感情
壊れ、変わり、流れ、死に、生まれ。
「わたし、音楽辞める」
事務所に入るなりハルが言った。
ストーン・レコード・ジャパンは大騒ぎだ。
既に武道館を完売させるほどのミュージシャンだ。
何より、ここで終わらせるにはあまりにも惜しい才能だった。
「急にどうしたって言うんだ!これからじゃないか!」
「急じゃないです、前から考えてました。ファンの皆さんには武道館で自分の口から伝えます」
「・・・・・この先のことは?」
「普通に就職します」
ミズタニを始め、何人ものスタッフが囲い込んで説得している。
タカハシはこれほど無駄な行為を今までの人生で見た事がない。
「ナツさん、何とか言ってやってくれ!もうあなたの言うことしか聞かないんだよ!」
「ハルの才能は惜しいです」
ミズタニの顔が明るくなる。
「でしょう?ほら、ハル!ナツさんだって続けて欲しいんだ!歌うお前を見ていたいんだよ!」
「そこまで言ってませんけど」
今度は青くなる。
「おいおい!」
「僕の言うことを聞いたことなんてありませんよ」
「そんなわけないでしょう!」
「命令も指示も依頼も、したことがありません」
皆がハッとした表情になる。ミズタニも冷静さを取り戻す。
タカハシはいつでもハルの味方だ。誰よりもハルを理解していた。
ミズタニを始め、長年のパートナーであるスタッフより、恐らくは彼女の両親より、きっと彼女自身よりも。
この世界の誰よりも感情を分け合ったハルを理解している。
「2人にしてください」
「・・・・・すまなかった。あとは任せるよナツさん」
ミズタニとスタッフが退室し、ハルがタカハシの知る表情へ戻っていく。
ハルと向き合う。
「ハル、他にやりたいことはあるの?」
「ナツと一緒にいたい。他はどうでもいい」
「それって、僕が倒れたからでしょ?じゃあ、やりたいことがないんだね」
「・・・・・・・関係ない・・・・どうでもいい」
「ハル、音楽は好き?」
「・・・・・・・わかんない」
「僕は好きだよ。その気持ちはずっと昔に置いて来たはずだった。でも、ハルとミズタニさんが思い出させてくれた」
「・・・・・・・・」
「ハルが歌う姿を見ていたいのは本心だよ。もう一度聞くよ。ハル、音楽は好き?」
「・・・・・・好きかも・・・・やっぱわかんない」
「じゃあ、もう辞めよう」
じっとタカハシを見据えていたハルの瞳が下を向く。
大粒の涙が床に溢れる。
「・・・・・・・ごめん、嘘ついた」
「・・・・・・ハルが希望を与えてくれたんだよ。今は死にたいなんて思っちゃいない」
「・・・・ナツがいなきゃ嫌なんだよ」
「どこにも行かない。僕が約束を破った事がある?」
「今度は僕がハルの希望になりたい。ダメかな?」
「・・・・・・・もうなってるよ」
そう言うと泣きながら笑った。