


入学案内のパンフレットが捨てられていたことから察してはいたが、やはり父上は学校という場所に俺を行かせたくないみたいだ。

でも、行かせたくない理由を俺に悟られたくないから、笑顔になった。


きっと父上のことだ。

俺の為を思ってのことだろう。


俺が学校に行けば、何か不利益なことが起こる。

だが、それは俺が知る必要がないこと。


だからきっと父上は、今から俺を優しく説得しようとする。


「…………何で、学校に?」


なんで、学校という存在を知っているのかは聞いてこない。

パンフレットを見られたことを察しているのだろう。

いや、それ以前に学校という存在を俺に隠してきた理由を知られたくないのかもしれない。


…………よし。

ここから俺は、嘘をつかなければならない。

果たして、父上を納得させられるかどうか。


「指導者としての素養を身につける為です」

「…………指導者?」

「父上。私は、霊物構造、霊術史、帝王学など、各分野の秀抜な指導者の下、日々霊術の訓練に励んでおります」

「ああ。よく知っているよ」

「彼らは本当に優秀です。積み重ねた経験とそれに伴う知識量は勿論(もちろん)、それらを悉皆(しっかい)伝える『教育者』としての技量を持ち合わせている」

「………………」

「私は霊術や初空の家督を継ぐ者としての勉学だけでなく、彼等が教授する姿を精察し、日々温習しております。ですが………」

「…………なるほど」


父上の悟ったような声に、俺は言葉を止める。


「お前の訓練は全て教育係との一対一で行われる。それは教育としては効率的だが、人への垂教(すいきょう)を学ぶには足りない。そういうことだな?」


俺は心の中でガッツポーズを取る。

父上が興味を示した。このまま説得まで漕ぎつけよう。


「…………はい。学校という施設は個人の徹底的な教育よりも法人としての採算性を重視している関係上、一人の教師が数十名の生徒に教鞭を取る方式になっていると聞きました。後に初空家の部下達を導く者として成熟していく為に、一対多の指導をする上での教育理念は必要不可欠だと考えます」

「………………ふむ。そうか、お前の言いたいことは分かった。要は『帝王学で学んだことを実際にどう活かすか、自分の目で見てみたい』ということだな。だが、それは学校でなくてもできるだろう。一対多の教育論を学びたいのなら、初空家(うち)の敷地内にある養成所に通うといい。お前と同世代の門下生が沢山いる」

「…………………いえ、それでは、教育論を学ぶことはできても、日々の訓練が(とどこお)ってしまいます。申し上げにくいのですが、はっきり言って養成所の学習内容は私にとってあまりにも程度が低い」

「それは学校でも一緒だ。同世代でお前程の人材がどれだけいるか………」

「それはどうでしょうか」

「………なに?」

「初空家は名家とはいえ、あくまでも霊術界の統率を担う『邦霊十二紋』の栄えある一角、『睦月家』の傘下です。自分のことを卑下するつもりではありませんが、私はそんな小さな箱の中で将来有望だと崇められている、ただそれだけの人間です。世の中には私がどれだけ努力をしても追いつかないほどの天才もいる。彼等にとってみれば、私は矮小な存在に他ならない」


その言葉を聞いて、父上は目を丸くする。


「…………………七瀬。お前は、まさか」

「……………父上。私は月園高校附属霊術アカデミー初等学校への入学を希望します」

「……………」


月園高校附属霊術アカデミー初等学校。

その名の通り、霊術界屈指の名門校、都立月園高校に併設された霊術専門の小学校だ。

邦霊が運営する小中高一貫校であり、高校卒業まで辿り着けば銃身区間(バレルエリア)への加入が約束される、国内最大の霊術養成校。


「………確かに、あそこならお前と同等………いや、それ以上の生徒はごまんといるだろう。だが………」

「父上が懸念されていることは分かります。霊術アカデミー初等学校と中等学校は附属元の月園高校と違い、『邦霊十二紋』の為に建てられた学校です」


元々月園高校は『水無月家』が公益法人として設立した一般向けの私立校であり、その頃は『邦霊十二紋』などという組織は存在せず、軍事力を持つ12の家が冷戦状態で対立していた。

