三章 ピンクなアミーゴ⑦
相変わらず、ひんやりとした空気が廊下を満たしていた。
「……先生いるかな?」
保健室を通り過ぎ、カウンセリングルームと書かれた教室の前に立つ。あのピンクには保健室に行くと言ったが、どうも入りづらいのでこちらを選んだのだ。
「失礼します」
孝二はそう言って、扉を叩く。だがしばらく待っても返事は返ってこなかった。孝二は扉に手をかけるが、鍵がかかっていた。
「……いないのか?」
孝二は残念そうに息を吐く。そして、さてどうしようかと、頭をかく。
「……さすがにあのピンクは授業に戻っただろうから、中庭で時間つぶすか……」
孝二はそう言いながら踵を返し、保健室の前を通り過ぎようとする。
その時、突然保健室の扉が開いた。
「うお!」
あまりにもタイミングが良かったので、思わず驚きの声が漏れる。
「おっと、びっくりさせてしまったか」
扉を開けて現れた人影は、落ち着いた声でそう言った。
「あ、ども。失礼します」
孝二は早口にそう言って、その場から立ち去ろうとする。
「まぁ、待て少年。どうせサボりだろう?」
その人物は孝二の手首をつかむと、にやりと口元を歪ませる。
「……え、あ、えっと」
身動きの取れなくなった孝二は、しどろもどろになりながら、その人物に目をやる。
その人物は白衣を着た女性だった。綺麗な黒髪が腰元まで伸びている。何となく真を思い出した。前髪は眉のラインで切りそろえてあり、細く、鋭い眼が孝二をとらえていた。見た目は若く、年は二十後半か、行ったとしても三十前半だろう。かすかに煙草の匂いがする。
「安心しろ、少年。別に説教しようってわけじゃない。何なら寄っていく? 暇だったの」
「は、はぁ……」
「若いうちは好きなことを好きなだけやれ。後悔するのも未来の楽しみの一つだ」
さぁ、入れと腕を引っ張られ、孝二はされるがまま保健室の扉をくぐる。
「先生、何か用事があるんじゃないんですか?」
無理やり丸椅子に座らされながら、孝二は尋ねる。
「用事? そんなものは無い。私はずっと暇さ。扉を開けたのは人の気配がしたからさ」
女性はそう言いながら、白衣の中から煙草を取り出し、口にくわえた。
「……先生。この学校、校内全面禁煙ですよ」
「知ってる。ばれなきゃいいのよ。少年もどうだい?」
そう言って、孝二に煙草の箱を差し出す。
「……俺、煙草止めたんです」
「それは残念ね。若いうちから我慢するなんて、体に良くないわよ?」
女性は煙草に火を付け、ゆっくりと煙を吐き出す。孝二は胡散臭げに女性を見る。白衣の胸元に名前が書かれたプレートが取り付けられていた。そこには『杉山結香』と書かれていた。
「普通は我慢するほうを促すと思うんですが……」
「そうやって我慢するほうがダメなのよ。たいして我慢強くないくせに、我慢ばっかりやってる奴が犯罪なんか犯すのよ」
女性――結香は、煙を吐き出しながら、そう言った。
「そう――なんですかね……?」
「そう、そう。せっかくの人生なんだ。世界中のあらゆる娯楽をたっぷりと楽しまないとね。私は正直、アホみたいにホイホイ自殺する、最近のガキが理解できないよ。知ってる? 今の日本の、月の自殺者って、イラク戦争のアメリカ兵、月の戦死者の十倍よ? 戦争やってる国より死人が多いってどういうこった」
そう言って、結香はケラケラと笑う。