二章 真夏の夜の夢⑤
「今回の指揮は貴様か?」
とある一室。その教室にあるソファーに座りこんでいる一人の男。
「残念だけど、僕じゃないんだよねぇ。やりたいのは山々だけど、さすがに上に目をつけられちゃって」
その男の前に、机にもたれかかるもう一人の男がいた。足元まで覆う長いベージュのコートを纏っている。
「それじゃあ今回は誰なんだ? まさか……あいつか?」
ソファーに座る男は、苦々しげな顔を作る。
「そう、君の想像通り。今回の指揮は杉山竜君に任せてあるよ」
「…………」
ソファーの男は沈黙する。
「やっぱり後輩に命令されるのは嫌かい? 真」
「……私も奴の実力は買っているがな」
ソファーに座る男――真は、小さくため息を吐いた。
「しょうがないかな? 真は人を威圧しすぎるから、指揮には向いてないし、舞ちゃんはまだ難しいだろうし。あとペディもね」
「ペディだと?」
真は眉をひそめる。
「教官も入っているのか?」
「うん。なんか今回はちょっとやばいらしいからね。率先して参加してくれたんだ」
「……そうか、奴が来ているのか」
「あれ? うれしくないのかな?」
コートの男の言葉に、真は眉をさらにひそめる。
「うれしい? この私が?」
その口元に、不気味に歪んだ笑みを浮かべる。
「訓練生のとき、一週間飲まず食わずで、トレーニングをやらされ、やっと飯と思えば、プロテインと焼いた虫を食わされ、全身鎧を着せられ、太平洋のど真ん中に放り込まれ、果ては素手で空腹のライオンと闘わされた……。そんな私がうれしいと? 面白い冗談だな……」
「う~ん、ペディさん、そんなことしてたのかぁ。どうりで毎月訴えられてるわけだ……」
コートの男は、ところで、と前置きして言葉を続ける。
「今日見た感じではどうだった? 怪しい人いた?」
「ん? あぁ……」
真は息を吐きながら答える。
「今のところ、一人いるな」
「どんな子?」
「教室の、私の前に座っている――」
真は自分の頭を指さす。
「孝二とかいう、頭に包帯を巻いている奴だ」
孝二は右手に果物の入った買い物袋を提げ、病院の廊下を歩いていた。病院独特の消毒液のような匂いは、あまり好きじゃないが、クーラーが効いているので居心地は悪くない。
「小遣いの残りが千円になっちまったよ……。まぁ、いいか。覚悟したことだ」
そんなことを呟きながら、階段を上る。さらに少し歩いたところで、目当ての病室にたどりついた。
「ういっす、千里ー。元気かー」
孝二はそう言って、ベッドの横にある丸椅子に腰かけた。
「うん、いい感じ。もうすぐ退院出来るって」
そう言って、ベッドに寝そべる少女――千里は微笑んだ。
「そうなんだ。優が、退院したら皆でツーリング行こうって言ってたぞ」
「おお~いいじゃん。あっついからさ、海行こうよ」
千里は、孝二の持ってきたリンゴを手に取り、それにかじりついた。
彼女の名前は木下千里。ショートカットの茶色がかった髪と、ややつりあがった目が印象的な少女だ。優いわく、小悪魔だとか。
「――それでさ、優の奴、制服がボロボロになってたんだよ」
「あいつ、相変わらず馬鹿やってるのね。そろそろ殺されちゃうんじゃない?」
「かもな。女たらし、ここに眠るって感じか」
二人してひどいことを言いながら、声をあげて笑う。
「ところで……今ちょっと見えたんだけど――あんた、まだ煙草止めてなかったの?」
千里がやや目を細めて言う。
「え、いや……これは」
孝二は少し顔を引きつらせる。
「いや、一応止めたんだけどさ。どうも未練がましく、煙草くわえちゃうんだよな……。あ、もちろん火は付けないよ?」
「当たり前。私だって、退屈でイライラするけど、煙草我慢してるんだから」
「うん……ごめん」
孝二はややうつむき気味に答えた。病室内に沈黙が下りる。
「…………」
千里は食べかけのリンゴをテーブルの上に置き、袖で口元を拭う。
「ねぇ、孝二……」
「うん?」
千里は孝二から一瞬視線を外し、ゆっくりと口を開いた。
「頭の包帯……まだ取れないの……?」
「……あぁ、これ?」