なぜ武力紛争に陥らず冷戦が続いたのかというと、12の家の内、圧倒的な力を持つ水無月家が開戦を目論(もくろ)む家を敵視するよう振る舞うことで抑止(よくし)していたからだ。

だがいくら水無月家でも、他の家全てを同時に収めるほどの力はなかったため和平交渉に持ち込めず、だからといって戦争を望んでいない為一つ一つの家に武力行使を仕掛けることも出来ないでいた。

その(かん)他の家は打倒水無月を(たくら)み、『いかにして他の家と手を組むか』を練っている段階で、その期間が結果として冷戦状態となっていた。

膠着していたとはいえ、いつ、どこの家が手を組んで戦端(せんたん)が開かれるか分からない状況だったが、その戦争は突如終わりを迎える。

12の家の中で、軍事力において水無月家の次点に位置する『霜月家』がなぜか突然水無月家に白旗を揚げたのだ。

唐突な降伏宣言により霜月家は一時的に水無月家の傘下となり、組織のパワーバランスが一気に変わった為、他の家は打倒水無月家を断念、玉突き的に水無月家に降伏した。

結果として全ての家が水無月の傘下に入った訳だが、支配的な和平を望まない水無月家はこれをすぐに解体。

そして、各家間で不可侵条約を結ばせ、相互扶助(そうごふじょ)の連携システムを構築した事で出来上がったのが『邦霊十二紋』という組織だった。


その後、日本全土に幅を利かせる程に軍事力を拡大した邦霊は国家機関になると同時に東京に拠点を置く地方政府の役を(にな)うこととなり、邦霊に譲渡された月園高校は名ばかりの『都立』となった。

そして邦霊はお互いの家同士で監視し合う環境を作る為、月園高校に霊術科を設け、普通科の募集人数を年々減らしていくという施策(しさく)を取った。その方針は今でも続いており、数年後には普通科が完全撤廃されて正式な霊術養成校となる予定だという。

さらに邦霊は月園高校の附属校として霊術アカデミー初等学校、中等学校を設立。

問題はこの初等、中等学校だ。

これら附属校は月園高校と違い、『邦霊内の各組織間の監視政策』が(まと)まった後に設立された学校だ。

つまり、現時点では附属校に在校している生徒は全員、『邦霊十二紋』の子女しかいない。


父上が懸念しているのは、つまりはそういうことだ。


「私が霊術アカデミー初等学校へ入学するということはつまり、邦霊にとっては前代未聞の『帰属家の加入』となる」

「………ああ、そうだ。あそこは邦霊十二紋直下に属する人間ばかり在籍している学校。そんなところへ入学するなど、ただ悪目立ちをしに行く様なものだぞ。もし周りから劣っていると烙印を押されれば初空家の地位を(おとし)めることになる」

「そうですね。ですが良く言えば、十二の家と肩を並べた先駆者にもなり得る。もし私が月園で優秀な成績を収めて、他の帰属家も月園へ入学するような日が来れば、初空はその第一人者として名を馳せます」

「……………」


父上が眉を顰めて俺を見る。

悩んでいるのだろうか。

それとも疑っている?


どちらにせよ、言葉を止めるわけにはいかない。

ここが押しどきだ。


「入学自体もそう難しいことではない。そもそもあの学校は『邦霊内の各組織間の監視』の為に用意された場所です。なら、傘下とはいえ同じ邦霊に属する我ら初空家がそこに足を踏み入れることにはなんの問題もありません」

「………………」

「それに、月園は表向きにはただの『霊術士を育成させる為の学校』です。私の入学を邦霊の都合で取り消すことはできない。もちろん試験に受からなければ入学できませんが、それは実力でどうにかして見せます!」

「………………」

「それに…………それに、どちらにせよ、他の学校は選択肢に入らないでしょう?邦霊の人間である私は情報漏洩防止の為、一般人と相見(あいまみ)えることは許されない。だからこそ本来、邦霊傘下の人間は(よわい)14を迎えるまで本拠から外に出ることを禁止されている。今回の任務同行も許多(きょた)の護衛と、初任務に対して徹底された危機管理(リスクケア)がされていたからこそ許された特例です!」

