1-29 残痕の枷
『絶対に!……………死なないでっ』
ぐるぐる。
ぐるぐると、頭の中を巡る。
「……………なんだよ」
そして、響く。
心に。体に。脳内に。
頭から、足のつま先まで。
体内で乱反射するように、彼女の言葉が祐の中を巡る。
「…………なんだよ、それ」
なぜ彼女が、あんなことを言う。
なぜ彼女が、俺なんかの生死を気にする。
あんな、抑えきれない感情を膨らませたような顔で。
泣きそうな声で。
どんな感情を持って、彼女はあんなことを言った?
「……………意味分かんねえ」
体が震える。
まるで、乱反射する彼女の言葉に、震わされているかの様に。
「……………………」
くそ。
落ち着け……………落ち着け。
こんなの…………あれだ。
当たり前の事だ。
「……………………」
……………………そうだ。
当たり前のことじゃないか。
知り合いが死ぬ姿なんて、誰だって見たくはない。
彼女のあの言葉は、俺が死んだら後味が悪いというただそれだけの意味だ。
決して、本気で俺を心配しているわけではない。
それなのに、バカみたいに彼女の言葉を重く捉えて。
たったあれだけの言葉で、バカみたいに体を震わせて。
「……………は、はは。こんな事で、何動揺してんだ?………バカかよ」
……………………。
……………………じゃあ、あの表情は?声は?
「………………………」
………………本当に、何してんだ、俺。
「……………くそ。こんな事考えてる場合じゃ……」
瞬間、下を向いて項垂れていた祐の目線の先……………………足元にビシッと、分かりやすい音を立てて亀裂が走る。
「!!」
それを見て、祐の意識が急に現実に引き戻される。
祐は反射的に風を両腕に纏い、そのまま噴射し、後方へ下がる。
そこからコンマ数秒後、影が亀裂から生み出されるように床を突き破り、吹き飛んだ瓦礫と砂埃中から、2人の男女が現れる。
言うまでもなく、汐璃と時雨だ。
「………直接上がってくんのかよ」
「おいおい、如月はどうした。まさか1人で逃げたか?」
「ああ。邦霊の人間でも臆病な奴がいるもんだろ?」
「…………汐璃」
「ええ。不意打ちも警戒しておく」
「………………」
流石、優秀なテロリストさん。
警戒が怠りない。
まあ実際、結束は恭也を探しに行っちゃってるから警戒は意味ないけど。
と思ったところで、汐璃が言う。
「もし彼女が逃げていたらどうする?」
「そりゃ捕まえて殺すさ。でも、最優先事案は目の前にいる。まずは、あいつからだ」
「…………ねぇ、時雨。……………あなた、まさか」
「…………………」
「…………いえ」
汐璃は言葉を止め、被っていたフードを軽く握り下げる。
フードを下げて揺れた服の隙間から、赤い詰襟が見える。
校章が描かれた、金色のボタン。
やはり……………何度見ても、変わらない。
間違いなく天尚学園のものだ。
それを見て、祐は思う。
「……………………」
彼らは、どこまで厄災の事を知っているのだろう。
あの日。
厄災が起きた日、現場に居合わせた生存者は俺だけだ。
あの惨劇を実際に目にしたのは、俺だけ。
つまり当事者ではない彼らは、どこからか入手した情報を元に、俺に恨みを持ち、憎しみを募らせ、今俺の目の前に立っているという事になる。
だが…………それはどこからの情報だ?
邦霊から情報を盗んだ?
……いや、違うな。
邦霊は、まだあの事件の全貌を解き明かしきれていない。
仮に邦霊から情報を入手していても、俺に殺意を抱くほどの根拠は得られない。
なら、誰だ。
「……………………」
あの事件について俺以上に詳しい奴は………あの事件の真犯人しかあり得ない。
こいつらの組織、『彌涼暮月』とか言ったか。
こいつらのトップは、俺以上の情報を持っている奴なのか?
