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それは、いつかの霊術世界  作者: 河野古希
第一章 日天子の厄災 編
27/35

1-25 崩れ去る孤独




祐は霊術史の教科書をぼーっと眺めながら、その内容をノートに書き写していた。


ただ書き写しているだけで、内容は全く頭に入ってこない。

どうせ水無月で一度習った事なので書き写す必要もないのだが。


「………………」


無意味と分かっていてなぜこんなことをしているのかと聞かれれば、それは周りに合わせるためだ。


数分程前に昼休みが終わり、午後の授業の始まりを知らせる鐘が鳴った。

だが、霊術史の担当教師はまだ来ない。


これは、どうせあれだ。

誰もが経験したことあるであろう、『生徒は遅刻したら怒るくせに教師は平気で授業に遅れてくる現象』だ。


生徒からしたらふざけるなと言いたいが、その実、授業時間が減るラッキーイベント。

しかし、ここの学校の生徒にとっては違うらしい。


教師がいないというのに生徒達(こいつら)は授業のチャイムがなった途端、馬鹿真面目に霊術史の教科書を開いてノートに何か書き始める。

午後の授業の予習をしているのだろう。

なんなら、昼休みから予習に入っているやつもいた。

一般校の人から見れば鳥肌が立つような光景だ。


だがどれだけ鳥肌が立つからといって、自分だけその流れに乗らずに何もしなければ、また悪目立ちしてしまうだろう。


つまりは教師が来るまでこの勉強しているフリを続けなければいけない訳だ。

いや、教師が来て授業が始まっても真剣に聞くつもりはないので勉強しているフリは変わらないが。


祐は、うなだれるように教科書に目を向けた。

シャープペンシルを片手に、何も考えず、ただただ目に見える文字をノートに書き写していく。


「………………………」


本当に、教科書の内容が全く頭に入ってこない。

正直、今の時間も含めて授業中は暇だ。


暇だからこそ、余計なことを考えてしまう。

考えなくてもいいことを、考えてしまう。


無意識に広がる雑念が、ずっと頭の中を乱している。




『……………ねえ。なんで、あなたは学校に来たの』




「………………」


結束に問いかけられた、言葉。

何度も聞かれた言葉。


もう結束と今後関わらないと約束して、やっと学校生活への不安が一つ消えたというのに、なぜかずっとこの言葉が頭の中をぐるぐると回っている。




なぜ、学校に来たのか。

なぜ霊術と縁を切り、平和に暮らすと決めた自分が、こんな敵だらけの、平和とは程遠い学校にいるのか。





『…………貴方が本当のことを言っているのかはわからない。けど……貴方の言葉はとても薄っぺらく聞こえるわ。私が言えるのはそれだけ』






試験の時。

祐は結束に、嘘をついた。


恭也に無理矢理学校に連れられてきたと、嘘をついた。


それは、なぜか。


学校に来た本当の理由を隠したかったから。

…………ではない。


「………………………」



分からないから。


…………うん。


…………そうだ、分からないからだ。


学校に来た理由が分からないから、その場ででっち上げた嘘をついた。


何度考えても、分からないものは分からない。


なら考えても仕方ない。


これは………………仕方ない、ことなんだ。





「………………………」


祐は、視界の隅に映る結束をチラッと見る。


彼女は、約束通り今日一日祐に話しかけてくることはおろか、目を合わせる事すらなかった。



祐は、すぐにまた目を伏せる。





…………ああ。


これで、いい。

本当に、これでよかった。


誰とも関わらないで、生きる。

これが夏越祐なんだ。


初空七瀬も。

如月結束も。

冬鳴明音も。


………学校を卒業したら、神崎恭也も。


全てを切り捨てて、生きていく。



誰も求めず。

誰にも求められずに生きていく。



そうすれば、俺は………………。



……………………………………。


俺は………………………………。



……………………。



……………………。











「………………俺、何で生きて………」


その、誰にも聞こえないほど小さな呟きは、教室の扉が開く無機質な音で遮られた。


祐はハッとなり、ゆっくりと前を向く。


………霊術史の教師では、ない。

知らない男が、そこに立っていた。


その男は何やら高そうなスーツを着ており、体格はやや細身。

両手に黒い手袋、右手には銀色のアタッシュケースを持っていた。

学校という場所にはあまり似つかわしくない服装のその男に、教室は軽くどよめく。


だが、男はその反応は予想通りと言わんばかりにハハハ……と苦笑いをしていた。


「こんにちは。いきなり変な奴が来て困惑してると思うから、まずは自己紹介からしましょう。霊術史の笹木(ささき)先生の代理で来ました、専業非常勤講師の乙塚(おとづか)です。よろしくお願いします」


その挨拶で、教室はさらにどよめく。

それもそうだ。

霊術史の教師が来れないことや、いきなり教師が変わるなんて話は、聞いていない。


そして乙塚はこの反応も予想通りだったのか、まあまあと、どよめきを(なだ)める。


「何でも、笹木先生が急遽ご家族の都合で学校をお休みになられたみたいで、校内に代理の先生もいなかったとのこと。こういう場合、本来は自習という形になるらしいんですが、今日はどうしても行わなければいけない抜き打ちの試験があるとのことで、別の霊術養成校に勤める私が代理として試験を監督しに来ました」


