僕と彼女と彼女の親友
「ある日、僕の目の前で彼女は亡くなりました」
僕は隣に立つ花嫁の手を強く握った。僕の花嫁もまた、強く握り返してくれた。それがどれだけ心強いことか。
あの日のことは、今でもすぐに思い出せる。
その日は僕と彼女が付き合って三か月の記念日で、僕の誕生日だった。
僕と彼女は、二人でランチを食べて、それから映画を見て、手を繋いで帰り道を歩いていた。
天気は雲一つない晴れ。時刻は十六時三十二分。彼女は信号が青になってから、横断歩道に足を踏み入れた。他にも人はいた。けれど、彼女は僕との会話の中で、それを体現するように、誰よりも先に横断歩道に出た。
「わたしはいつでも、君が行く先にいるよ」
その言葉が聞こえた瞬間。僕の視界から彼女は消え失せた。
何が起こったのか、わからなかった。
僕以外の人間から悲鳴が上がる。中には、彼女の元に駆け寄り、救急車を呼んでくれている人もいた。
僕はそれを、まるでテレビを見ているかのように、傍観していた。
脳みそが完全に停止していた。いや、理解したくなかったんだろう。彼女が制限速度を超過する暴走トラックに激突され、数十メートル、吹き飛ばされたという事実を。
彼女は即死だった。僕の目の前で、あっけなく彼女は死んだ。
「君は悪くないよ。これは不幸な出来事だったんだ。君が気に病むことはない。難しいだろうけど、君に何かできたわけじゃない。悪いのは全て、飲酒した挙句、居眠りをしていた運転なんだから」
彼女の父親は憔悴しきっていた僕に、優しく声をかけてくれた。僕なんかよりも、僕なんかと比較にならない程、辛いはずなのに。
でも、僕が欲しかったのは慰めじゃなかった。僕は責めて欲しかった。お前のせいで俺の娘は死んだんだと、ぶん殴って欲しかった。
あの時、僕がもっと早くトラックの存在に気が付いていれば、彼女は死なずに済んだはずだ。
映画を一緒に見なければ。あの道を歩かなければ。デートに行かなければ。彼女と付き合ってなければ。
色々な「なければ」が頭を渦巻いて仕方なかった。そして、その原因は全て自分へと紐づいていた。
そう、僕さえいなければ、僕さえ生まれて来なければ、きっと彼女が死ぬことはなかった。
責めて欲しかった。お前のせいだと、恨んで欲しかった。
優しい言葉なんていらない。擁護する言葉なんていらない。
「お前なんて、死んでしまえ」
そう言って欲しかった。
……僕は死にたかった。死ぬ理由が欲しかった。その言葉を理由にして、彼女の元に行きたかった。
それを無しに死ぬことは、彼女を喪失したという苦しみから逃れたいという、自分勝手な思いで死ぬことになる。それこそ許されないことだと思った。生きたかった彼女に対する冒とくでしかないから。
だから、彼女の親友からその言葉を浴びせられた時は、ああ、これでやっと死ねる、と本気で思った。
「どうしてあなただけが生きているの? あなたが死ねば良かったのに」
僕は、誰もいなくなった教室に呼び出され、彼女の親友から突然その言葉を吐き捨てられた。
僕は知っていた。彼女の親友が彼女のことを好きだったことを。愛していたことを。友達としてではない、愛を向けていたことを。
「……そうだね。どうして彼女じゃなくて、僕が生きているんだろうね」
虚脱しきった声でそう返したことを覚えている。
そして、次の瞬間、彼女の親友に顔面を殴られたことも。
彼女の親友は、非力だったから、身体的な痛みはさほどなかった。けれど、心の痛みは嫌という程伝わってきた。
「どうして、どうして、あの子が死ななくちゃいけなかったのッ! どうして、どうして、あんなに良い子が死ななくちゃならなかったのッ!」
彼女の親友は目を見開き、瞬きすることも忘れていた。そこから大粒の涙が止めどなく流れていく。
「……返してよ。あの子を、返してよ」
彼女の親友はその場でへたり込んだ。両手で顔面を抑え、肩を大きく振るわせて泣きじゃくっている。
僕は彼女の親友をただ見下ろすことしかできなかった。
何もできることはない。彼女が即死したあの時と同じように。
突然、涙が溢れ出てきた。そして、僕と彼女の親友は二人で声を出して彼女の死を嘆いた。
「……あなた、絶対に死んではダメだからね」
ひとしきり泣いた後、彼女の親友は突然、僕に対してそんなことを口にした。先ほどと言っていることが真逆だ。
「あの子は、それを望んでいないはずだから。むしろ、あなたが生きていることにほっと胸をなでおろしているはずだから」
彼女の親友が僕の目を見据える。
「違う?」
彼女の親友の言う通りだ。彼女はそういう人間だ。もしも生きていたら、自分が傷ついた悲しみよりも、僕が生きていたという喜びを爆発させるだろう。
彼女のそういう部分が好きだった。それを思い出した。