それはつまり………………
「……………なあ、なんでお前らは厄災のことを知っている」
「……それを俺が言う必要はあるのか?」
「ある。お前らは、なにか誤解している可能性がある」
「………なんだと」
「………お前らは、俺すら知らない情報を知っていた。厄災の日、現場に居合わせた生存者は俺だけだ。俺以上に厄災に詳しい奴なんて………あの厄災を起こした奴しかいない」
「………………」
「つまり、お前らに厄災の情報を与えた奴は『真犯人』かもしくは『嘘つき』だ。だから俺はお前らの情報元を…………」
「欠伸がでる冗談はやめてくれよ」
「…………………」
「お前だよ。全部、お前だ。当たり前のように第三者の凶徒を語るな。それに………お前すら知らない情報だと?俺は『お前があの日天尚学園にいた人間を全員殺した』としか言っていない。まさか、自分が殺したのかどうか分からないなんて言わないよなあ?」
「…………………っ!違う!!俺は殺してなんか……」
「お前が殺した。………本当なら、3年の卒業式が挙行されるはずだったあの日。あの場にいた736人の生徒と、42人の教師。12人の来賓と245人の親族。全員、お前の手で。お前の霊術で。お前が殺したんだ」
「違う!!」
目を見開く。
ズキンと、胸が痛む。
次第に、体が震えていく。
時雨の言葉が耳に入ると同時に、目の前の風景が、ゆっくり、ゆっくりと歪んでいく。
「っ………………はぁ、はぁ……………」
まるで、走馬灯のような幻覚が次々と頭をよぎる。
火だるまになりながら朽ちていく友の顔。
『なんでえ、なんで殺したぁ!?殺したんだよ、俺たちを!!!!』
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
氷像と化したまま目を大きく見開き、こちらを見つめる母の顔。
『すごく………凄く、痛い……………痛い痛い痛い痛い痛い!!!!なんで!?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでぇええ!!!!!!』
「はぁ、はぁ……………っ……違う………」
左胸に穴を開けたままヨロヨロとこちらに歩み寄る、教師の顔。
『この殺人鬼が!消えろ、呪われろ!忌々しい邦霊の犬がぁああ!!!』
「違うっ…………違う違う違う………」
あの日の恐怖が、濁流の様に激しく頭に流れ込む。
………………そして。
手を差し伸べても届かなかった、少女の最後の声。
『祐……………たす、け………』
「…………っ!!!」
瞬間、祐の中で……………何かが、壊れた。
「………っああああああああ!!!!」
「……うるせえ。気ぃ狂ったか?」
「…………ああああああああっ!!!!違う、違う!!!!違うんだあああああ!!!!誰がっ、違う!俺じゃない、俺じゃない俺じゃない俺じゃない!!!!!」
「……………………」
「何も知らないんだ!!俺は何もっ!!!全部、全部全部全部!!!!もう……………もうやめてくれええええ!!!!俺は………俺はあああああああああああっ!!!!!!!」
「……………………」
祐は頭を抱えたままその場に崩れる。
「うぅっ…………………………はぁはぁ、はぁ…………」
「………………………」
「…………はぁ、はぁ……………………………」
やがて喉の痛みと、溜まった疲労がどっとのしかかり、ガクンと首を落とす。
絶叫による酸素不足で、軽い頭痛と目眩がする。
だが徐々に呼吸を取り戻すとともに、悪夢で埋め尽くされていた脳内と視界が、少しずつ晴れる。
祐は右手で頭を抑えたまま、枯れた声で静かに話し始めた。
「………………………………なぁ、おい………」
「……………あ?」
「…………………お前…………お前は……なんで俺を殺すんだ」