ということらしかった。

その発言で教室のどよめきは別のどよめきに変わる。


周りからは「また抜き打ちかよ!」や「試験多すぎー」などと聞こえてくる。


全くもって同意見だ。


まだ学校が始まって3日目だというのにまた試験か。

いや、むしろ学校が始まったばかりだからこそ、いち早く生徒の実力を正確に測るために序盤に試験を何度も行なっているのかもしれんが。


何がともあれめんどくさい。


「私も突然のことだったので準備に時間がかかって遅くなってしまいました。申し訳ありませんが時間も押してきているので早速試験を始めさせていただきます」


そう言って乙塚は持っているアタッシュケースを教卓の上に置く。


生徒達は授業が始まる雰囲気に、スイッチを切り替えたかのように静まり返る。

その様子を見て乙塚は説明を始める。


「試験といっても、そんな本格的なものではありません。分類としては実技試験に入りますが、実際に霊術を行使する訳でもないので、試験はこの教室で行いま………」

「あの………ちょっと、いいですか」


そこで、一人の生徒が手を挙げる。

如月結束だ。


乙塚は、うん?と手を挙げる結束を見る。


「あなたは………邦霊の、如月結束様ですね。どうなさいましたか?」



………へえ。

意外だな。

結束相手にこんなにも冷静とは。

ただの霊術養成校の教師、しかも他校となれば邦霊の人間をお目にかかる事なんて滅多にないだろう。

普通なら目にすることはおろか、話しかけられただけで震え上がるもんだ。


学校初日の岩垣がいい例だな。

あれは状況が状況だったので仕方ない部分もあるが。


だが………出力改変までして教室で轟音を鳴らしたあの時ほどではないが、今の結束からはどことなく威圧感を感じる。

よくもまあこれ相手に冷静に取り繕えるもんだ。


そして、結束は言う。


「………笹木先生がお休みなんて話、私は聞いていません」

「そうですね。急遽だったので仕方ないと思います」

「それに、試験があるという話も聞いていない」

「それが抜き打ちというものでしょう?」

「抜き打ちだろうと何だろうと、学校のスケジュールは全て私の耳に届くようになっています。それなのに、今回の試験の話は聞かされていなかった」


結束の言葉に、乙塚の表情が少し曇る。


「………………それは。どうなんでしょうね。私は急に呼ばれた身ですので、その辺りの事情は分かりかねます」

「……………………」


はっきりとしない答えに、結束は顔を(しか)めて、じっと乙塚を見る。

乙塚は困惑した顔を見せながら、


「……私は、ただ試験を任されただけです。とにかく時間がありませんので、試験を始めてもよろしいですか?」

「…………………」


結束はやはり黙ったまま乙塚を睨みつけていたが、やがてゆっくりと席に座る。


「…………この場はとりあえず、納得しておきます。ですが……あとで、少々お時間を頂きます」


乙塚はホッと、軽く胸を撫で下ろす。


「ええ、大丈夫ですよ。私は暇だから呼ばれたようなものなので」


ハハ……、と一人で笑う乙塚は、コホンと咳払いして話を戻す。


「ええー、では試験の概要について話します。試験内容は至ってシンプル。今から皆さんには、このアタッシュケースの中身を当てて頂きます」


乙塚はそう言って、教卓の上に置かれたアタッシュケースをトントンとつつく。

何か重いものが入っているような、低い音がする。


中身を当てろとは、どういうことだろうか。

余りにも端的な説明で、どんな試験なのか全く分からない。


そんな祐や生徒達の胸間に答える様に乙塚は話を続ける。


「中身を当てるといっても、ただ適当に予想するというわけではありません。まず、試験が開始したら皆さんには顔を伏せて頂きます。そして、その間に私がこのアタッシュケースの中に入っている『何らかの媒体霊術』を起動させます。それが何かを当てていただく、という試験です」


…………なるほど。

霊術は、目で見なくても霊力が霊術の媒体へ込められる感覚はある程度感じ取れる。

そして、使う霊術によってその感覚も変わってくる。


要は、霊術を感じ取る能力を試す試験か。


「当てて頂きたい項目としては、使っている『媒体』と『霊術』です。それらが分かったら顔を伏せたまま手を上げて下さい。私が答えを聞きに行くのでこの二つの項目が合っていたら合格です」


との事だ。

『媒体』を当てるのはそんなに難しくないだろう。

あっても霊符か触媒石板(リトグラフ)だろうからな。

それ以外なら逆に分かる自信がない。

『霊術』は何がくるか予想できないな。

教室内で起動する霊術なので威力を持つような霊術ではないのだろうが、実際に試験が始まらなければ何とも言えない。


「試験開始は13:20から、と言いたいところですがもう2分ほど過ぎてしまっているので、今すぐに始めたいと思います。では、机の上を綺麗にして、各々顔を伏せてお待ちください」