「あの子は、いつも、あなたのことを楽しそうに話してくれていたわ。どんなに素敵な人か。どんなに面白い人か。まあ、正直、あなたの何が良かったのかは全くわからなかったけど。でも、好きってことはよく伝わってきた」
彼女の親友はぐじゅぐじゅになった鼻をすすった。
「あなたは知っているだろうけど、わたしはあの子のことが好きだった。だから、あなたのことが嫌いで仕方なかった。わたしからあの子を奪い取った存在だもの、当然よね。だけど、あの子にはあなたが必要だっていうのも、理解してしまっていた。わたしじゃ、あなたの代わりになれないことも」
彼女の親友は体育座りをして、その中に顔をうずめた。
「……あなたは生きないとダメよ。それがあの子が生きた最大の証になるのだから。罪悪感でどうにかなりそうだと思うわ。あの子を救えなかったってね。だけど、それを言い続けたところで何の意味もない。わたしたちは過去を改変する力なんてない。できるのは過去を受け入れるか、忘れることだけ。だけど、あの子のことを忘れるなんて言語道断。だから、あの子の死を受け入れるしかない。その上で、わたしたちが何をできるのかを考えないといけない」
彼女の親友がちらりとこちらを見た。
痛々しい表情だ。それでも彼女の親友は前を向いていた。いや、そうじゃない。無理矢理自分にいい聞かせて前を向こうとしている。
「どんなに辛くても、どんなに悲しくても、どんなに心が痛くても、わたしたちは歩み続けないと。一時的に立ち止まったとしても、また、歩き出さないと。それがあの子に報いる唯一の方法だから。必死になって生きなさい。死にそうになってもなお、生に執着しなさい」
彼女の親友は、立ち上がり、僕を見ろした。
「わたしは先に行くわ。うじうじしていても、あの子は喜んではくれないから。わたしは、あの子が喜んでくれる未来を作るわ」
それだけ言うと、彼女の親友は教室から出て行った。
「彼女が亡くなったことは、今でも無念でなりません」
脳裏に彼女の笑顔が浮かぶ。ようやくここまで来ることができた。これまでは彼女のことを思い出そうとすると、彼女の絶命する姿が真っ先に脳裏に浮かんだ。
でも、今は彼女が笑いかけてくれる。
「だけど、彼女の死がわたしを、いいえ、わたしたちを強くしてくれました。そして、わたしたちを繋いでくれた。わたしたちは永遠に彼女のことを忘れません。わたしたちが死ぬその瞬間まで、一緒にあり続けます! そして……」
僕と僕の花嫁は同時に頭を下げた。その先にいたのは、彼女の両親だった。
「彼女を産み、育んでくれて、ありがとうございます!」
彼女の両親は、ゆっくりと僕らに近づき、僕と僕の花嫁の肩を優しく抱いてくれた。
出席は難しいと思っていた。だけど、結婚の報告はすべきだと思い、僕と僕の花嫁である彼女の親友は、一緒に彼女の元へと訪れた。
彼女の両親は、僕らを優しく迎え入れてくれた。そして、僕らは彼女の両親と彼女の話に花を咲かせた。
その後、僕と彼女の親友は結婚すること、そして一つのお願いをした。
結婚式に彼女も出席して欲しい。
このお願いが聞き届けられる可能性は限りなく低いだろうし、何なら、ふざけるなと一喝されて、追い出される可能性も十分にあった。
けれど、彼女の両親は、僕らの想いを受け止めてくれた。
「ここで断ったら、きっとあの子怒られるわ。大切な二人の門出を祝わせてくれないなんて、あり得ない! ってね」
僕らはその言葉に思わず涙した。僕らの願いを聞き届けてくれたこともそうだが、彼女の母親の言い方が、声が、彼女にそっくりだったから。
そして、次の瞬間、涙腺が完全に崩壊した。
「おめでとう、二人とも」
彼女に言われていると錯覚した。それは隣にいる彼女の親友も同じだった。
二人とも、号泣した。声にならない声で泣き続けた。
「……二人とも、本当にありがとう」
彼女の父親が、目頭を押さえていた。
「あの子のことをずっと覚えていてくれて。あの子のことをずっと大切に思っていてくれて。本当に、ありがとう」
僕らは頭を下げることしかできなかった。もったいない言葉だった。感謝の言葉を言わなければならないのは、僕らの方だ。それなのに、逆に感謝の言葉をもらうことになるとは思わなかった。
だから、もう涙が枯れ果てるまで泣くしかなかった。
だから今、僕らは顔を上げて笑うことができるようになった。
僕らは彼女の両親から、ひまわり畑の真ん中で、ひまわりに負けないような明るい笑顔の彼女の写真を受け取った。
僕らは、三人で、改めて招待客の前に立った。
少なくない人数が泣いていた。
それを見て、僕は思わず涙腺が緩むのを感じた。
だけど、涙は零さなかった。それは、僕の花嫁も同じだったらしい。
僕らに、もう涙はいらない。
涙からは卒業だ。
これからは笑顔の種をまき、それを咲かせていく。
この写真に写る彼女の笑顔を超える笑顔を、咲かせていく。
~fin~