「………………」

「ですが、邦霊の人間しかいない月園なら、その心配はない!通学も家の者に送迎させ、移動中のリスクは任務に使用するハザードマップを用いて…………」

「……………もういい。………もう、いいぞ」


父上の(なだ)める様な声に、つい気持ちが高揚して叫び声にも似た大声を出していたことに気づく。


「す、すみません。少し、取り乱しました」

「…………友人が欲しいのだな」

「……!!」


不意に核心を突かれ、動揺が顔に出てしまう。

だが、その顔を見ても父上はやはり笑顔だった。


「なあ、七瀬。いつも言っているが、お前は優秀だ」

「……………」

「そして、頭がいい。でもお前は、それを周りに誇示したりはしない。優秀だが、自分の歳と、会話相手に合わせた話し方を(わきま)えている」

「…………!」

「分かるか?お前が難しい言葉を使い饒舌多弁(じょうぜつたべん)になるのは、そんなことを考える余裕もないという事。………何か隠し事をしている証拠だよ」

「……………」


全て、見抜かれていた。

やはり…………父上には、敵わない。


「………申し訳、ございません。私は………」

「いいんだ。友人が欲しいという思いを隠そうとしたのは、家を気遣ってのことだろう?友という存在は人生の(いろど)りだ。だが、邦霊に生まれた人間に彩りなんてものは必要ない。それが分かっていたから、お前は本心を話せなかった。だが、これまで何の不平不満も無く初空家の期待に応え続けてきたお前が、唯一抱いた我儘(わがまま)すら俺に認めてもらえるよう尽くした。そんなできた息子に唾を吐く親なんていてたまるか」

「…………父上」

「…………それに、見ていれば分かるよ。お前が、喜びや幸せを分かち合う相手を欲していたことは。お前はいつもひたむきに日々の訓練を励み、強くなったと実感した時はいつも純粋な笑顔で俺に報告をしてくれる。………だが、時たまに、その純粋な目の奥に寂しさが見えるんだ」

「……………」

「こんな環境じゃ友人なんてものは簡単には作れない。だからと言って俺が与えてやれるものでもない。だからその分俺がお前の支えになれれば良かったんだが………中々、上手くいかんものだな」


父上が、気を遣う様な苦笑いを浮かべる。

それを見た時、分かってしまった。


「……………」


…………そうか。

だから父上は俺を家の外に出してあげようと、今回の任務同行を………


「………父上は、何も悪くありません!!父上は………………優しい、人です」


父上は俺の言葉に少し驚いた様子で、ふぅ、と小さくため息をついた後、言う。


「…………優しい、か。何年ぶりに聞いたかな」

「………今回の件は、父上の(おっしゃ)る通り、私の我儘です。ですから学校は………」

「…………七瀬」

「?…………はい」

「学校へ行きなさい」

「……………………え?」


()頓狂(とんきょう)な顔をする俺を見て、父上はぽんぽんと、優しく俺の頭を叩く。


「お前が俺を説き伏せようとして用意した話は、本心ではないとはいえ中々に的を射ている。月園へ入学して結果を残せば、初空家の名が上がるのは確かだ。実演的な帝王学とは少し離れているが、教育論を目で見て学ぶのも悪くはない」

「で、ですが………外出する以上それ相応のリスクが……」

「さっきお前が言ったろ。家の者に送迎させればいい。それに、ハザードマップは用意できているのだろう?それがお前の良いところだ、七瀬。俺を説得するために頭を使い、材料を揃えた。お前には信頼に足る能力と実績がある。心配がないと言えば嘘になるが、それ以上に信用しているよ」