そう言われて、生徒達は机を片付け始める。

祐も、意味もなく置いていた教科書とノートを閉じて、引き出しの中にしまい、顔を伏せる。


「………全員、準備はいいですね?では………試験開始です。私のタイミングで霊術を起動するので、分かった人から手をあげてください」


乙塚の試験開始の合図で教室はシンと、静まり返る。


………………。


少し時間が経つと、シュルシュル、カチャ、カチャ、と小さい物音が響く。

音からして、手袋を外してアタッシュケースを開けようとしているのだろうか。

アタッシュケースは分かるが、なぜ手袋まで外しているのだろう。


そして更に、ゴトゴトと重いものを動かす様な音。

霊力は感じない。

まだ準備段階なのだろう。



………………。



しかし…………妙だな。


乙塚は時間がないとは言っていたが、こんな試験すぐに終わるだろう。

なぜ時間をそんなに気にする必要がある。

さっき乙塚は13:20に開始予定だったみたいなことを言っていたが単にその時間に合わせたかったってだけか?


………………。


それに、結束もこの試験に納得がいっていないようだった。

たしかに、初日の抜き打ち実技試験を把握していた彼女が、この試験が行われるのを知らなかったのはおかしい。


もしかしたらこの試験は、結束にも知らされていない特別な事情が…………





バリーン!!!

ドオオォン!!!





瞬間、ガラスが割れる音と炸裂音のようなけたたましい音が教室中に鳴り響き、それと同時に祐の頭上に小さな痛みが広がった。


「いででっ!は!?」


祐は突然のことで反射的に顔を上げる。

祐だけではない。

生徒全員が今の音に戸惑い、顔を上げている。


周りを見渡すと、祐の真横のガラスは大きく穴が空いており、天井が何か撃ち込まれたかのように一部破損していた。


「…………なん、だ、これ」


剛弾符が……教室に撃たれたのか?

さっきの痛みは、これで落ちてきた瓦礫?


戸惑いを隠せない祐に追い討ちをかけるように、教卓から声が聞こえる。


「…………あー、やっぱり他のとこはもう終わっていたか。うざ。如月の娘に時間を食われたな」


乙塚が急に口調を変え、怪訝そうな顔でそんなことを言う。


だが、それよりも祐の気を引いたのは乙塚の手元だ。

乙塚はアタッシュケースに入っていたであろう一辺15cm程の黄土色の立方体に手をかざしていた。


その立方体には全面に何らかの梵字が彫られており、薄紫の光がその梵字をなぞっている。


そして、その立方体にかざされた乙塚の手は、指先から手のひら、手の甲までびっしりとまるで呪いのように梵字の刺青が入っていた。


突然の剛弾符による攻撃と、目の前に見える不可思議な光景に生徒達は何が何だか分からないようだった。


「なんだ……何が起こってる!?」


「どういうこと!?剛弾符が撃たれて……」


「な、なんだよ、あの霊術は!」


そんな声が教室中で飛び交う中、祐の背中に悪寒が走る。

剛弾符については分からないが、少なくとも乙塚が扱っている謎の立方体がなんなのかは知っていた。


「……………あれはっ」


術式連動型の自動結界錬成器。

出力の高い結界や構造が複雑な結界を短い時間で起動させるための媒体霊術。

結界の術式を半分ずつ、もしくはそれ以上に分けて封印しておき、それらを連動させるだけで結界を自動生成する軍用媒体霊術だ。

今回の場合は霊力を吸いやすくした立方体の物体に書かれた術式と手のひらに彫られた刺青の術式を連動させているということになる。


そして、分かる。

自動結界錬成器は、無駄な霊力を外に放出しない。

つまり、目を閉じていても感知することはできないのだ。

ならあれは、試験のために用意された物なんかではない。


そして乙塚の突然変わった口調。

いや、乙塚という名前はもはや偽名だろう。


あの謎の男は、敵だ。

あいつが起動しようとしている結界が、もし生徒達(祐達)に向けられているものだったら。

もしそれが、威力を持つ霊術だったら。


「…………まずい」


今思えば、あの試験は生徒達の目を塞いで錬成器を起動させるまで見られない様にする為の時間稼ぎだったのだろう。

あいつは試験開始と宣言したあの瞬間からずっと錬成器に霊力を込め続けていた。


自動錬成器を使ってさえそれだけ時間をかけて生成する結界がこんなところで起動したら…………




俺では、絶対に止められない。


「っ、結束!!小陣結………」

「もう(おせ)ぇよ」


謎の男は不敵な笑みを浮かべる。

それと同時に立方体をなぞっていた輝線が光量を増し、祐達の視界を遮るほどに眩しく光る。




そして。


「はい、起動。テストの正解は自動結界でした〜」

「クソッ!まじかよ!」




祐の叫び声を最後に、ドオオォン!と、教室中が爆発に包まれた。

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