「………さっき言ったろ。………復讐だ。お前は、俺達の仲間を、殺した。家族を、恩師を、殺した」
「……………死んで償えって?」
「お前の償いなんて要らない。ただ死ね」
「…………は………そうか…………そうかよ」
「そうだ」
「もう…………いいわ。お前と話すの、うぜえ。疲れた。…………………死ね」
「お前が死ね」
瞬間、ドッと。
祐の両手から風が放たれた。
◆
「うぅっ…………」
ズキズキと頭が痛む。
そして同時に、その痛みの原因が分かる。
霊力酔いだ。
他人の霊力で霊術を無理矢理行使した時に起こる、特有の現象。
霊術士として生きていれば、何度か経験するであろう痛み。
「………………ここは…………」
冬鳴明音は頭を片手で抑えながら周りを見渡した。
明音と同じ様に頭痛に苦しんでいるのか、頭を抱える生徒達が大勢いる。
その数は、周囲を見渡しても見渡しきれない程。
その人数と顔ぶれを見るに、恐らくこの学校の全生徒だ。
そこは、とてつもなく広い場所だった。
そして、見覚えのある場所。
確かここに来たのはこの学校が建てられてる途中の視察任務で一度きりだったが、それでもはっきりと覚えている。
「試験場の…………地下?」
先日実技試験が行われた試験場。
その、地下室だ。
「…………なんで」
さっきまで私達は確かに教室にいた。
教室で、実技試験が行われていた。
なのに、何故私たちは校舎の違う試験場内にいるのか。
突然の事すぎて、目の前の事態を飲み込めない。
「…………………」
慌てるな。
一旦、状況を整理しよう。
イレギュラーな事が起きても、目先の事態に捉われず状況を俯瞰的に見る必要がある。
今、何が起きているのか。
そして、自分がどう動くべきかを瞬時に判断しろ。
まず、あの実技試験。
突然現れた他校の非常勤講師によって行われ、試験中は目を閉じるよう指示を受けた。
その後試験が始まり、気づいた時にはこの頭痛。
そして試験場地下への転送。
この時点で、現在の状況として考えられる可能性は2つ。
1つ目、実技試験はまだ続いている。
この地下室に生徒全員を集め、何か違う試験を始めるのか、それともイレギュラーなこの事態にどう対応するのかを学校側が見ているのか。
とにかく、生徒には知らされていない、抜き打ち試験である可能性。
一瞬、そんな考えを頭に浮かべたが。
「…………流石にないか」
学校側が霊力酔いを起こす様な転界霊術を生徒に対して使うわけがない。
試験場の転界装置のような霊術機構を自分の霊力を使わないかつ霊力酔いを起こさない様に使用するには、『擬間暗示』と呼ばれる霊力酔い防止用の霊術を触媒石板に組み込む必要がある。
そして、日本の公的な霊術機関では『擬間暗示』の霊術術式が入っている霊術機構しか設置できないという決まりがある。
つまり、霊力酔いが起きている時点でこの転送は校内の霊術機構によるものではない。
なら、今のこの状況は学校も意図していないものであるということだ。
……………なら、残すは2つ目の可能性。
「………………………」
あの非常勤講師は、敵。
私達を転送させた霊術は、あの起動速度から考えて錬成機による自動結界。
そして、今ここに全校生徒が集まっているということは全クラスに10組と同じ様な非常勤講師擬きが送られたという事。
そいつらは全員、邦霊のやり方に不満を持った反社会組織。
今のところはこの説が最有力候補だ。
なら次に考えるべきは、私達をここへ転送した目的。
これは容易に想像つく。
邦霊直下の学校である月園高校を占拠し、生徒を人質に取ることで邦霊に何かしらの要求をする為だ。
テロと言われればそれしか思いつかないし、全校生徒を一ヶ所に集めた理由も納得がいく。
なら、次に考えるべきは何か。
「……………………」
この部屋の真上は実技授業用の擬似仮想空間生成システムが設備された国内最大級の訓練所がある。入学初日の実技試験でも実際に使った場所だ。