「………………父上」

「それに……………こんなにも優秀で、従順な息子なんだ。我儘の一つくらい聞いてあげないとな」

「……っ、ありがとうございます!父上!」


俺は90度ぴったりのお辞儀をし、笑顔で顔を上げ、父上に抱きついた。

父上は飛んできた体を受け止めつつ、一瞬戸惑った様子だったが、そのまま頭を撫でてくれた。


「………………本当に、信用しているぞ」

「……?」


こうして来年度4月、初空七瀬の入学が初空家の意向として決定した。










それから、あっという間に2年の月日が経った。












   ◆











六月某日

月園高校附属霊術アカデミー初等学校 2-2教室にて


キーンコーンカーンコーン、と。

一年以上聞き続けてて馴染み深くなったチャイムの音が黒板の上に取り付けられたスピーカーから流れてくる。

7限目の終わりの合図。

下校の時間だ。


教壇に立つ担任の先生が「もうこんな時間か……」と腕時計をチラリと見て、手早く授業を終わらせる。

終礼後、七瀬は帰り支度を始めた。


「……………………」


学校に入ってからの日々は、驚くほどに順調だった。

正直、邦霊十二紋直下の人間しかいない場所に飛び込むのはそれなりに緊張したし、非難の目を浴びることも覚悟していたが、自分の存在を気にする人間は思ったよりも多くはなかった。

