五章 歪んだ日常①
「まだ怒っているのかい? 杉山竜君」
緋川は窓の外から下校していく生徒たちを眺めていた。
「あの時、せめて一言言って欲しかったんです」
杉山竜はあまり感情のこもっていない声でそう告げた。夕焼けでその表情はよく見えない。
「僕がCWAに入った理由は――日常を守るためです。誰もが、ただ目の前の日常に一喜一憂していられる平穏。僕が求めるのはそれだけです」
「それだけ。簡単に言うね。それこそがどんなものよりも手に入れるのが大変だというのに」
「平穏を築き、日常を支えるのが僕達の役目。誰もそのことを知らなくていい。知る必要が無い。苦しい現実は全て僕達が引き受ける」
「だからこそ――か。でもね、杉山竜君。現段階ではそれは不可能なんだ」
緋川は振り返り、若き隊長に顔を向ける。
「足りないんだ。今の日常に固執してしまっては取り返しの付かないことになってしまう。僕の計画はまだ完璧じゃない。そのためには――」
「そのために――日常を壊すのですか?」
その言葉に、緋川は優しく微笑んだ。
「日常など、とっくに壊れている」
「…………」
緋川は再び窓の外に顔を向ける。
「人が関わるものは――例えどんなものであろうと歪むんだ。歴史を見てみるといい。常にどこかが歪み、それを治すために多くの犠牲が払われる。きっかけは些細なものさ。その些細なものが人だ。そしてどんな人が歪み、日常を破壊する引き金になるのか。それはそうなってみないと分からない」
「……あえて自らの手で、その歪みを生み出すのですか?」
「それがこれからの計画で大切な役割を果たす。絶対にやめるわけにはいかない。歪みによって犠牲は出るだろう。だが、仕方ないなんて言葉を使う気はない。好きなだけ僕を恨んでほしい。僕は――自分が幸せになろうなんて思ったことが無い」
「…………」
緋川の言葉に、杉山竜は諦めたように息を吐いた。
「教官が泣きますよ」
「? そこで何で彼女が出てくるんだい?」
「分からないならいいんです」
杉山竜は軽く微笑み、窓の外の夕日を眺める。
その細められた眼には、何かを決意したような力がこめられていた。