そして、試験場には『地勢複写』や『光束変換』といった、仮想空間を形成する為の触媒石板が無数に張り巡らされている。
この地下室はそれら石板同士を霊脈で繋ぎ、経年劣化で術式に綻びが出る石板を定期的に調律するために存在する、霊脈点検用の試験場管理室だ。
天井には触媒石板が敷き詰められ、石板に描かれた梵字の術式に沿って薄紫色の光が辿り、電灯代わりに部屋全体を灯している。
この石板が地下室と試験場の"仕切り"となっている。
まあ、触媒石板の上側は綺麗に塗装されているので一階から見ても分からないが。
「…………………」
そして、この部屋は試験場に使われる石板を全て一括管理する為に試験場と同じ広さを取らなければならない。
故に、とてつもなく広い。実際、試験が始まり、地勢複写が発動すれば擬似空間が生成されるので先日行われた試験のステージなんかよりは全然狭いのだが、それでもこの学校の全生徒を集約するには十分な広さだ。
校内でこの数の人質を隔離できる場所としては、この場所か体育館くらいだが、体育館だと出入り口がいくつもある為、人質に逃げられてしまう恐れがある。
となるとやはり一ヶ所しか出入り口が無い地下室の方が敵としてはやりやすいのだろう。
「……………でも、」
一つ、不可解な点がある。
何故、この部屋に灯りが付いているのか。
この部屋に灯りが付いている。
それはつまり、天井の触媒石板が起動して、擬似仮想空間生成システムが『試験モード』になっていることを示している。
だが、訓練所のシステムを起動できるのは月園高校に勤める教師の中で調律師の資格を持った者、もしくはこの地下室の設計に携わった人間だけだ。
それ以外の者はシステムを起動させることは愚か、この部屋に入ることすらできない。
私はたまたま設計途中の視察業務に携わり、その過程でシステムへのライセンス登録がされているが、この学校の生徒のほとんどはこの地下室の存在すら知らなかっただろう。
故に、ここが校内であることすら気づいていない生徒がほとんどのようだ。
だが、敵は違う。
何故かこの地下室の存在を知っていて、訓練所の触媒石板を起動させることができる人間がいる。
敵の正体は分からないが………………厄介な相手であることは確かだ。
「…………………これは下手に動けな……」
「よし、きっかり100秒!1分40秒経ったあ!もう頭痛治まってきたかあ、お前ら!?」
突然、天井から声が降り注ぐ。
そして、それと同時にズキズキ響くような頭痛が引いていく。
「っ!なんだ!?」
「天井から声が!」
「はあ!?ここどこだよ!」
先程まで、うぅ……と頭痛に頭を抱えていた生徒達が口々に叫び、騒ぎ出す。
天井からの声。
だが、当然声の主が天井に貼り付いている訳じゃない。
あの反響するような声は、試験の時にも使われた場内放送だ。
声の主は別の場所にいる。
「どこ!?」
明音は顔を上げて周囲を見渡す。
そして、見つける。
背後、数十メートル先。
地下室の端に設けられた、まるで体育館の演台の様に一部床が高く設計された場所。
そこには、試験場の監視モニターや電子キーボードで操作できる試験設定装置、そして霊脈点検用の解術水晶が備わっている。
そして、
「全員こっち向いたかあ!向いたあ!よし、まずは落ち着いて俺の話を聞け!」
マイクを持って喋る、スーツを着た男。
そして、その男の背後でこちらを睨んでいる、これまたスーツを着た、数十人の男。
距離が遠く、はっきりとは見えないが10組に現れた自称非常勤講師らしき男の面影が、あの中の一人から感じ取れる。
「あいつ…………!」
やはり、敵だった。
あいつらは全員、各クラスに送られた回し者達だろう。
真ん中で喋る男は、あいつらのリーダーか?