入学して最初の自己紹介で初空という名を聞いて教室が少しざわついた程度で、それ以降はなんの差別も(いさか)いもなく、淡々と日々は過ぎていった。

彼らが俺のことを気にしないのは、きっと俺と似た立場の奴が大勢いたからだ。

無論、十二紋外の人間は俺だけなのだが、十二紋の人間でも養子として邦霊と縁を結んだ生徒が全体の6〜7割を占めていた。

元々外にいた奴らからしたら、俺のような人間もあまり珍しく感じないのだろう。

それとも、単純に周りが俺に興味がないだけだろうか。


だが、学校での成績は悪くなかった。

前回の学年別試験では47位だった。

試験を受けた2年生は全員で70人程だが、邦霊直下の人間ばかりしかいない学校でここまで食い込んだのは相当な偉業だろう。

勿論、試験の結果発表の日も、父上は大層喜んでいた。


差別もない。

成績に支障もない。

うん、順調だ。

全て順調………………の、はずだったのだが。


「……………………」


……………未だに、友達がいない。


なぜだろう。

周りには同世代かつ肩を並べられる実力者が沢山いるはずなのに。


「……………………」


いや、分かっている。


誰もが皆、強くなること以外に興味がないからだ。

休み時間は、予習の時間。

昼休みは試験対策の時間。

休日は、訓練の疲れを癒すための休息の時間。

娯楽を嗜む余裕なんて一刻もない。

友達と遊ぶ時間など、もってのほかだ。


だが、それ自体は俺も想定内だった。

というよりむしろ、俺にだって娯楽を嗜む余裕などない。

ただ俺は、共に励み、喜びを分かち合う仲間が欲しいだけだった。

だが、ここの生徒達は訓練中ですら隙を見せない。

切磋琢磨なんて優しい言葉は存在しなかったのだ。

この学校の生徒たちは皆、同じ邦霊とはいえ各々が家の名を背負ってここに来ている。

全員が全員をライバル視しているのだ。

そんな環境下じゃ、誰かと励まし合うことなんてできやしない。


…………それに。

大事なことを忘れていた。


「………………ここ、互いを監視し合う為の学校だったな……」


はぁ、と小さくため息をつき、俺は教室を後にした。


下駄箱で靴に履き替え、校舎の外に出る。

そのタイミングで制服の胸ポケットから振動を感じた。

おそらく、家の者からの電話だ。


悲しきかな、親から持たされた携帯には初空家の人間の番号しか登録されていない。


俺は携帯を取り出し、通話ボタンを押して耳に当てる。


「もしもし」

「おう、俺だ」


父上の声だった。


「…………私が学校にいる時に電話をしても良いのですか」

「いやいや、お前学校か家にしかいないのに、あとどこで電話するんだよ」


父上は楽しそうな声でそう言う。


「あなたが学校で電話するなと言って携帯を渡したのでしょう」

「それは言わない約束」

「………要件はなんでしょう。学校で電話すると言うことは、家内秘ではないのでしょう?」

「うーん、なんか今日冷たいな」

「逆に父上はいつも以上に上機嫌ですね。私から気力を奪わないで下さい」

「冗談を言えるくらいには冷たくないのか」

「…………要件は」


父上は「ああ〜分かった分かった」と茶番を踏み倒して話を続ける。


「すまん、今日は迎えに行くのが遅れる」

「………………」

「今日の送迎担当に急な任務が入ってな。護衛の数も足りてないんだ」

「代わりの者は?空いてる人間なんていくらでもいるでしょう」

「お前の送迎と護衛を適当な奴らに任せられるか。俺が選りすぐった限られた人間だけだ。そいつらは今全員出払っている」


………相変わらず過保護なものだ。

まあ、仕方のないことだろうけど。


「そうですか、分かりました。何時頃になりそうですか」

「20時」

「……………え」

「20時」

「……………は、え、ちょ、」

「20時」

「わ、分かりましたから!何回も言わなくていいです!」

「あ、そ。じゃあ待ってて」

「ち、ちょっと待ってください!文句はありますよ!?」

「ええ〜」

「20時は遅すぎます!家での訓練に間に合わないではないですか!」

「ああ、そうだな。だが仕方ない。学校で居残り勉強でもしててくれ」

「駄目ですよ!どんな理由があっても私が訓練に遅刻したことなどなかったのに!」

「なんだそれ。こだわるなあ」

「ええ、こだわりです!ですから遅刻は絶対に………」

「仕方ないだろ。どうしようもないんだ。んじゃ」

「は!?ちょっと!」

「………………………」

「………………………父上?」


完全に電話をぶつ切りされる流れだったのに、まだ通話先の静かな騒音が聞こえている。


七瀬は耳から携帯を離して画面を確認するが、やはりまだ通話中だ。


「……………あの………もしもし?」

「………………………」


なんだろう。

電波が悪いのだろうか。

とりあえず校舎と距離を取ってみようか。


そんなことを考えていた矢先、


「……………………なぁ、七瀬」

「あ!え、はい。……何でしょう」

「…………………………」

「…………………あの………………」

「……………………お前が産まれた場所は、どこだ?」

「…………は?」


いきなりなんだ?

よく分からないが、とりあえず、


「…………東京(とうきょう)邦立(ほうりつ)第六(だいろく)連関(れんかん)病院(びょういん)、産婦人科本館、302号室です」

「…………………………そうか」


プツ、と短い電子音を最後に通話は途絶えた。


「…………ええ……」


普通に切られてしまった。

「めっちゃ詳しく言うじゃん」とか「そう言うことじゃない」とかなんかしらのツッコミを期待したのに。

結局父上は何が言いたかったんだ?


