序章 天国と地獄④
「これだけは使いたくなかったけど……」
「っ!?」
不良は、男の笑みと言葉の迫力に押され、上げた脚を宙で停止させる。
その間に男は立ち上がり、ゆっくりとコートの内から手を引き抜く。
――こ、この展開で出てくる物は、もしや拳銃!? あの人は実は私服警官とか言うオチだったのか!? なるほど……それならあの人の余裕面も納得できる。
彼はかたくなに、そう信じた。そして神への改心率を六〇%ぐらいにした。
その場に沈黙が下りる。
誰も全く動かず、次に何が起きるかを静かに待つ。
風の音。そして遠くから聞こえる雑踏の声。
コートの男は、ゆっくりと手を引き抜いた。
「っ!」
不良の眼が見開かれる。
驚愕。
不良の眼にはそれがありありと現れていた。
「な、な……」
口を動かし、何かを言おうとするが、余りのことに言葉が出てこない。脚も震えている。
そんな不良の反応に満足したのか、コートの男は、にっこりと微笑み、自らの手に持つ物をゆっくりと不良に向ける。
「さあ……」
コートの男はゆっくりと不良に近付く。
一歩一歩ゆっくりと。
コートの男が一歩近付くたび、それに比例して不良の震えは増していく。
「これを……」
不良の目の前にはそれが突きつけられていた。それがより不良の震えを激しくする。
彼も震えていた。コートの男の持つものに……。
驚愕と畏怖の眼差しの中、コートの男は微笑みの顔をそのままに、こう言った。
その言葉は、その場の全員をさらに震え上がらせることになった。それは――
「受け取ってくれ」
……………………結論から言おう。
この男は警官でもなんでもなく、懐から出した物も、凶器でもなんでもなかった。そう、それは……。
「い、いいのか! これ貰っちまっても!?」
「うん、構わないよ」
コートの男は大きく頷く。その言葉と同時に、不良が高らかに叫ぶ。
「ひゃっほう! すげえぜ、これいくらあるよ? もう一生遊び放題なんじゃないの?」
不良は仲間と共に叫ぶ。その不良の手にある物を、彼は呆然と見つめた。
それは……それは札束だった!
もう、諭吉さんオンパレード!
その分厚さは百万も軽く越す。おそらく五百万近くはあるだろう。
その札束を両手に持ち、はしゃいでいる不良達を、コートの男は満足気に眺めている。すると、不意に口を開く。
「ねえ、君達」
コートの男の言葉に、不良は振り返る。やや不満気な色が浮かぶ。
「何だ? いまさら返せってか?」
「違う違う」
コートの男は頭を左右に振る。
「そうじゃなくて、この子」
そう言って彼を指差す。
「君達はお金が欲しくて、そして今その願いが叶ったんだから、この子にもう用は無いよね? 逃がしてあげてもいいよね?」
その言葉に不良は口元に下卑た笑みを浮かべる。
「ああ、別に構わねえぜ。すげえ大金が手に入ったからな」
不良はそう言うと、彼らに背を向けて、去っていった。不良が去る間際、コートの男が不良に、
「これからはまじめに働くんだよ~」
と、言った。義理で「ああ~」と生返事が返ってきた。