「まず自己紹介からだ、1年11組の生徒達には説明したが、俺は乙塚と言う者だ。偽名だが乙塚と呼べ!」
偽名、か。
自分は敵だと言っているようなものだが、この状況を見るにもう隠すつもりはないのだろう。
だけど…………学生とは言え、ここにいるのは全員邦霊に所属する人間。
次期霊術界を担う人間をこの人数相手にして、一体どうやってこの場を収めようというのか。
「テメェ!さっきの非常勤講師じゃねえか!」
「偽名って、やっぱり敵だったのかよ!」
「ふざけんな!俺達を誰だと思ってやがる!」
隣から数十人の生徒達の罵声が聞こえてくる。
顔ぶれを見るに、11組の生徒達だろう。
「いやだから落ちつけって。まずは話を聞けよ」
「黙れ!俺達にこんなことしてタダで済むと思うなよ!」
「ハッ!邦霊直下の学校に手を出すとか無謀すぎんだろ!」
「銃身区間が来たらお前らなんて瞬殺だ!」
「身の程知らずが!あの世で後悔しろ!」
「………………………んー。面倒だな」
止まらない野次と罵声に、乙塚は呆れてため息をつく。
………そして。
ドオオォォン!!
突然、地面が揺れる。
一瞬、体が浮く。
生徒達が脚を崩し、その場に倒れる。
まるで地震の初期微動の様な、一瞬の地鳴り。
だが、とてつもない震度。
無様に転がる生徒達を冷ややかな目で一瞥し、乙塚はマイクを口元に近づける。
「……………次喚いたら、一人殺す。その次喚いたら二人。だから、黙れ」
その低い声は地下室中に響き渡り、声の反響が消えると同時に音一つない静寂が訪れる。
明音は地に手をついたまま、今起こった光景に冷や汗を垂らす。
「…………………」
今のは何?
乙塚の霊能力?
それとも背後で控えている誰かの能力?
どちらにせよ、どんな能力なの。
あれほどの地響き。
一瞬だったが、災害レベルの威力だった。
もし、あれほどの力を一点に集中されたら。
………………。
とにかく、これ以上彼を逆撫でするのはまずい。
黙って話を聞いた方がよさそうだ。
生徒全員それを察したのか、ゆっくりと立ち上がり、何も言わず乙塚を見上げる。
「……………よし、じゃあ話をするぞ。俺達は『彌涼暮月』という名の、反邦霊宗教組織だ。この学校にはある生徒を殺す為に来た」
……………なんだって?
ある生徒をを殺す?
私達を人質に取るのが目的じゃないのか。
じゃあ何故、私達をこんな場所に集める必要がある?
「口には出せないだろうが、お前らの心の声は聞こえるなあ。何故お前らがここに集められたのかって?教えてやるよ。これは朗報だ。お前らがここにいる理由。それはターゲットの生徒以外をまとめて隔離する為だ」
「………え!?じゃあ………」
そこで、一人の女生徒が反射的に口を開いてしまう。
女生徒はハッとなり、すぐに手で口を塞ぐが、乙塚は瞬時に反応し、女生徒を睨む。
ガタガタと震え、涙目になる生徒を見て、乙塚は言う。
「……………傷つくなあ。怖がりすぎ。俺は喚いたら殺すって言っただけで、そんなポロッと喋っただけで殺したりしないよ。さっきも言った通り、君らはターゲットじゃないから」
その言葉を聞いて、その生徒は一瞬の緊張が解け、その場に崩れて溜まっていた涙をポロポロとこぼす。
「………とにかく。俺達が用があるのは君らではない。ここに転送されていない3人の生徒だ。そして、お前らに求めることは一つだけ。俺たちが目的を達成するまでここで大人しく待機してもらう。本当に、ただそれだけだ」
「……………………」
………おかしい。
明らかにおかしい。
ターゲットがたったの3人?
その3人を始末する為だけにわざわざ非常勤講師と偽ってこの学校に潜入したの?
その為だけに全クラス分の錬成機を用意したの?
そんなことをするくらいなら、わざわざ学校を狙わなくたって学校の外で一人一人襲う方が効率がいいはず。
なのに、なんでこんな面倒な方法を選んだの?