「………………ってか」


なんだかんだ迎えの時間については反論する隙も与えてくれなかった。


どうしよう。

まさか20時まで迎えが来ないとは。


転界符で無理矢理帰ろうか。

いや駄目だ。

今日の訓練は実技だったはず。

今転界符を使えば、訓練まで仮眠を取ったとしても霊力は回復し切れないだろう。

どちらにしろ専属衛生管理者(タスクトレーナー)に睡眠管理されてるから仮眠すら取れないが。


「うーん」


後ろを振り向き、顔を上げると校舎時計が見える。

時刻は17:20。


今日の訓練は19:30からだ。

家から学校までの通学時間は車で約25分。


「…………はやーく歩けば、2時間かかんないかな」


きっと父上には怒られるだろう。

だが、罰を与えられるほどではない。

外に出ても、外の人間と関わらなければ大丈夫なはずだ。


「……………よし」


七瀬は校舎の外に設置された多目的トイレに入り、鞄から私服を取り出す。

いつでも自分の所属を隠蔽できるよう用意していたものだ。

手早く私服に着替え、制服を雑に鞄の中へと突っ込みながらトイレを出て、校門をくぐる。





七瀬はその日、初めて一人で外を出た。










「…………………うおお」



そこは多分、「街中」というやつだった。

コンビニやスーパー、小洒落(こじゃれ)た美容院、物静かな本屋、こじんまりとした古着屋。

人の話でしか聞いたことがなかった店が眼界にずらりと並んでいる。

いつも通学するときの送迎車は前面以外全て曇りガラスで、七瀬がいつも座っている後席と前席の間はカーテンで仕切られていた為、外の様子を見たのはこれが初めてだった。

正直言って、綺麗とは言えない。

むしろ木々に囲まれた初空家の屋敷と比べると、空気も悪いし人が多くて落ち着かない。


でも、新鮮だ。

初めての景色と体験は、想像以上に心が躍る。


視界の先に、青と赤に移り変わる光が見える。

あれが、信号というやつだろうか。

歩行者と車の安全を確保しつつ自動で交通規制をとるための装置だと聞いた。


足元を見ると、歩道の中心に黄色いでこぼこしたタイルが真っ直ぐ敷かれている。

これも聞いたことがある。

視覚障害者誘導用ブロックというやつか。

点字ブロックとかも誰かが言ってたっけ。

目が見えない人でも安全に歩けるよう凸凹(でこぼこ)に舗装された歩道。バリアフリーの1つ。


少し前には、縄で繋がれた謎の生物が四足歩行で歩いている。

あれは昔、本で読んだことがある。

(いぬ)、という生き物だ。

産毛のようにサラサラと風に靡く薄茶色の体毛。

左右に揺れる巻尾と、ピンと張った小さな立ち耳。

確かあの犬種は柴犬だったか。


本で見た時は異形に感じたが、歩く姿を見ると何となく愛着が湧いてしまいそうになる。



「……………………」



自分の脳内に留まっていた知識が目の前の光景を通して現実味を帯びていく。


外の世界への解放感と、知識と現実が合致していく高揚感。


悪目立ちしないようそれらの喜びをグッと胸の奥にしまい込んで、七瀬は僅かに頬を緩ませた。



「……………はは」



任務同行でも外に出たが、移動はスモークガラスと遮光カーテン付きの車でまともに外の景色を見ることも出来ず、着いた先でも結局他の霊術機関しか目にすることはなかったから、このような大衆向けの場所に来るのは初めてだった。


自分がいた世界がどれだけ狭かったのか、分かる。

この場所だって、世界を構成するほんの一部分でしかない。

きっと、ここ以外にも俺が知らない場所が、沢山あるんだ。

その数だけ、俺が知らない知識と、景色と、現実がある。


「………………すごい」


俺は好奇心を振りまくように周りを見渡す。

左手に見える黒い道の上を白い線に沿って車が通っている。

車道だ。

車道を挟んだ向かい側に自分が歩いているような歩道が見える。

そこには、首輪をつけていない別の生き物が歩いていた。


「……………お、あれは確か、猫とかいう…………………」


そこで言葉が、止まる。


猫が、道路に飛び出してきたから。

その目の前を、白い2tトラックが通過しようとしたから。



一瞬体が動こうとして、七瀬は止まる。


「…………………」


瞬間、新鮮な景色に弛緩していた意識をグッと引き締める。



あの猫は、死ぬ。


きっと俺がここで出れば助けられるだろうが、確実ではない。

それに仮に助けることができても、それは悪目立ちだ。

周囲の人間に認知されるような行動は慎むべきだ。


だから、あの猫は見殺しにする。


それが正解だ。


そもそも、ただの猫と、初空家次期当主候補の俺。

どちらの命に価値があるかなど、誰の目で見ても明らかだ。


自身の命を賭して助ける理由なんか…………



「どわあああっしょい!!」



その時、阿呆(あほう)のような叫び声と共にヘッドスライディングで道路に飛び出してきた男の姿が、七瀬の思考を遮った。


その男は間一髪で猫を抱きかかえ、トラックを避けながら車道を抜けた。

だが、急に飛び出したせいで体勢が崩れ、七瀬に覆いかぶさる様に勢いよく突っ込んでくる。


「おいおい」


七瀬は軽やかに半歩後ろに下がり、身をそらす。

すると男は猫を守るように身を(ひるがえ)し、背中から地面へダイブした。


「ぎゃああああす!くっそ痛え!!!」

「…………何してんの、お前」













………………一生、忘れない。

尾雲(おぐも)荘太(そうた)、18歳。



それは、あの男との最初で最後の出会いだった。

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