五章 歪んだ日常⑩
「ど、どうしちゃったの! 轟君」
鍵山が慌てたような声を上げる。
「……あ?」
孝二は鍵山の顔を見る。そして自分の変化に気づいた。
孝二は――涙を流していた。
「……あぁ」
孝二は右手で顔を覆い、大きく息を吐く。だが、そうするたびに涙は次から次へと溢れてくる。
――ちくしょう。
自分の顔に爪を立てる。
「あんな包帯巻いて、過去から目をそむけて」
「え? どうしたの?」
孝二の突然の言葉に、鍵山は頓狂な声を上げる。孝二は鍵山のことなど意に関せず、言葉を続ける。
「最低な男だな。あんなに怖い思いしたってのに。一言でも――千里が弱音を吐いたか? いつも言ってくれることは、俺を心配した言葉じゃないか。煙草やめろとか。退院したら遊びまくろうとか。そんな言葉じゃないか」
孝二は頭を激しく掻き毟る。皮膚が破け、ところどころから血が流れ出す。
「ちくしょう! 様子がおかしかったんだろ! 何でそのことを聞かなかったんだ!? くだらねえトラウマなんかに悩まされやがって! 千里は、千里はずっと怖い思いしたってのに!! 手前のことばかりで悩みやがって!! 少しでも千里を気にかけてやれば――千里を支えてやればっ!!」
孝二は立ち上がり、絶叫する。その壮絶な叫びに気圧され、鍵山はその場に尻もちをついた。
「と、轟君?」
鍵山が孝二の名を呼ぶ。孝二は顔を頭上へと向け、大きく深呼吸する。そしてゆっくりと顔を鍵山のほうへと向けた。