例えば、ターゲットが権力を持つ人間だったとか?
「…………………」
そうか。
それなら辻褄が合う。
権力者なら学校の外の方がむしろ護衛が固い。
邦霊直下のこの学校は生徒にとって安全とされていて、かつどんな出自の人間でも「学生」として扱われるから、校内では個人的な護衛は付かないことになっている。
だけど………だとしたら敵のターゲットは大分絞られる。
この学校に通う権力者。
それはつまり邦霊の最高位に立つ、十の家。
そう、例えば……………………………
「…………………………」
…………………待って。
なんで。
なんでこんな大事なことを忘れていたの。
イレギュラーな事態が起こった時、私が考えることは現在の状況なんかではない。
……………主人の安否だ。
「結束様っ!」
小声で叫び、明音は隣の11組を見渡す。
だがパッと見て、彼女の姿は見えない。
「まさか……………………」
目を見開き、首を動かす。
11組の集団を端から端まで何度も確認するが、やはり見つからない。
「そんな………………」
11組の中に入り、一人一人確認していく。
見知らぬ生徒と目を合わせる度、不審な顔をされるが今はそんなことどうでもいい。
「なんで、なんでいないの!結束様っ!」
「……………おい」
そこで、誰かに腕を掴まれ、私は顔を上げる。
その男は、見覚えのある顔だった。
睦月の帰属家で、実技試験でも上位の成績を残しており、結束様と同じクラスということもあって軽く顔と名前を認識していた程度だが。
「あなたは、初空家の…………」
「………………お前、何してんだよ。あまり目立つ事をするな。奴らに殺されるぞ」
「でもっ…………結束様が………」
泣きそうな明音を見て、七瀬は少し驚く。
「お前……………如月の従者か」
「結束様がいない…………もしかしたら」
「ああ、気付いていた。あいつらのターゲットは結束様かもな。それに…………………俺らのクラス、もう一人いないんだ」
「え…………………!!」
その言葉で、明音は感づく。
そして、もう一度周囲を見渡す。
「まさか………………!」
確かに、いない。
私が知っている数少ない人間。
夏越祐が……………いない。
だが、どういうことだろう。
結束様と夏越祐は一見何の関係もない二人だ。
もし二人が狙われたのが同じ理由なのだとしたら、その理由は二人の共通点に関わることである可能性がある。
そんなもの、一つしか思いつかない。
「……………まさかあいつら、日天子の厄災に……」
「いい加減にしようぜえ、なあ!」
明音の思考は一人の生徒の叫び声で遮られた。
全生徒が、その声の主を見る。
その男は、両手をポケットに突っ込みながら乙塚達が立つ演台にズカズカと登り、舐めていますと言わんばかりに顎を上げていた。
乙塚はその男を見て眉を顰める。
「君は……………長月家のご子息、長月なんとか君だったかな?どした、何か言いたいことでも?」
侑は名前を覚えていない乙塚の口調に一瞬眉をピクつかせるが、挑発には乗らないとばかりに無視して続ける。
「……言いたいことしかないな。お前が言っていることは何もかも信じられない」
「………確かに、いきなりこんなところに転送してテロリストですって自己紹介して、俺の話を信じて下さいってのは無理があるね。でも、俺達はここにいる君らには危害を加えないと言っている。わざわざ逆らう必要はないと思うけど」
「逆らう必要がない状況だと生徒達に思わせる為の嘘だったとしたら?」
「……………俺にそんな嘘をつく必要があると思うか?」
「めっちゃあるね。もしお前らが俺たちを人質にして邦霊に何かを要求するつもりだとしたら、生徒には何も伝えず嘘をついていた方がいい。「自分達は生徒に危害を加えません。目的を達成したら解放します」と形だけでも言っておけば俺達は逃げ出すことも反抗することもしない。今頃あんたらの仲間が外で邦霊とコンタクトを取ってるんだろ?んで、邦霊があんたらの要求を飲まなかったらその時はこの中の誰かを殺すつもりなんだ」
「……流石長月家の次期当主候補、想像力豊かだなあ。よくそんな根も葉もない作り話が浮かぶよね」
「お前こそよくそんな下手くそな作り話が浮かぶな。3人の生徒を殺す為に俺達を隔離しただって?だったらこんな大掛かりな事せずに一人一人狙えよ。俺達が邪魔だったなら、最初から俺達が居ない場所で殺ればいい。バカも休み休み言えよ」
さっき明音が考えていた事を侑はそのまま乙塚に突きつける。
だが、乙塚は全く動じず、むしろヘラヘラした態度で言う。
「そりゃ、大人の事情さ。君らみたいな学生じゃ理解できない事情があるんだよ」
「は、やっぱり嘘か。隠し切れてないな」
「別に嘘って疑ってもらって結構だよ。君、もう殺すし」
「あ?」
乙塚のセリフで、生徒達に緊張が走る。
「あーあ。どうせ一人は見せしめの為に殺るつもりだったけど、長月家の人間だと色々面倒になるかもなあ」
「はは………なんだそれ。何もう殺した気になってんだ?お前に俺が殺せるとでも?」
「そりゃあね」
余裕を見せる乙塚に、侑は少しイラついた様子で、
「いいか、俺は他の生徒達とは違う。正真正銘邦霊十紋の一角、長月家の次期当主だ。俺に手を出したら長月が…………いや、邦霊が黙っちゃいない。まあ、それを抜きにしてもお前の実力じゃあ俺は殺せないがな」
「………思えば、君が前に出てきたのは邦霊という最強の盾に守られていると自覚しているからだったんだね。でも、その盾は俺たちには効かない」
瞬間、乙塚の眼の色が変わる。
いや、厳密には両眼にあるものが浮かぶ。
「お前…………何だよ、その眼………」
異物を見るかのように、侑は顔を顰めて後ずさる。
虹色に鈍く光る、泡のような物。
明らかに異様なその眼は、不気味さを放つと同時に何処かで味わったことがあるような恐怖を想起させた。
その謎の恐怖に、明音は悪寒を走らせる。
「あの眼…………どこかで…………」
そして、刹那。
「じゃあね」
月園高校3年9組、長月侑。
彼の人生はその瞬間、幕を閉じた。
「…………ぇ」
嘔吐くような声と共に、ガクンと力が抜けたように視線を落とす。
左胸に20cm大のごっそりくり抜かれた様な大穴が空いていた。
それを見て自分にはもう心臓がないことが分かる。
「…………あ」
そして、そこまで。
胸に空いた穴からドス黒い鮮血が噴き出し、侑は白目を剥いて崩れるように倒れた。
それを見て明音も含めた全生徒が声を失い、愕然として目の前の光景に体を強張らせる。
「あ……………あ………………」
………殺した。
本当に、殺した。
しかも…………長月家の人間を、一歩も動かず、何をしたかも分からないまま、こんなにもあっさりと。
「やっと邪魔者が消えたなあ。君達も喜びなよ。玉座でふんぞりかえってる邦霊がうざくてうざくて仕方なかったろう?」
乙塚は何事も無かったかのような楽しげな声で言う。
だが、さっきまで自分達はターゲットではないと弛緩していた生徒達の目には、もう安堵の色は浮かんでいない。
………………そして。
「……………まさか………」
明音は、思い出す。
心から楽しそうに笑う、乙塚の顔。
乙塚の眼。
鈍く光る、虹色の泡のような。
「…………あの眼は……………」
これは、恐怖だ。
逆らうことの許されない。
どうしようもないほどの、恐怖。
そして………………つい最近、身に染みて感じた恐怖と、あまりにも酷似している。
嫌でも、あの時の光景が脳裏に浮かんできてしまう。
そう、あれは………………
「…………霊獣の眼………………?」
明音は震えた声で呟いた。




